今、我が家の畑では「黄ばなコスモス」が、満開に咲いている。
これは、お隣さんから風に乗ってきた種が、家の畑に着地したもので、3年ものか或いは4年もの・・・今では、前任者の「普通のコスモス(これも、多分、お隣さんから・・・)」を圧倒する勢いである。
先日、畑の草取りをしている時、「黄ばなコスモス」の実家のご主人と顔を合わせた。「お蔭で楽しんでます」とお礼を言ったところ、「お宅の朝顔も楽しんでますよ」と返されて、内心「やったぜ!」とガッツポーズ。
畑の金網塀に、朝顔を植えてから2年目にして、初めての反応ですから・・・直接褒め言葉を聞くのは張り合いになるって・・・ですよねぇ。
そんなこんなの花畑化している我が家の畑では、今、「サトイモ」が成長しつつある・・・まだ、野菜畑としても頑張っている。
例年、三島大社のお祭りが済むと、朝夕、めっきりと涼しさを増す。
変な気候の今年も、明け方に寒さで目が覚めるようになった。もう、夏も終わりだな・・・と思うが、でも、今年は夏は在ったのかなぁ・・・遠い昔のような感じがする。
先日、秋の訪れを匂わせる早朝の三島市に居た。故郷に戻ってからは、都会の朝を、とんと、経験することも無くなったが、私は、都会の朝の妙に静かな時間が好きである。
田舎の清新な空気を体の隅々まで、いっぱい吸い込んで、頭も爽快、身も軽く・・・これも良い。だが、都会の朝は、昨日の残滓をそこここに感じさせながらも、さあ、今日も始めるぞ・・・という時間(生活)の洗い換えというか、昨日は昨日として今日は今日だからと新たな一日の始まりを感じていたのだが・・・如何?
三島(都会と言うには、ちょっと無理があるけれど)での朝を体験するのは十数年振り(以前、三島に住んで居た)で、し~んと静まっリかえった、人っ子一人見えない町を散歩しながら、懐かしい都会の空気を味わう事が出来た・・・今日は頑張れそうな気がする、やっぱり都会が好きなんだ・・・と確認した。だからって、私の生活は、何も、変わらないけれどね。
[ 三島市 菰池公園の早朝 ]
この「ぶどう」の写真を撮ったのは8月15日。
まだ収穫にはちょっと早いかも・・・と思い(何の根拠もないが、あえて言えば色合いかな)、で、もう少し待つ事にした。
8月20日。友人と東京奥多摩方面に車で出かけた。
行きは、国道1号線から国道246号線を通過して八王子へ出たが、あまりにも混雑していたので、帰りは奥多摩から塩山、河口湖、御殿場を経由して箱根周りで帰宅。
その道すがら、甲府のぶどう畑を巡っている時に、「そうだ、家のぶどうを収穫しよう」と思ったのだ。
何故か・・・おみやげに買おうかなという私に、友人は、「こういう場所は案外高いし、スーパーで買ったほうが安くておいしい」と車を止めてくれなかったから・・・という、悲しい(?)お話があって・・・それは、さておき・・・。
8月22日。今日は子供たちもいるからと「ぶどう狩りしよう」と言っても乗って来ない。全く、我が家の子供たちは何事にも興味を示さない・・・まぁ、50数年も隔たりがあるのだから、我等年寄りの思いとは違って当たり前なんだけれどね。
「ぶどう」の実は触れるとパラパラと落ちてしまう・・・まだ一週間しか経っていないというのに・・・。
その内、子供(小一)も出てきて「食べて良い?」と収穫した「ぶどう」を手にした。私も既に食してみたが、この「ぶどう」は種有りで酸っぱいが、口に含んだ時にはファーと甘さを感じる。子供も「甘いー」と喜んでくれた。
たった三粒か四粒の試食会だが、今年の収穫は成功だね。さあ、来年に向けて「起動」だ。
「空蝉の庭 盛夏の風景」
[写真提供:O・Rさん]
友人によると、ランダムの美を追求するには緻密な計算が必要だとか・・・前年秋口、植え込む時に草丈、色、開花時期など吟味し計算された結果だそうで・・・なかなかランダムも奥深い。だから、その結果を認めて貰えることは、とても嬉しいものと言っている・・・解かる解かる
![](/img_emoji/嬉しい.gif)
イギリス・コッツウェル地方は穏やかな風景で、その上、素晴らしい庭造りをしている町だそうで、イギリス式庭造りが盛んになった日本でも知られるようになった。
TV・雑誌等で紹介される美しい風景の裏では、友人の言うように、ただ自然のままではない、緻密な計算があるのだと思うと、ちょっとため息!。
私の庭造り基本精神(それ程の思想は無いけれど・・・)は、芽が出したものはそのままで、神の為せるままというか、自然の仕組みのままというか、要するに、「ほったらかしです」という事なんで・・・草取りだけでも大変なのに、庭造りにハマって忙しくなってしまうのが嫌で・・・でも、庭の花たちは、結構、頑張って生きるなぁと、私は、常に、思っているから・・・ね。
紫蘇の葉は乾燥して「ゆかり」にしました。小瓶ですが4個できました。
母の趣味(としか言えません・・・だって本人が食べないのだから)で「梅干し」を毎年漬けていた。現在、一般家庭としては大き目の甕が4個に、梅干しがぎっしりと漬け込んである。それ以前のものは、私が黙って捨てた。
