IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

今年もお世話になりました

2010-12-29 09:35:46 | この頃思う事



「臼」と「杵」で餅つきをします。当然、美味しいからということもありますが、子供たちに伝えたいという思いが一番ですね。



「門松」の飾りつけは、もう、随分してませんが、一応、「正月風の鉢植え」をつくりました。




毎日新聞日曜版「一日一粒心のサプリ」での海原純子氏のご意見に随分助けられてきました。
本当に出会えて良かったと思います。ありがとうございました。

なのですが、今回はちょっと違う思いもありまして、まずは「忘年会シーズンに思う」から・・・。

・・・日本式親睦会は、実は大抵、真のコミュニケーションの場になっていない。たとえば、集まりの中で地位が高い人だけがしゃべりっぱなし。部下はそれを拝聴し、相槌を打つ。こうした集まりを観察してみると、「しゃべり手」と「聞き手」が固定化されていると分かる。話すのは偉い人、聞き手は部下、女性、若い人というわけだ・・・日本式親睦会は、実は上司と部下の支配・服従関係の再確認の場で、職場での立場を引きずったままの場合がほとんどではないだろうか・・・(以上抜粋)」。


私の勤めた職場は最高で数千人、最低で社長と私の2人きりという経験をしてきました。
2人きりの「忘年会」はさすがにキツイものがありますが、会場の都合や職場の形態もあって、最高で50人くらいで「忘年会」をしたように思います。
当然、まず社長(職場の最高責任者)が挨拶をし、我々平社員は「スピーチは短く・・・早く・・・ほんと、くどいなぁ・・・」など、後ろの方で呟いていましたが、後は、飲んだりおしゃべりしたりして楽しんでましたね。
一番の楽しみは、職場では口を聞く機会が無かった人とおしゃべりできることで、有意義な話なんてしませんが、その人の思いがけない一面が見られたりするんですね。
普段の仕事のなかで、50人と対等に話ができることって、そんなに無いと思いますし、「忘年会(新年会であっても良いです)」がきっかけとなり、その後に職場では気軽に話が出来たりすることもありますよ。
民族性(私だけの性格か?)もあって、個人対個人のお付き合いがストレスになることもあり、集団的な付き合いの中で、人を知る事って、そんなに非難の対象なのかなぁ、という疑問をちょっと感じましたが、どうですか。
日本で「日本的親睦会」が衰えないというのには、やはり、そこに必要性もあるのではないか、なんて考えます。

悪い面だけで否定しないで、良い面も見逃さないよう・・・何につけてもですが・・・来年も過して行きたいと思っています。





今日は明るく・・・カーペンターズ「Top of the World」。
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OTさんからの「X’mas」便り

2010-12-26 08:19:18 | 三六趣味の会便り

[写真と文:OTさん提供]
(1)

(2)

(3)




各都市のイルミネーションが年々豪華になっていますが、我が家の近所でも凄いのがあります。

写真1は飾りつけを初めてみましたという感じですね。

写真2は大分華やかになってきました。

そして写真3は、車でその前を通る度に思わず停車して見入ってしまいます。

最近は消費電力の小さいLEDになったといっても、電気代がバカにならないのでは?・・・と、他人事なのに気になってしまいます。



19日はOTさんの奥様達による「第九」のコーラスを、23日にはSTさんの参加する合唱団で「エリア」を・・・と、この「36会(あくまで仮名ですが)」でも、面白い企画が持ち込まれてきました。
酒ばかり飲んでいるのは、どうも・・・というご意見も有りますが、酒ばかり(まぁ、酒は何時も付いてますけれど)では無いという姿勢もお見せできたのでは・・・?
皆様からの企画の持込、ブログへの投稿は、種々雑多であることが面白さを増すと思います。
来年が、もっと楽しみになりました。お待ちしておりま~す。(by 伊豆の花)


今日は静かに、この曲に耳を傾けましょう・・・讃美歌「きよしこの夜」。
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ハッピーエンドは?

