大きな株、小さい株とバラバラですが全部に蕾が付き、このところの暑さで、一気に花が開いたのです。
以上、取り敢えず今年は、一株も枯らさなかったことをご報告します・・・薔薇をくれたTさん、見てくれているかな?
来年は?・・・アハ!鬼が笑いそうなので止めておきますね、まぁ、ゆるゆると。
・・・・・・・以下は、前回ご報告した薔薇ですが、いい具合に咲いてくれたので、再び、登場・・・・・・・
大きな株、小さい株とバラバラですが全部に蕾が付き、このところの暑さで、一気に花が開いたのです。
以上、取り敢えず今年は、一株も枯らさなかったことをご報告します・・・薔薇をくれたTさん、見てくれているかな?
来年は?・・・アハ!鬼が笑いそうなので止めておきますね、まぁ、ゆるゆると。
・・・・・・・以下は、前回ご報告した薔薇ですが、いい具合に咲いてくれたので、再び、登場・・・・・・・
めずらしく姉から「今年は、見事にブラシノキの花が咲いたよ!」と言って来た。
「ブラシノキ」の周囲には、手入がイイ加減な庭木が茂っているので、ついつい見逃してしまうが、姉宅の2階にある物干し場から見ると、近年になく豪華絢爛に咲いていたのだ・・・まずはご覧あれ!
故郷に戻って、およそ15年(ホント、早いなぁ)、大体、スーパーに出向くのは、朝一(午前9時頃)が習慣となっている。
特に理由があった訳では無いけれど、その習慣の中で見つけたのは、賞味期限の迫った商品が、朝一に3割引きから半額になっているという事だった。
私自身は昔から(常にスーパーマーケットの近くに住んでいた為)、買った物を冷蔵庫にストックしないで、必要な物は必要な時に買う・・・という事を30年くらい続けていたから、未だに、その習慣が顔を出す。
で、値引き処分品は、結構、買い物の流れに組みこまれていた(特にバナナは、絶対、処分品しか買わないという拘りがある)。
母を見送って自分の食事だけを作るようになった時、新鮮とか美味しいとかを気にする必要が無くなった上に、冷蔵庫内に物が残っている事にストレスを感じ始め、ともかく「使いきる」事に執着して、そこで目を付けたのが「処分品」だったのだ、だって、いつまでも置いておけないものですからねぇ、必然的に使いきるしかない。
魚や牛乳の処分品は避けるが、肉(豚肉しか買わない)はOK、食パンを、通常、2斤購入するが、一斤は通常品で1斤は処分品でOK等、物によって臨機応変に対応しているが、だんだん、処分品を買わないでいると、何か、罪悪感を感じるようになって来た。
これって、ある種の執着性依存症だろうか・・・そこで、罪悪感を持たないよう「これは、今、世の中で騒がれている食品ロスを解決するため、私が一人で出来る最低の協力をしているのだ」と考えるようにした。
そういう訳で、今では「今日も社会に貢献できた」と自己満足に浸っている・・・結構、楽しい運動である。
但し、処分品を買う事で、家計にどの位の効果を及ぼしているのかは不明であるが・・・
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追加:一応、花ロス対策(?)の一環と思い、薔薇の、余計な枝を剪定した花や満開に迫った花を纏めて飾ってみた。
但し、あまり花持ちはよくないのは仕方ない事と納得の上で。
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我が家では、基本的に庭木等の手入れはしないで(必要に迫られて草取り程度はする)自然に任せている、ま、面倒だからというのが本音であるが・・・
それでも、この「エビネ蘭」のように、毎年、その数を減らしながらも咲いてくれるのは嬉しいものである。
我が東屋は周囲を山と藪に囲まれていて、冬には日照時間が急激に少なくなり、家の中では外より寒い時がある程で、暖房をガンガン上げ、締め切った部屋で過ごすのが通常となっているのである。
