IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

花は次々咲くけれど・・・

2020-04-28 12:29:54 | この頃思う事

   

          

 

やはり、暖冬の影響がある「春」だったのだろうか・・・我が家でも、庭の花が、次から次へと開花している。



ブログを始めて十数年、本来、発信すべき主題も無いままに初めたものの、当然の如く行き詰まり、その活力を庭の花に頼る・・・という「貴方任せ」にも、既に限界で・・・そう、「花が咲いてくれている」からブロブ更新をしなければならない・・・と、必死に掲載し続けたが、もう、花が咲く勢いに付いていけないのだ。
それでも、せっかく咲いた花を、無下に無視も出来ずに撮り続けたが、如何にイイ加減な性格と雖も、ブログアイディアが浮かばない、綺麗ごとで言うならば、「アイディアの欠如」である(元々、何も無かったけれど)。
毎日、「私たちは何時になったら世に出られるの?」と、花たちに責められている気がするのだから、これって、明らかに「ノイローゼ症候群」だよね。

そこで、混乱し切った脳細胞を整理すべく、撮り溜めた花たちを一気に掲載して義務を果たし、5月からは、スッキリ「新鮮な頭と気分」で出発する決意をした(と言う程の決意ではないよね)、是非、「春爛漫」を楽しんで頂きたい・・・な~んてね

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「言い切れる」のは・・・

2020-04-26 13:35:23 | この頃思う事

暖冬の影響だろうか、今年の新茶の出来は良いというニュースがあり、製茶を営む友人に、早速、予約する。
我が家で「茶摘み」をしなくなったのは何時からだったろうか、子供の頃、朝から家族総出で、一芽一芽、摘み取る作業が、とても苦痛だったが・・・それでも、今、一斉に芽吹いた新芽を見ると、何故か「茶摘み風景」を懐かしく思い出される。

 


 

ほゞ毎日、日本国内ニュースと海外メディアのニュースを見る。
疲れるから、かなりイイ加減に聞き流しているが、その中で、ちょい気になった一件があった。

海外でも日本でも、コロナ危機に対処しようと、一般のボランティアとか異業種会社などが、行動を起こしているニュースが、最近、多く報道されているが、彼らの発言が、海外と日本では微妙に違いがみられることに、気が付いた。

海外では「私たちのしている事は、役に立っている」と断定的表現し、日本では「これが役に立って貰えるかもと・・・」というやんわり表現(海外の発言は、字幕にしろ同時通訳にしろ、あくまでも、日本語に訳されたもので、元語は不明)の違いを聞いて、「言い切ってしまう人」と、「言い切れない人」の差は、どこから来るのだろうか・・・と、考えた。
まぁ、一般的に解釈すれば、「日本人は奥ゆかしいから自分を主張しないのだ」とするのが、一番、当たり障りのない結論なのだろうが、「果たして、そうなのか?」という疑問が起きたという訳である。

以前、例えば自動車事故に遭ってしまった時、日本人は、己に非が無いと思っても、まず、「スミマセン」と謝ってしまうが(謝るというより自然発生的に)、それは自分の非を認めた事になる、海外では、自分に非があっても、絶対、誤らない・・・と諭された事があった。
「言い切る」事で、駆け引き的に優位に立つ・・・確固たる意志の現われ?


私ならどう表現するか・・・と考えた。

先日、「お手製マスク」を作って、その内の数枚を、「これが万全という事は無いにしろ、マスク無しより気分的に安心感があるでしょから」と言って妹に渡したが、やはり「これが役に立つ」と言い切れなかったな・・・と、認めざるを得ない。
つまり、本当に役に立つものを作れない自分に自信が持てないし、その言い訳めいたものを潜んだ表現だったのだろう。
私のマスク程度では「言い切る」事は無責任極まりない話だが、異業種と言えど、ある種プロ集団なのだから、せめて、「コロナ危機対処の一環になるものと確信している」位には表現しても良いのでは、もう少し、彼らが自信を込めて発信してくれたら、ある種、頼もしさも湧いて来るのに・・・と、そう思えた一件であった。

世界中での一斉的騒動(災害?)に、ホント、「世界はイロイロだなぁ」と、改めて思わせられる。

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「お金の苦労はしない」筈なのに・・・

2020-04-20 01:58:55 | この頃思う事

 ←我が家が半日村になる前には、「ハナズオウ」も、ビッシリ花を付けたけれど、現在、この程度・・・ちょい悲しい!

