IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

地産地消って難しい?

2008-10-28 12:00:30 | この頃思う事


何時頃から柿の実が観賞用になったのだろうか・・・我が家の甘柿は、葉が落ちて霜が降り始めた時からが甘さを増し、一段とおいしくなるのだが、子供の頃は、少し赤み(実際は濃い黄色だが)を付けると、もう待っていられなくて、親の目を盗んで取り、急いでかぶりついた。でも、まだまだ食べ頃には程遠く、文字通り、苦い思いをしたものである。今は、十分色付いた実を、一つ二つは食べるものの、実が落ちそうになるまで眺めている。子供達も「食べたい」とは言わない。スーパーから「りんご」や「なし」、「ぶどう」等の果物は買ってくるのに・・・しかし、柿(四つ溝柿の渋抜きをしたもの)を買ってくるのは私である・・・大好きだからという理由で・・・地産地消は結構難しいですねぇ。

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我が家の庭を彩る花(お茶の木)

2008-10-25 18:03:17 | 晴耕雨寝

[お茶の木]屋敷の前には里山がある。杉が植林された、しかし、手入れをしてない荒れた状態で足を踏み入れることも出来ない(我が所有物ではないから、ため息混じりに眺めるのみだが・・・)けれど、私が子供の頃、この山は親戚の所有だったので、我が家が段々畑として使用していた。畑のそれぞれの段には、お茶の木が縁取りのように植えられた。勿論、茶葉を採るのが主目的だが、土が流れるのを防ぐ意味もあったと思う。自家消費用のお茶として、毎年5月には、一家総出(大人も子供も親戚のおばさんまで)で、「お茶摘み」をした。畑の「のり」に滑らないよう足を踏ん張りながら、中腰の姿勢で、葉を一本一本、手で摘み取る。子供の私はそれが嫌で嫌で・・・摘み取った葉に長い茎が付いてくると、歯にくわえて取り去るので、口の中が苦くなる。飴玉を舐めて解消するのだが、これだけが、唯一、楽しみだったように思うが・・・だから、私はお茶よりコーヒーの方が好きになったのかも知れない・・・なんて、違うかな。今は庭と畑の境に植えてあるだけだが、やはり5月はなんとなく気が重い。それなのに、お茶の花は好きなのだから面白いですねぇ。

一輪挿しにポンと投げ入れて、本棚の隅に置く・・・時折、それを眺めながら、お香など焚いて(聞くと言うらしいが・・・)、ゆったりとコーヒーを楽しむ・・・ちょっと変・・・ですよね。


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我が家の庭を彩る花(秋明菊)

2008-10-22 11:00:38 | 晴耕雨寝
[しゅうめいぎく]大分昔のとこだが、我が地方の慣習だったろうか、それとも宗派の違いだろうか、仏式のお葬儀の時、参列者は紙で作った花を渡され、それを墓所にあげたように記憶しているが・・・今は、我が地方でも見ることはない。それが何の花を意味しているのか判らなかった。
山形に芭蕉の句でも有名な「山寺」がある。ある時、本殿に向かう胸突き八丁の石段を、ヒィヒイ言いながら登った。仰ぎみれば、どこまでも続いていそうな石段に圧倒され、ただただ地面だけを見つめて、ひたすら登って行った。やがて本殿(奥の院かな・・・)のパァーと開けた場所に着いたとき、私の目に飛び込んできたのが「秋明菊」だった。私は、「そうだよ、この花なんだ」と納得した。つまり、お葬儀に持った花は「秋明菊」だったのだと、勝手に、確信したのだ。
それ以後、「秋明菊」は墓前乃至お寺にあるものという、「秋明菊」にとっては納得のいかないだろう認識に囚われている。
ちなみに我が家では、屋敷の隅に安置された「お地蔵様」の傍らで、さわやかに咲いている。

