神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(262) 甲越 川中島血戦 89

2024年11月30日 20時03分57秒 | 甲越軍記
 上杉方、田村兵庫の無類の働きを見て、武田方は内藤勢から八木下総守が出でて槍をしごいて馳来る
兵庫は大太刀にて八木の槍をあしらっていたが、八木が苛立って突き出した槍の穂先を斜切りにして、飛鳥の如く付け入り下総守をどっと切り倒す
青木六郎左衛門は是を見て、同六大夫と共に士卒十二人を率いて兵庫に突きかかる
田村兵庫は、これだけの敵を受けてもものともせず上段に受け、下段に絡みて戦えども、敵多く取り囲まれて危うきと見えるところに、平賀久七、救いに参りて、青木の郎党三人を突き倒す
兵庫は是を見て気を取り戻し、六大夫を馬から切って落とす
六郎左衛門は大いに怒り、槍を捨てて兵庫に組まんと駆け寄るを、兵庫は足をあげて六郎左衛門の脾腹をハタっと蹴る
大兵の兵庫に蹴られて堪らず馬より真っ逆さまに落ちて、五体くだけて死する

そのほか上杉、武田の兵卒、死を顧みず戦いしが北條、本庄に挟み討たれ、さしもの内藤修理の備えも七裂八裁に切り崩され、右往左往に敗走する
飫冨三郎兵衛の勢もしどろになって崩れんとするを、三郎兵衛は一歩も退かず槍にて叩き立てて士卒を励ませば、広瀬郷左衛門、三科肥前守、曲淵庄左衛門、猪子才蔵踏みとどまり死力を尽くして戦う。

武田左馬之助信繁、諸角豊後守昌清の備えには、須田右衛門尉親満、安田上総介順易、山吉玄蕃允親幸の三備えが鬨を作り鉄砲をつるべうちに放ち
黒煙の下より槍衾を作ってどっと喚いて懸かる

武田信繁、諸角らの軍勢も待ち受けて同じく鉄砲を放ち、槍を揃えて討って懸かる
馬も人も、天地が裂けるほどに声を上げ、喚き、刀槍の打ちあう響きは天まで届き、剣の光は電光の如く、戦士は右に左に、東に北に、そこかしこに打ちあう
武田方の名のある勇士は今日を死期と火水になって戦えば、安田、山吉、須田の越後勢も士卒を勇めて命は義の為に忘れ、名を惜しめ、名を後世に残せ、一足も引くなと号すれば、越後の勇士もまた勇み立つ

須田と安田、合しては別れ、別れてはめぐり逢い、ただ一息に攻めつぶさんと攻め寄せれば、従う勇士らも死人、手負いを踏み越えて続々と武田の陣へ斬り入れる
武田勢も七転八倒して戦えども、越後勢の車懸かりは思わぬ方向から次々と寄せては必殺の一撃を与えて去り、去ったと思えば別の方から突如沸き出て切り込んでくる
切れ間なく続く越後勢の攻勢に武田勢は切り崩されていく

武田信繁は、武田信虎の二男であり、信玄の弟であれば高風清節古人に恥じず
勇威武略は兄信玄に劣らぬ大将なれば、一歩も引かず采配を振るって士卒を下知すること霹靂の如く。






人生はプラスマイナスゼロと考えよ

2024年11月30日 12時11分12秒 | ライフスタイル
 閉鎖になったブログ人からgooブログに移って3656日になったから10年が過ぎた
ブログ人も10年くらいやっていたから、ブログ歴は20年になるのか、あの頃はまだ50代前半だったんだなあ
日記の転記も2000年に入った、50歳である、この頃が一番調子に乗っていた、ここで慎重であったら人生は違った展開になっていただろうが、調子に乗った
勇み足どころか観客席の10列目くらいまで吹き飛んだ感じ
そんな50代だった
若いころのうっぷんを全部ここで吐き出したような生活だった
今になっても当時の事は少しも反省していない、あれがないまま今に至っていれば濁りのない川のようではあるが味気ない人生だっただろう
あれはあれで私の人生のうるおいだったのだ。

昔話はこれくらいにして何を書こうか
どうも冬だけは調子が違ってくる、行動が雪と寒さで制限されるからだ
関東の友達から「こちらは毎日ぽかぽかとして過ごしやすい」とラインが来る
それを見るたびにますます北国の不便さを感じる
スノータイヤは来月2日に履き替える、昔は自分で2~3台履き替えていたが、今は寒いのと億劫なのと、膝が痛いのとで少しもやる気にならない
金はかかるが仕方あるまい

物価が上がって給料が追い付かず、政府は企業に賃上げを要求して、大企業から中企業へと5%前後の賃上げが実施されている
小企業、零細企業、個人商店、工場はどうなんだろうか
給料があがれば労働者はありがたいが、企業は支払い増加分をペイしなければやっていけない
結局価格転嫁になる確率が高い、給料あがって、更に物価が上がるイタチごっこ
給料が上がらない零細の労働者や日給の派遣労働者、年金生活者はどんどん手取りが減っていく、あきらかに日本の格差社会は韓国や中国レベルに近づきつつある
ここを政府はどう考えているのか、助けるのか、斬り捨てなのか
どうであれ先進国の中では世界一忍耐力がある、あるいは死んだふりがうまい日本国民は知らんふりをして生きていくだろうけどね。

愚痴はもういいわ
今日は少し天候も落ち着いて少し日差しが見えて来た
11月も今日一日で終わる、お歳暮材料も用意できたので今日は加工して荷造り発送をする
いつも盆も暮れも同じで、肉厚、脂いっぱいのトラウトサーモンを厚切りにしてパッケージして贈る
料理人時代に法要の焼き魚に使っていた品質の良い魚、魚屋仲間に頼んで魚市場から卸価格で取り寄せてもらう
70歳近い現役の友達が何人か魚市場に出入りしているので、こんな時は助かる

鮮魚センターで働いていた時は、金沢の大手の水産会社や、三浦三崎には父の従兄弟がマグロ問屋をしていたので貨物列車で送ってもらったりもしていた
あの頃は魚屋の黄金時代だったのだ
鮮魚センターには長野県、山梨県の観光バスが連日押しかけて大繁盛だった
それがバブル崩壊で一気にダメになった
振り返れば人生は面白い、山あって谷あって笑ったり、泣いたり
それは仕事を離れた今だって規模が個人になっただけで少しも変わらない
人生塞翁が馬、幸運が招く不幸、不幸が招いた幸運、いくつもあった
短慮で一喜一憂してはいけない、一定の年月の間に平均のゼロで収まるのが人生だ
悪いことが続いた後には必ず良いことが続く
人生はそんなもんなんだと74年生きてわかった。



雨に泣いている - 柳ジョージ & レイニーウッド(伝説のロック・スピリッツ)