 


 

4月の年金振込の日、年金とは別に「ショクギョウアンテイキョク」から大金(?)3,729円が入金されている。
はて、何じゃこれは?と、しばし考えてみて、そういえばと思い当たる事があった。

去年暮れだったか、今年に入ってからだったか、「厚生労働省」から「雇用保険の追加給付に関するお知らせとお願い」という通知があり、何やら、私が受給した期間に、雇用保険の計算間違いがあったらしく、もし該当すれば振り込みますというような書面に必要事項を記入して送付した事があったのだ。
深く考えもせず、その書類を送付した後、若しかすると「新手の詐欺」だったのかも知れないなぁ・・・という不安が、少し、よぎったが、まぁ、何か動きがあったらその時考えよう・・・で、忘れていたのだ。
結果的には詐欺で無かったが、それにしても三千余円の事、経費の方が掛かるんでないの?と思ってしまう。

以前に、年金の計算間違いとかで追加して貰った時も、微々たる金額だったし(幾らだったかも覚えていない)、交通事故で貰った見舞金も帰り途で無くなってしまうような金額だった事などを思い出して、よくよくお金には縁のない人生だと溜息したが、本来的には、私には違う人生が控えていた筈だったのに・・・


何時頃の事だったか、今は、まるで思い出さないけれど、何かの運勢本に「あなたの一生は、お金に苦労しない」と出ていた事だけを真摯に受け止めて(真に受けて?)、やぁ、私の人生は保証されたようなもの・・・と、楽観視してしまった(当時からイイ加減だっただけ)。
その後の人生は、当然の如しで、保証されているのだから「老後に備えて」なんて有りようも無く、給料(スズメの涙とは言わないまでもカラスの涙程度の)は使い果たし、偶にバイトで入って来るお金は大判振る舞いと、お気楽に過ごして来た。
現在、微々たる年金収入のみだが、「お金に苦労しない運勢」を心の友にして、何とか生き続けている、そう、若し、「お金の苦労がある運勢」だったら、この程度の苦労では済まなかっただろう・・・と、言い聞かせながら・・・ね。
まぁ、無いものは無いのだから、有る事を前提とした物の考え方をしないだけの話ではあるが・・・


でも、我が人生に於いて、時々に遭遇する「お金との出会い」について振り返れば、まず、どんな職場にしろ働く場所に困ったことが無い(つまりは海外旅行にも度々出かけられる給料が得られた)、その給料が不足気味の時、近場で、結構、気楽なバイトに恵まれ、小遣いに不自由は感じなかった、定年で実家の戻った時、適当な(介護をしながらだから)働き場所が見つからず無職と決めたが、数か所の知人から経理の相談を受け、それなりの収入もあった等々・・・お金に苦労はしてないな・・・と、改めて思うが、まぁ、「お金が無いから、お金のある苦労をしない」という事だったかも知れないね(やや自嘲気味に)。

 

ところで、「ショクギョウアンテイキョク」から頂いたお金は、我が家の姪の子供たちが(親の介護をしてくれている)二人して出かけるというので、小遣い(私が連れて行けないから)として渡してしまった・・・まぁ、役には立ったという事よね。

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触発されて・・・

2020-04-16 09:22:24 | この頃思う事

 ←「モクレン」が、4月8日の開花状態は上記写真、そして、4月12日には左記写真のような開花状態になっていた。
          春は、まるで、駆け足で通り過ぎようとしているみたいだ・・・晴れた日には、初夏を思わせる気温になって来ている。

 


 

ぼーっと見ていたTVニュースの中で、宮本亜門氏が監修(製作?)した「コロナ危機応援メッセージ動画」が紹介された。

何時も、危機に面した時には、その種の応援企画が作られ、話題になって来たけれど、私自身、聞いてはいても、とりわけ、参加する(視聴する)ことは無かった(寄付などに関しては、自分の出来る範囲では協力するが・・・)のに、何故か、この動画を見たいと思ったのだ。
早速、音楽取り込みソフト(Craving Explorer)を開いて、「Sing For hope 上を向いて歩こう」で検索すると、「上を向いて歩こう Sing For hopeプロジェクト Look up to the sky(春・夏・秋・メッセージの4バージョン有)」がヒット・・・それから、毎日一回は聞いている(見ている)。