2010-12-22 10:40:38 | この頃思う事





最近、一休みに来るようになったお馴染みの「マック」です。
私の指定席(勝手に決めてます)で、朝のお客が少ない時間に、コーヒーMサイズを1杯に氷入り水付きを注文し、外を通る人と車(殆んど車で、時折、人が通るだけ・・・)を眺めながら、ボンヤリ過ごすのが、今、一番の癒しの時間なのです。

基本的にはボンヤリしているのですが、いろいろな思いが浮んできて、あれこれ考えなくてもいい事を考えてます。
今日は、突然、中学校での映画鑑賞を思い出しました。
「風と共に去りぬ」という映画を学校で観たような気がして、そういえば、英語の先生が見終わった後、「ハッピーエンドでないから面白くない」と言ってたような・・・。
確か、映画のエンドでは、スカーレット・オハラとレッド・バトラーは別れてしまい、それぞれの道を進んだんですよね。
先生が「ハッピーエンド」と言ったのは、丸く収まって二人は手を取り合って再出発をする・・・という事だと思いますが、その時私は、「それぞれ別の道を歩むのは、未来があって素晴らしい!」と感じたから、当時は先生の意見に、あまり賛同出来ませんでしたね。
だからかな、映画も人生も(ちょいと大げさな!・・・)、「ハッピーエンド」を拒んできたように思います。

その私がですよ、未来はともかく、今は丸く収めて・・・と、思っていることに気が付きました。
映画もドラマも、ワザとらしくても良いから「ハッピーエンド」にして欲しいと思い、「ハッピーエンド」で終わらないと気持ちが落ち込むんですよ。
どうせドラマじゃないですか、気分よく終わらせてよ、「ハッピーエンド」で文句を言う人があるのですか・・・なんて、思っているのです。
これは堕落か、生命エネルギーの欠如か、ただ年を取っただけか・・・中学の先生が正しかったのか・・・。

こんな、愚にもつかないことを、半時程思い巡らせてから、今日の食事の買物をして帰ります。



映画「ある愛の詩」は観ていませんが、音楽はよく聞きました・・・「ある愛の詩」。

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「NHK海外助けあい」に寄付しました

2010-12-20 13:26:41 | 三六趣味の会便り

半日村でも懸命に花を咲かせてくれる「ゼラニウム」です



会の皆さんにご賛同を頂いた、YNさんへの支払予定金4,000円に1,000円(伊豆の花から)を上乗せして、「NHK海外助けあい」に寄付させていただきました。
ありがとうございました

私自身、「寄付」をするって、なかなか出来ませんでした。
何故だろうか・・・自分の生活が苦しいのに、他の人を助けるなんてオカシイと思ったり、寄付するには金額が少ないし、どこに寄付したら分からないし、まず、寄付しようなんて自己満足でゴウマンだよ・・・なんて、いろいろ考えて、結局、何にもしないという経歴の持ち主で・・・。

でも、ある時から考え方を変えたんですね、「自己満足」で良いじゃないかって・・・。
まがいながらも、今まで(多分、これからも・・・)食べて行けない日がなかったのも、衣服が買えなくて裸・裸足でいた事もなかったのも、行きたいと思った旅(国内、海外を問わず)を体験できたのも、すべての行為が、自分の満足感を得る日々の結果であったはずで、今更「自己満足」を恥じることはないと悟ったのです。
それから、クレジットカードのポイントは品物と交換せずに福祉団体や環境保護団体に寄付、災害での緊急援助募金には最低金額で募金、購入品は環境保護など明記したものを選ぶ・・・など、年間にしても数千円程度ですが、すっかり「自己満足」の世界に浸っています。

とは言うものの、私の「自己満足」の行為の裏には、何時かある日に路頭に迷った私を助けてくれるはずという打算も見え隠れしてますねぇ。





独特の人生を送られて来たYNさんだから、この曲に、私とは違う感慨を持っているような気がします。
YNさんに送ります。でも、YNさんは、このブログを見ないから伝わりませんね・・・バンバンの「いちご白書をもう一度」。

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「ドキドキ感」を味わおう

2010-12-15 15:29:21 | この頃思う事



アメリカ・ミシガンに住む友人から送られてきた「クリスマスカード」。アメリカっぽいて思いません?



