IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

コロナなんかに負けないわ!!と・・・

2021-10-28 09:45:25 | この頃思う事

 

昨日(10月27日)は、少し天候の心配はあったが、皆の(私以外の)行いが良かったのか、汗ばむような陽ざしの中で、およそ2年ぶりに「FACE to FACE同級生遊びの会」を実施することが出来た、誠に喜ばしい!
と言うのも、コロナ禍自粛の中で、精神的に(勿論、肉体的にも)萎縮してしまい、会を催す事に関してアレコレ考え過ぎて一歩を踏み出す勇気が出なくて、悶々(それ程でもないかな?)と過ごす日々であった所に、仲間の提言で、今、この会を開催した事で、一つの目安(灯のような導き?)を与えて貰えたのだ、多々ある中、参加を決意してくれた総勢11名の同級生及びご家族に対して感謝!しかない。

 

正直なところ、少し不安もあったから、基本的に戸外活動(弁当各自持参)であり、密を避けつつ、消毒液も持参でのかなり制約を課した開催だったが、ともかく、一歩は踏み出せたという実感がある。
此の先冬に向かってコロナ状況がどう変化するか、全く、予想出来ないのは事実としても、わが心を囲っていた固いガード(恐れという)の扱いに、少し余裕が出たというべきかも・・・

先の事は分からないにしろ、これからは、ただただ恐れ身動きが取れないでいるという事にはならないと思っている。
仲間達にも、この先企画している予定は未定であるかもしれないが、でも、どんな形であっても実施する事を前提としている旨、宣言した(半分は自分自身に対するエールであるが・・・)。

 

以下、休憩・食事場所に選んだ地元城址の散策路に咲いていた秋の草花である、勿論、私には名称は分からず・・・毎度ゴメンナサイ。残念乍ら、紅葉も無し。

 

 

 

ほんの2~30分程度の山道ハイキングだなど言えないブラ歩きなのに、本日(28日)朝は、全身疲労と足腰の痛みで起きられず・・・なんとヤワになったものだ・・・と溜息しかないのが現状の私である。

 

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私って「雨人間」?

2021-10-23 09:08:22 | この頃思う事

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朝一番に玄関や窓を開け放ち、爽やかな空気を部屋の中に取り込む事がこの時期の習慣となっているが、窓を開けた瞬間にふくよかな香りがして・・・「金木犀」の香りである。
新ためて、門脇にある木を見上げると開花しているのを確認出来たが、こんなに咲くまで、全く、気が付かないという事は我が認知機能に欠陥ありか・・・と思ってしまうのも寂しい事よね。

 

 


 

 

先日、4カ月ぶりに、友人の車で山梨方面のドライブをした。

友人は、運転するのが好きだと言って、時々、ドライブに誘ってくれるが・・・友人曰く、「一緒の時って、何時も雨だよね、でも、今日は晴れているけれど・・・」のだそうだ。
要は、余りにも良い天気なので遠出ドライブをしたくて誘ったけれど、(あなたの所為で?)雨になるかも知れないね・・・って言う事らしい。
そう言えば、前回の伊豆半島巡りも雨だったし、前々回(箱根だったか?)は、雨かどうかは忘れたがやけに風が寒かった記憶はあるし・・・

自分自身の旅の経験でも、何かこれっていう場面では雨が降っていたような気がするから、一応、公には「雨人間」と宣言しているけれど、私自身、旅の回数も多いので、雨の日だってあるだろうし(勿論、晴れの日だってある)、雨の日だったから記憶に残っているのだとも言えるし・・・私と行くから雨になる的発言は、結構、傷つくんだよね。
ロマンチックな人間ではないと自認しているが、でも、「雨の日の旅路」も嫌いでは無いから、それなりに楽しんでいるけれど、旅に出る時間が無い人が、漸く実現した旅の日が、私と一緒だから雨だったのでは申し訳ないという気持がして、毎度「苦しい時の神頼み的」に祈ったりしているのよね(だから、祈りが通じない?)。

「雨人間」であることを拒否はしないが、若し、世に神が存在するならば、偶に旅をする人に対して神のお恵みを示してほしいな・・・と祈る(頼む?)けれど、ま、この行為自体が傲慢というのだろうな。
でも、この傲慢な行為を神はお許したもうたのか、その日は「天高く・・・の秋晴れ」であったことに感謝である。
これで、何時の日にか、友人が私を又「雨人間」と言った時には反論が出来るしね。
しかし、喜ばしい事ながら、多分、私の方が先に忘れてしまう可能性の方が高いのが残念、何故か友人は、50年前のこともよく覚えている人なのだから。