昨年は「梅干し」を強制的に止めさせて「梅酒」にした。それが気に入らなかったのか、今年は「梅干し、梅干し」と早くから騒ぐので、我が家の(手入れを何もしてない)梅ノ木に生った実(4キロ)を、私が「梅干し」に漬けた。母には「今年は漬けたよ」と言っておいたが、自分の手で漬けたかったようで、自分で梅(2キロ)を買ってきた。もう説明するのも面倒だから、それも漬けた。
梅雨が明けてからも、台風やら地震やら、すっきりと晴天が続かない。毎日、週間天気予報に注意していたが、良くしたものですねぇ、ちゃんと晴天が続く日が来るのですね。
2泊3日の「土用干し」も恙無く終了して、また新たな甕が2個増えた。
2キロの梅に2キロ以上(要するにいい加減)の塩を使った母の作品・・・食するには勇気がいる
4キロの梅に1キロの塩(こっちもいい加減かな?)を使った私の作品
春 の 風 景
〔上下写真提供:O・Rさん〕
友人の「空蝉の庭」第2弾、「宿根草の庭」だという。
最初に送られてきた写真が、あまりにも不鮮明で、風景的に想像する余地もなかったのですが、今回の写真の感想は「凄いじゃない!」の一言です。こんなに多種の花が植えられていたなんて・・・。
そこで、改めて「宿根草」の何たるかを勉強しました・・・といってもネットで検索しただけで・・・「ふーん!そうなのか」と、初めて納得しましたね。
つまり、「宿根草」とは、多年草の一部で、主に温帯で育成し、冬の期間は地中で養分を蓄えている・・・とか。
だから、前回の写真は地中を想像するべきだったのか・・・と気づいたのです。
O・Rさんごめんなさい、私の勉強不足でした。
初 夏 の 風 景
いつまでも「バカユリ」では申し訳ないので調べました。
「細葉鉄砲ゆり」 or 「台湾ゆり」 or [高砂ゆり]・・・かなぁって思うが、違う?
昨日、友人と近場の「温泉村」へ行き、薬草湯、気泡の湯、打たせ湯、ぬるま湯等など、熱いサウナに普通のサウナと渡り歩き、全身ゆったりリフレッシュ・マッサージを60分施して、気分一新してきた・・・本日は爽快だ。
同行した友人は「三島市」の住人である。
電車で30分程のところが「三島市」で、8月15・16・17日は「三島大社大祭」で、市でも商業的に目玉としている夏祭りだ。
子供時代は、この夏祭りは夏休み中の最大の楽しみであり、親戚の家に1泊か2泊して、「山車としゃぎり」「農兵節の踊りの列」「夜店のひやかし」など、祭りのざわめきに、我が心身ともに跳ね踊っていたものである。
しかし、だんだんと商業的な色合いが前面に出てきて、祭りがスマートになってきた。「頼朝の旗揚げ行列」は何時の頃からあったのか覚えてはいないが、「頼朝役」「政子役」などに有名タレントなど当てるようになり、人出も多くなったし・・・車を遮断した本通りには人、人、人で思うように歩けなかったもの。が、私には、軽薄に流れ、情緒が無くなったように思えるのだ。確かに、昔は「どろくさい」演出だったかも知れないが、間とでもいうのか、もっと、祭りの流れが穏やかだった。
行った事はないけれど、北陸に「風の盆」という行事があり、超有名観光地となっている。私も心引かれるものがある。賑やかな時間もあるだろうが、皆は、静かな時間に憧れているのだと思う。
言いたいのは、その三島市に永年住んでいる友人が、祭りの騒ぎに疲れて、祭りの当日には、毎年、家を離れているという現実で・・・。名誉の為にあえて言うが、友人は、決して、へそ曲がりではありません。
ちょっと変ですよ、地元人が楽しめない祭りなんて・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/56/0a13a3ec88ce0437cdd5a40e3a4b0b49.jpg)
駿河湾で起きた地震の後遺症か、なんとなく恐れ(心の奥でザワザワとした)のような気分が続いている。
といって、日常生活が変化している訳ではないが、でも、前向きにはなれないような虚脱感というか、虚無感とでも言うのかなぁ、実に不安定な気分。
そんな朝、「ギィヤァー」という姉の叫び声で外に飛び出すと、鶏小屋の隅に「主(ぬし)」の抜け殻が・・・ちなみに、姉は大の蛇嫌いなのに、よく「主」と遭遇するんですよ、わざわざ探しているようで・・・。
昨年も、ロングな抜け殻を見つけたが、今年のはちょっと短いような、でも、胴回りは太いような・・・そうよね、産地直入の生卵を栄養源にしているのだからねぇ、メタボにもなるでしょ。
しかし、彼かな?、彼女かな?どちらか知らないけれど、別荘は破壊され、本宅だって荒らされて(私が、時々、本宅と思われる場所をかき回している)、栄養源の卵さえ安楽に食することも難しくなっているのに、本当に頑張っているなぁ・・・と感心するほど、立派な脱皮姿である。脱皮後の姿を想像するのも怖いくらいだ・・・昨日、鶏小屋に入ろうとしている後姿(?)を目撃したが、まだ全身は確認できてない。
抜け殻を見ていたら、こうして過去を脱ぎ捨てられるのが、何となく、うらやましくも思えてくるから不思議ですよね。
で、「そうだ、私も地震のPDSDから脱皮しよう!」って思った訳で、今から温泉施設へ行ってザワザワを芯から払い落とし、気分転換しよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/37/dd3345479c32af070c78851a4b36634c.jpg)
さぎ草・・・一輪? or 一羽?
