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IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「救いの神」に出会えた!

2018-11-29 12:20:44 | この頃思う事

 

  庭の花が少なくなって気分も滅入りそうな季節は、ボツボツと咲き始めた山茶花(椿かも?)の鮮やかな色にホッと気分が和んでくる

 


 

まずは、ご無沙汰をお詫び申します。

 

さて・・・母が存命中だった頃は、頻繁に、近くのスーパーへ買い出しに出かけていた。

その道すがらのお宅の庭先で、通りかかる人に手を振っているご高齢の女性の姿を、毎度、目にしていた。

少し認知症気味だったようだが、何となく我が母を見るようで(母も、妹宅の玄関脇に座って、通りかかる人と話をするのを日課としていた)、私も手を振り返したり、軽く会釈をしたりして通り過ぎた。

母が亡くなってからは、買い出しに出る回数も減って、手を振るその女性に出会う機会も少なくなり、ある時から、全く、見かけなくなったので、体調を崩して入院でもしたか、或いは,亡くなられたのかも知れないな・・・と、少し寂しく思っていた。

 

数日前の事、最近は、腰痛を意識してタクシーに乗る事が多くなったが、その日は時間に余裕もあったので徒歩で出かけたところ、なんとその家の前に、かの女性が立っていたのだ。
私は、小走りになって近づき、「お元気でした?またお目にかかれてヨカッタ!」と思わず声を掛けた。
「風邪を引かないよう気を付けて、お元気でね」というと彼女は、(多分、日焼けだろう)色よく焼けた顔をニコニコさせながら「ありがとうございます」と答えるのだった(理解したかどうかは不明だが・・・)。
ただこれだけの数分の遭遇であったが、私にとっては、妙な安堵感が私自身への「救いの神」のような気がするのだった。

 

ここ数週間、私の精神状態は最悪と言っても差し支えないくらい落ち込んでしまい、昼、夜とも、全く睡眠がとれない日々を送っていた。

そんな状況の中で、再び(三度?四度?いや、もっと多かった)巡り会えた彼女が、どういう形であれ、お元気そうであった事で、「あぁ、人間は逞しいものなのだ!」と見せ付けられたようであり、その笑顔が、幾重にも塞がった私の胸の中に、ポツンと小さな穴を開け、息苦しさから解き放たれて行くのを感じていた。
明日からは、前を向き、顔を上げて、一歩ずつ歩んで行くしかない、否、行くのみ・・・と、心を決めた。

 

あ、私ね・・・もう、今まで通りの日常です、立ち直り(居直りとも言うが)は得意技ですから、心配無用です。

 

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「腰痛」にかこつけて・・・

2018-11-16 18:58:01 | この頃思う事

   庭の「枇杷」の木に花が咲いている・・・じっくり眺めてみると、意外と、可憐で清楚な花だな・・・と、ちょっと見直した。

 


 

 

15日、ちょい危うい状態の腰を抱えて、東京に向かった。

新幹線で東京駅、山手線に乗り換えて巣鴨駅、お祖母ちゃんの原宿・巣鴨地蔵通り商店街で買い物をして、再び、山手線で上野駅へ。
本日の目的は、東京都美術館:ムンク展と東京国立博物館:大法恩寺展(鎌倉仏展)である。

まず、東京都美術館で昼食をするつもりが、レストランは待ち客の行列、急遽、先にムンク展鑑賞を済ませた後でも、相変わらず行列である。
そこで、昼食予定場所を国立博物館敷地内にある法隆寺宝物館脇のカフェに変更して軽い昼食、その後に大法恩寺展で仏様を拝顔した。

この日の目的として、もう一つあった・・・それは、多分、もうこれで最後になるだろうからと計画したのは、私が東京に在住していた頃、在京友人とよく飲みに来ていた和食居酒屋(ビアガーデンで飲むことは、昨年に卒業した)で夕食をする事だった。
時間を見ると3時半を回ったあたりだったので、ゆっくり散策しながら上野公園内を突き抜け、居酒屋に向かう。

居酒屋に来るのは人生で2度目だと言う友人(帰宅時に車の運転が控えていた)には申し訳なかったが、私だけお酒を味わい(と言っても、レモン酎ハイとボージョレヌーボーを一杯づつだけ)我が人生最後(と思っているが・・・)の居酒屋を堪能したのだった。
午後6時過ぎ、アメ横をかすめて上野駅へと向かい、「今日はかなり歩いたねぇ・・・」と友人と話しつつ、新幹線に乗り込んだ。

で、帰宅後、危うい状態だった腰が、案の定、痛み始めたから、こたつの中に丸まって温めていたら、何時の間にか、そのまま寝入ってしまった(お酒が効いた?)。
翌朝、ご推察の通り、動けません!
一日中、こたつに嵌まって療養(?)した結果、夕食時(空腹には勝てないようで)ようやく、動けるようになったと言う有様。
前日、ブログに頂いたコメントに返事を書こうにも座った状態が長続きが出来なくて、何とか形だけは為したものの、皆さんのブログを見に行く事が出来なくて、とりあえす、今の状態をお知らせする事で失礼をお許しいただきたい。

遅くとも、来週初め迄には、皆さまのブログを拝見に伺います、約束します!

