何故か「ススキ」が好きである。
箱根に「仙石原」と言う一面のススキが原があって、よく先輩友人がドライブに連れて行ってくれたが、その先輩友人も90歳を超えて入院中、もうその思い出さえ残っていないかも・・・と思うと少し寂しい。
富士山裾野一帯には、自衛隊の訓練基地が所在し、見渡す限り何もない、唯々広い野っぱらに戦車の走行跡が残っていたりの中で、「仙石原」は一般人も居住出来るところなので、晩秋に箱根方面に出かけた折には、必ず、訪れていて、一面に風になびく「ススキ群生」に魅了され、しばらくの間、車から出て佇んだものであった。
そこには、確かに、風に靡く「ススキ群」は存在している・・・が、私の心の中には、ススキが原一帯に「諸行無常感」が漂い始めて、いつの間にか己の欲も得も排除され、風景の中に埋没している自分自身を発見することとなる、あるのは自身の「無力感」なのに、何故か束縛からの「解放感」もある・・・そんな感じが私には心地よいと思えるのだろう。
上記写真は、「仙石原」ではなく、ご近所にある農業担い手(地元での幼友達だったが、現在は離農と共にこの町からも去った)が「放棄した田圃」であり、今はただ、「ススキ群」が茂っているのみの田で、我が気持ちに漂う「無常感」は、若しかすると、この田圃を放棄せざるを得なかったかつての友(地主)の「世の儚さ」感を、勝手に引き受け、過剰に反応して浸っているだけなのかもしれない、だから「仙石原」と少し違う「無常感」。
ここひと月ぐらい、他人様から見れば、何とバカバカしいと思われるような悩みの中に落ち込んでしまい、何もかも決断を下すことが出来なくなって、迷いに迷っていた。
だが、決断を下せないという状態の中の自分自身が許せなくて、最良の決断ではないと自認しつつも、一応の決着をつけた(ま、少々のご意見も頂いたが・・・)。
世に完璧は無い・・・と、自分を騙すのだが、そこから抜けるのにも、一日掛かかりで、何とも、諦めの悪い性格になったよな・・・とも思うが、まぁ、それも受け入れよう。
で、もっと心から踏ん切りをつけるために、友人に連絡して「少々しゃれたランチ」に誘ったという次第。
このレストランは、私には何がどうなのかはよく分からんが、「イタリアンコース料理」だそうだ。
勿論のこと、我が愛用の1000円のランチとは違うものと分かるが、ホントのところで、味の良し悪しは分かりません!だから、食事中に、地ビールを2本を空けました。
とは言っても、2時間程も、友人とあれこれ(他人様には全く意味のない)忌憚のない話が出来たことは、心中から迷いを遠ざけられたと感じている。
やはり、無駄話であってもオシャベリは大切な事なんだよね・・・と確信する。
レストランのある地方は「天草(てんぐさ)」の産地として有名である、現在では「天草」そのものより、加工された「心太」として販売しているので、早速、自分の分と姉の家へのお土産(私が遊んでばかりだからそれの言い訳で)として購入した、3000円くらいだったかな?姉に「心太」を渡したら、ご馳走様と言いながらも、我が家では好きな人がいない・・・なんて事を言うのだから、ホント、みやげを買う気力も無くなるというもの、まぁ、好みを強制できないし、仕方ないし・・・とこれも素直に受け入れる。
友人のランチ即反応のお陰で、バカみたいに悩みに悩んだ件も、消し去ることは不可能なものの、脳細胞の一番下に埋め込めたはずで、再び、「決断出来ない症候群」が発症して来ないことを願うのみ。
今朝(29日)は、昨日購入した「心太」を主食として、「野菜ジュース」と「珈琲」でお腹を満たす。
暫くはこの朝食が続くが、最近、随分と体が.重くなってきた(つまり太ったという事)ので、丁度イイ機会になるかも知れないと思っている。