2003年(平成15年) 9月21日~9月30日
[イスタンブール→チャナッカル→ベルガマ→イズミール→パムッカレ→コンヤ→カッパドキア→アンカラ→イスタンブール]
[ボスポラス海峡から旧市街を遠望する]
飛んでイスタンブール~
・・・思わず歌ってしまったんです。
日本から飛行機で13時間弱余り・・・ついに、最終目的地イスタンブールを踏んだのだ。
1979年、NHKのTV番組「シルクロード」を見て、「シルクロード・オアシス路」を訪ねてみようと思い立ってから、行きつ戻りつウロウロと、気がついてみたら、実に、24年間も経っていた。
イスタンブール旧市街を友人とぶらつきながら(友人とは何回かこの旅を共有してきた)、決して壮大な旅をしてきた訳ではないけれど、「あぁ、着いてしまったねぇ」と感慨にふけり、その達成感を覚えると共に、何ともいえぬ虚脱感さえ感じていた。
トルコについても、私は、たいした知識を持ち合わせていないが、“ここがシルクロードだ”という場所は無いように思う。
我等が観光する場所は主に“ローマ遺跡”である。
しかし、“ローマ遺跡”があるということは“ローマ人”がいたのだから、ここでも東の文明と西の文明は混合していたはずで・・・トブカプ宮殿で出会った家族はイランのシラーズから観光に来たという。
私が先年シラーズを訪れたことを話すと、彼らはとても喜んでくれ、あれこれと話しかけてくれる。
こんな出会いが古からづーうっと有ったのだと思う。
イスタンブール旧市街、海峡沿いに大露天市場があるが、その賑わいに身を任せながら歩き回っていると、遥か遠く砂漠を越えてきた人々が彷彿として来、息遣いさえ聞こえるような気がする。
「シルクロードの旅」は、東方「長安」からここ「コンスタンチノーブル」まで、全部が繋がって訪れる事は出来なかった。
最もシルクロードに関係あるだろう東トルコは行ってないし、中東も「イラン」を訪ねたのみで、「アフガニスタン」にも「イラク」に「シリア」も「リビア」も「イスラエル」にも行かなかったのは、戦争ということもあったが、私には、あえて紛争地帯に出向く勇気が無かったから・・・かも知れない。
でも、古人(いにしえびと)も紛争地帯を避け、脈々と、また細々とでも繋げて来たのだと思っている。
この道が、何時の日か、安全でのんびりと旅が出来るように、今の私には、そう願うのみである。
[イスタンブールで]
[エフェソスで]
[パムッカレで]
[カッパドキアで]