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心が折れるなぁ・・・と

2018-11-14 13:27:27 | この頃思う事

    ←拡大可能 「さざんか」の似合う季節になりましたねぇ・・・

 


 

 

昨日、少し寒くて冷えたのだろうか、急に腰痛が再発した。
15日に東京での美術展に出かける予定があるので、ともかく、大事を取って、こたつでヌクヌクして過ごしていた。

退屈凌ぎにTVのチャンネルをアチコチ移動していて、「COOL JAPAN」という番組に目が留まり、そのまま見ていると、以前にこの番組で「NOT COOL」と言われた項目を、再度、取り上げていた。
在住外国人が日本に対する印象を語る番組だが、「COOL」「NOT COOL」に関係なく、どういう見方をするのだろうという興味もあって、時々、見てはいた番組である。

「NOT COOL」だとの意見では、「親が子供と入浴するのはオカシイ」「親が子供と添い寝(同室)するなんて考えられない」「草食男子は外国ではモテない」等々、どちらかというと、「外国では弱い(又は弱そうな)人間は生き残れない」というような意見が大方だったと思う(毎度の事で、集中して見ていないから、もしかして、私の早合点もある)。その上、日本人は横並びで画一的だから・・・というのが彼らの総合的な意見であった。でも、「そうかなぁ・・・それなりに違いも有るけれどなぁ」と反論したくなる。

思いの外痛む腰に、多少のイラつきもあって、彼らが言いたい放題でいる事に、本当の事だからなと思っても、心が折れる気がして来た。
もうチャンネルを切ろうか・・・とした時に、コメンテーター(日本人)曰く、「日本の家族形態というのは、一番弱い者の立場から見ている。つまり、子供が生まれると子供目線が優先されて「おじいちゃんお祖母ちゃん」「お父さんお母さん」「お兄ちゃんお姉ちゃん」と呼ばれる」のだと言うと、皆、ありえな~いという顔をする。
そしてコメンテーターが続けて「COOLもNOT COOLも含めて、そういう日本を好きになって欲しい」と結んだのが、私の折れかかった心を持ち直してくれた。

 

世界中の何処の国に於いても「わが国が優先」は当然である。だが、それが「わが国が一番」と声高に主張し、一触即発しそうな状況を見るにつけ、どの国にもいい所もあり悪い所(理解できない所)もあるという事実を受け入れて、互いに(特に強国と言われるような国に於いては)思いやることの重要さを問われているのではないか・・・と思うのだ。
最近、ある芸能グループが、原爆投下やナチズムを示すかのような表現をして問題になっているが、彼らに(彼らを取り巻くスタッフも含めて)、被害者(弱者とも言える)を思いやる配慮があれば、また違った表現方法も(たとえ個人的な思想表現であっても)あっただろうと思うのだ。

 

「強さ」ばかりが世界を救う訳ではないし、それが生き残る「唯一の手段」だと考えたくないのであるが・・・甘いかな?
それにしても、何で、ここで腰痛なのか・・・個人的些細な事だけれど「心が折れる」。

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脳細胞が働かない!

2018-11-10 11:40:19 | この頃思う事

庭の花が休業状態で、花探しに畑に行った・・・えっ、これって「たんぽぽ」?・・・我が脳細胞のみならず大自然も異変のようである。

 


 


全く、我が脳細胞が働こうとしていない。

ブログに丁度イイ題材を見つけても、さあ、何て続けようか・・・で、脳細胞が働きを停止してしまう。
しばらくアレヤコレヤとひねくり回して頓挫する・・・その繰り返しなのだ。
別に何日で更新すると決めている訳でもないからどうでもイイのだが、日数が空くと、何かソワソワとしてくる。
で、バカげた話だが、更新しないでいる事にイライラして来る訳で、悲しい習性だなぁと思うが、更新さえすれば解決だから、またもや、しょうもない話題でお茶を濁す事とする。

 