ドイツみやげの「クリスマスツリー」。わぁぉ、ドイツっぽいと思いました。



私は、アメリカもドイツも殆んど知らないのに、「〇〇っぽい」と、つい使ってしまいます。
これは、年齢の成せる「落ち着きで・・」と言いたいけれど、単に「固定観念のステレオタイプ化」であり、柔軟さに欠けているのだろうと思いますね。



何時ものように毎日新聞心のサプリ欄「時は過ぎゆく・・・」から

・・・子供のころは、早く大人になりたいと思うのになかなか時が経たず、30歳を過ぎると人生は足早になり、40歳のころの記憶はさだかではなく、気がつくとすでに老年にさしかかる・・・初体験のイベントが多いと、時がゆっくり過ぎるような印象を持つのだそうである。
30歳を過ぎると、初めての事が少なくなる。いわゆる「慣れ」の感覚のおかげで、時がさっと過ぎる感じになるらしい。
仕事でも私生活でも、すべての分野で年をとると、「はじめて味わうドキドキ感」がなくなってくるものだ。
年齢による落ち着きは、こんなところから生じるのかもしれないが、ちょっとさみしい気もする・・・1年に1つずつ「新しくはじめる何か」を加えれば、年月をゆっくり味わうたのしみになるのでは、と思ったりする・・・ゆっくりじっくり、ドキドキ感を味わいながら過したいものである。(海原純子氏エッセイ抜粋)

そうなんですよ・・・私、この、ドキドキ感がすっかり無くなっています。
「イケメン」が現れても、私には、なぁ~んも関係ないしと、トキメキもせず・・・「落ち着いてるね」と言われると誉め言葉と思ってしまうし・・・「無感動」という事だったのですねぇ。

今年は、いろいろチャレンジしてみましたが、残念ながら、「ドキドキ」はありませんでした。
よ~し!来年は「ドキドキ」を目指してトライだ!・・・なんて言ったところで、どうかな?
もう、鬼も、笑う気がしないって投げ出しているようです。


クリスチャンではありませんが、この曲は好きです。なんとなく心が鎮まります。
ウェストミンスター大聖堂聖歌隊「The First Nowell (牧人ひつじを)」。
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「終活」って?

2010-12-11 09:24:50 | この頃思う事



我が家の庭では、冬の風情の中で、わずかに暖かさを感じさせてくれている「ユリオプスデージー」。



寒い!朝、最初に思う。
もう、何もしたくなくなる・・・コタツをセットしたら、本当に動かなくなるのが分かっているいるから、まだ、我慢をしているが、早く春になって欲しいと思いながら、朝食の支度に掛かる。

このところ、新聞も溜めに溜め、纏めて読んでいたが、今日は、余りにも寒くて、動けなくて、なんとなく新聞を手にした。
ん?「終活」ってなんだ?
投書欄の「終活」という見出しと「主婦76歳」に目が留まった。

毎日新聞からちょっと、抜粋で・・・

若い人の「就活」や「婚活」は、希望があって、将来があって、夢があって、勢いがあって、胸膨らむ楽しい事だ。
ところが、「終活」は人生の終わり支度をすることなので、将来がない・・・物にあふれた生活は豊かさの象徴ではなく、気苦労の原因になっている・・・文通した手紙など、自分が一番の宝だと思っているものも、他人には無用の遺物となる・・・「終活」の名の下に、1日1品でも、整理して、空間を楽しむシンプルな生活ができたらいいなと思う。

あぁ、私と同じ思いの人がいる・・・ちょっと、安心。
私の「終活」は60歳定年の日から始めた。
まず、衣類・・・もう、着られないもの、1年間一度も手を通さなかった物を捨てた。そして、着られるものがあるうちは買わない。
次は、本・・・読まないのに捨てられなくて持っていた雑誌、文庫本を処分、揃えるだけに興味があった画集や全集を売却(二束三文ですが・・)。
手紙は1年ほど手元に置いてますが、その後は心を込めて燃やします。
で、今も捨てきれないのが、写真アルバム。
でも、三分の一くらい処分したんですよ・・・後、30冊程残っているんです。もう、新しい写真は殆んど残しませんから、60歳以前の写真ばかりです。