日頃、「近々」or「やがて」or「その内」or「何時か」、きっと東海沖地震は起きるだろうという事は自覚しているつもりだ。
しかし、いろいろの対策やら、心構えやらしていても、生きるか死ぬかは、私の意志では、どうしようもなくて、それぞれの運命というか、生命力というか、もう、神のみぞ知るしかないとさえ思って、覚悟をしている。だから、地震の被害をまともにくらう地域に住みながらも、特に、対策はしていなかった。まぁ、部屋の中を整理整頓し、何がどこにあるかは常に分るようにしたり、中でも外でも、頭上、足元に余計なものは置かないなど注意はしているが・・・。
それなのに、今朝の地震には覚悟とは違う行動をしていたようだ。
異常な揺れに飛び起きて、裏山が崩壊かとサッシ戸を開けてみたが、裏山には特に異常なし・・・即座に、「地震だ」と判断。玄関の戸を開けて出口を確保し、母の部屋の戸も開放した。母は既にベットから起き上がっているのを確認してから、玄関口から戸外の様子を見た。かなりの雨が降っていたが異常は無い。家の中にいる方が良いか、外へ出た方が良いか、家の中がゴチャゴチャになっている訳でもなし、とりあえず中で様子を見ることにしよう・・・と、ここまでした時に揺れは収まっていた。
揺れている時間は、ほんの10秒か15秒だったように思う。この10秒か15秒の間に私のしたことは、完全に生き残ろうという意思がある。やっぱり、私は生き残りたいのか、母を残しておけないのか・・・と、自分自身の本音を現した数秒だった。
明日からは、少し、生き方を変えようかな・・・。
「朝顔や つるべ取られて もらい水」 江戸時代の俳人、加賀千代女の俳句である。
この句が好きで、春夏秋冬(俳句なのに季節に関係なく・・・)、事あるごとに、ふっと、口にしている・・・何故か分らないが・・・。もしかすると、この句が好き・・・というより、江戸時代の北陸で、つつましく生きている千代女自身に共感を覚えるのかも知れない。何の変化も刺激もない生活、それ自体は一番大切かもしれないけれど、生きている実感が掴めないのも事実で、そんな時、つるつると伸びる朝顔に生命を感じた・・・そして、私も、そんな千代女に自分をみたのかも・・・。
今年は「朝顔に 物干し取られて どうするか」を実践したくなった。
そこは我が家の玄関のまん前で、物干し台は足元をコンクリートで固めてしまって動かすことが出来ない。
でも、洗濯はしなければならないという、どうしようもない現実がある。だからといって、家の中に干すのも嫌だ。
このジレンマから脱却するには・・・毎日、毎年、眺めてはため息をつき、考えていた。
今年、姉の孫から朝顔の苗を貰い、物干し台の足元に植えた・・・計画的にではありませんよ、植えるところが無かったからだが・・・だって捨てられないでしょ、孫のプレゼントですもの。
やがて、朝顔はつるを伸ばし、くるくると物干し台を登り始めた。
そこで、浮かんだのが「加賀千代女」作戦である。
結果をお伝えしよう。
毎日、毎日、物干し台を見て、ため息をついていた私は、現在、まず目に入るのは撒きついている朝顔で、「一晩でこんなに伸びたのね・・・明日はどのくらいかなぁ」と、物干し台を占領される危機より、朝顔の明日に関心が向いたのだ・・・結果、玄関先にぶらさがる洗濯物は二の次となり、あまり気にならなくなったという訳で・・・「加賀千代女」作戦は成功のようだ。
「 朝顔に 物干し取られて 眺めおり 」