「臼」と「杵」で餅つきをします。当然、美味しいからということもありますが、子供たちに伝えたいという思いが一番ですね。
「門松」の飾りつけは、もう、随分してませんが、一応、「正月風の鉢植え」をつくりました。
毎日新聞日曜版「一日一粒心のサプリ」での海原純子氏のご意見に随分助けられてきました。
本当に出会えて良かったと思います。ありがとうございました。
なのですが、今回はちょっと違う思いもありまして、まずは「忘年会シーズンに思う」から・・・。
・・・日本式親睦会は、実は大抵、真のコミュニケーションの場になっていない。たとえば、集まりの中で地位が高い人だけがしゃべりっぱなし。部下はそれを拝聴し、相槌を打つ。こうした集まりを観察してみると、「しゃべり手」と「聞き手」が固定化されていると分かる。話すのは偉い人、聞き手は部下、女性、若い人というわけだ・・・日本式親睦会は、実は上司と部下の支配・服従関係の再確認の場で、職場での立場を引きずったままの場合がほとんどではないだろうか・・・(以上抜粋)」。
私の勤めた職場は最高で数千人、最低で社長と私の2人きりという経験をしてきました。
2人きりの「忘年会」はさすがにキツイものがありますが、会場の都合や職場の形態もあって、最高で50人くらいで「忘年会」をしたように思います。
当然、まず社長(職場の最高責任者)が挨拶をし、我々平社員は「スピーチは短く・・・早く・・・ほんと、くどいなぁ・・・」など、後ろの方で呟いていましたが、後は、飲んだりおしゃべりしたりして楽しんでましたね。
一番の楽しみは、職場では口を聞く機会が無かった人とおしゃべりできることで、有意義な話なんてしませんが、その人の思いがけない一面が見られたりするんですね。
普段の仕事のなかで、50人と対等に話ができることって、そんなに無いと思いますし、「忘年会(新年会であっても良いです)」がきっかけとなり、その後に職場では気軽に話が出来たりすることもありますよ。
民族性(私だけの性格か?)もあって、個人対個人のお付き合いがストレスになることもあり、集団的な付き合いの中で、人を知る事って、そんなに非難の対象なのかなぁ、という疑問をちょっと感じましたが、どうですか。
日本で「日本的親睦会」が衰えないというのには、やはり、そこに必要性もあるのではないか、なんて考えます。
悪い面だけで否定しないで、良い面も見逃さないよう・・・何につけてもですが・・・来年も過して行きたいと思っています。
今日は明るく・・・カーペンターズ「Top of the World」。