IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「ガラケー」に固執しているんですが・・・

2019-04-27 16:26:15 | この頃思う事

「実生のもみじと苔」・・・我がプライベート苔庭(畳半畳程)が、最高に美しい。日課に落ち葉と雑草を除けて、一人、悦に入っている

 


 

私がガラケーを利用している「NTTドコモ」では、20年代半ばには第3世代(3G)通信サービスが終了予定だそうである。
そうなると、我がガラケーの運命はどうなるのだろう?

 

自宅療養中の姪が、動き回れないという理由もあってか、たえずスマホを操作しているのを見て、一体、どの位の料金が掛かっているのかを聞いてみると、今月(4月)は2万円を超えていると言う。
おやおや!ちょい多くないの?・・・と思った。
私が使っているケーブルTVインターネット接続料は約5000円、メール使用料(アドレスを変えるのが面倒で、別のプロバイダー使用)約900円、NTTドコモ利用料金約2000円で、トータルして8000円程だ・・・これで不自由を感じたことは無い。

 

毎日新聞(家庭欄?)記事中、ガラケーに根強いニーズがあるとか、勿論、私世代のニーズが多いのと、案外、ヘビーなスマホ利用者のスマホ疲れニーズもあるのだそうだ。
何れにしても、私は「スマホ機能はいらない」「通話と最小限のメールが出来ればいい」「スマホ決済はしない」で通すつもりだ。
ガラケーのニーズがあるのだから、シンプルなもの(ガラケーかスマホ)は存在するのでは・・・という専門家の推測を信じたい。

 

姪のスマホ検索を少しでも少なくしようかと、彼女が持っているPC(Win7)を、有効活用出来るよう、日々、格闘と思案中の私であるが、肝心の姪自身にその気が無いのが問題で、まぁ、自覚が足りないっていう事なんだろうな・・・

 

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我が家に激震走る!

2019-04-17 10:12:57 | この頃思う事

るの我が家の庭にも「鈴蘭水仙」はあるが、ご近所の空き地にある一株だけ(多分、自生か?)の、余りにも堂々とした風情に見入ってしまう

 


 

昨年12月のこと、姪が思いもよらない病いに罹って入院生活を余儀なくされ、この春、退職に至った。
その事自体は、家族皆、相当のショックだったのは事実であるが、現在、少しづつ、現実を受け入れ始めているようで、前に向けて努力をしているのが見て取れる・・・まずは一段階をクリアしたと感じている。

問題は収入の事だ。
一人親である姪は、2人の子供(先ごろ、一人は成人した)を育てて来たが、まだ、扶養家族を抱える身である。
病をえた誰でもそうだろうと思うが、まずは、生活費はどうするか・・・と、あれこれ悩んでいる姪を見て、「傷病手当金」という制度が適用出来るのではないか調べてくれるよう総務に問う事を勧めた。
まだ混乱中の姪の脳細胞には、その時点では、適正にインプットされなかったらしく、4月になって(3月31日退職)漸く、初めてその申請書を提出したと言う。
姪は、これで無収入なってしまう・・・と心悩ませているので、「継続支給」の話は聞いているの?・・・と、再度、問うと、「聞いていない」と言うのだ。
私は、すぐにネット検索し、「退職後の傷病手当金継続給付」の資料をプリントアウトして渡し、早速、健保組合に確認を取るように言った。
実は、私自身が13年前まで、その種の仕事にも係わっていたので、多少の知識はあったが、何せ、(大)昔の事だから、現在は違うかもしれないので確証は出来ないが、基本的な事(要するに、失業手当に代わるもの)だから、そう大きく変わるはずはない・・・という考えを持っていたのだ。

 

こんな経過を、ざっと見ていて、最初に感じたのは、何故、勤務先の担当は「傷病手当金」の申請を4か月間も纏めてするのかが、不思議でならないという事だった。
この「手当」は、当然、給料と見做してもいい位のものだという観点が欠けているのではないかと思ってしまう。
当然、退職後の継続支給が可能かどうかを、前もって、説明するのは職務の範囲内だろう・・・と、文句を言いたい気分だ。
とは言っても、世間一般では、「傷病手当金」など当てにしてない人たちばかりだから、担当としても「想定外」なのだろう、そうでは無い我が身が切なくなったりもしたり(ちょいイヤミぽいよね)・・・
健保組合に確認を取った姪から、「継続給付」は受けられるという説明を貰ったと報告があり、姪にとっても、ちょっと目先が明るくなったようで、「叔母さんがいたお陰、ありがとう」と言われた・・・本音を言えば、私も喜ばしいし、安堵である。

 

今、私の身辺では、こんな「激震」が起きて、いろいろとバタバタしてるが、少~しづつ、落ち着いて来た感じがしている。
何であっても、姪らが何らかの安心が図れるよう、先に去る我が身としては探りながら進むしかない・・・という覚悟の日々である。

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熟慮の末に・・・

2019-04-07 14:00:08 | この頃思う事

「海棠」・・・今年は、半日村の我が家にしては庭にあるどの花も、かなり優秀に花を咲かせてくれている。何時もよりマシな手入れをしている訳では無いから、これまた、大自然からのお恵みなのだろう・・・と、感謝。

 


 

