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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(253) 甲越 川中島血戦 80

2024年11月19日 21時18分14秒 | 甲越軍記
 武州岩槻の城主、太田美濃守入道三楽は、北條氏康が病に罹ったと聞き、これぞ良き機会であると関東諸将に語り掛けて、上杉憲政を大将として、軍勢は相州酒匂まで攻め寄せる
同じく房州里見の城主、正木大膳亮は北條幕下の千葉新介がl籠る佐倉の城を攻める
正木左近進は里見の老臣、坂倉大隅と共に、相州金沢の城を乗っ取り、そのほか忍の成田下総、河越の城にも越後勢、上野勢が攻め寄せて昼夜かまわず攻め立てればたまらず、諸城から小田原へ援軍の要請がひっきりなしにやって来た。

北條父子はいかにしたものかと思えども、病の上敵は大軍で各所を同時に攻めるので、いかんともしがたく出陣をためらった
そこで氏康は一案を謀る、我は病重く、敵は各所に攻め寄せ、我らもまた勢を分けて救援に行けば、本城が手薄となる
故に甲州の武田信玄を頼み、越後に向けて兵を出してもらえば、謙信上洛で留守の越後勢は急ぎ関東より越後に戻るは必定なりと
ただちに一宮隋巴を使者として甲府に使わせた

しかし信玄はかねてより謙信の留守の間は越後と戦をせぬ誓いを立てているので、氏康のたのみなれども、謙信との義をかくことを恐れて、これを断った
だが氏康は危機の危機であれば、二度三度と重ねて懇願の使者を走らせた

信玄の心は揺れるが、馬場、飫冨、日向、山本、原の諸将は「いかに氏康が乞うとも決して承諾なさりませぬように、謙信との約束を破れば怨恨はますます深くなり、天下にも不義の名が広まるでしょう、後日の大志の妨げともなりましょう」と言えば、信玄もこれに賛同して北條の使者を送り返す。

だが必死の氏康はそれでも諦めず、またしても使者をおくれば、さすがに信玄も根負けして、ついに氏康の願いを聞き入れて、武藤甚右ヱ門尉をまず海津の城に送る
これにて高坂弾正忠昌信が陣触れを行い、三月十七日甲州を討ち立つ
川中島に着陣して、これより高坂をもって、越後の太田切まで進出させた
信玄は鰐が岳城を巡検して引き返そうとしたところへ。鰐が岳の守兵が「憎きは信玄なり」と城を討ち出て、背後から攻めかかれば両軍混戦となり双方ともに多数の死者を出す
こうなると甲州勢は兵を引くことが出来ず、鰐が岳の城に押しかかる
これを聞いて関東に出張した越後勢は急ぎ越後へ引き上げた
氏康はこれを知って大いに喜び、使者を信州に送って武田家の労苦に感謝した。

人生 ここまで来たのか

2024年11月19日 05時46分17秒 | 心 思い
 昨日は一日、そして今朝も冷たい雨が降って、気温は一気に下がっている
とはいえ、まだ冬の寒さから見れば大したことは無く、夏慣れした体感が体温調整に戸惑っているだけなのだ。

気づけば74歳を過ぎていた
人生とはまさにトラベル、一日一日が新しくリセットされて、それもひとそれぞれに、それぞれの価値観、それぞれの目指す方向に動いている

同じ80年を生きても様々な人生があり、それはどれが正解でもなく、どれが間違いでもないのだけれど、不幸せな一生よりは幸せな一生の方が当然良いわけで
誰もがそれを目指して生きて来たのだと思う
それは年齢を重ねた人間の実感で、未来がまだたくさんある若者には実感できぬ事なのだ。

世界ではなく、日本国だけに限って言っても、生まれ落ちた時すでに9000万の日本人がいて、それから毎年300万の日本人が産まれ、今の時代でも70万の日本人が生まれている
常に1億人以上の日本人と同じ一日を生きているのに、74年の人生の中で一言でも言葉を交わした日本人はどれだけいただろうか
随分多くの人と接してきたつもりでも十万人は居ないだろうと思う
一日一人新たな人と話してもここまで365×74=アバウト25000人、そんなもんだ。

1億2000万人の日本人、そして生まれた日から会わないうちに亡くなってしまった人も1億人くらいいるだろう
2億人以上の日本人と同じ日を生きたのに、たった25000人としか言葉を交わしていない
自分にとって最良の相性の日本人が居るはずなのに、出会う確率は天文学的に少ない、究極のベターハーフに会わずに終わってしまうのがいかにも惜しい

身近なところでのベターハーフでお茶を濁して・・・と言えば失礼極まりない
悲しいことに人間は欲望の塊だ、つねに上を目指し、より多くを目指す、そして多くは妥協してそこで終わる
だからこそ、やり遂げた人に嫉妬する、だがやり遂げたと思った人さえ未だやり遂げずにいることは他人にはわからない
やはり、そこそこの満足感で妥協するのが賢明なのだろう、人間の限界など本当にすぐやってくるのだから。

60歳で保証人になれなくなる人が多いが、74歳の私は犬、猫を飼うことが出来なくなった
今度の保護猫のことでも、母子ネコを飼うつもりでいたが、50代家庭の子猫の貰い手がついて、カート(元、フーテンの寅ネコ)と母ネコを我が家で飼うことに決まり、すでにカートは同居しているが、今日から母ネコも来る予定だった
昨日は先駆けて保護会のSさんが来て、お話をしたけれど母ネコと言えども、まだ推定2歳で、この先順調ならば15年くらいは生きそうだ
15年後の私は90歳、父母は93歳、92歳まで生きたが、80代後半には自分の体さえ維持するのがやっとだった
それを思えば、高齢化した猫の面倒を見ることはできないだろう
今の寿命を考えても、男が90まで元気でいることができるのはせいぜい10%くらいではないだろうか、女(女房殿)が猫の介護をできる確率も20%くらいだろう
結局、そんなことで母ネコを飼うことも、Sさんの話を聞いてあきらめることにした
カートは推定7~8歳腎臓病を患っているので、そうそう長生きはできないかもしれない、だからカートだけと暮らすことに決めた
ネコの一件で、自分の年齢、高齢化を再認識した次第である。

思えば遠くに来たもんだ・・・そう思った。