それはそれとして
コロナ禍で実行出来なかった「face to face 同級生遊びの会」が、来週、およそ2年振りに実現する。
この時期だから戸外で開催するというお約束上「雨天中止」と通知してあるが、今のところ(23日現在)曇りの予報だ。
又しても「雨人間」発動か?と不安になるが、まぁ、何事も「神様の思し召し」と割り切る方法も心得ている私であるし・・・ね、何とかなるでしょ、否、何とかしよう。

 

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ちょっと浮かれ過ぎ?

2021-10-17 10:51:18 | この頃思う事

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可笑しな天候に我が家の花々も惑わされているようで、「シュウメイ菊」も、気が付かないうちに咲き、ほんの短い期間で散ってしまった。
その上、庭の隅に植えてある「小菊」は、まだ蕾の姿も見えず、花を咲かせることなく終わってしまうのではないかと・・・

 

 


 

 

コロナ自粛が解除になって(と言っても、かなり自己流的判断も加味して)、一気にタガが外れたごとくの気分になっている。

10月に入ってから、既に、3回(其々、別人で)のランチ&お茶(ランチとお茶の場所を変えるが基本)に出掛けた。
そして、今週は、少し域枠をはみ出て軽く遠出気味のカフェに出向く予定であり、そして次週には、10人程度の集まりも確定した。
怒涛の如く(?)の流れに、多少の不安が拭い切れないのも事実だが、もうどうにも止まらない感の方が強いのも事実。


昨日、「ランチ&お茶」をした友人とは7月初旬以来だったが、3か月間の間に、結構、我彼の周囲の状況に変化もあって、何となく、先行きの変化を考えると、何事も先延ばしは出来ないと実感したのだった。
其の友人(私より数年若い)は、職場で体調を崩したので、退職して、今のところ病院での指示薬で体調を整えていると言い、元気なうちに、TVでドローンの写す素晴らしい山々を見るの付け、登山をしたいと思い、クルーズ船に乗って世界中を回りたいと思う日々・・・とか、いろいろやって置きたい事に目覚めたらしいが、私は、ま、水を差す的助言をした、いや、無理だと言っているのではない。
つまり、登山をしたいと言いながら、足腰に問題を抱え、長期のクルーズ船に乗りたいと言いながら船上での遊び方に不慣れだし、大体、海外に出た事が無いと言う。
で、まず、先の先の憧れはさて置き、今、自分の出来る範囲の事をみつけて、一つずつ、実現をして行く事が大切であり、先の先ばかり見つめてため息をついている時間も体力も無いのが私たちの現実だと話した。
大体、一人でトライ出来るのか、さもなくば、連れ立ってくれる人は有るのか・・・如何に暇な私でも、付き合えない。

高い目標を持つことは悪い事では無いが、それは若人の挑戦の話であって、我ら高齢者にとっては、結局は、何処にも何事にも到達出来ない・・・と、まぁ、夢も希望もない、可なり冷酷な言葉よね。
地元にある「山歩きのサークル」に参加して、自分の実力を認識して一つ一つ踏破し段階を上げ、最終的にはヒマラヤでもアルプスにでも挑戦する目標を掲げれば良いし、クルーズ船も短い日程からトライしてみてから長期船旅に臨めば良い。
それで、たとえ他人様にご披露出来るような結果にならなくても、その経過事態が、きっと自分自身が納得できる結果を提示してくれると思うのだ。
どういう生き方をしたにせよ、他人様が批評・批判出来るものではないのだから、結論的には、自分自身が、選択・判断した生き方に誇りを持つ事・・・という重要なポイント(責任は自分自身にある、つまりは、私の責任回避?)を、しっかり付け加えた。

でも、友人の決断は遅い(迷いが多い?)と思うが、着実に自分自身に目覚めて来ている・・・という手触りを実感する。

 

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ノスタルジックなこの頃?

