goo blog サービス終了のお知らせ 

IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第12回目)

2009-02-28 08:51:11 | 旅の足跡2

2003年(平成15年) 9月21日~9月30日
イスタンブール→チャナッカル→ベルガマ→イズミール→パムッカレ→コンヤ→カッパドキア→アンカラ→イスタンブール]

 

 

 

 

 

 

 

 

[ボスポラス海峡から旧市街を遠望する]


 

飛んでイスタンブール~・・・思わず歌ってしまったんです。

日本から飛行機で13時間弱余り・・・ついに、最終目的地イスタンブールを踏んだのだ。
1979年、NHKのTV番組「シルクロード」を見て、「シルクロード・オアシス路」を訪ねてみようと思い立ってから、行きつ戻りつウロウロと、気がついてみたら、実に、24年間も経っていた。

イスタンブール旧市街を友人とぶらつきながら(友人とは何回かこの旅を共有してきた)、決して壮大な旅をしてきた訳ではないけれど、「あぁ、着いてしまったねぇ」と感慨にふけり、その達成感を覚えると共に、何ともいえぬ虚脱感さえ感じていた。

トルコについても、私は、たいした知識を持ち合わせていないが、“ここがシルクロードだ”という場所は無いように思う。
我等が観光する場所は主に“ローマ遺跡”である。
しかし、“ローマ遺跡”があるということは“ローマ人”がいたのだから、ここでも東の文明と西の文明は混合していたはずで・・・トブカプ宮殿で出会った家族はイランのシラーズから観光に来たという。
私が先年シラーズを訪れたことを話すと、彼らはとても喜んでくれ、あれこれと話しかけてくれる。
こんな出会いが古からづーうっと有ったのだと思う。

イスタンブール旧市街、海峡沿いに大露天市場があるが、その賑わいに身を任せながら歩き回っていると、遥か遠く砂漠を越えてきた人々が彷彿として来、息遣いさえ聞こえるような気がする。

「シルクロードの旅」は、東方「長安」からここ「コンスタンチノーブル」まで、全部が繋がって訪れる事は出来なかった。
最もシルクロードに関係あるだろう東トルコは行ってないし、中東も「イラン」を訪ねたのみで、「アフガニスタン」にも「イラク」に「シリア」も「リビア」も「イスラエル」にも行かなかったのは、戦争ということもあったが、私には、あえて紛争地帯に出向く勇気が無かったから・・・かも知れない。

でも、古人(いにしえびと)も紛争地帯を避け、脈々と、また細々とでも繋げて来たのだと思っている。
この道が、何時の日か、安全でのんびりと旅が出来るように、今の私には、そう願うのみである。


 

[イスタンブールで]

[エフェソスで]

[パムッカレで]

[カッパドキアで]

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅林を訪ねて・・・

2009-02-26 15:33:15 | この頃思う事


春が近づくと、なぜかソワソワして来て、どこかへ出かけたくなるものだが・・・。友人と観梅に行こうよということになった。昨年は「熱海梅園」と「湯河原梅園」に、今年は、既に「修善寺梅園」へと出かけてあるし・・・。友人は「どうせなら、しだれ梅を見に行こう」という。
たまたま、新聞を見ていると、掛川に300本位、しだれ梅の庭園があり、ちょうど見頃と載っている。ちょうど良いじゃないの・・・友人は掛川出身だ。聞くと、掛川駅近くの「龍尾神社」というところで、友人は花が終わり、実が成っている頃に訪ねたことがあるという。「じゃあ、行こう」と新幹線に乗り込んだ。
「花庭園」といって、1、2本、普通の梅ノ木も見られたが、後はすべてしだれ梅だ。まだ、木は若くて「紅梅白梅図」のような古木はなかったけれど、かなり満足、満足の風景だ。ゆっくり、庭内を回って、どこかで軽く食事でも・・・と思い、探しながら徒歩で掛川駅まで戻ることにした。
たが、無い・・・のだ、食事するところも、お茶をするところも・・・お昼時刻なのにどこの店も閉まったまま。その上、殆ど歩いている人が居ない。われ等は、とうとう駅まで歩いてしまったが、食事を取る事は出来なかった。新幹線が止まる掛川駅の近くですよ。ちなみに、本日は月曜日、日が悪かったのでしょうか。それとも、これって、地方都市の現実の姿なのでしょうか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の庭を彩る花(椿)

