明治維新でどうしてもわからなかったのが
なぜ長州、薩摩など革命軍の大名(殿様)があっさりと
新政府のいいなりになってしまったかと言うことだ
新政府、すなわち各藩の殿様の家来たちである
だが先日ホームページのトップページを差し替えていてわかった
トップページは、URLとリンクしている
トップページには私の場合index.htmlを充ててある
トップページを根本から変更する場合は新しいトップページを造った方が早い
そして新しいページにindex.htmlをページの名前にする
そして旧のトップページをいったん棚上げしておいて
新しいページを登録してしまう
そして旧のトップを削除する
まさに明治維新はこの手で殿様をだまして、排除したのだ
大名の領地から遙かに離れた江戸に、帝をお連れして遷都してを行う
そして帝の命という形で中央集権の新政府をつくり、維新の先導者たちが政府の要職に就き
司法、行政、立法、警察、軍事を牛耳ってしまう
地方大名が反乱を興しても簡単に鎮圧できるだけの中央政府軍を作り上げる。
そのシステムが出来るまでは地方大名は江戸時代のままの形で残し
中央で役に立つ(力や能力)人間だけを、中央に引き抜く
そして中央が盤石になったとき、一気に地方大名に帝の名で、大名の軍の解体を命じる
そして大名には名誉職の貴族という称号を与えて知事に任命、藩を解散させる(武士の失業)
廃藩置県が行われ、能力の無い大名は政治が出来ないのでこれを廃し
中央官僚を県知事に送り込んで、その県(藩)を中央政府の直轄にする
この時点で、大名は、かっての家臣の風下になったことに気づくが、もう遅い
トップページの置き換えはこうして完了する
失業した武士が各地で反乱を起こすが各個撃破されて、皆首を切られてしまう
新政府の大臣でさえ新政府に刃向かえば容赦なく殺される
西郷隆盛、江藤新平などがその例だ
大名の失敗は、徳川との戦争に先頭に立たなかったことだ
京、大坂、江戸に自ら乗り込まなかったことだ
田舎でのんびりと勝利の報告を待っていたから、家来にいいようにやられてしまった
先頭に立っていれば、手柄を立てた家臣が上に立とうとしたとき「無礼者!」で
それを阻止することが出来たはずだ
だが、それだけの知恵と力が、革命下級武士団より劣っていたのだ
もし大名が先頭に立っていたなら結局、明治維新は成功しなかったろう
今、田舎でも若い知恵者の集団があちらこちらでイベントを大々的に行う
年老いた我々は、それを横目で見るだけで何も出来ない
吉田拓郎の歌の通り、新しい海に漕ぎ出すのは、新しい水夫なのだ
歴史はいつも繰り返す
そして次々に若い英雄が現れて、古い英雄を凌駕していくのだ
僕の通った道は、やがてきみが通る道