神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(248) 甲越 川中島血戦 75

2024年11月14日 19時41分51秒 | 甲越軍記
 信玄の不遜な振る舞いで、純粋な快男児謙信は怒って越後に引き上げた
長年決着のつかない不毛な戦を終わらせるという謙信の申し出は、両家の重臣たちを安堵させた、それなのに決裂して両家の将は大いに落胆した
中でも山本道鬼入道は深く歎いて、信玄の前に出て問いただした
「此度、上杉との御対面のおり君の御振る舞いで、謙信が立腹したのは、もっともなことと同情せざるを得ません
いったい、どのような思惑があって和平を破る振る舞いをなされたのか」

すると信玄はにっこりと笑い「そなたたちが、そのように思うのはもっともである、 我は上州を望んだ時、北条に妨げられて一時はあきらめた
されども北條は、上州に於い謙信と干戈を交えることとなり、さらに上州の諸将も謙信の後ろ盾を得て北條に立ち向かえば、氏康はこれに手を焼き、我に上州を任せたのである、そして我らは武威をしめして上州を押さえつつある
ここで謙信と和睦すれば、我らは上州をあきらめ、北條は我らが沈めた上州を濡れ手に粟で奪うであろう、それ悔しき也

二つには、今川義元は上洛の気運高まり、天下統一を志しているが、後ろから襲われることを恐れて、父信虎公を介抱しているのは、我との好みで北條が攻め来るのを妨げさせようという魂胆である
故に我は謙信と和議を結ばず、謙信との干戈を理由にして今川の留守を守ることを断る方便とする
そうなれば、今川は引き返すか、さもなくば上洛途中で討死となるやもしれぬ
このようなわけで上杉との和睦を破ったのである
速やかに上州を平定して、今川に先駆けて上洛をして天下統一を成す所存である」
信玄がそう言うと、山本道鬼が謹んで申すのは「君の御深慮はもっともな妙策であります、されどもそれは当方だけのお考えであります
上洛の御意志あるならば、尚更に上杉と和睦すべきでありました、交わりを厚くして、更に駿州より、御父君を迎えられて甲斐の留守をお頼み申せば、何の憂いも無く上洛の途に就くことができます
上杉も好き後ろ盾となりましょう、謙信と云う人は性質勇優れて義に厚く守る人なれば、留守を狙う敵あれば、たちまち謙信がそれを妨げるでありましょう
また謙信には天下統一はおろか、領土的野心も無く、越中に攻め入るのは父君の仇討ちの為、信濃に攻め来るは村上への義、関東に攻め寄せるのは上杉憲政への義の為であります
それなのに恥辱を与えたことで怨恨が残り、以後和議を結ぶのは敵い難くなるでありましょう、されば上杉を滅ぼすと言えども容易ならざることであります
今川、北條は御縁者と言えども変身することも大いに考えられます、上杉のような義将こそ世に少なければぜひとも和議をなすべきでありましょう」
と諌めたが、信玄は聞く耳持たず、道鬼は深くため息するのであった。


諏訪に来ています④ 最終回

2024年11月14日 05時48分15秒 | 旅行 新潟県.長野県
 原田泰治美術館は今回で3回目です
何度見ても楽しい気持ちにさせてくれる作品です、美しい色彩とグラデーションで精密に描かれています
その多くは俯瞰的で10mとか20mとかの上から見下ろしている感じがします。

原田泰治は諏訪の生まれで、飯田に引っ越していますから、その景色のほとんどが信州の風景かと思えば、さにあらん、全国各地どころか外国の景色も書いています
しかも、田舎ばかりでなく、高層ビルが立ち並ぶ外国の大きな町の作品も結構あるのです
特徴的なのは人物が多く書かれているのですが、ほとんどがのっぺらぼうです、顔の表情が無い、なのに日々の生活に根付いた姿かたちを見るだけで表情まで見えてくるから不思議です。

原田泰治は1歳で小児麻痺に罹って歩けませんでした、しかし幼少期に杖や器具を使って奇跡的に歩けるようになりました、もちろん健常者のようには行きませんが
それで美術館も身障者に優しい作りになっています
二階のカフェからは諏訪湖が眼下にあってとても気持ちが良いです
ここで1時間、ゆっくりと鑑賞してきました
原田さんは、さだまさしと親友で一緒に旅行をしたりしました、この美術館の名誉館長にもなっています。
原田さんはニ年前に亡くなりました、もっと作品を書き続けてもらいたかったです。