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私の洋服が「饅頭」に・・・

2008-10-21 14:59:12 | この頃思う事



卒寿に近い我が母は、「饅頭」が好きで、有れば有りったけ食べてしまう。菓子代もバカにできない。仕方なく、私の洋服を手放して、母に「饅頭」を食べさせた・・・なんて言うと、昔日の「一杯のかけそば」めいてくるが、本当の話は、退職後、急激に痩せた為、通勤に着ていた洋服は、ことごとく、サイズがわが身に合わなくなった。「大は小を兼ねる」ともいうが、ブカブカになった服は借り着のようで、どうにも落ち着かない。それほど古い物ではないし、痛んでもいないので、「資源ゴミ」に出すつもりで、洗濯に持って行った。洗濯屋さんの窓口の人に、「これ、ゴミに出すんです・・・」と話すと、その人がリサイクルで利用してくれると言うのだ。願っても無いこと、すぐ、その人に譲ったら、代わりにと「饅頭」をくれた。それを母のおやつに出したという訳で・・・・。
退職後2年余りになるが、手元の不用なもの、使わないものを処分し、その上に、極力、物を買わない生活に挑戦している・・・収入が無いから必然なのだが・・・しかし、何とか生活は出来るものだなぁと実感している。
消費することで景気が維持されるのならば、私は景気維持には不協力者である。景気対策が悪いと政府を責められない立場だ。只、今日の金融恐慌等を目にして、お金っていくらあったら幸せなの、物は何を揃えたら満足するのと友人・知人に教えを請うので、煙たがれている。
私は、お金は無いし、宝石もない。無い物を挙げるより、ある物を示すほうが早い。他人は、「何と不幸な人だ」というかも知れないが、私自身は、結構、身軽が幸せだと思っている・・・「無い者の空威張りだよ」という意見も聞こえますが・・・。
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我が家の庭を彩る花(コスモス)

2008-10-20 10:39:30 | 晴耕雨寝
[コスモス]私の大好きな花である。秋晴れの真っ青な空の中で、風に揺れている色とりどりの「コスモスの花」も良いが、静岡県でも少し寒いところ(御殿場あたりで・・・)では、夏の間に大きく枝が育つことが出来なくても、すうっと立った1本の茎に、一輪か二輪の花が咲いていたりする。その花を、晩秋の冷たい風が細かく震わせている・・・それも、けなげな風情で好きである。
最近は、休耕地などを利用して、「コスモス」の群落地を作ってあるのをよく見かけるし、観光地にもなっている。それはそれで、「綺麗だなぁ」と思う。私は道の脇、川の土手なんかに、近辺の方が何気なく種を蒔いてくれてあり、通るたびに成長する姿を見ながら、「まだ蕾がないなぁ・・・まだ早いかな。だいたい咲く気はあるのかね。もうちょっと離して蒔けはいいのに・・・」なんて勝手な講釈をたれる、そんな日々が一層花を愛でる気持ちになって、花が咲いた時は自分が植えたように嬉しくなる・・・その経過が好きなのかも知れない。
我が家では、以前、屋敷の境に種を蒔いたことがあった。が、境といっても土手だから、「コスモス」も大きくなるが草も大きくなる。草取りが面倒なので手を抜いていたら、お化け屋敷のような風情になってしまった。それから畑の隅が「コスモス」の定位置になった。

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅(1回目)

2008-10-18 07:26:56 | 旅の足跡2

1981年(昭和56年)7月19日~7月31日
 〔上海→蘭州→ウルムチ→トルファン→北京〕

NHKTVの放映に刺激された私は、早速、まず手近に行かれるツアーを探した。
「シルクロード遺跡への旅」・・・良いツアー名ではないか・・・。
13日間という日程は、勤めている身にはちょっと厳しいが、まずはともあれシルクロードへの第一歩を踏み出した。



〔蘭州市内〕

 

〔ウルムチ市内〕

〔ウルムチ~トルファン〕

〔トルファン市内〕

[交河故城]

[カレーズ引水を利用した用水路と並木路]

〔ウルムチ 天池・南山牧場〕

[ハザック族の子供と包(家)]

  

 

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我が家の庭を彩る花(ホトトギス)

