一時、寅に恋慕の情を持っていた真面目で清廉潔白な花岡判事が「食管法」を守って飢え死にした。
一年間、米汁だけの食事を続けた挙句だという。
花岡判事のモデルは大分出身の山口良忠判事である、亡くなった時は34歳だったそうだ。
昭和20年8月、日本はアメリカ、中国、英、仏、蘭、豪などとの戦争に負け、アメリカに国土を占領されて食糧難の時代を迎えた。
アメリカ支配下の日本政府は「食糧管理法」を制定して、米や主力食材を国がいったん吸い上げて、それを国民に平等に(眉唾?)配給した(配給制)
そうはいっても農家だって、苦労して作った米、野菜を「はいはい」と100%政府に出すわけがない、当然我が家が不自由しないだけの米は隠しただろう
政府も。そこらあたりは目をつぶったに違いあるまい。
ともあれ、配給された米や食糧だけでは空腹を満たすことが出来なかったのは間違いなく、それを実践して餓死したのが法を執行する立場の山口判事だったのだ。
逆に言えば、政治家も法律家も警官も闇米を食っていたということだ。
農業の非生産的な都市部の住民は宝石や高価な着物などを持って、田舎の農家を訪ねて米と交換してもらったという
そうして、やっと手に入れた米、野菜は駅で待ち構えている警察の摘発で多くが没収された、泣きの涙である。
こんな状況下で小平事件のような連続性犯罪まで起きた時代である。
父は昭和23年、23歳であったが、当時東京調布で軍隊時代の上官に誘われて、終戦後から倒産すれすれの農機具店から農機具を安く買い取り、農家に売る農機具販売(と言えば聞こえは良いが、詐欺まがいの商法であり、目的は米を得る手段であった)
その後、これを批判した湯たんぽ製造会社の社長に気に入られて、湯たんぽを新宿の闇市で売る仕事に転職した
だが当時の東京は金はあっても、若い男一人では暮らせない事情があったらしく、北陸に僅かな伝手を頼りにやって来た。
有力者の手づるも、信用も無い東京育ちの若者が簡単に職を得ることはできず、たまたま知り合った魚市場の番頭さんの情けで、山間部の農業地帯に魚売りに行くことになった。
闇市経験で、ちょっと斜にかかった言葉遣い、都会的な父は山奥の農家のおんな衆にたちまち人気となって、商売も順調であった。
もっとも背中に缶一つ担いでいくだけの魚だから売り上げは知れているが、戦後のインフレでお金の価値など一日ごとに下がっていく時代だった
何といっても米がお金の何倍も価値あるものだった。
父は魚と米の物々交換というスタイルを築いた、田舎で得た米を町場で売る
しかも家でも食べられるから一石二鳥、25年に生まれた私も生活は貧しかったが、食べ物に不自由した経験はない。
但し、父はたいへんだった。
都会同様に警官が闇米取引に目を光らせていた、わが家と山奥の村の中間に谷筋で一番賑やかな集落があって、そこに駐在が居た。
これまた若いのだが頑固で職責に忠実な警官、父は余裕があれば山の中の道を通って、警官に会わずに済むが、なんせ道が悪い上に遠回りだ
だから米が多い時などは、駐在所の村を急いで通る、それを見つけて警官は自転車で追いかけてきて没収される
父は三回目の没収の時、ついに牙をむいた
開き直って「全部持って行け、俺も今日で闇米商売は辞める、辞めたら閑になるから、おまえの家を毎日監視する、おまえや、おまえの家族が一粒でも闇米を手にしたら、ただでおかないからな」と啖呵を切った
戦後の闇市で生き抜いた父だからこそ言えたセリフだった
警官はだまって缶に蓋をして「行け」と言ったそうだ
それ以来、二度と捕まることは無かったそうだ
父の頭の中にも昭和22年の山口判事の飢え死にがデーターとしてあったのだろう、そんな時代だった。
内蔵photo
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半藤一利さんが日本女子大学で日本史の臨時講師をしていたときのことです。
当然、太平洋戦争のことが出ます。学生:どこの国と戦争したのですか。
学生:どっちが勝ったのですか。
半藤さんの随筆にそんなことが書いてあります。
今の若い人に「闇米」って聞いたら、どう思うでしょう。ひょとしたら「暗い所にある米」。
戦後の闇米の話。面白く読ませてもらいました。
私も以前、高校生に(昭和16年から始まった戦争は)どこと戦争したか?と聞いたことがあります。
やはり答えは「知らない」「韓国?」というものでした。
「はあ~~」とため息が出ましたが、よくよく考えれば、ごんべーさんが言う大学生にしても生まれる40~50年前の戦争ですからねぇ
私で言えば1900年の戦争、日清.日露戦争あたりですから、同級生に「日清戦争は、現在のどことの戦争」とか「203高地の戦いの相手は、どこの国」と問うても、正解はどのくらいなんでしょうかね?
光陰矢の如し、50年、100年はあっという間ですね。