謙信が越後に戻ったあと、上州の小幡尾張守信定は長野下野守の婿であるが、大身ゆえに長野に属する事嫌っていた
そこで長野は、同じく婿である小幡図書助と謀って尾張守を追い出した
尾張守は、かねてより甲州に志があったので、信玄を頼って甲州へと落ち延びた
信玄はこれを篤くもてなし、信州大日向に五千貫の知行を与えた
大日向は佐久郡の南目に近く、南目を切り取り城を築いた
そこから西上野の三か所の城を攻め討って、信玄に献上すれば、今は安中、箕輪、松井田の三城の外は西上野みな武田に属する
また武田の一将、勝沼五郎は上杉の士、武州の藤田右衛門尉に内通して誅される。
永禄四年、上杉謙信は管領職に任じられた御礼に上洛して足利将軍義輝公に拝謁せんと思い立ったが、武田信玄が留守を狙って攻め込むことを危ぶみ、二月上旬に遣いを武田に送り「謙信上洛有りて、足利将軍に拝謁の望みあり、これは公の事であり私の事にあらず、信玄、上を重んじているならば某が帰国するまで我が領土に攻め入るを思いとどまっていただきたい
もし是を承諾されなければ、某は上洛を取り辞めるしかない」
と申し立てれば、信玄もまた
「謙信上洛は大いに結構、神妙である、武家の棟梁足らん人はかくこそあるべし、帰国なるまでは一切貴下の所領へ手出しは致さぬから、心置きなく上洛するが良い」と返書を送った。
謙信は信玄の心遣いに大いに喜び、同五月供奉の行装、善美を尽くして上洛する
そして義輝公に拝謁すると、義輝公は大いに御悦あって御名の一字を賜り、政虎あらため輝虎と号す
更に幕の紋、一に菊桐、二に澤潟、三に瓜の紋を許される
また網代の輿と文の裏書を許される。
旅館は松永弾正内意にて、三好修理大夫長慶を諌めて、洛内に宿せず大津にて宿とする
洛中、洛外の寺社仏閣に参詣し、あるいは宇治、南都、堺、住吉、天王寺まで見物する
馳走は義輝卿、三好長慶が賄い賜う。 謙信滞留中、京都の動静を見るに、三好、松永が威を振るい、足利家をないがしろにするを見て、行く末は足利家を奪わんと謀るを見抜く
お暇の時、義輝公に密かに申し上げる
「三好、松永を伺うに偏に謀反仕る者らと察しました、もし彼ら二人が逆心の色見えたなら、早速にお内書を賜わるべし
三好、松永を誅伐仕るべく候」と申し上げれば、義輝公は謙信の義心に感激して、偏に謙信を頼むことを約束する、謙信は都より越後へと帰還する。