2009-02-25 09:07:54 | 晴耕雨寝

[つばき]母は、何故か、草花よりも木が好きで、その上、実が成る木はもっと大好きである。したがって、我が家には実の成る木が所狭しと植えてある。次から次へと増え続け、今では、柿、桃、梅、キンカン、柚子、夏みかん、枇杷、ぶどう・・・等など。
しかし、何せ、ここは半日村であるから、収穫は殆ど無い。それでも、毎年、毎年、枝葉は伸びて、辺りの日差しを、もっと、遮ってしまう。
毎日、その木を眺めながら「切りたいなぁ、切りたいなぁ」と思うが、母が生きている間は絶対に無理(母自身が切るのは構わないようだが、われ等には許されない)なので、諦めざるを得ない。
その反動で、私は、他の木はバサバサと切っているが、何も知識の無い上に、切り始めると止まらなくなって、どうしても切り過ぎてしまうようだ。
だから・・・なのか、咲いてくれる花の数はすこぶる少ないが、それでも今年も、数本ある椿が「春」を告げてくれた。
故郷に戻って3回目の「春」を迎えて、この椿にたくさんの花が咲くように手入れをしたい・・・と考えるのも3回目だが、今年は実行できるだろうか・・・まず勉強する事なのは判っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の淡雪を楽しみながら・・・

2009-02-17 09:14:35 | この頃思う事


イヤハヤ・・・2・3日前、気温は26度を超えた夏のようであったというのに、今日は雪・・・春の淡雪の風情だが・・・。
でも、春の気候って、こんなに変化があるものだったのだろうか・・齢60を超えますと、この変化ある世界に適合できないなぁ・・・と身をもって感じる次第で・・・。
日本では、昔から、四季の趣に富んだ国と言われて来たが、このめまぐるしい気候の変化は、「四季の趣だなぁ」と感慨にふけってはいられないのでは・・と思うけれど、気のせいですかねぇ。
世の先駆者たちが、地球温暖化現象が顕著になり、現在の文明を維持することに警鐘を鳴らし知らしめてくれているのに、依然と継続することに固執している私たち・・・この行く先は何?・・・判っているのに認めない私たち・・・。
少しでも良い暮らし(何をもって良い暮らしと言うかはそれぞれあろうが・・・)を求めて、お金を手にしたい人たちと、莫大な富を持っていても、尚、一手に我が物にしたいとお金を求める人たちとが、両極端でありながら、求めるものは一緒という現実世界がある以上、地球は破滅に一直線であるのは確実なのだ。自然の恩恵をあり難く感謝しつつ頂戴する生活は、もう、この地球では遺物といっても過言でないようだ。
ふんわり積もった淡雪が、日に当たって消えてゆくのを眺めつつ、「春がまた一歩、近づいているんだなぁ」と季節の変わり目を楽しんでいるつもりでいるが、心の底では、不安が一層増してくる。

qkdnf.k
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第11回目)

2009-02-14 09:28:50 | 旅の足跡2

[イランのタイル装飾模様]

イスラム圏でのタイル装飾を見るにつけ、宗教的というか芸術的というか、その熱意に圧倒される。
今までに目にした中国西部、中央アジアなどの地域では、美しさにの中に素朴さと力強さを感じたのだが、ここイランの模様は、あまりにも華麗で、かつ、繊細さに、しば~し、見入ってしまうのだった。


「シラーズ サーディの霊廟で」

 