     ←10月6日現在、葉ネギの様子

10月中旬頃、スーパーで買った「葉ネギ」の根っこを、枯れても元々で、肥料無しの畑に植えてみた。
11月6日には、1、2本、根付かなかったものもあるが、その他は葉が伸びてきており、私的には、かなりの成功だと思って、追肥をした。
私にネギを収穫しようという魂胆はなく、スーパー用に化粧されたネギの生命力を試してみたくなったのだ。
それを見ていた姉が、やはり、スーパーで買った「九条ネギ」の根っこを畑に植えたと言うので、見に行くと、我がお試しネギより、数倍、元気に成長している。
勿論、姉は食料にするつもりだから最初から元肥もしていたが、「いい具合に育っているね」と褒めると、やや自慢げであるが嬉しそうに答える・・・私は、心の中で「してやったり!」とほくそ笑んだ、何にしろ、固定観念を持たずにチャレンジすることは大いに賛成のなだから・・・最近、姉の性格が少し変化をしてきたように見えるのがイイ。

     ←ご馳走になった「モズクカニ味噌汁」

先輩ご近所さんに呼び止められて「お手製モズクカニ味噌汁」をご馳走になった。
黄瀬川(御殿場市から流れ出て、沼津市で狩野川に合流)で獲れた「モズクカニ」をすり身(と言うのかな?)にして作ったものだそうだ。
以前に私が参加していた遊びの会でも、度々、友達自らが獲ったモズクカニの味噌汁を振る舞い、皆で大いに楽しんで味わってもいた。
偶然にも、そんな時にその「遊びの会」から忘年会を企画するから・・・というお誘いが来た。
自分勝手に想いを巡らせば、このボケが進行中の私に、このところ遠ざかっていた同級生たちに会える機会が与えられたのは、今のままで悔いはないのか、ボケる前に、も一度、トライしろ・・・という神様(かどうか知らないが・・・)の暗示なのかとも思ったりしている。

     ←友人手作りマーマレード

友人の屋敷内にある夏ミカン(もしかすると甘夏)で作るマーマレードを、毎年、たくさん貰う。
ジャムとして食するようだが、私は、プレーンヨーグルトと合わせて、殆ど、主食の如くにするのが好きで、すぐ食べ尽くしてしまうのを知っている友人は、今回、10個も持って来てくれた。
私自身が手の込んだ料理をしない人だから、手作り食品は有難いけれど、貰いぱなしもツライもので、何回も、食事やお茶に誘うのだけれど、「イイからイイから、貰ってくれるだけで有難い」という友人の言葉をそのまま受け入れている。
今は、友人の為に何も出来る事はないが、いつかお返しが出来る日もあるだろう、でも、私がボケる前に一回くらいお返ししたい・・・ま、これも、自分の気持ちを軽くするためなんだけれどね。

 

働かない脳細胞にも、何かしら、刺激を与えてくれる人(物)があるのは感謝せねばならない事なんだな・・・と思う日々である。

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もっと眠れなくなって・・・

2018-11-05 13:00:04 | この頃思う事

         ←拡大可能

根が密集しすぎて枯れてしまいそうになっていた「大文字草」を、今年、必死に世話をした(鉢を持ってウロウロと位置を換えたり・・・)結果、ようやく花が咲いてくれた・・・単純に嬉しい!

 


 

11月である・・・って、言ったところで変わるものは何もない。
ただ、このところ眠れなくて、否、眠るタイミングを逃してしまう日が続いている。
昼間に眠ると言う技を持ち合わせていないので、その内に、突然、爆睡して解決だ(長い間の習慣だから)と、気楽に考えている。

で、昨晩の事、案の定、ばっちり目が覚めていて、見たいTV番組もないのに手持ち無沙汰でチャンネルをあちこちに移動させていた時、ふと目に留まったのがあるドキュメンタリー番組だった。
とある国の、思想矯正収容所に於ける収容者の告発番組だった・・・番組の詳細は避けるが、「さもありなん」と納得できる内容だった。
勿論、収容者の扱いについての問題提起であるが、私がもっと衝撃を受けたのは、収容者自体に個人的関係は何もない一般の部外者が、突然、その渦中に身を置かざるを得なくなる・・・という事だった。

その番組のおかげて、益々、目が(脳細胞かな?)冴えてしまった私は、さらに、チャンネルを操作して、またまた、手が止まったのも「現代の奴隷(スミマセン、番組名は忘れてしまった)」に関するドキュメンタリー番組だったのだ。
ある国に住む外国から労働者が、雇い主に奴隷の如く(というより、正に奴隷そのもの)に扱かわれている・・・という内容である。

図らずして一晩に2件も、人権を無視した、つまりは、人間として平等なのだという根本を無視し、差別扱いは正当(正義)であるかのようにはき違えた人々が、この21世紀の世には厳然として存在しているという事実を見せつけられた思いである。
いや、毎日、繰り返し見せられているニュースであっても、この強固な偏見は存在感を増しているが、日本に住む私には、幸いな事に(否、不幸な事かも)何か、別世界の出来事として漠然と感じているだけなのだ。
国がどうの民族がどうのという報道だけでは、到底、実感できない恐怖感と、この番組で登場する、権力を持たない一個人の受けているとてつもない圧力は、また私の心にも、深い影響をもたらした。