以前購入した作品集です

駐車場に居たら変わったバスがヨットハーバーの方に見えました
ピンときました、いつだかテレビでやっていた水陸両用バスですから、仲間にしらせました、みんな始めて見たのでびっくりでしたが、一番若い好奇心旺盛な仲間が「乗りたい」と言い出しました
今日はもう間に合わないので明日の検討課題にして宿に入りました。

宿は湖泉荘という6階建ての中堅ホテル、割とこじんまりとしています
でも滞在してみてエレベーターから風呂、食事処がすぐ隣で移動がすごく楽です、エレベーターも二基並んでいて、少しも渋滞がありません
食事も夜朝ともに6人ですが個室でした
屋上には諏訪湖展望スペースがあるそうですが、行かなかったです
風呂もちょうどよい大きさで、私は病後で感染症が怖いから、食後に入りました、思った通り私一人の貸しきりでした、23時半にももう一回入りましたが、やはり貸し切り、王様気分です
お風呂上りには、かりんジュースなどが用意されています。

夕食が良かったです、下諏訪の宿は今度で4回目ですが、すべて違う宿
その中で、今回の料理は郷土の食材をいろいろ工夫して作られており、他の宿との差別化は一目瞭然で大満足です
でもまだ多少の食事制限があって食べたくても食べられないのがあって残念でした、それでも今回は普通の濃さの酎ハイを二杯飲みました

お造りは信州産の新鮮なイワナとマスです
 

さしみ用の、醤油のジュレと生わさびを練り込んだ味噌

前菜も一品一品に工夫がされています  柿をくりぬいた蒸し物(柿は制限されていて食べられませんでした)  栗とかりんのデザート、シャインマスカット

信州牛の鍋も参加型の工夫がされています


前菜も単純じゃありません、一品一品に細かな味の工夫がされています
板前さんの腕の良さとセンスが伺われます


このほかにも信州牛のローストビーフ、裏ごししたサツマイモの天ぷらなど満足、満腹でした
スタッフもみなさん感じよくて、また来て見たい宿でした。

翌日、水陸バスの申し込みをしましたら11時からの便に乗ることが出来ました
発着場はSUWAガラス館、ちょうど観光予定地だったので、時間までここでお買い物
いよいよ出発です、正式には「ダックツアー」だそうです、えくぼが素敵なエキゾチックな女性ガイドが元気よく盛り上げてくれます
諏訪湖クルーズが20分、そして市内観光30分のコースです


ヨットハーバーから「ドバン」と湖に入ります

観光バスドライバーはここから船長になります、一人二役、大谷並みの二刀流です。
このバスの特徴は、窓がありません、道交法の重量基準のための軽量化だそうです、雨の日は雨具を着るとか・・・今日は快晴でよかった
元は物資運搬の大型車を1億円かけて改造したのだそうです、車高も制限ギリギリですから、乗車にはデッキを使います、料金は大人3000円(週末祭日は3300円)

陸に上がって流しの観光、高島城ちらり


片倉館などガイドさんは50分休むことなく楽しく案内を続けます
少し諏訪湖の知識が増えました、あの大きな湖ですが一番深いところでも7mだそうです、面積が約2倍の田沢湖は日本一深くて423mというからびっくり! 諏訪湖の面積は大きく見えても、一番大きな琵琶湖の約50分の1です
諏訪湖の面積は長い年月の中で広くなったり狭くなったりしているそうです
最大では現在の2~3倍あったそうです
偶然見つけたこれは、二日目の予定を変えても悔いが無い楽しさでした、みんんな「良い旅行になったね」と大喜び
見る観光もいいけど、体験する観光もいいねとなって、来年の課題になりました。

湖畔には紅葉がきれい

バスツアーで2日目のほかの観光はとりやめにして、コースも変更
長野道を安曇野へ行き、予定になかった大王わさび園





あえて人物は写しませんが観光バスも数台、月曜なのに多くの観光客でにぎわっています
白人、アジア人などの団体ツアーも多いです、ここも何度か来ていますが、これほどの賑わいは初めてで、インバウンドの活性化を感じます。
こうして今回の温泉旅は終わりました。