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IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「身辺整理整頓」に一歩踏み出す

2024-11-27 10:31:50 | この頃思う事

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我が屋敷は、周囲を山や藪に囲まれているので、夏はともかくも、冬の日照時間は非常に短い。
よって、庭に植えられた草木は、当然の姿として日差しを求めてひたすら上に伸びるし、花が咲くけれどその数は少ない。
それでも、それなりに季節季節を教えてくれている事に感謝(かな?)しているが、この小菊に関しては、ちょい不満があった。
と言うのも、日差しを求めてひたすら天に届くかの如く、ひょろひょろとした茎が伸びるのは良しとしても、ちょっとの雨、乃至、風でも倒れてしまうのが困る、つまり、しっかり支柱を立てないと、すこぶるみじめな姿になってしまうのである。
そこで、数年前から、挿し芽で増やした苗を、日当たりの良い畑の花壇に移し始めたところ、支柱を全くなくすことは出来ないが、かなりしっかりとした茎になったので、簡単に倒れることも少なくなり、小菊と雖も、かなり華やかに花を付けるようになった。
ところが・・・である、今年の夏の異常な暑さと雨量の少なさでカラカラとなった畑では、菊の株は成長を止めてしまったようて、今年の菊は背丈は低く、極めて貧相な(花が小さい)花付きとなってしまったのだ・・・ホント、人間の浅知恵は、とうてい大自然に叶わないと実感させられる。

 


 



本日のブログが、多分、11月中の最後のブログUPとなりそうだ。
最近、寄る年波でか、どうしても愚痴勝ちなブロブになってしまう事に、自分自身でさえ嫌気を感じてしまい、以前のように、気軽にUP出来なくなっている状況なのだが、本日は、どうしても11月中にブログUPして、自分自身の愚痴交じりの気持ちの「整理整頓」を試みようと思う。

昨年あたりから、私自身も含めて老境に入った友人らに振り回される出来事が多くなって、その対処方法を悩むようになっていた。
それぞれが歳を経て生ずる問題には、それなりに承知していたから、問題発生自体に戸惑う事は無かったけれど、それに対処出来る我が体力に限界を感じ始めたのだ。
たとえば、その問題が一つ一つ順番に発生したならば、何とかクリアして行けるのに、同時に、二つ、三つと重なると、気持ちはあっても体が動かない・・・つまり、気分的に焦りと怒りに支配されるようになるのだ。
常に怒りを抑えている自分が、相手に対して穏やかな気持ちを示せないから、ついつい、断定的な強い言葉を投げかけてしまう。

昨年暮れから体調不全で手術をした友人が、その甲斐なく今年2月に亡くなった・・・顔を見る度に同じ愚痴を言う友人に、私が最後に掛けた言葉に優しさはあったのだろうか・・・
それでも一段落した気持ちになった私は、最近、認知症の状況が顕著に見られるようになった50年来の友人を、本人は100%の承服はしていなかったけれど、老人施設への転居を促した(実質的手続きは親類がした)・・・その後、友人からの連絡は一切無し。
身体的にも気分的にも解放された私は、胃瘻で入院生活中の先輩友人を、一年半ぶりに見舞ったが、私の呼掛けには、当然ながら、何の反応も見られない。
但し、これらの件については、友人らが入居や入院した施設の内部事情も、多々、関連しているのだろうという認識はある。



ある日に、「高齢者となったら友達は作らないこと」とスレが立った記事を読んだ、なにやら仏陀の教えとか・・・まぁ、殆ど宗教の有難さ・有意義さを理解出来ないし、勉強もしない私には、その仏陀の教えの本質的なことは分からないが、「そうなの?」とちょい首を傾げた気持ちにもなったが・・・だが、よくよく今年になってからの我が身周辺の出来事を考え合わせると、私が友人らに取った行動に何の意味があったろうか・・・と思えて来て、考え込む日も多かった。

現在、まだまだ結論は出ていない。
しかし、ある方向へは動き出したと言えるかも・・・今、良し悪しで判断を下すのではなく、ただ行動が面倒になったという理由で、我が身辺の整理整頓を始めたのである、つまり、友達としての付き合い方の整理整頓。
亡くなった友の墓参りはしない、便りの来ない友人にはこちらから連絡を入れない、胃瘻中の先輩のお見舞いに行かない等々、人間として常識が欠けた行いと思われそうだが、後の事は、その場、その場で対処すればいい・・・とね。

その流れで、今月は、友人・知人らとの泊り旅はこれにて最後と決めた旅(一泊)をした、十数年間続けた遊びの会を閉会した。
この決断が、果たして、己自身にどんな影響を生づるかは不確実だが、ともかく前を向いて(自分ではそう思って)、一歩だけ、歩を進めたのである。


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11月の進捗は・・・?

2024-11-04 09:25:20 | この頃思う事

ご近所さんの畑の脇に植えられている「藤袴」

 

我が故郷は、都会とはかけ離れ孤立されている地方とは言えないものの、却って、都会との距離が近いからこそ若者が都会へと出易い環境なのかも知れない、そんなこんなの事情から、もう「三ちゃん農業」化して久しいと思う。

当地での農業専従さん等も、殆どが「三ちゃん農業」化していたが、最近では、三ちゃんの内「かあちゃん」も近隣に働く場所を得て、「二ちゃん農業」か「外部委託(ご近所に貸したり、耕作を手伝ってもらったり農業」となっているようだ。
その上、大体の農家が農産物を市場へは出荷せず、自家消費する程度の作物しか作らなくなって来ており、耕作面積は、必然的に少なく狭くなるという状況になり・・・でも、何も植えてないからと言って放置して置けば、空地は草畑と化してしまうのだ。
農業を専用に従事して来た人の心境としては、草茫々状態の畑(田圃も含めて)を見るに堪えられなく心苦しいものだろうと推測できる。
で、多くの畑では、多分、雑草対策の意味合いからも、空いた場所にちょっとした木や花が植えられている(我が家も、しかり!)。


我がご近所さんの畑でも、三分の一ほどの面積に「藤袴(上記写真)」のほか、様々な季節の花が植えられていて、我が畑に出向く際には、ただ通るだけの私を楽しませてくれるのだ(時々、野菜なども貰えたり出来るのも嬉しいが)。
今、咲いている「藤袴」は「渡り蝶:アサギマダラ」が飛来するので知られているが、ご近所さんでも、かつて一時期、かなり「アサギマダラ」の飛来があり、近隣から見学に来る人もあったくらいだったが、ある時期に「藤袴」が枯れてしまうと、もう一羽の蝶も来ることがなかった。

それを残念に思われたご近所さんは、少しだけ残っていた「藤袴」を丁寧に管理され、小さな株を増やして現在に至った。
その期間はどのくらいだったのか、残念ながら私には確かな記憶がないが(つまり、あくまでも傍観者であって思い入れがないという事)、現在の「藤袴」の姿は、以前に勝ることは無くても、かなり近い姿になったとように見える。
まだ「アサギマダラ」の飛来は見られないが、その姿を見ることが出来るのも、そう遠くないだろう。
ご近所さんが自分の畑を「アサギマダラの一大飛来地にしたい」という希望を持って努力された事に、尊敬と感謝を表したい気分である・・・何事も、目標目指してコツコツと・・・大事なのですよね。


そこで、我が11月の目標としては、何事も「整理整頓」をコツコツと・・・今月は、終活関連で二つの会の係わりを終了する予定。

 

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