だから、5月になると気分を開放しようと、戸口も窓も開け放すのだが、この際、頗る迷惑な奴の来訪となるのが恒例であって、そう、「ムカデ」が我が物顔で部屋の中を歩き回る(走ってる?)のである(我が部屋に来訪する虫はムカデだけではない、先日はゲジゲジが来たしね)。
1か月程前の夜、TVの後ろで蠢くものを見つけ「ムカデだ!」と確認したけれど、我が周辺には攻撃手段が何もないと知り、何かないかとウロウロしている間に逃げられてしまった。
それで、すぐに買って来たのが、コレ👇!、但し、殺虫剤は常用していない。
この派手なスプレー缶、当初、我が身辺近くに置いたけれど、やけに目に付いてイライラするので、目につかない別の棚に置き換えた。
昨晩の事・・・TVを見ながらも、目の端にふと感じるもがあり、またまた、部屋の隅からゾロゾロと現れ出て来たのは間違いなく「ムカデ」だ。
そして、またまた、何か防御出来るのもは無いかと捜したのである。
見回して、近くにあったTVリモコンを手に取り、敵を抑え込み確保し(大体、頭部を潰す)、ちり取りと箒で戸外に掃きだした、その後は、念を入れて足で踏み潰す、ヤレヤレ
そして今朝の事・・・相変わらず、懲りずに戸口も窓も開けながら、ふと棚に「ムカデ退治スプレー」がある事に気が付いたのだ、昨晩の騒ぎは何なのよ!・・・と、全く、忘れていたのである。
いやいや、「日頃から危機管理と訓練は必需である」と身に沁みて感じた・・・が、果たして、この私の物忘れは訓練で正されるのだろうか・・・という現実も感じるのであった。
上記写真---「東府やガーデン」
今回の36会は、とても楽しみにしていましたが、事前の長期予報では4月25日の天候がどうなるかはっきりとせず、気を揉みました。
直前の予報では、「25日は回復する」となったものの、24日の午後バスで、修善寺駅から東府やに向かう道中も雨が降り続き、夜になっても止まず、宿が自慢にしている露天風呂には屋根がないとのことで、残念ながら入るのは諦めました。
ところが25日は「砂漠にも雨を降らす」と雨人間を自認していた幹事さんのジンクスは破られ、素晴しい晴天でしたね。
参加した皆さんの祈りが天に通じたのでしょうかとてもハッピーな気持ちに。
開催場所の足湯カフェに隣接する「東府やガーデン」は新緑に囲まれ広々としており、更に、お洒落な籐椅子で寛ぐという最高のシュチュエーションで、皆さんとの和気あいあいの時間があっという間に過ぎました。
「東府やリゾート&スパ伊豆」のキャッチコピーが「川と森に囲まれた自然の中で日本情緒あふれる散策をお楽しみ下さい」とありましたが、まさにその通りでとても良い施設です。
帰りには、バス停までのハイキングのおまけもつき、健康にも役立ちました。
この施設は、今後また、是非、訪れたい所として記憶されました。
伊豆箱根鉄道車窓より見た富士山
夕方、かつ、電車の窓越しに撮影しているので幻想的に撮れていますね。
以上、『写真と文、共にEIさんの投稿』です(by YT)
薔薇好きで、鉢植をたくさん育てていた遊び仲間の同級生が、自宅の引っ越しをするので薔薇の鉢植えを処分すると聞き、処分する気持でいるならば枯らしてしまう事もありを条件に、20鉢程、貰い受けて来た。
鉢植でなんて、とても私は育てられないから地に植え替えてようやく2年目、どうやら枯らさずに開花に至った・・・ともかく、ホッとしている。
(別口分は追って紹介の予定)
街に住む友人の具合がオカシイ・・・辻褄の合わない事を言い募ったり、自分の言った事を忘れ、他人様の所為にしたり(性格もあるかな?)・・・このところのコロナ感染拡大で出歩く機会を自粛したり、天候の具合で体調を崩したりで、気持も委縮しているのだと思うが・・・しかし、分かっている積りでもイラつくのだ。
