IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「スマホ」を持たない屁理屈を・・・

2019-03-31 11:06:02 | この頃思う事

( ←拡大出来ます! ほゞ満開の状態になった我が家の「ユキヤナギ」は、今日の風で散ってしまうだろうな・・・

 


 

 平成も終わりに近づき、平成31年3月も、今日が最終日。
たまには、少し建設的な意見をUPしたいと思いながら・・・

先日、中学時の同級生遊びの会に誘われて、母校(我らの卒業後に新築したので、校舎への思い入れは無い)の近くで「お花見」をした。
が、前日に開花宣言がされたばかりで花は殆ど見られない状況であり、その上、気温も上がらず、何とも冷え冷えとしたイベントになってしまった。
それでも、それぞれが持ち寄ったお花見弁当(?)で、結構、盛り上がった時間を過ごせた・・・それなりを楽しめる技(年齢か?)を持ってきたと言えるのかも。

その時の話題の一つが「スマホ」で、同年齢と雖も、便利だ、いや不要だ、ガラケーで間に合う・・・まぁ、それぞれ拘りもあり、一様ではない。
私自身、世間の流れ(キャッシュレス化)からしたらボケ無いうちに「スマホ」に慣れる必要はあるだろうと思ったり、いやいや、世間とはどの範囲までを囲うべきか、我が田舎(かなり高齢化の進んだ環境)で完全なるキャッシュレス化実現など遠い未来のように思えるし、この先何年、私が存在し得るかの方がより身近な話題に感じるし・・・とか考える訳だ。

そんな折、丁度・・・毎日新聞3月30日付 「経済観測」欄(東短リサーチ・チーフエコノミスト加藤出氏著)に、「完全キャッシュレスの落とし穴」という下記のような記事を見つけた。

世界最速でキャッシュレスが進んでいるスウェーデンで、有料トイレすら現金を受け付けなくなって、デジタル技術に慣れない高齢者にとって社会が不便になって来たのだと言う。
政府に於いても、国家規模の危機にそなえて最低規模の現金を用意するよう推薦していて、中国やアメリカでも完全キャッシュレスを制限する法律も出来ているのだそうだ。
高齢者比率が高く災害の多い日本の場合、この課題を考慮する姿勢の必要が・・・云々。(抜粋要約転載:伊豆の花)

 

この記事を読んで、私は「そうだ、その通り!」と留飲を下げ、その上に、我が「スマホ不使用論」に正当な理由(ま、屁理屈だよね)を見出した。
大体、この頃の私は、新幹線の自動販売機さえ上手く使いこなせなくてマゴマゴしてしまうのだから(ここ十数年、窓口で購入している)・・・先は知れている・・・と思ってしまう。

結局は、相も変わらぬ戯言ブログになってしまい、(お恥ずかしいの意味)次第。


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無駄な抵抗と自覚しながらも・・・

2019-03-27 13:43:12 | この頃思う事

 ←拡大出来ますよ! 
道路脇に自生しているのを一見し、「野ばら」と片づけていた下段の花は、じっくり眺めてみたら、何やら「木いちご」のような気がして来たが・・・

 


 

このところ、「お米」を「Amazon」で購入している。
この会社のナントカCEOが、世界一お金持ちというニュースを聞いて、ちょい気分を害して来た(明らかに、お金持ちへのネタミだ)。

そこで、生鮮食料品が充実していると漏れ聞いている「楽天」を利用してみようかと登録し始めたが、使おうとしたメールアドレスが使用できません・・・と表示されるのだ、え~っ、何故よ!
そういえば、一度、トラベル関係で利用したことがあったと思い出し、当然、パスワードも忘れているので、トラベルの方から調べてみたら、今度は、登録されておりません・・・と言う、さて、どうしたものか・・・
要するに面倒くさくなって、結局、「Amazon」からお取り寄せとなった。
まぁ、私一人に細々と売って得られる利益なんぞ、かの莫大な財産の内に埃程の影響すら及ぼす訳でも無いのだから、自分にとって便利な方を選択すればイイだけだと分かっているものの、すっかり依存している現状に、何か、自分自身が腹立たしい訳で・・・

それと、「Amazon」から自動的に配信されてくる広告がウルサイ!・・・のだ。
「お米」を買うから、その延長線沿いなのだろう人工知能とやらが勝手に推量して、レトルトカレーやジュースなど私には不要の広告(ちらし?)が配信されて来て、それを削除するのが日々の仕事となっている・・・それがまた、誠に腹立たしい、「AIの後始末を、何故、人間である私がせねばならないのか!」ってね。

ITだAIだと、何やら理解できない横文字に乗せられて、便利、便利と利用しているつもりが、何時の間にか操られている・・・これ、明らかな現実の世界なのである。
たまたま、TVで「ワールドニュース」を見ていたら、フランスでは、「GAFA」といわれる世界規模のIT企業に集まる膨大な情報に世界が牛耳られている現状を是正すべく、政府関係機関にはフランス独自の検索サイト使用を義務付ける法律(?)があるとかで、そのサイトで集められた情報は、一定の期間をもって廃棄されるのだそうだ(単に聞きかじり・・・でも、多少の安堵感もあるよね)。

 

「無駄な抵抗」だと一笑に付されそうだが、何の変哲もない田舎町に住む、実行力も影響力もないオバサンの「蚤のフンバリ的抵抗」だと自負している。

 

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我ながら呆れています!

2019-03-23 19:33:52 | この頃思う事

 ←拡大しても見る価値あり!と思う。 友人に教えて貰った「枝垂れ桜の大木」のあるお寺で・・・かなりの樹齢らしい

 


 

22日、友人とのランチ約束(TV番組を見て、ともかく行きた~い!と私が切望した新開拓イタリアンの店で)と、絶対避けられない「食料買い出し」のために、唯一、近くの街(三島)に出かける。

ちょい右膝に痛み(2、3日前から)を感じるが、最寄り駅まで、ゆっくりと歩くことにした。
駅まで、およそ40分・・・道端の野の花や、家々の庭に咲く春の花々を鑑賞し、時折、デジカメで撮りながら歩く・・・結構、良い時間だ。
電車で20分、三嶋大社近くの駅で降り、再び歩いて「三嶋大社」に向かったのには理由があった。
実は、三島に住む友人の一人に、三嶋大社の桜を絵(写真)葉書にして欲しいと頼まれていたからだ。
時期的には、少し早いかも・・・とは思っていたが、写真を撮りにまた出かけて来るのは、体調も時間もツライなぁと思っていたので、今日、撮れたらラッキー!というのに賭けていたところもある。
しかし、現実は厳しい・・・ソメイヨシノは咲いていないし、期待していた枝垂れ桜も3分咲きか4分咲きだ。
でも、とりあえず写真は撮って置く。

時計を見ると、あれま!約束の時間だ・・・で、大急ぎで目的の店に向かって歩く・・・が、実は、店の名前も場所も薄ら覚えであって、ただ、方向的には間違っていない道(鎌倉古道というらしい)を20分程歩いて、多分、この近辺だろうと思われるところで現れた人に尋ねた・・・「スミマセン、名前は分からないのですが、このあたりにイタリアンの店があります?」てね・・・勿論、分かるはずがないでしょよねぇ・・・
そこで、落ち合うべき友人に電話した・・・「ゴメ~ン!近くまで来てる筈なんだけれど、私、マイゴみたい」。
出掛ける寸前だった友人は、急いで来て私を探し出してくれた・・・感謝!

店に向かう前に「枝垂れ桜がかなり綺麗」だというお寺に案内してくれて、まだ満開ではないものの見ごたえのある「枝垂れ桜」に出会えた。
これこそラッキー!であり、バチバチと写真を撮った・・・勿論、絵葉書用にである。
それなのに・・・自宅に帰りパソコンで絵葉書を作り上げ、早速に依頼された友人宛に送ろうと思って・・・ハテ?お寺の名前は?場所は?・・・思い出せない、すっかり忘れている、否、最初からボ~としていて覚えていないのだ。
そして、新開拓イタリアンの店(ちょい気に入ったのに)の名前も覚えて来てないし、そう、その帰り道に寄った珈琲店の名前も分からないし(珈琲が550円で美味しかったから、また寄ろうと思っているが・・・)、なんて事だ。

ホント、我ながら、ただただ呆れるだけで・・・でも、大事な生命の糧はしっかり調達出来たのだから、まだ、大丈夫!・・・と、まぁこんな風に、自分を偽っているんだよね。

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遂に、「買い物難民」に・・・⁈

2019-03-20 20:45:44 | この頃思う事

 ←拡大してご覧あれ 春の象徴のような「つくしんぼ」だが、この繁茂・群生は「スゴイ」を通り越して、「ブキミ」である。

 


 

先月末の事、我が家から辛うじて徒歩で行けた「コンビニ」が撤退してしまった・・・私は、遂に「買い物難民」となった。

 

マイカー(自転車)を、努めて使わないようにしてから、スーパーでの食料買い出しは、おおよそ、十日に一度くらい、友達に誘って貰ったり、街に出たついでに買い出しをしたりしているが、緊急に食料不足に陥ると、コンビニで食パンと牛乳を買って空腹(?)を満たしていた。
その緊急避難場所たるコンビニを失って、冷蔵庫内は、ほゞ空状態となった昨日、買い出し予定は22日(友人とのランチ約束で街に出る)だから、如何にしてもヒモジイので、物置より自転車を引っ張り出し、撤退コンビニからは少し離れた(と言っても、徒歩で行くのはちょいツライかも)ドラッグストア(食品は、コンビニとさして変わらない品揃い)で調達した。

その帰り道、我が前方に歩く人は?・・・近所に住む知人ではないか。
そう、私より少し年配の彼女も、自分では殆ど料理をしないとかで、コンビニのお弁当などをかなり利用しているようだった。
両手には重そうに荷物を下げている。
聞いてみると、コンビニが無くなったのでドラッグストアまで歩いて買い物に来たのだと言う。
彼女の荷物を我が自転車の前カゴに預かって、彼女の自宅まで自転車を押しながら従った・・・つまり、結果的には、私も徒歩で買い出しに行った事になった訳だ。

ま、それはともかくとして・・・我が住む小さな区域でさえも、「買い物難民化した高齢者」が、少なくても2名いるという事実。
皆さ~ん!非力な難民を救ってください!・・・と叫びたいですねぇ・・・ホント。
どんどん高齢者の比率が高くなる日本の現状の中で、この明確な事実を自分の事と考えられる人が何人いるのだろうか・・・それを思うとカナシクなってしまうのは、私の被害者(弱者?)意識が強過ぎるのかな・・・と。
そう言えば、先日、一緒に箱根に出かけた友人は、満員のバスで席を譲られた時、その行為に対して「座れるのは嬉しいけれど、席を譲られる自分が情けなくなる」と嘆くのだ。
「あなた、もう十分、高齢を誇っていい立場だよ」と私は言うのだけれど、友人の嘆きは癒されないみたいだ。

私には、日本の高齢者(すべてとは言わないが)は、何故か、老化を悲観し頑張り過ぎるように見えるが、非力(無力とは違う)であることは恥ではないと、もっと、声を大にして主張してもいいと思う・・・如何?

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解放感を満喫しに・・・

2019-03-16 08:24:12 | この頃思う事


 

多分、母が好きだったのだろうと思う・・・我が家には、数種の「椿」が植えてあり、ポチポチながら花を見せてくれる。
その一種の「侘助」と勝手に決めているこの花だが、花形と雰囲気が、如何にも「わびすけ」という風情がするのが良い。

 


 

11日月曜日の午後7時過ぎ、姪が自分の仕事帰りに我が家に立ち寄った・・・申告の最終処理をするためである。
前回で終了する予定であったのに、必要書類が不足していて、確定処理をする事が出来ていなかったからだ。
その作業は1時間ほどで終り、申告書等を再印刷し提出書類を整えて、完全終了となった。

仕事帰りだったので小腹も空いているだろうと、軽く食事(といっても、インスタントラーメンだが)を作り、それを食べている間に仕事の仕方を伝授(そんな大げさなものではないけどね)したのは、「仕事は、まず準備。その準備を疎かにすると無駄な時間(今日にように、来る必要はなかったかも)を費やすことになる」という事だった。
姪が自分の仕事ではないものの、兄の事を思っての「捨てて置けない」という心境は大事だけれど、それが負担となっては「助ける」こと自体が出来なくなってしまう。
だから、必要書類を常に整えておき、作業を初めてからあれこれ探し回ることをしないというのが、早く仕事を完了する第一条件であり、それは、自分の仕事にとっても当てはまる事だと思う。
ゆっくり作業する事の良さもあるけれど、無駄な時間を省くことも大事だよ・・・と、まぁ、少々、先輩ブッテ忠告したが、彼女は理解してくれたと思っている。

 

てな訳で、我が恒例の仕事を理解してくれている友人らから、終了途端に嬉しいお誘いがあり、その一つが、2年前(だったかな?)運転免許証を返却した友人からだった。
今日に至るまで、「車が無くて不便だ!ドライブも出来ないから何の楽しみもない」を、繰り返し口にする友人に、「いくら不便だと嘆いても、決して、免許は復活しないし、以前の便利さには戻れない。それよりも、今の状況を受け入れて、どうしたらこの不便さを少しでも解消できるか、どうしたら楽しい日々を過ごしていけるかを考えて欲しい」と、何度も何度も話してきた。
そんな意見を受け入れる余裕が出て来たのか、ツアー(友人はツアー旅が嫌い)で京都に出かけたらしいが、物凄い(観光客が溢れている)京都となっていて「だからツアーは嫌なんだ」と言う。
私は、「京都が凄い事になっているのはツアーの所為でなくて、諸々の社会変化の中で、京都もそういう状況に陥っているのだ」と、まぁ、ツアー会社を弁護するつもりはないけれど、友人を諭した。
で、「私はね、若い頃に自由に旅をしてとてもイイ(イイというのも個人差がある)経験をした。それを求めて、再び・三度(みたび)行きたいという気持ちが湧いてこない。世の中は、良いにつけ悪いにつけ変わって行くものだから、自分が変化に対応出来ないのなら、もう行く意味はないと思う」と話をした、理解してくれたかどうかは分からない。


そんなこんなもあったが、友人からの突然の提案(提案されると拒否出来ないのが私なのだ)で、「三島駅」から乗り合いバスに乗って「元箱根の美術館」に向かう事になった。
そこで日本画をゆっくり鑑賞し、春の気配を感じる芦ノ湖の眺望を堪能しながら、美味し~い珈琲も十分味わった(所要時間5時間弱)。

友人は、箱根には車では何度も出かけていたが、「乗り合いバス」に乗るのは初めてだと言う。
「ほらね、京都まで行かなくても、すぐ近くに未体験な事があるでしょ?それを楽しい!って思う事が日々を豊かにするのだと思うよ」
一回りも年上の知人には言うまでもない事ながら、遠出で無ければ旅ではないという考え方が強くて、足元を楽しむ事が疎かにされていると感じた一日であった・・・友人にも、固定観念に縛られない解放感を味わって欲しいと願う。

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解放されたぁ~!

2019-03-08 08:55:55 | この頃思う事

きっと自分流の手入れが間違っているのだろうと思うが、以前より「椿」の花付きが悪くなった・・・勉強不足の当然な結果と言うべき?

 


 

 終わった!終わった!終わったぁ~
と叫び声を上げたいところだが、もう少し修正(確認)すべき点を残して(でも、1時間ぐらいで完成できる)今期の作業が終了した。


この作業、慣れている積りであっても、ホント、年々、辛くなるのは,ひとえに、視力の衰えだ(脳細胞の崩壊は棚に上げて)と確信している。

視力の異常な変化を初めて感じたのは59歳半ば、まだ、会社勤務をしていた時だった。
その時点では、出来れば65歳か70歳頃まで仕事を続ける意思を持っていたし、TV番組で目の異常で命に係わる事があるなんていう情報も耳にしていたので、早速、東京のとある有名眼科で診察を受けた。
初診の受付をするのに電話で予約し、当日、予約しているのに、散々、待たされて漸く診察を受け、医師からは何の説明もなく、イラ立ちもあって「命に別状は無いですね」と問うと、その医師は「目が見えなくて死んだ人はいない」と宣ったのだ。
当然、椅子を蹴って立ち去り(たい気持ちを持って・・・という意味で)、もう、その病院には2度と行くことは無かった。
と言っても心配はあるので、その後、知人の薦める眼科で診察を受けたところ、「黄斑上膜」という病名で、手術でしか治らないとの説明だった。
そんな時、母と同居せねばならない状況(故郷にリターン)となって仕事を続けることが困難となった。
60歳で定年退職し故郷に戻るが、母との同居を優先出来る仕事場は見つからず職探しは断念、手術までして視力を矯正する(まず、不自由でなかったし・・・)意欲が薄れてしまったのだ。

どんな理由があったにしろ、手術を止めたのは私自身の意志であり、その選択に後悔はないが、65歳を超えたあたりから、眼鏡がなければ文字の判読が困難となり、新聞も本も、読むのが面倒で(病気の所為ばかりでも無いけれど)、当然、事務的なマニュアル書(文字が細かい)を読まねばならない仕事も面倒になったという訳だ。

私の仕事を引き継いでくれた姪が、今年は、専門的な内容でも理解が早くなっており、補助的な助けは、まだ、必要だろうが、確実に自立の方向に向いていることが見えて来た。
今年の仕事としても、先の見通しとしても、漸く「解放」される実感が得られた事で、我が視力も、過度な労働から解放され日も近いかも・・・ね。

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「お内裏様」を飾ったのは・・・

2019-03-03 19:13:02 | この頃思う事

姉が友達から頂いたという「お手製内裏雛」である。
我が家には、別に、段飾り雛があるが、今年は、諸々の事情により控えたとか・・・それでも、後ろめたい気がしたのか、このお内裏雛だけを飾ったらしい。

 


 

3月3日は、世間的には「ひな祭り」をしているが、我が地域では、以前は、4月3日が「ひな祭り」であった(多分旧暦に合わせていたのだろう)。
でも、何時からか、我が家で3月と、世間並に従ってしまったのは、世の中の流れに従順になったのか、どうでもよくなったのか・・・姉に聞くしかない。

 

本日、甥の30年度の決算関係資料が届き、およそ6時間をかけて大体の数字を固める事が出来た。
後は、決算書・申告書の作成を残すところまでたどり着いた・・・ともかく数字さえ固まれば、作業の3分の2は終わったと言える。
今週中には完了出来るだろうと思っている。

経理事務をしている姪(甥の妹)は、自分の仕事ではないのに、渋々ながらも任されてしまった事に、会計知識が無い不安や、時間的な不都合(他の仕事を持っている)を感じていたようだが、でも、「覚えて損な事ではないのだから、頑張って!」と話をすると、その自覚を持ち始めているような返事をした。
ようやく、私の意向(私が手を引きたい理由)を理解してくれたと、少し安堵する・・・まだ数年は付き合わねばならないだろうが、見通しは明るいと思う(私がボケないでいれば・・・ね)。

 

「これで完了する」事を先読みして、早速、来週に2件、友人とのランチ約束を予定に入れた。
どうしても、遊ぶ事(怠ける事か?)からは離れられないのが、私の本性のようだな・・・と実感。

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