越後勢は勇み立ち、どこまでもと追い立てる
真田吉兵衛は百十余人で踏みとどまり、追い來る敵に向かって引き返せば、真田一徳斎も逃げ足を止めて「さては背負うた我が子に教えられるとはこのことなり」と吉兵衛を追って越後勢の中に攻め込む
これを見た、保科、清野、市川もこれに励まされて一斉に取って返す
越後勢もまた同じく、後方に退いた村上、高梨も取って返し川田、石川と一手になって追い返し、追い討って戦う
敵味方名乗り合い、目釘の折れるまで打ちあえば、組んでは落ち、落ちては首を掻き切り、武田方には原。安間、原井、加井田、小曽根、高馬場、細井信濃、市川、小窪、高輪、寿多江らの勇士、数百人が討死、手負い数知れず
上杉方の大布施三郎大夫は越後にて大力無双の名を得たる者である
萌黄の糸にて縅たる具足を着し、大手を広げて群がる敵を片端から掴んでは投げ殺す、この者一人の為に清野の軍兵は乱れたつ
この時、保科弾正は大身の槍をりゅうりゅうとしごいて、高梨播磨の勢の真ん中について入り、猛虎の如く吼えて暴れまくり、八方に打って当たれば胸板貫かれて討死する者多し
ここに高梨源五郎頼治は「よき敵ござんなれ」とまっすぐに真田一徳斎に向かって突き進む
一徳斎も大喝して五、六合打ちあわせて戦うが、馬が早りて源五郎の思いのままにならず苛立ち、自ら馬の尻を太刀のひらにて叩けば、馬は驚いて一徳斎に近づいた
その時、源五郎は太刀を投げ捨てると同時に一徳斎に無手と組合い、馬より下に落ちる
そして組んずほぐれつ揉みあえば、力に勝る壮士高梨は一徳斎を押し伏せて、鎧の胸板の隙間から、二刀刺すところに、保科弾正が取って返して「真田を討たすな」と叫んで。高梨を助けにくる雑兵十六人を、ただ一人で防ぎ、一人残らず突き倒した
その間に、真田の家人、三好清兵衛、海野隼人ら十二人馳せ来たり
細谷彦助が高梨に組み付き、草刷りの外れ膝の上より打倒し、弱るところを引き敷いて高梨を押さえて首を掻き切る
今日の保科の見事さを世人評して、保科とは唱えず、槍弾正と褒め称える。