ただ、何れこんな時に出会うだろうと、お互い(年だからね)、十分、想定内としていた。
病院通いをしていると言っているので、結果が出たら連絡するようにと伝え、それを確認してから、近いうちに様子を見に行こうと思っている。
認知機能の衰えは当然のことだと思う一方で、「相手を思いやる」事の難しさも実感するのだ。
私自身、「こらえ性欠乏症」状況にあり、「仏の顔も三度」から「三度目に鬼の顔」になりつつあるという問題。
相手を思いやるより先に、まず、自分自身の気持ちの安定に努めなければならないという現実に直面している。
(相変わらず、キーボード異常で、オカシナ文章です)
昨年、豪華に咲くと言う肥料を、ちょっと調子に乗ってやり過ぎたらしく、実に多くの蕾が付いた「芍薬」だったが、うどん粉病らしい(白く粉が吹いたような)兆候が発生したので、早々に、花も茎も、共々、刈り取ってしまった。
今年は、ダメで元々という気持で見守って来たが、例年のような開花が見られて、取り敢えず一安心している。
我が市の隣接市に「自然と文化に親しむテーマパーク」という施設があって、四季折々の自然に触れられるので、時折、癒しを求めて出掛ける機会も多い。
今の時期ならば、「藤」・「シャクナゲ」・「青もみじ」・「薔薇」・「花しょうぶ」と、次々に開花して行くのを楽しむイイ場所となっている。
楽しむと言っても、中で食事(ランチ)をすることはなく(大体、テーマパークの食事で美味しいと思った事がなくて)、唯一、薔薇園にある喫茶の「甘さ控えめ薔薇風味のソフトクリーム(クリームそのものが薔薇風味な)」はお気に入りだった。
で、昨日、まだ薔薇は咲いていないだろうが、「薔薇風味のソフトクリーム」を食べに行こうと友人を誘って出かけた。
しかし、馴染みだった喫茶店は、すでに店じまいしており、別の経営者に代わっていたのである。
ま、当然、お気に入りの「薔薇風味のソフトクリーム」はなく、インスタ映えのする「甘い甘~い薔薇風味のシロップを掛けたソフトクリーム」だったのだ、つまり若者好みな・・・う~ん、オバサンがここに来る楽しみの1つが奪われたという、私にとって数少ない甘味のお気に入りが姿を消したのである、実に残念!
園の薔薇もボツボツと咲き始めており、優雅でふくよかなバラの香りが漂っている・・・それが、気持ちを和ます。
連休中には、どの位の人出だったのだろうか、今日は、人も疎らであるが、私達には望ましい状態、「青もみじ」の傍らにあるベンチに腰を掛け、あれこれと語り合いながら、ゆっくり2時間程過した、天気もよく、時折、気持ちのいい風が通り抜け、清々しい(本当は「爽やかな」を使いたいなぁ)空の下、連休疲れも一掃された感あり。
連休が明けて、予想した通りというか、当然の想定内である「コロナ感染者」も急増、同時に私のイライラ感も増しているけれど、まず、イライラ感を、とりあえず横に置いて(解消は出来ないものね)、次の計画に進むべくいろいろと案を練っている・・・が、東京は又しても遠のくのかと、少し不安が頭をもたげて来ているんだなぁ。
毎年、「アヤメ」の株分けをしなければ・・・と思っているが、毎年、取り掛かる気力が起きて来ない、と言うより、何となく自ら避けている(結構、力仕事なので)。
年々、花が咲かなくなる上に、折角咲いてもセイセイと大きくならないのを見るにつけ、「今年こそは・・・」と思うけれど、又、繰り延べされる方に、オカシな確信があるのが問題なのである。
我が家の勤め人たち(3人)は、4月下旬頃から、それぞれの会社の都合で休暇に入っていたので、誰かが絶えず自宅に居た。
それ以後2週関余り、5月9日月曜日になって、漸く、皆が会社に出掛けて行って、「やれやれ、やっと連休が終わった」という実感がしている。
連休中の草取り三昧な日々に疲れはしたが、例年の大型連休より精神的な疲労感を感じるのは、勝手気儘生活のツケが来たと言うべきかな?