「ヤズド ジャメ・モスクで」

「イスファハン イマーム広場で」

「イスファハン チェヘル・ソトゥーン宮殿で」

「イスファハン ジャメ・モスクで・・・木堀りです」

d.h

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロード行きつ戻りつ点々旅(第11回目)

2009-02-09 18:11:38 | 旅の足跡2

2001年(平成13年) 8月20日~8月27日
テヘラン→シラーズ→ヤズド→イスファハン→テヘラン

 

ようやく中国シルクロードオアシス路を抜けて、イランに着いた。

日本からは、現代のらくだ、飛行機で10時間余りである。
北京上空を経由したため、何度も歩いた「河西回廊」や「タクラマカン砂漠」の上空を飛んでいるのだ。

イランの首都テヘランに着いたのは夜10時。
この日はホテルに入って寝るだけである。
ベッドに横たわって、旅行社からのパンフに目を通す。
イラン、いわゆるペルシャ文明の片鱗は、我が「正倉院宝物」の瑠璃椀などに見られるようだが、私自身は、とりわけ、「これがペルシャだ」なんて意識したことはなかったが、その「モダン」というか「しゃれた」感じには興味を抱いた。
このシルクロードの旅をしたいと思ったひとつかも知れない・・・西にはいったい何があるのという思い。

シルクロードで最初に何が移動したのか知らないが、「シルク」を西に運ぶことが隆盛になった時代を経ながら、東西が活発に行き交ったのだろう。
しかし、日本にいると、東から西への移動は余り見えてこない。
正倉院にしても西から東の流れの終着点と捉えられているように思う。
それほど西からの文明は憧れと脅威を抱かせるに値するものだったのだろうと想像はしていた。
シラーズにある「ペルセポリス」の遺跡(廃墟というべきか)を目の前にして、これが紀元前のものだということに、感銘、いやショックを受けた・・・まだ、我等がご先祖さまは野山を走り回っていたという時代なのに・・・と。

このショックがシルクロードの成り立ちに関与したと痛感したのである。


[アレキサンダー大王に破壊されたペルセポリスで]

 

[笑顔が素敵なイランの人たち]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少しづつ春が来ている・・・

2009-02-01 19:12:16 | この頃思う事


友人に誘われて、梅林へ行ってきた。
伊豆といえども、1月ですから、まだまだ肌寒い梅林には、人影もまばらでひっそりしているが、紅梅が花を付けており、あたりの空気をホワッと暖めていた。

この冬の気候はやはりおかしい・・・水道管が凍るような日の後にポカポカと春のような暖かさになり・・・と、翌日は家中の暖房器具を点けまくるというように・・・実にメチャクチャな日々だ。庭に植えた春咲きの球根が春を感じて芽を出したものの、あまりの寒さに縮こまって固まっている。
まぁ、私もいい加減な人間だから、例年、冬から春にかけてどんな気候だったか忘れてるというのが本当のところで、「こんなものだよ」と言われれば言い返すことは出来ないが、でも、変だという思いはしてならない。
何の脈絡もなく、支離滅裂に思い起こせば、電車のホームに吹き込む風に、身震いして身をすくめたのは、まだ初冬の横浜だったし、学校の講堂で寒さに震え、鼻水をたらしたのは3月の卒業式だったり、朝の通学時にみた水溜りの氷や、水道にできたつららが、帰宅時に残っているのが普通の冬の景色だったと、寒さの体験は意外と残っている。
今年だって、寒い日は確かにある。が、その寒さが心に残らなくなったのは、ここ数年の事のように感じるが・・・年齢の為だけではないと思いますがねぇ。

我が家の近所にある白梅の木はもう満開だ。近所にも梅の木はたくさんあるが、何故か一番早く咲いてくれるこの梅の木を、私は勝手に「春一番」と名づけている。今年も「春一番」を愛でる事ができて感謝、感謝。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする