「ゴーヤ」が綺麗に色付きました。秋とは関係ないですが・・・
[前回ブログのつづき]
③ 毎日新聞 8月13日付 [発信箱] 古本陽荘政治部著
『静かな抑止力』
「抑止力を高めることで平和を維持するというが、かえって地域の不安定化を招いている」。
・・・そんななか、新しい抑止力の考え方が注目を集めている・・・「静かな抑止力」だ。
・・・静かな抑止力は「日本と敵対するよりは、友好的な関係に戻ることが国益になる」と中国に理解させる。
そういう状況を作ることこそが抑止力になるという考え方だ。
・・・勇ましい抑止力から、静かな抑止力へと軸足を移す局面に差し掛かっている
④ 同上 8月13日付 「水説」 中村秀明論説副委員長著
『民はどこへ』
広島と長崎の「原爆の日」の式典で、安倍晋三首相のあいさつの冒頭3段落部分が、昨年とほとんど同じだったことが議論になっている。
6日の広島・・・「使い回しなんて被爆者に不誠実だ」という抗議を受け、3日後の長崎も・・・やはり「68年前」が「69年前」になっただけだった。
・・・実は、使い回し以上に気になったことがある。
違ったところ、変えた表現である。
・・・広島も長崎も、昨年はこうだった。
「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります・・・・」
今年は違った。
「人類史上唯一の戦争被爆国として・・・」
核なき世界を目指す主語が「国民」から「国」になった。
「民」は消えた。
・・・作家・村上春樹さんのあいさつを思い出す。
2009年2月、エルサレム賞の授賞式。
・・・「私たちはみな、形のある生きた魂を持っています。システムにはそんなものはありません」
「システムに自己増殖をを許してはなりません。システムが私たちをつくったのでなく、私たちがシステムを作ったのです」
・・・今、世界のあちこちで「民族」や「自衛」、「宗教」、「経済発展」といったもっともらしい装いをまとい、国家や組織が自己増殖しつつある。
そして、個が押しつぶされそうな息苦しさが広がっている。
それは、この国も決して例外ではない・・・・。
⑤ 同上 8月15日付 「余録」
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
遠い他国で、ひょんとしぬるや・・・
終戦の年の4月、フィリピンで戦死した竹内浩三の詩「骨をうたう」を読むたびに、戦後のこの国のありさまを見通したような死者のまなざしにたじろぐ。
・・・・
骨はききたかった
絶大な愛情の響きをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は化粧にいそがしかった
・・・・
「事務と常識」といえば、東条英機が東京裁判でその国策を「合法の地位にあった官吏のとった方針」と釈明したのを思い出す。
適法な内閣が法にもとづき事を処理した積み重ねが今日に至ったと言う。
まるで政治決断でなく官吏の事務処理で起こった戦争のようだ。
・・・当面する事務や常識がもたらす成り行きのなか、忘れてならぬもの、見逃してはならない岐路を見失ってはいないか。
むしろそう自問せねばならないのは、戦争の経験者を日々失っていく今日の私たちだろう・・・
⑥ 同上 8月16日付 「浜矩子の危機真相」 同志社大学教授著
『愛国と反戦、国民と国家・・・この二つの重要な関係』
・・・・・・・・・愛国とは、国民が国家に奉仕することを意味しない。愛国は反戦の誓いだ。その誓いの主体は、あくまでも国民だ・・・・
以上、長々と引用させて貰ったが、8月くらい、真面目に考えることが大事であり、必要だと思っている・・・伊豆の花
「サフランモドキ」が咲くと、確実に、雨になります・・・これ、ホント!