2021-10-13 09:20:47 | この頃思う事

  

撮影時・・・左:AM7:12 中央:PM4:32  右:PM5:21

数年前、友達から分けて貰った「酔芙蓉」を鉢植えにしていたが、夏の水遣り作業が面倒に感じるようになったので、挿し木で根がついた枝を畑の隅に植えた所、すくすく成長し、今年は多くの花を咲かせてくれた、さすが大地!
お陰で、水遣りからは解放されたが、しかし、身近に置いてないから、花の変化を見届ける機会を見逃してしまう事しばし・・・ま、イイ事ばかりではないという事よね。

 


 

 

我が悪癖の一つに「何事に於いても完了形にしないと気持が落ち着かない」というものがあって、自分でも呆れる程の重症である。

数年前、屋敷内にある梅の木の枝を思いっきり剪定した後、今年になって、ようやくボチボチと実を付けるようになった。
それをただ落ちるに任せて置く事が申し訳ない様に感じて「梅ジュース」にしたが、今度はその梅を利用しようと「梅Jジャム」に転用したものの、頗る美味しくない、でも棄てられない。
で、蜂蜜を買って来て更に煮込んだところ、ま、一応食せる状態(私の個人的見解)となったが、今度は蜂蜜が余ってしまい悩む事となった。

普通に料理をされる方は、それなりに使う方法もあるのだろうが、殆ど料理をしない私には使い切る方法が思いつかないでいた時、ふと頭に浮かんだのが「鍋焼きパン」だったのだ。

       


小麦粉に砂糖と重曹を混ぜてフライパンで焼いただけの速攻パンで、おやつなど買うすべのない子供時代の「母の手作りおやつ定番品」だった物で、「美味しかったなぁ!」という記憶が蘇って来たという訳だ。
早速に「薄力粉」を買い、在庫の蜂蜜をふんだんに混ぜて、砂糖と重曹(姉宅から拝借)を加えた、分量はすべてイイ加減に。

結果、「こんな味だったけ?、もっと美味しかった気がするけれど・・・」と、姉にも試食して貰ったが、「こんなもんじゃないの?蜂蜜の味がするだけ高級だよ」と結論・・・甘い物なんてふんだんに食べられた時代ではないから、砂糖の甘みが美味しかったのかも知れない・・・という、私の「ノスタルジックなこの頃」の顛末である。
因みに、「薄力粉」は、当然、使いきった。

 

本日(10月13日)は雨・・・コロナの圧迫が少し緩んで、ノスタルジックな感傷を呼ぶ雨を堪能している。

 

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ズレまくる「季節感」に戸惑いながら・・・

2021-10-07 11:26:28 | この頃思う事

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左:彼岸花周辺 中央:突然変異?の白い花 右:駐車場の穴に咲くド根性花

我が家の近辺では「ヒガンバナ」の咲く環境が少なくなってしまったが、やはり、この花が咲く季節は、秋の訪れを感じてほっとするものがある。
耕作者が高齢化し放置状態になった畑の隅に、数本の彼岸花を見つけて、これは自然に帰ったというべきなのか・・・と、何故か、少し寂しい気持がした。

 


 

 

10月に入って一週間経った・・・と言うのに、暑い日が続いている。

過去の記憶に疎い私が言うのも何だが、10月って、もう少し寒くなかった?と思うような天候だ・・・そう、季節感が無いから、貴重な日々(高齢者の私にとっては・・・ね)をダラダラと過ごしてしまっている。

更なる理由に、9月のある日の事、家の裏側の掃除をしていた時、足元の石が崩れて、1.5メートル程の段差を転がり落ち、交通事故で痛めた腰を、またまた捻ってしまった。
事故当時の痛さとは違って、立ち上がる時にどこかの神経に触るのか痛みを感じるのでスッと立てない、ゆえに腰に負担が掛からぬよう体重を腕で支えて立ち上がるから、非常に疲れる(コロナ自粛に寄る体重増加も相まって)のだ。

まぁ、基本怠け者なのに、他の理由で誤魔化しているだけで、「10月には前向きに」の誓いはどこへ・・・が現状だ。

 

しか~し、このままの状況で11月に突入!・・・では余りにも情けないから、我が腰痛とボケた脳細胞を叱咤激励して、友人たちに「コロナ疲れの癒し会」を取りつけた・・・10月中に5件、11月には2件(これはこれから打診)の予定で、少しオーバーワーク(遊び?)だが、まぁ、我が友人たちは,長年の付き合いから、自ら行動をおこす人が少ないから、こちらから行動日程を示さぬ限り問題は起きないと踏んでいる。

こんな具合に、「コロナ共生」と言いつつも、イイ加減で自分勝手な日々が、少~しずつ、起動を始めている。

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