これを、若しかすると「感動した」というのかどうか分からない、ただ、私なりに触発されたことがあったのだ。



以前から続いていた「小・中学校同級生遊びの会」も、この「コロナ騒動」で自粛を始めてから2ヶ月が経過した。
自分自身の思惑では、「自粛中なのだから、この会の件は、とりあえず、横に置いて」で納得をしていたが、この応援動画を見て、「そうよ、我らが世代は、結構感染していると聞くし、みんな元気にしてるかなぁ・・・東京在住もいるのに・・・」と、急に不安になったという訳で、早速、状況確認の意味を込めめて、会のメンバーに一斉メールを送信した。
返信されて来たメールには、元気でいる事、自粛生活ながらそれなりに楽しみを見つけている事、終息したら、また会を持ちたい事等が記されていて、基本、何も出来る事はないにしろ、ほっと、一安心出来た次第。
皆の無事が確認出来たら、また、一斉メールで状況報告しようと思っている。

 



暢気に構える事と前向きな思考をする事は、明らかに違うものだと私は考えている。
目先の不幸に押し潰されるのではなく、先の陽射しを信じて(捉えて)、今、耐える事が重要なのだと認識しよう・・・よね。

あ、そうそう、昨日の夕食時にも、「怪しげな白ワイン」を飲みましたが、慣れたのかな?案外、美味しかったですね、栓を開けた以上、飲み切るというのが、私に課せられた「使命」なので・・・なぁんてね、ただの呑兵衛の戯言?

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欲と道連れの日々だが・・・

2020-04-14 08:03:04 | この頃思う事

花の形が錨に似ているので、「イカリソウ」というのだそうだ・・・何故か、姉の好みの花はオモシロいものが多いが、これも平々凡々の日常からの逃避なのかな?・・・なんて思う事もある。

 


 

友人から、「飲まない(実は飲めない)ワインがあるから上げるね」と聞いたのは何時の事だったろうか・・・それ以来、何回となく耳にしたが私のところには到達しないままだった。

先日、友人宅前へ物々交換に出掛けた際に、「ワインも持って来てね」と念を押して置いたのに、その場に持って来ないから、「ここで待っているから持って来て!」と強制的(脅迫的かな?)に取りに行かせたのが、下記の写真の「ワイン2本」である。

 ←白は「オーストラリア産」、赤は、多分「フランス産」・・・と思われるワイン

何故か、ラベルは剥げ落ち、文字も定かでないから年代も分からず、いったい、何時から保管していたの?と聞きたい位だが、私にとっては「飲めれば何であれカマワンよ」だから、あえて問わない事にした。
しかし、友人は飲めないくせに、何を考えて持ち続けていたのか、それを知りたい・・・と思うわなぁ。

私は「在庫を持つ」事が極端に(若しかすると病的に)嫌いで、必要欠くべからざる物は持たざるを得ないとしても、不必要ならば、捨てないまでも、その場で誰かに譲ってしまう(押しつけは無いですよ、一応、貰ってくれるか打診はするし・・・でも、やっぱり押し付けているかもね)。
私は私、友人は友人であり、いろいろ対処の仕方があって当然ながら、処分できない多くの場合「もったいない」と言う基準(欲?)がそれぞれだから・・・という事だろうね、だからして「断捨離」の難しさをも感じるなぁ・・・

と言う私自身、買い出しの食料に加え、友人から貰った(奪った?)「ワイン2本」が重くて重くて・・・それでも、必死に抱えて帰宅した、そう、まさに「欲と道ずれ」そのものである。