2008-10-16 08:18:07 | 晴耕雨寝
[ほととぎす]鎌倉へは、時にふれ折にふれ、ふらりと出かけることが多い。特に何が目的という訳ではない。友人とお寺を訪ね歩くこともあり、一人で、小町通りをプラプラしながら、ウインドショッピングを楽しむこともある。そんな時に思うのは、鎌倉には「ホトトギス」が似合うなあ・・・という事。
極楽寺だったろうか、紅葉の木の下に、そっそり咲いていた「ホトトギス」も風情があるし、民家の日当たりの良い石垣に満開に咲いていた「ホトトギス」も、又、別の一面を観るようで好いものだと思った。そういえば、「萩」も似合っているなぁ。洋花の華やかさより、日本的なものが似合うと思うのは、完全に私の独善的見解であるが・・・。
家の庭でも、椿の木の下に植えてある。あまり日当たりは良くないので花付きはちょいと寂しいが、ひっそりした感じだけは、鎌倉の風情にも劣らないと、密かに悦に浸っている。

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中華料理の高級食材が・・・

2008-10-13 11:16:43 | この頃思う事
今朝、庭を見回っていたら、ちょっと変なものを見つけた。近寄ってみると「きぬがさ茸」と思われた。すぐ、ネットで調べると確かに「きぬがさ茸」である。その上、中華料理の高級食材で、自生しているのは珍しいとある。これは儲けられるな・・・と、密かにほくそえんだが、一つだけでは何ともならない。そんなにうまい話は、そう転がっているものではないですね。
私は、ちょっぴりづつではあるが、世界の珍味と言われる「キャビア」、「フォアグラ」、「フカヒレ」に「北京ダック」と結構食したつもりだが、おいしいと思ったことがない・・・極上のものを食さないからかな。「きぬがさ茸」、それに「ツバメの巣」に至っては、食した事はおろか、見た事さえない。こんな私は、不幸な人なのだろうか・・・。

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シルクロード行きつ戻りつ点々旅

2008-10-12 08:50:23 | 旅の足跡2

1980年だったかな?、NHKTVで「シルクロード」が放映された。

私はビビッと来たのだ・・・そうだ、ここへ行こう・・・と。

その前から、海外旅行は現実逃避が主目的でボツボツと出かけていた。
が、何かしっくり来ない。
私がいつも浮いていて、溶け込まないのだ。所謂、団体旅行だが、そればかりが理由ではないと思うけれど・・・。
シルクロードの映像を見ていると、ぐ~んと引き込まれている自分を感じた。
ここへ行かなくて何が海外よ・・・私は決意したのだ。

まぁ、そんなに固い決意ではないが、私の僅かな蓄えは、行って楽しいところに使おうと思ったまでで・・・。




シルクロードといわれるルートは、大まかに3コースあるそうだ。
一番北のステップ路、砂漠のオアシスを点々と繋ぐオアシス路、それに船で行く南海路。

私は迷うことなく「オアシス路」を選択した・・・何故か砂漠が好きだったし、遺跡にも興味があったからだ。
そして、最終目的地をトルコのイスタンブールとした。
だが、日本から通してイスタンブールまで行く事は、私には不可能だ。
そこで、点々とオアシスを訪ねる旅になった・・・期限も、日程も定めずに・・・。

と言う次第で、これから私のブログも期限も日程も定めず、のんびり「シルクロード」を辿ってみようと思う。

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我が家の庭を彩る花(彼岸花)

2008-10-11 07:58:03 | 晴耕雨寝
[ひがんばな]埼玉県に巾着田という「彼岸花」の群生地がある。巾着のような形をした地域に、数枚、田圃があり、その周りの土手や畦、また近くの雑木林(杉の木だったかな?)に、「彼岸花」は自生していたのだろう。ある日、誰かの目に留まり、観光地として脚光を浴びたものと思う・・・が、その巾着田が駐車場に様変わりして、(それでも数枚田圃が残っていたろうか)せっかくの風情が半減している。黄金色の稲田を縁取る赤い彼岸花・・・そこに、赤とんぼがひとつ、ふたつ・・・私の子供の頃は、普通に見られた秋の景色だった。という私も友人と車で出かけたのだから、何も言う資格は無いかも・・・・ね。
何時の頃までだったかしら、昔は「彼岸花」を「曼珠沙華」と呼んでいたように思うが、今はそう呼ばないのだろうか・・・この花をみると、「赤い花ならマンジュシャゲ~」というフレーズがすぐに浮かんでくる。次の歌詞は判らないし、誰が歌っていたのかも判らない。

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