今日は「統一地方選挙」の日。

と言うが、全く、政治に関心がない(寧ろ、不信感を持っている)身にとっては、「何処の出来事的」な気分でいた。
正午近くなって、急に菓子パンが食べたくなり、何だか我慢出来なくなって買い出しに出かけようとした時、「そうだ、投票所が近くだったな」と、気づいた。
そう、ついでに投票して来るかな・・・と思った訳だ。
正しく、「主客転倒」なのであるが、でも棄権(私の場合は放棄だな)しないだけイイでしょ・・・という勝手な理屈も用意している。

今回は「県議会議員」だと言うが、哀しいかな、県議会という組織(でイイのか?)が、我ら(私だけ?)貧しき庶民に、一体何をしてくれているか、さっぱり見えていない。
先日来、行政の支援が欲しい事があり、いろいろトライしてみたものの、何れにも該当しないと言う結果に終わった。
学校で、司法・行政・立法(政治)は「三権分立」といって犯し難い独立性を持っている・・・と勉強したけれど、今、巷で見えるのは、三権とも共通理念として「強者(金持)優先・弱者(貧乏人)無視」に染まっているように思えてならない。
私は理解不明な点があると、よく公共機関窓口で文句を言うけれど、それが通った試しはない。
では、弱者として何をしたら人並みに暮らし易く(優雅な暮らしを望んでいる訳ではない)なるのか・・・やはり、頼りになる人を議会に送らねばならないのだろう・・・という結論に至るのだ。
で、やおら、投票所に向かった。

 

しかしながら、私の日頃が日頃であるから、頼りになる人は誰か・・・なんて、判るはずがないではないか。
よくよく熟慮(とは言えないが)の結果、判断が付かないのならば、この際、女性を選択しよう・・・と決めた。
我が国の女性議員の数は、世界でも下位の方らしい。
今回選択した人が、当選してもどれだけ働くかは不明ながら、議会に一人でも多く女性が登場出来たら、これから先、何らかの成果も期待できるかもしれない、そう考える事にした。

 

投票を済ませてからドラッグストア(菓子パンGETのため)に回り、その帰り道、閑散とした地区公園の満開の桜(はらりはらりと散り始めている)の木を見上げながら・・・とりあえずは棄権しなかったな・・・という満足感(権利の行使よりも義務を果たしたという気持ち)を噛みしめていた・・・予定外でソメイヨシノのお花見も出来たし・・・ね。

 

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「令和フィーバー」に便乗してみようかと・・・

2019-04-04 13:39:52 | この頃思う事

 

近所の空き地で「春探し」・・・優しい色の「すみれ」の花が、春風にそよぎながら満開を誇示していた

 


 

 

 日本中、これしか事件もニュースも無いの?・・・と思える程の「令和フィバー(毎度思うに、マスコミがノリ過ぎ?)」だったが、翌日も、翌々日も、相変わらず、何処の局でも同じことを放映しているのを、「まだ「平成」でしょうに。落ち着けよ!」と、ブチブチ文句を言いながらも見ている私だが(他に見るものも無いし・・・ねぇ)、元号の出典である「万葉集」が、今、売れている(出版社も乗っかてるよね)と言うではないか。
「そう、万葉集がねぇ・・・」と聞き流しながら、そう言えば、我が本箱の僅かに残っている本(買い集めた本は、既に、大部分を廃棄処分している)の中に「古事記」・「日本書紀」・「万葉集」の類があったような・・・

早速、探してみると、案の定、「万葉集」に類する本が二冊も出て来た・・・のだ。

    ←「河出読本」



青春出版社「図説・地図とあらすじでわかる万葉集」・・・如何にも、熟読を好まない私にピッタリの様式である・・・「2009年第6刷」と記してあるから、10年前の事であるのに、買った記憶も読んだ記憶も曖昧で・・・


もう1冊の「河出文芸読本・万葉集」は、「万葉集を覚える」というより、「世の知識人が万葉集をどのように解釈しているか」に興味を持って買ったような記憶はあるが、「昭和56年5版」であるから、もう、三十有余年前で・・・私は、果たして、この本を読み切ったのだろうか・・・こちらは、まるで記憶がない。
この読本の見出しを開くと、今回の「令和」を提唱したと言われている中西進氏を始め、斎藤茂吉、亀井勝一郎、折口信夫等々、その他にも錚々たる顔ぶれの論説(学説)が載っているのだ。
そこで、私も人並みに、「令和」の繋がりである「万葉集フィバー」に、ちょい乗っかてみようか・・・と言う気分になった。
で、早速、この本を開いて見ると・・・なんと、全く、読めない! 眼鏡と天眼鏡の両刀使いで、ようやく、読むことが出来るが、何としても字が小さいのだ、これは根性がいる・・・と感じた。
素早く放棄!・・・多分、もう二度とこの本は開かないだろう・・・そう確信できる。


そんな訳で、もう一方の「地図とあらすじで・・・」を、時折、手にして、ポチポチと読み始める・・・まぁ、時間がかかりそうだから、最終頁に至る頃には前半は忘れてしまいそうだなぁ・・・嗚呼 

 

※ 万葉集には四千五百首を超える歌があるそうで、それこそ、私には、絶対(世の中に絶対は無いと言うけれど、私には有るな)覚える事は出来ないから、いつも新鮮な気持ちで「万葉集」に向き合えるだろう・・・と思う。

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