「コロナ騒動」による様々な抑制を強いられて、それによる困難・被害が報道されているが、すべてが生死を左右する現状なのだろうか、そこには大小に係わらず「欲」が紛れ込んでいないのだろうか・・・それに人心が集中してしまうと、今、本当に必要とされる事案が迷走してしまうように感じるのは、私自身が、ある程度恵まれた環境に居る(事実は最低限度ギリギリ(若しくは限度を切った)生活者だが)という事なのだろうか、私自身、「欲」は悪では無いと認めているし、人生に於いて「欲と道ずれ」は否定しない、が、又、人生に於いて「時は待たない」のも、紛れもない現実だと言いたい・・・今、すべきことを冷静に見極めよう・・・そう思う日々。

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「認識」と「記憶」とが・・・

2020-04-12 08:26:15 | この頃思う事

放って置くと、とにかく増え続ける花で「ハナニラ」なのかなぁ・・・と思っているが、ニラの匂いはしない(私のハナが壊れているのかも)。

 


 

我が町では手に入りにくい「アルコール消毒液」を街に住む友人に頼んでおいたところ、手に入れたという知らせが来たので、支払いかたがた、引き取りに出かけた・・・多分、2か月振りの街だと思う。

我が町に於いて、私自身の日常では、マスクをしない事が多いけれど、やはり街には、それなりの人も出ているだろうし、街に出向くには電車にも乗るからと、残り枚数が少なく貴重な使い捨てマスクを掛けて出かけた。
今日は土曜日、電車は対面座席でガラガラ、だが、隣や前の乗客とは目視で2m間隔を維持して席を取ったが、後から乗って来る乗客が、我が傍に座りそうでドキドキしたりで・・・30分ほどで街に着くと、早々に友人に電話を入れ、友人宅前の路上にて品物とお金を交換した。
お互い気を付けようね・・・と挨拶を交わし、そのまま、一人でスーパーに直行、買い出しを済ませて駅に戻ると、駅到着から帰着まで、丁度1時間、経過していた・・・街に出て1時間で帰宅など、私にとっても、やはり、異常体験と言えるかも。
街ですれ違う少ない人たち(以前から少なかったけれど・・・それ以上?)は、皆、マスクをしている・・・我が町の意識の方(私も含めて)が、すこし暢気かも知れないと感じた。

帰宅を急いだのは、勿論、「コロナ感染」を恐れてなのだが、実は、見たいTV番組があったからで、それは、私が、唯一(お手軽な?)図書館と位置付けている「100分で名著」で「カミュ著 ペスト」の一挙(4回分)再放送するからだ。

ノーベル賞を獲得した書物であるから、誰でも知っている内容だろうが、実は、私は、一度も読んだことが無い(自慢は出来ないね)。
でも、タイムリーな再放送というには、何か「コロナ騒動」にも参考になる事があるのだろう・・・と、興味を持ったのだ。
とても複雑な内容であり、簡単に(私的お手軽方式では)理解できないけれど、1947年に発行された本(第二次世界大戦後)という事もあって、世界情勢的には納得できるものがあり、段々と引き込まれて行った。
人々に「ペスト」という理不尽に襲い掛かる感染症を通して、世に存在する「様々な不条理」を追求するという展開に・・・と理解した。
相変わらずのナナメ理解だから、当然、間違っている事を認識しつつも、一つ、ぐっと、脳細胞にインプットされた言葉が「認識」と「記憶」だったのだ。

一年余経過した後、漸く「ペスト」が終息したかに見え、人間たちは日常を取り戻したが、「ペスト」は消滅した訳では無い、巧妙に潜んでいるだけで、また、何時か人間を襲う、この悲劇の中で、人間が知りえたのは「事実を認識する事」と「事実を記憶する事」だけだ・・・と、著者カミュは啓発しているのだと言う。



私自身、実際には「ペスト」も「エボラ」も「インフルエンザ」未経験だが、今、目の前に存在する「新型コロナウイルスの危機」に、どれ程の知識を有しているかを思えば、「皆無」と言ってもいいだろう(付け焼刃的情報は多々あっても)。
我ら普通過ぎるオバサンであっても、「正しく認識する」事をし、「正しく記憶する」事によって、次に襲い来るだろう不条理に、恐れるだけでなく向き合えるのかも知れない・・・そう思わせられる番組であった。
ただ、「人間は、案外、賢くない」というのも事実・・・だと思っているけれど・・・ね。

