IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

年一度の「緑の園遊会」で東京に・・・

2019-06-30 19:26:36 | この頃思う事

 ←拡大可能  梅雨空の下で、ひと際、鮮やかに咲く「花柘榴」の花です

 


 

今日は6月30日、月末である、2019年は半分経過し、令和元年も、既に3か月過ぎた・・・光陰矢の如し!だよねぇ・・・

 

ま、だからという訳ではないけれど、例年5月に実施していた「緑の園遊会(元職場仲間の同窓会みたいなもので・・・)」を、私自身の都合で先延ばしにしていたが、やはり、中途半端は気持ちが落ち着かないから、とりあえずであっても、実施完了の形にして置こうと決心した。

園遊会仲間の都合も聞いて、6月30日と決め、例年の如く、「東京上野・精養軒」に予約をお願いしようとしたら、当日予約席は満席だというではないか・・・え~っ、毎年、大丈夫だったのに~・・・と文句を言おうとして気が付いたのは、この日は日曜日だったのだ。
毎日が日曜日の私が、わざわざ混雑する日曜日に園遊会を企画するなんて、何とマヌケな話だよな・・・と反省するが、もう、日時を変更するのも面倒で、急遽、上野公園内にある「伊豆栄:梅川亭(うなぎ料理専門店)」に変更した。
うなぎ料理をあまり好まない私が、何故「梅川亭」なのかと言うと、実は、私でも食せて、その上、値段的にお得な数量限定ランチ「松花堂弁当」が有るからだ。

本日、開店時間少し前の「伊豆栄:梅川亭」に向かい、まだ他のお客の列もないので、受付で予約を、急遽、申し入れながら、お目当ての数量限定ランチを申し込むと、「ランチは平日のみ」だと言うのですよ!・・・ああ、又しても日曜に行動する愚かさを、身を持って実感してしまった。


雨降りといえど、さすが東京の日曜日、行きかう人もいつもより多い(上野公園には外国人も多い)気がして、何故か疲れるのだ(ちょっと体調も悪かったけれど・・・ね)。
「雑踏好き」を自認していた私が、人に疲れるなんて・・・ま、それもあるよな・・・と、早々に認証する。
いろいろと手違いを生じる手際の悪さは、まさに、私の脳細胞が、恐ろしくも、死滅し切っているという証拠だろう・・・と、これまた、潔く納得し、深~く反省することはしないのだ。

 

この「緑の園遊会」を始めてから12年間(かな?)よく続いていると、仲間皆で、「私たちの努力の結果だ」と自画自賛し、これからも、細く長く続けて行くためには、何が何でも元気あること、元気でいるには、過去に拘らず今を楽しむ事・・・それを実践して、来年もまた(年一度の逢瀬とは、まるで七夕だね。でも、我々では、それ程ロマンチックな話にならないよね・・・と、殆どホンネの話をしたりして・・・)「緑の園遊会開催」を固い握手で約束した。

 

それにしても、大雨にこそ見舞われなかった(TVの天気予報では大騒ぎだったけれどね)ものの、湿気と暑さと人の群れの東京に、疲れる果てた私であった。

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我が家が「ハザードマップ」に・・・

2019-06-24 08:16:48 | この頃思う事

 ←拡大出来ます!一週間後の同じ薔薇の姿です。

昨年は惨敗だった(葉が落ちて蕾も少ない)「薔薇」が、今年はどういう加減か、山のように蕾を付けた・・・薔薇にも「生り年」ってあるの?

 


 

今日は、如何にも梅雨らしい(いづれ、その定義も変わるやも知れぬが・・・)天気で、そう、昨夜半から雨が降り続いている。

 

そう言えば、何時だったか、我が家の置かれた環境危険度を調査に来たことがあったが、その後、「ハザードマップ」に指定されたと言う連絡が来たらしい(姉の言う事なので定かではない)。
で、当市の「ハザードマップ」をダウンロードしてみた。
まぁ、マップが細かくて見る気も失せそうだが、PC上ならば拡大出来るので、ぐっと我が家付近に近づいててみると、「フムフム、そういう事か」と納得と言うか、諦めと言うか・・・確認出来たという訳である。

