ご近所さんの畑の隅には、ある植物学者さんから頂いたのだという(新種発見されたのか、品種改良されたのかは知らないけれど)「伊豆の国桜」が咲いている。
多分、「河津桜」の系統ではないか・・・と思われるが、河津より多少遅く開花するみたいだ。
暖かな当地と雖も、まだまだ寒風が吹き抜ける時期、鮮やかなピンク色の(かなり派手に見える)花に気持ちが温まり、頬も心も緩むが、却って、一層に春の訪れが待ち遠しく感じるのも事実で・・・あぁ、もうあと1か月の辛抱!
今朝は(27日)は少し寒い。
この場所に桜の木は一本しか無いのだけれど、撮って来た写真をすべて掲載して「咲き乱れる満開な桜」を装ってみた。
ま、少しだけ「春爛漫も近し」を感じ取って頂けたら嬉しいな・・・と、願うのみである。
(追伸:恒例の仕事も、一応、最終段階に入り・・・です)
畑の隅に、多分「南高梅」ではないかな・・・と思っている梅の木がある。
一時は、かなりの量、梅の実が収穫出来ていたので、収穫するのも、その後の漬け込みなどの作業が大変だったが、数年前、余りにも大きくなった木をかなり大幅に剪定したことで、現在、殆ど実の収穫はない状態。
でも、新しい枝が成長してきているから、今年は、少し、収穫出来るかも・・・と、密かに期待をしている。
甥の事業の「決算と確定申告」のお手伝い(させられている)状況は、2月前半には中途まで完了してはいたものの、その後の資料が届かないために一向に捗らず、せっかく盛り上がっていたテンションが、すっかり、下がってしまっている。
でも、漸く、昨晩(20日)になって、残りの資料を持ってきた甥に(実際は、兄の為に実務を手伝っている姪が持ち込んだのだが)、とりあえず今月中に、一応の数字を確定する積りだと伝えたので、本来ならば、すぐ作業に入らなければならないのに、まるでテンションダダ下がりの為、今は、持ち込まれた資料を眺めながら、かなり弱含みのやる気UPを図っている状況であり、果たして今月内に出来るだろうか、ちょい不安もある。
それでも、やらねばならぬと言う思いだけで、多分、今日の夜(夜中の方が集中出来る)頃には始められそう・・・な気がしている。
この「中ダルミ」中に、ぼんやりと(つまり集中しないで)「YouTube」を聞き流して(映像はあまり見ない)いた時に、どうしても聞き流せない箇所が、度々あることに気が付いて、思わず映像を見直した。
それは、多分、文章を見ながら(入力するのかな?)「AI」が語っているのだろう日本語がオカシクない?・・・たとえば、「2つ(フタツ)」と言って欲しい場合に「ニツ」と読んで、「ニツ」って何だよ!と思い、「金(カネ)」の場合には「キン」と言うし、まぁ、こんな具合に、ちょいちょい「AIの不完全」さが表れて来て、聞き流しているつもりが、ついつい、集中してしまい、半ば怒りに似た感情さえ沸いてしまうのである。
同じ文字でも、状況により読み方が違う日本語は難しい・・・と言われる所以なのだろうが、聞いているだけの私としては、常にイラつくのだよね。
まだまだ「AI」は未熟なのだと思うべきか、いやいや、実際の「AI」はこんなダサくはないよと認識すべきかは、「AI知識」に疎い私としては判断出来ないものの、発信者が日本人であり(外国人は許す・・・は差別かな?)、「YouTube」など「SNS」で世間に拡散しようとする意図であるならば、ネットにUPする前に、も一度、文章(読み方)を検証してからにして欲しいと思うが・・・これって無理筋なのかなぁ
しかし、「AI」で翻訳をしている場所(部署?)って、実際はどこなのだろうか、それさえも分からないのが私なのだもの、文句は言えないのかも・・・
何せ、暇な人間の代表みたいな私だから、こんなクダランところに拘っているのであって、現在の進んでいるであろう「デジタルテクノロジー」というか「デジタルテクニック」に対して、オカシナ見解をしているのかも知れないよね。
だからと言って、日本語を通常的言語としている身には、イラツキを我慢するのはちょい苦しい。
これは、我が家で一番最初に咲く「さざんか」で、今日現在(2月4日)では、もう、殆ど、散ってしまっている。
で、次は、別の「さざんか」や「つばき」が、次々と咲き始めるだろうと心待ちにしているのに、何故か、一向に、花は咲かないのだ・・・「咲いても咲かなくてどうでもいいや」とイイ加減な剪定しているのが原因なのだろうと思うが、かと言って、今更、それぞれの植木の選定方法を勉強する気力もないのが、何とも致し方ないという事。
2月に入り、私の義務感だけ満載の事務仕事も、漸く、始まりそうな運びとなった。
しかし、すべてとは言えないがある程度の資料は届いたけれど、肝心な事務用必要資材(未使用の振替伝票等)が我が手元に無いから作業が出来ない(以前は、私自身で買い揃えていたが、甥には依存生活卒業の機会を与えようと考え、用意することを止めた)。
で、「振替伝票」と「コピー用紙(PC作業に必需)」を買ってくるよう依頼したものの、3日間、経過しても届かないという有様で、当然の如く、私はイライラと待ち続けることに我慢出来なくて、やっぱり、自ら、チャリを飛ばし(ちょい暴走族的な私)、百均に買いに行ってしまった。
イライラ解消と退屈しのぎに、何とな~く「YouTube」を見ていた時、「2024:蠍座の運勢(私の星座)」が目に留まったとお思いあれ。
ホントのところ、私は、「おみくじ」にも「占い」にも、全く、興味はなくて、多分、試してみたことは無いと思う(忘れている出来事もあるから、断言はできないが・・・)。
あえて掘り下げようとは思っていないが、最近、私の性格って、少し狂っているのかなぁ・・・と思う節もあって、一応、中の文章を、ざっと、漁ってみた。
つまり、私的イイ加減解釈(これは常に重要ポイント)で見ると、「2024に於ける蠍座の運勢」は「自分に合ったやり方で淡々と粛々と進む」のだそうだ。
で、性格はと言うと・・・逃げない。常識や一般論の順位が低い。絶対的真実・主観的事実には公平さ。価値観は自分自身が感動するかどうかが基準であり、一点集中で忍耐力を持つ・・・という事らしい。
まぁ、すべてが合っているとは思わないが、なかなか、いいところを突いていると思った。
毎年繰り返される事務的作業の段取りにせよ、最近、頻繁に起きている友人のトラブル紛いのことについても、解決する手間を避けることは無いが、その準備(段取り?)と速度には、自分なりの法則があり、それに沿わないと、私に心理的ちょいヤバ風な症状が起きてしまうというパターンは、昔も今も発症し、その相手方から理解を得る事が少ないと感じている、つまり、私がイライラしていることを口に出さない限りは、傍目には何の問題もない・・・と映るみたいだ。
この歳をして、相手にギャンギャンと叫ぶのも嫌だし、結局は、「自身で淡々と粛々と進める」しか道はない・・・正に「2024蠍座の運勢」そのまま・・・って事なのよね、蠍座の「運勢」だか「占い」なのかは知らないが、「合っている」って事?