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これも「生きる知恵」なのかも・・・

2020-04-08 19:47:43 | この頃思う事

無暗に広がり増えた「十二単」の一部を別の場所に植え替えたが、ちょっと根付いた所を、山から下りて来るイノシシ(多分)に根元を掘られてしまったりで、なかなか大きくなれないでいたけれど、ようやく、花が咲くようになった。

 


 

本日は、姉が病院に行く(先月、「クモ膜下血腫」の手術をし、その術後検診で)からと、留守番を頼まれる。
畑の草取りをする予定でいたが、家を離れるのは不安(療養中の娘がいるから)だったから、さて、何をしようかと屋敷内を見回す・・・いやいや、すべきことは、多々、あるのだけれど、何となく動き回りたくない気分なので・・・

昨年春、手入れをせずに放置し荒れに荒れていた「小菊」を植え替えたのに、丁度、花が咲く秋、例の豪雨台風(19号だった?)で、滅茶苦茶になってしまって、面倒になったので、茎を根元近くから刈り取っていたのが、今年、それでも、芽を伸ばして来ている・・・そうだ、今日は「菊花壇(と命名した花壇)」の整備をしよう・・・そう、我が家の狭い畑より、もっと狭いからね、怠けたい今日の私には丁度イイ広さだ。


 ←菊の芽を傷つけないよう雑草を取り、固まった土を解す

 

一通り草取りが終わった所に、市役所から依頼されたという業者(かな?)が訪れて、先の台風(多分19号だったよね?)で被害を受けた場所の確認をしたいと言う。
我が屋敷は東側に山を背負っていて、そこの崖で、高さ2m、横巾2m、奥行1m程が、豪雨の出水で崩れたのだった。
その時は、崩れた崖の姿ではなく、山からのあまりにも多く流れ出る水量に恐怖を感じて、翌朝、調査に来た区の世話役さんに報告して置いた。

検分をしている業者さんが、「市の対策に該当するには無理かも知れない。ま、山の持ち主に言うしかないね」みたいに宣うのですよね・・・ま、そう出るだろうと予想はしていたから、特に文句は無かったが、ただ、自分自身が可笑しかった。

あの日の夜、山からゴンゴンと音を立てて流れ出る水を見た時、突然、山が崩れ落ちるのでは・・・という恐怖を感じて、朝まで、一睡もする事なく、雨の中を何度も、懐中電灯をかざして崖の様子を見に起きていた。
今、現実に崖は崩れたままの姿を晒しているのに、「山が崩れる」というあの恐怖は何処へ去ったのか・・・開き直ったのかな?


人間は(全部ではないだろうが)「喉元過ぎれば熱さ忘れる」らしいが、これも「生きる知恵」かも知れないと思う。
毎日毎日、危険を意識していたら、我が家のような劣悪環境の中では生きて行けない・・・ホント、心から、そう実感している。

 

・・・・・・・・・・
追伸:姉の診断経過は順調回復との事、来月に、も一度、MRI検査をするとか、念には念を・・・ですね。

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「危機対処」はそれぞれだが・・・

2020-04-06 10:41:46 | この頃思う事

 

 

この春、庭に咲いた球根種の花々・・・ブログ更新数が少ないので時季外れ的な花もあるが、一気掲載で春を満喫?

 

 

 


 

コロナ感染者が激増する中、「緊急事態宣言」を出す、出さないで、多々な問題点を検討中(?)のようだが、田舎町に住む素人オバサンには、どうすべきかなど結論を出す能力は無い、ただ、全てに良い方法など無いのでは・・・とは、考えている。
様々に検討された対策の中から、どれをチョイスするかは専門機関に任せ、示された判断に沿って、自分が出来る行動を取るしかないものの、対策は早い方が効果があるのではと思うけれど・・・ね。

 

我が町では(店舗が少ないし)消毒液が手に入らないので、街に住む(それなりに店舗数もある)友人に、「見かけたら購入して置いて」と依頼して置いたところ、電話が入り、「一つだけ手に入った」と言う。
引き取りに行く都合を聞きながら、「ところで、その後の様子はどう?」と聞いた、そう、友人の住む隣町で、数人のコロナ感染者が出たという話についてである。
「別に、特別な事は無いし、普通に買い物をしている」と言うから、私が、「ね、人と人は1メートル以上距離を取る事を忘れずに」と忠告すると、「えー!、そこまで危機感はないよ」だと・・・