我が家から、多分、数十メートル(測定はしていないが、その位近いという事)くらいの場所が「土砂災害特別警戒地区:土石流」で、我が家の足元(我が家はちょい高台)まで「土砂災害警戒区域:土石流」であり、肝心の我が家は「土砂災害警戒区域:急傾斜地崩壊」にスッポリ収まり、「土砂災害警戒区域:土石流」を流れる2級河川の橋を渡って行く広域避難所指定の公民館は「急傾斜地崩壊危険個所」にあるという・・・これって、安全なの?危険なの?
何というか・・・避難する気力も失せるではないか・・・と。


周囲の山(藪)から、年中、ひっきりなしに葉が落ちてくるが、これを「風情がある」と放って置けないないのは、我が家の屋根や雨樋に溜まるからで、風情だと楽しめたらどんなに楽かと思う。
また、雨が降ると、周囲の笹の葉が水分を含み、その重さに耐えられない竹が電線にしな垂れ掛かって来る、それを電力会社に電話すると、業者は、本体を取り除くことなく電線に掛かる部分だけを切り払う・・・雨や風の度、それを繰り返すだけ・・・これって「解決した」と言えるのだろうか。
この地に住み始めた頃(終戦直後)は、他の家もあったし、周囲は段々畑に開けており、それなりに日は当たっていたが、七十有余年経って、すっかり「半日村化」してしまい、屋敷内は「苔庭化」しつつある。
地主が山(藪)を管理出来ないのが一番の原因であることは明らかだが、まだ我らは、「よそ者」として耐えなければならないと言うのだろうか・・・


「ハザードマップ」にしろ「山の管理」にしろ、決定的な解決策は隅に除けた「上っ面」だけを整えているように感じてならない。
まぁ、自分勝手な「住民エゴ」だと言われそうな気もするが、住んで居る者(特に高齢者と言われる身にとって)は、迷惑を掛けず、安心して暮らせる環境が欲しい・・・という思いだけなのである。


追伸:今、千葉県付近で地震があった、当地は震度3だそうだ・・・雨と地震と・・・避難すべき?

 

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「燃え尽き症候群」の回避に・・・

2019-06-19 19:41:41 | この頃思う事

     ←拡大可能

なかなか開花しなくて待ち焦がれていた「タチアオイ」が一気に咲いたものの、先日の台風のような大風で、大部分が倒れてしまった・・・残念!

 


 

姪が病の宣告を受けてから半年が経過し、先行きは不透明ながら、家族が其々なりに受け入れて、気持ち的には落ち着いて来たように見受けられる。
私の出来る事(唯一収入である傷病手当金の確保)も順調に手続きが進み、1回目申請分に続き、2回目申請分も振り込まれたと聞き、とりあえず、安堵した。

実は、その後、別のトラブルが発生し、この件に関しては素人が関わるよりも専門家に託した方が賢明と判断し、弁護士事務所に依頼する事にした。
弁護士と2か月余りかけ、その報告や手続きなどについて相談を重ね、解決はまだ先の事ながら、6月に入って漸く前向きな方向に動き始めることになり、ある種の緊張から解放された気分になった。

 

もう二十数年前の事、東京に出て最初に勤務した会社は、経理がめちゃくちゃな状況で、経理を担当する者の責任上、必死に立て直しを図り、どうやら、ある程度の形に落ち着いた時、突然、解雇を告げられるという体験をした。

私自身は、渡りに船的な感じで、喜んで辞職したが、その後、何事にも意欲が湧かず、約半年間、アパートに引き籠り状態で暮らしていた事があった・・・そう、自己診断では、完全に「燃え尽き症候群」だと判断した。


そんな経験をして来た私が、今、正に、「燃え尽き症候群」に似た症状を呈していると感じている。
でも、学習能力のある私は(ホントかな?)、ゴロリと横になったら、また、半年だ・・・と予見し、このところの日々、草だらけでゴミだらけの屋敷内の除草と清掃、それに、やはり荒れ気味な畑の手入れに邁進している(というより自分自身を追い込んでいる?)という訳だ。


       ←拡大してみてね!