彼らにもいろいろの事情もあって、連休だからとこぞって遊びに出るような事を控えているようだが、彼らの為にも、ともかく、自宅自粛の大型連休は、今年が最後になって欲しいと願う。
私自身、連休明けには、久し振り(3年振り)に上京し、友人との会食を計画したが、既に、連休明けの前からコロナ感染者数が増えていることを考えると、またまた、二の足を踏んでしまうのは間違いのない事で、事実、姉から、若し上京するならば一週間は自室ロックダウンして・・・と、宣告されているのだから、おいそれと「Withコロナ」には浮かれ難いものもある。
とは言っても、いつまでも自粛では耐え難いし、様子を見ながら、自室ロックダウンも想定内で行動開始をする積りだ。
とりあえずは、今週中に、友人と「ランチ&お茶」で、「Withコロナ」下での行動ウオーミングアップしようと約束を取り付けた。
「大てまり」の花が咲き揃うと、とても圧倒される豪華さである・・・でも、ちょっと暑苦しい感じもする。
以前、我が家には「小てまり」もあったけれど、何時の間にか枯れてしまったのだろうか、最近は、花を確認した記憶がないが、和風趣味的な程良い風情を醸し出して、何か安心して鑑賞出来たように思う。
だからと言って、再び、「子てまり」を植える気はない。
5月5日に「柏餅」を食べた、が、別に「子供の日」を懐かしんでという訳ではない。
その日は、朝9時から姉の手伝いで、「新玉ねぎ」を収獲し、その後に「ジャガイモ」の2回目の追肥と土寄せを続けて作業した(両方とも、量的には大したことはない)が、思いの外暑い日で(気温は25℃を超えていたかも)、汗は流れて目に沁みるし、偶の労働で運動不足の心臓は鼓動が激しく眩暈も感じ・・・つまり、休憩時間の方が多いような手伝いだったのだ。
それでも、暑さでヒーヒーしている私に「アイスを奢る」と言う姉からの申し出を快く受け入れた・・・のに、買物に出た姉は「柏餅」を見つけ飛びついて買ったのだそうで、そのご相伴に預かった訳である。
で、「アイスは?」と問うと、すっかり何処かに飛んでしまっていたのだと・・・老人2人の「漫才的日常」。
ま、それはそれとして・・・
TVで、この時期の澄み切った空気と青空を何と表現するか、つまり、「清々しい」のか「爽やか」なのか・・・とね。
結論を言うと、「清々しい」が初夏の季語で、「爽やか」は初秋の季語なんだそうだ(俳句をする人はご存知かと思う)・・・いやぁ、知らなかったなぁ!
私は、特に意味を調べた事はなかったものの、一応、「清々しい」は、掃除を済ませた後のような感じで、空気感などが一掃し改まった様子(特に元旦の朝に感じる空気感)として、また「爽やか」は湿度も無く、一点の曇りもなく澄み切った様・・・という認識をしていた。
だから、この季節の状態を「清々しい5月」ではなく「爽やかな5月」と、間違った表現をしていた事になる。
齢七十有余にして、一つ、賢くなったな・・・感謝!
まぁ、度忘れ・物忘れは日常茶飯事でも、また賢くなる可能性も発見したりで、そう悲観的では無いけれど、ただ、こうしてせっかく賢くなれる機会が与えられたというのに、それ自体を覚えていられない(ノートに記録しても忘れてしまう)私自身の脳細胞にちょいと問題有り・・・と、日々、認識を迫られるのは、結構、悲しいものがあるよねぇ。
「十二単」が、我が家の庭を縦横無尽に移動している。
と言うのも、余り手入をしないから、脇芽が伸びた先で根を下ろし、元の株自体、何時の間にか枯れてしまうのである。
常に、新旧交代を繰り返して、ま、生命力のある種とも言えるのかもしれない。
5月1日、でも、雨である。
TVで「今日はメーデー」と言っていたが、労働者の日であるのに何か遠い存在で、何とも懐かしい響きがする。
昭和40年代では、「メーデー」は労働者の祭典として、労働争議的雰囲気からは、徐々に、遠ざかっていたけれど、まだまだ、世間一般にも認められた日であったと思う。
私が最初に勤めた会社では、労働組合(代議員制?)は存在していたが、「メーデー」と言っても、特に集会もストも無く、ただの連休の一日であった。
それ以後の会社も、全く、労働争議には関係なく、唯々、大っぴらに休める連休の一部として、主に、旅に出るために利用していた。
その環境にあった事が、幸せだった・・・のか、どうかは不明としか言えない。
つまり、労働というものに正面から考える(向き合う)機会を持たなかったという事になる。
のほほんと生きて行くためのホンの少しの糧と、少々の遊びが出来るゆとり資金があればそれで満足・・・で、終わってしまったようにも感じるが、まぁ、これが「我が精一杯の人生」なのだと納得している(させている?これ以上は無理と諦めもあるし)。
コロナ禍で職を失う等の人達が報道されるが、3年振りの規制の無い連休という中で、国中が沸き立っているような様子を見ると、「労働争議」などと言う語句も、今や「死語」になってしまったのだろうか・・・この良し悪し又、私には不明としか言えないのだが。
一週間程前に挿し芽をした「小菊」
雨降りで迎えた5月だけれど、やっぱり、5月は爽やかな季節でなければ気持ちが滅入るのですよね。
今週後半辺りから晴れの予報が出ているので、草取りも捗りそう・・・と、(お願い!晴れての意)