まぁ、これだけの話の中からだから、友人がどれ程の危機感を持って、日々を暮らしているかは定かではないが、得てして、危機感などは、我が身に降りかからないと真剣になれないもの・・・というのも事実だ(私は我が身だから、多少、真剣で・・・)。
今朝も、様々なTV報道(マスコミ)を見ていて、危機感を持って欲しいという意図があるのかどうかは分からないが、やたらとマイナス要因・否定要因ばかりを強調しているように思えるのだ・・・首都閉鎖をすると、数万人の失業者が出る、個人企業が倒産する、学校閉鎖は閉鎖をしない学校と学力に差が出る、外出制限は家族間ストレスでDVが多くなる・・・とかね。
それは確かだと思うが、まず、「危機対処に協調する」を選択したい。

何よりも、一日も早く収束するために、現時点で耐える意義・重要さや、「不自由ながらも快適に過ごせる方」とかを、前向きに提示してくれることを願う・・・経済的救済に於いては、政府に、充分、仕事をして貰うしかない・・・よね。

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何処でもパワーのある方々が・・・

2020-04-03 07:49:01 | この頃思う事

先日来の雨降りで、桜の花は散ってしまったかと、近所の神社にある「ソメイヨシノ(多分?)」の調査に行ってみた。
かなり古木の範疇と思われる桜も、満開為れど、まだ、花吹雪になる一歩手前という感じで、今週末には散ってしまうかも・・・気分が向けば、「花吹雪鑑賞」に来るかも・・・と思っている。

 


出来ました~!「手作りマスク」12枚・・・聞くも涙、語るも涙の物語(?)の結果です。

 

自宅で療養中の姪(姉の娘)は、免疫抑制剤を使用している為に免疫力が低くなっている(と医師から言われている)ので、このコロナ騒動(これに限定するだけではないが・・・)では、かなり神経を使わざるを得ない状況なのだ。
買い物等で外出する場合、ともかく、消毒液とマスクを探すが、ま、殆ど、手に入る事が無い。
また、姪(妹の娘)が、高齢者福祉施設で働いているが、絶対必需な職場に於いても、マスクは不十分だと言っていた。
そんな事情もあって、とりあえず、手元にある布を使って「ハンドメイドマスク」を作ってみようか・・・という気持ちになった(医療的効果は無視)。

ネットからダウンした指示資料には、文章で箇条書きしてあるだけでイラスト(写真も)製図が無い。
この文章は私の壊れかけた脳細胞では理解不能で、ひっくり返しとっくりかえしても、作業経緯をイメージ出来ない・・・う~む、私の頭はこんなにも創造性が無いのか・・・と、我ながら呆れてしまう。
で、仕方が無いから、指示書には従わず(これはお得意なので)適当に縫い付けて、ま、「マスク」らしい形に至った。

が、布があったというだけで他の材料(ゴム紐とか)は何もないし、材料調達と食料調達を兼ねて、自転車で10分は掛からない商店街(一応、小型スーパーマーケット、ホームセンターが各一店舗づつ、個人商店が数店舗)に出かけ、マスク材料関連店舗を、軒並み、探し廻ったが、求めていたものは遂に手に入らなかったのだ。
とは言っても、そこが適当な私なので、まぁ、当座の間見合わせでイイか・・・ぐらいで手を打った次第である。


それにしても、何処であっても「パワーの有る方々」が活躍されている(それが何かは、敢えて、省きますから連想してくださいね)のを実体験した。
この人たちのパワフルな精神・危機意識が、戦後の廃墟から、オイルショックから、次々と襲い来る自然災害から、日本を救上げて来たのだろう、そして、コロナ騒動からも立ち直れるという気配さえ感じられてくるくらいだ。
買い占めを煽るのは、この世代の人だ・・・とか、非難の声も出たりしているが、私は、買い占めは正しいとは言わないけれど、ある意味、見習うべき意識がここにある・・・と思う。

それに比して、一部の現象と思いたいが、多々見られる若者たちの危機意識欠如は、ホント、情けないし恐ろしい。

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