久し振りに耕運機で畑を起こしたが、やけに耕運機が重いんだよね。
梅雨だというのに真夏の日照りの中、水を補給しつつ、2時間ほどの作業でも息も絶え絶えとなり、日陰の地面で大の字に転がって息を整える・・・こんな筈では・・・と思いながらも、まぁ、当然の成り行きだわなぁ・・・と、納得してしまう。

勿論、日課である笹の葉掃除は怠ける事無く(怠けたらお化け屋敷になってしまうから)・・・竹藪にニョキニョキ伸びて来るタケノコを切り倒し・・・鬱陶しく覆いかぶさっている庭木を剪定し・・・取っても取っても伸びて来る無限の草を取り続け・・・止めると決めたチャリで買い物にも出かけるし・・・そうそう、熟して落ちた梅(妹宅のものだが)を拾ってジュースを作ったな、等々・・・常には「ヤッコラッショ」と掛け声をかけ、お尻を叩かねば上げない重い腰なのに、なんと、朝一から、サッソウ(?)と動き回っているのだから、ま、人間は強いものよ・・・と、我ながら感心する。
家の雑用って、よくまぁ、次から次へと出て来るものだなぁ・・・半ば、呆れる
くらいだが、それに救われている感もあるしね。


そのお陰か、多少「燃え尽き」的であっても、そう落ち込みもせず、梅雨の真っ只中(だけど雨が少ないなぁ)を送っている私である。
あ、昼食時には、「カルーア(テキーラのリキュール)」は欠かしません!・・・もしかすると、それがエネルギー源かも?

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我が身の都合次第という傲慢さ

2019-06-15 14:40:28 | この頃思う事

 ←拡大可能

3、4年前に、半分だけ株分けして植え替えた「花しょうぶ」が、またまた密集してきている。
植え替えをサボった株の根の張りようが尋常ではなく、もう、私の力では植え替えるのは無理だと放置していた。
その為かどうかは不明ながら、花茎が細くて、少しの雨でも水分を含んだ花の重さで倒れてしまうのを、毎日、摘み取っている・・・放置するのも楽ではない。

 


 

 

自慢になる事では無いと自覚しているが、ここ数年、まともに本を読むことがない。
言い訳としての一番目は、視力に問題があり、裸眼では文字の判読が難しくて、長い文章を読み切るのが辛くなったからだとしている。
二番目として、声高に(別に声を高くする必要もないけれど)言いつらねるのに、もう、人生最終に近づいて来た自分には、七十有余年の間に学び得た教訓が十分にあり、如何に有意義であっても、更に学ぶ必要はない・・・という傲慢なる姿勢である。

それでも、新聞や雑誌を斜め読みしている中で、ふと、心が引き寄せられる言葉に出会うと、またもや傲慢にも、「ふむふむ、こういうものの考え方は、自分は、もう何年も前から実践しているんだ」ってな事を思ったりするのだ。

 

数少ない私の読書体験(疑似読書体験で)に、NHKTV番組の「100分de名著」がある。

最近放送された中で、「マルクスアウレリウス:自省書」とか「平家物語」などは、私の目の前に本が置かれていても、絶対に、手に取る事はないと確信出来る書物なのだが、読み(否、聞き)進めて行くうちに、作者の考え方や捉え方に自分に近いもの、自分にとって納得のいくものを感じると、ふ~む、なかなか面白い本だなぁ(確かに面白かった!)・・・と、我が考え方の裏付けを取ったような気分になり、私にとっていい本だと評価する訳だ。
つまり、あくまでも自分が主体なのであって、名著を相手に、まさしく傲慢そのものと言える。

 

先日、久しぶりに、親戚筋の人から封書を受け取った。
その人の言わんとしていることは、中身を読まなくても分かる(常は、ある宗教と政治団体の勧誘)ので、そのまま破棄しようとしたが、他の事も書いてあるやもしれぬ(何しろ親戚だからね)と開封し、読んでみた・・・察しの通りであり、私はその封書を破って捨て、返信も止めた、我が身周辺から排除したのだ。
私は差別意識を持っていないし、心も広~く、何事でも受け入れる準備はあるなんて、常々、放言しまくっているのに、自分にとって都合の良い事だけを選択しているだけなのだと自覚した。


地球上では、偏見と頑な思考(政治的思惑も絡み)で、異質なものを受け入れることが出来ない紛争が絶え間なく起きているのを憂う一方で、何の損も得も蒙らない私のような人間でも、ただ、意味がない(と自分が思っているだけの)意見を聞くだけの寛大さもなく、他からの意義ある意見も受け入れようとしない傲慢な振る舞いの自分自身を、ちょい情けなく感じるのであった・・・少~しだけ(この感覚が微妙だね)反省する。