番組の最後に・・・知らないふりをしてもいいが、知らなかったと言ってはいけない(私の事だから、もしかすると誤記もあるかも)・・・という文章が流れ、グサっと刺さるものを感じた(何かと騒がれている人質問題にも通じるような気もする)。
そう、私にも、一つや二つ、いや、三つか五つか(もっと多いな、きっと)、知らないふりをしている事があると承知している。
口に出して、誰かを傷つけたらイケナイから・・・という気持ちが優先しているのだと自分では思っているが、もしかすると、自分が傷つくことを避けて、自分を守るための沈黙なのかもしれないという思いもしてくる。

二つのドキュメンタリー番組は、真夜中の「寝ぼけ気味・半活動脳細胞」では御し難い、かなり重い現実を認識させ、またまた、眠れない夜を私に提供する。

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「晩秋箱根路三婆お茶会」では・・・

2018-11-01 12:21:52 | この頃思う事

この夏、元気に咲いてくれた「ペチュニア」は、花も一段落したようなので切り戻しなど整理したが、コンクリートの隙間から芽を出した一株だけは撤去し難くて、そのまま残して置いたところ、新しい蕾をたくさんつけて、晩秋の庭を彩っている・・・何時まで咲いてくれるのだろうか。

 


 

10月末日。

ご主人を亡くされて、四十九日法要が済んだばかりである友達の気分転換が出来ればと、高校時代の同級生と誘い合わせて「晩秋の箱根」で「三婆お茶会(アフタヌーンティ)」をした。

6月の新緑の頃、別の友人とお茶会をした時に貰った割引券(10%Off)の期限が迫っていたこともある(かなり重要ポイントなのである)が、この友達自身が、「気分を換えたい」と言う気持ちになっている今が大事な時だという考えもあった。
おまけとして、紅葉が見られたらモウケモノという安易な便乗もあったわなぁ・・・

 

ドライブ好き同級生の運転で、ちょい寒であったが心地よいドライブ日和り、絶景かな(山頂に少し雪を頂いている)と言いたい位の「晩秋の富士」を眺めながら、一路、三島から箱根町・元箱根路を快調に進んで、予定より1時間ほど早くホテルに着いてしまった。
昼食を取る気もないし、では・・・と、前から寄ってみたいと思いながらも、時間が調整出来ずに寄れなかった、ホテル前のある「芦ノ湖に面した眺めの良い喫茶店(要するに、店の名前は覚えられないという事)」で休憩することにした。
軽食というより、殆どお茶のみというメニューで、それぞれがケーキセットを取って、話に花と実をつけ、行ったり来たり、寄り道あり戻り道ありと、真に、開放された時間を過ごしてから、では、続きはホテルで・・・本日のメインパーティに向かったのだったが・・・

 

 

 ←「アフターヌーンティー」の前の「ティータイム」時メニュー

 

 そう、そうなんですよねぇ、この喫茶店は、向かったホテルラウンジと
 同じ店で、要するに、我らは、二度も続けて同じケーキを食す事となっ
 たと
 いう次第であり・・・笑うしかないのよね!

 と言っても、ホテルラウンジでも、再び、花と実を楽しみつつ、「互い
 の気分は高校生」
となってしまっていた。



 
勿論、時季外れだから、このホテル売り物の「つつじの花」が咲いている訳で無し、安易に期待した紅葉もなく、観光と言う視点で見たら、ここまで来た甲斐もない状況ではあったが、シーズンオフ故に、あまり混雑もない静かな環境の中で、ゆったりと時間を過ごす事が、自分を見つめなおすキッカケとなって、僅かであっても心のもやもやを取り払えたならば、それ以上を望むことはない(私自身はこれを「優雅な時間」と呼んでいる)。

午後2時過ぎ、久し振りの外出である友達を慮り、多少早めの時間だが帰路に付いた。
別れ際、友達が「今日は楽しかったよ、ありがとう」と言ってくれた言葉が、一番、私自身が誕生日から抱えていた憂鬱感を開放してくれたのだった。

友達はこれから、結婚以来、初めての一人暮らしを始める。
ご主人の生前中には、話かけた時、おーとか、うーしか返事が無かったにせよ、今は、その返事さえもない事が、一番、寂しいと言う。
寂しくなった時、気分を一新したい時に、私たち仲間を思い出し、気軽に声を掛けてくれたらそれでイイと思っているだけである。

 

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