まだ、昔の自分と生活に未練があるのですね・・・時折、並んだアルバムを見ながらため息をついてます。






「エンジェルトランペット」
この花を初めて見たのは中国のある都市(記憶が曖昧)で、「夜来香」かと思ったのですが・・・


映画「ゴットファーザー」から「愛のテーマ」。
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「空蝉」の湖南三山巡り

2010-12-07 10:03:18 | 空蝉の庭


天平から平安を代表する多くの仏像を安置する、湖南三山の常楽寺、長寿寺、善水寺を回って来ました。


紅葉は、終盤でしたが、その分ゆったり、のんびりと楽しんで来ました。

[写真と文:ORさん提供]






長寿寺(奈良時代後期、聖武天皇の勅願により建立)


善水寺(天智天皇を父に持つ元明天皇の時代に草創)




常楽寺(奈良時代、元明天皇の勅令により建立)



注・・・伊豆の花 ) 「湖南三山」とは、滋賀県湖南市にある「常楽寺」「長寿寺」「善水寺」を言います。


モーツァルト「ピアノ・ソナタ第15番第1楽章」。
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「友有り 遠方より来る また楽しからずや」

2010-12-06 18:59:57 | この頃思う事



我が家の庭に舞い降りた「晩秋の妖精たち」



定年前の仕事の同僚であったり、旅で知り合った人であったり、いろいろお世話になった人だったりが、案外、関西に住んでいる。
退職して、まず最初にしたいと思っていたことは、遠く離れてしまった友を訪ねる旅だった。
遠くと言っても、関西である。新幹線に乗れば3時間位で京都・大阪なのに、何故か遠いと感じている。
それで、退職後、1週間掛けて、奈良・大阪・兵庫の友人達を訪ねて、大いに話し、旧交を温めた。

それから、既に4年過ぎた。
関東は、割合無理なく出かけられるんです。
でも、関西は、旅行(一泊ですが)では京都・奈良へ行けるのに、友人達を訪ねる時間が持てない。
手紙やメールを貰う度、「何時か会いましょうね」と書くのに、実現出来ないでいる。

何故だろうか・・・私自身、家を空けるのが簡単にいかなくなった為か・・・否、向こうから出向いてくれるのを待っているのか・・・もう、友達付き合いが面倒になったのか・・・やっぱり、遠いのか。
どうしてるかな?元気かな?という気持ちは常にある。
でも、動けずに居た。

ところが、最近になって、遠方(関西に限らず)の友から「伊豆に出かけるから、会えたら良いね」という便りが届くようになった。
それぞれが、漸く自分の時間を使えるようになったのかな。
お互い会って話をするのは、十数年振り、二十数年振りという友も来た。
嬉しいではありませんか!ありがとう・・・「友有り 遠方より来る・・・」の喜びです。
皆が私の家の近くに来られる訳ではないが、極力、会えるよう努力をしている。

もう少し時間を下さいね。私も出かけますから、きっと・・・。







藪中にも「晩秋の実り」が・・・



スペイン・アランフェスを一度だけ訪れた事がある・・・と言っても、既に、記憶は忘却の彼方で、ボンヤリとした風景が浮ぶだけだ。
人間の(スミマセン!私の)記憶なんて不確かものですが、「良い思い出」として残っているのが幸せですね。
ホアキン・ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」。 とも
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漸く、畑仕事に掛かろうかと・・・

2010-12-02 16:02:47 | 晴耕雨寝






庭の植木の剪定を、2、3年、手抜きしている。
もともと、植木屋さん風のキッチリした美しい、けれど、どこも同じような剪定が嫌いで、邪魔な感じがするところだけを払っていた。
私は、一番自然なカタチと自画自賛しているが、実際は、どうしようもなく育ち放題という始末で・・・。
一番困るのは、あまりにも高く成長した木に、おいそれと届かなくなってしまった事だ。
枝の剪定のみならず、柿や梅などの実を取るのも大変な労働である。
私も、もう、若くはならない事を思えば、木の丈を低くするしかないと、思い切って、バサバサと切り落とすことにした。