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便利さを求めて来たものの・・・

2019-06-12 10:18:08 | この頃思う事

 

 

       

「イワタバコ」が今年も可愛く咲いてくれました・・・でも、株が増えないのは何故だろう?水分が足りないのだろうか

 


 

都会で生活している時に便利なインフラに慣れてしまっていたから、故郷での不便を如何に改善出来るか考え、まずの要である、銀行のネット取引が出来るように届けを出した。
入金は年金のみだから当然振込であり、支払はクレジットカードか銀行振込(ネットで)、自動振替等を利用、小銭を使う交通費用にパスネットを購入(但し、使えるのは関東地区で、肝心の地元では使えない)、ただ、如何せん現金だけはPCでは引き出せないので、どうしても現金が必要な時は近くのコンビニATMを利用していた。
ネット上でそれらの取引をチェック出来るので、残高を確認しながら必要な資金(という程の額ではないけれど)は、ネット内で移動する・・・という具合に、私的には、かなり便利で楽だと気にいっていたが、ある日、コンビニが閉店してATMが使えなくなり、手元の現金が補充出来なくなって(これはある意味無駄使いをしなくなるという効能あり)、出かける度に先々で、銀行やコンビニ探しをしなければならなくなった。

 

先日、急用があって何時もと違うバスルートで町に向かった時の事。
まず取引銀行でない地元銀行で出金しようとすると、「取引銀行の窓口に時間内にお越しください」とATMが受け付けない(エラー気味には、よく遭遇する)、取引銀行まで行けというの?それが面倒だからネットにしたのに・・・う~ん、困った!今、手元のお金では足りないかも知れないのに・・・と、まず思うが、でも、どうしようもないではないか(ケイタイも持ち忘れていたから、誰かに連絡も取れないのだ)。
で、そのままバスに飛び乗った(時は日曜で、バスは一時間に一本しかない)けれど、果たして目的までの交通費は足りるだろうか・・・小銭入れの現金を数えながら、バスの頻繁に上がって行く料金表とニラメッコ・・・久しぶりに乗るバスで、様子が分からないのだ、ホント、気が気ではない。
その後に、もう一回バスに乗り換え、JRにも乗り換えたが、結果としては何とか足りたけれど、まぁ、疲れた事。
到着した町で、早速に飛び込んた取引銀行のATMでは、何の問題もなく出金出来た・・・という事は、いったいどうした訳?聞きたいと思っても無人だし・・・もう怒る気力もない。

こんな小さな事ながら何回となく経験して、つくづく思うのは、「便利さを享受するには便利な所に住まわなければならない」ということだ。
開高健さんの言葉に「何かを得れば、何かを失う、そして何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない」というのが有るそうだが、「便利さを得れば便利さを失う(便利であることが当たり前になって、失った時一層不便さを感じるという事ね)、そして便利さ失うと再び便利さを手に入れることは出来ない」とモジって、対応力不足の自分自身を揶揄してみたが・・・あぁ~、溜息のみ。

 

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母からのエール?

2019-06-07 12:17:31 | この頃思う事

母の生前中に、誰かからプレゼンとされた「デンドロビューム(だと思うが・・・)」が、十数年ぶりに、どういう訳か「一つだけ」花が咲いた。

 


 

 

私は、一応、花が好きだから、家にあるどんな花でも枯らさないようにはしている(ま、枯れちゃうこともあるけれど・・・)が、わざわざ買ってまで身の回りに置こうと思わない花の一つに「らん」がある。
以前、東京・後楽園で「世界らん展」を鑑賞した際に、様々な「らん」の花に、いやぁ~綺麗なものだなぁ・・・と感嘆はしたものの、そうね、「見たぞ!」という所で完結してしまい、それを手に入れたいには至らないのだ、最初から、メンドウクサイのは嫌だ・・・という気持ちがあるのだろう

この「らん」を母が貰った時は、当然、数個の花が咲いていた筈だが、その次の年から、全く、花を付けた事が無かった。
要は、私自身が、花が付くような管理をしていなかったということで、手を掛けてまで花を咲かせたいという気持ちも無かったな。
でも、枯らしてしまうのは心苦しい(プレゼントされた物だし)気もあって、玄関先の日当たりのいい場所に置き、時折、水をかける程度にしていた。

その「らん」が、今年、一つだけ蕾を付けたのだ。
十有余年来、面倒を見て来た私への感謝のしるしか、はたまた、もう、来年には寿命切れとなるから、最後の踏ん張りを見せて花を付けたのか・・・ま、姉とアレコレ言いたい放題、でも、たった一つの花に誘われて、心に、ぽぉ~と、灯に似た温かな感情が巡って来た。

 

実は、私には、別の思いも浮かんでいた。

今、姉の子供らが問題を抱え、本人自身の苦労もさることながら、母親である姉も、また並々ならぬ苦労を強いられている。
だからと言って、姉や子供らが現状に悲観してばかりいる訳でもないけれど、呑気な私の出来る事は、皆の気分が少しでも前向きになるよう、それなりに奮励努力している(つもりだ)が、私にだって、どうしようもなく落ち込む日も、間々ある。
そんな状況にある時に、母の形見の「らん」が、たった一つであっても咲いたのは、若しかすると、一生が苦労の連続であった母から、古稀を過ぎても、尚、苦労の絶えない娘らへの「エール」のような気がしたのだった。

母は、娘らに対して、誉める事も優しい言葉を掛ける事もしない人だったが、ともかく、苦労を糧に必死に生きて来た人であり、「苦労のエキスパート」と言えるのかも知れない。
その母が、たった一つの花だけど、挫けそうになる私たちに「喝」を入れてくれている・・・そう、勝手に解釈しながらも、
まぁ、時の流れは、あらゆるものを美しく変えてくれるなぁ(思い出の中の母の印象が、年々、良くなる)・・・と、そんな事も思ったりしている。

 

 

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「爽やか」から「しっとり」へ乗り換えて・・・

2019-06-02 20:04:46 | この頃思う事

←拡大可能 (濃いグリーンの葉の中で、ポツンポツンと咲く花の白が清々しい)

「トキワツユクサ」だそうだ・・・2、3年前、近くの山道の傍らで見つけた花がカワイイので、先を3、4本摘んで庭の隅に放り投げて置いたのが、何時の間にか根付いて大きな株に育っている。楽しみだけれど、このまま増え続けるのかと思うと、ちょいと恐ろしい気もする。

 


 

6月である。

南(西かな?)の地方では「梅雨入り」したと言うが、我が地方でも、今週中に「梅雨入り」するかもしれないという予報が出た。
そうか、もう「爽やか」は望めないのかな・・・それならば、早めに気持ちを切り替えて、これからは「しっとり」を期待しようではないか・・・と、まぁ、ただ「ジメジメ」の感覚を「しっとり」と言葉を言い換えて、結構長い「梅雨」を乗り切ろうと考えた訳である。
そう、私のカラカラお肌も「しっとり」し、畑の土も「しっとり」するから夏野菜もノビノビ育つでしょうし・・・良い事だけに目を向けるという戦術なのだ。
そうしたからって「ジメジメ」は「ジメジメ」であることには変わりないが、まぁ、気分だけでも持ち上げて置こう・・・と。

 

ちょい上昇した気分に浮かれていると、同級生遊び仲間から、前から頼んでおいた「薔薇の鉢植え」を譲ってくれると連絡が入り、喜び勇んで出かけて行き、この際だからと欲張って4鉢も貰って来た・・・単純に嬉しい。
ホントは、鉢で育てる事に自信が無いから、この秋にも地に植え替えたい(地に植える方法も教えて貰った)と思っているが、しばらく様子を見てからの事とする。

ブロブ用花の写真を撮っている時に、我が家の「イワタバコ」が咲き出したのを見つけて、「そうだ、鎌倉へ行こう」と思い立つ・・・東慶寺の「イワタバコ」を見たいと思った。
6月末日には、東京で、以前の勤め先の同僚たちと、恒例(年一度)である「緑の園遊会」が予定されているから、鎌倉へ行くのはその前の週にとなると、そうそう、美容院には鎌倉の前に行かなけれぼ・・・と、次々に予定が立ってくるのだ。

 

こんな風で、大した事は何もないけれど、気持ちの持ち方(視線の向きか?)で行動も広がるという、小さな小さな実践(自分騙しだよね)を始めた・・・とりあえずは「しっとり作戦」開始!・・・ってところでしょうか。

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