その、第一作品が「梅の木」で、私は、すっきりしたが、「梅ノ木」にしてみれば最大の被害者だろう。
果たして、来年、実は生るのだろうか・・・いやいや、その前に、梅の花は咲くだろうか・・・。

切り落とした枝の片付けに3日も掛かった(仕事が鈍いのが原因だが)し、このまま畑で燃やすことが出来ないので、また整理してゴミに出さねばならない。
だから、我が畑には、野菜の姿は見当たらない・・・という、理屈をつけて、当分、畑仕事に掛からないでいる。







友人から「ラテン音楽」のCDを数枚借りてきた。
同じ曲を、いろいろな歌手や楽団が演奏しているのを、聴き比べて楽しんでいる。
一番好きなのは、トリオ・ロス・パンチョスの歌う「ラ・マラゲーニャ」。

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新聞記事から「日本人のアジア観」を考える

2010-12-01 11:24:25 | この頃思う事



「皇帝ダリア・・・茎が長くて、何時もは我が家の2階から鑑賞するのだが、今年は、余りにも高く成長した為、
その重みに耐えられなくて、斜めに倒れ掛かっている。お陰で、2階へ上らなくても鑑賞できるけれど・・・・・」



何時ものように、数日遅れの新聞に目を通していた。
「記者ノート」というコラム欄に、「日本人のアジア観」という記事が掲載されている。
気になった箇所を簡単に抜粋すると

「日本は良くも悪くも世界を向いている」。
酒席をともにした韓国の知人が、アジア大会報道の少なさに首をひねって言う。
・・・・・「世界を向いている」には、韓国で二つの意味があるという。「世界の中で経済的、科学的な発展を遂げる」と、対儀として「アジアを忘れている」の意。
・・・・彼は「世界を相手にできる国への敬意」と「アジアを相手にしようとしない国への憤懣」を同時に抱く・・・・・・。

毎度の事の、韓国の人の日本への悪口か・・・と、別の記事に目を向けたが・・・でも、彼のいうとおり、そうかもしれない・・・もう一度、思い直して、ゆっくり読んでみた。

私の、友人で外国人は中国人が唯一。今は、日本に住み、日本人と結婚し家庭を築いている。
私自身は、友人との付き合いにおいて、外国人と意識したことが無いつもりだが、友人が言うのには、日本人からの差別を感じるという。
詳しくは聞いたことが無い。でも、何故だろう、どうして差別をするの、何が邪魔をしてるのだろうか・・・時々、思ったりする。
私の海外の旅では、特に意識はしたことがないが、結果的には、所謂、「アジア」が多い。
ソ連(シベリア)、中央アジア各国、中国(十数回)、韓国、ベトナム、カンボジア、インド(3回)、イラン、トルコ、スペイン、メキシコ・・・9割方、アジアである。
その他の地域が嫌いというのでも無い。しかし、旅の間、「リラックス」出来ないのだ。何故か構えてしまう自分がいる。
それに比べ「アジア」を旅している時は、とても、自然体でいられるから不思議、「やすらぎ」さえ感ずる。
自然体でいられるのは、文化の根底が共通しているのだろうか・・・と、勝手に想像しているが、本当は分からない。
ただ、近くの友とは、分かり合いたいと願っているし、友人にも、そう接して行きたい。







以前のTV番組で、本田美奈子さんと岩谷時子さんとのボイスレターのやり取りを放映していた。
病床にあったお二人が、互いに励まされて病と闘っておられたが、その時に、本田さんが歌われた「アメイジング・グレイス」は余りにも有名で、この曲を聴くと、今でも、胸にこみ上げるものを感じる。
こんな時には、音楽って素晴らしいなと思う・・・「Amazing Grace」。
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