IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

我ながら、余りの欲深さに・・・・

2020-05-28 11:23:31 | この頃思う事

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姉が好んで「クレマチス」を集め、鉢植えや、地植えにしていたが、何かと用事がある人だから手入れが疎かになり、放置と言ってもいい位な状態だったのを、管理しやすいように、全部、鉢植え(4鉢ある)にして一か所に纏めた・・・今年は、花付きも良くて、かなり成功!と思っている。

 


 

昨年、遊び仲間(同級生)から「薔薇の鉢植え」を4鉢貰った。
今年、また、欲張って6鉢貰って来たが、好き勝手にチョイスして来たから、家で、よくよく、眺めてみたら、ピンク系と赤系の花ばかりで、何とな~く、バランスが悪いので、またまた欲張って、白系の花を追加で貰った、締めて11鉢。

  

(上記写真は、貰って来た薔薇の内、現在、花が咲いている鉢)

この11鉢を、毎日眺めたり、透かしたり・・・今は、一日のかなりの時間をこの薔薇に割いているが、ホントのところ、「私って、これを面倒見て行けるのかしら?」という懸念はあるのだ。
基本は、鉢で無くて地に戻す・・・なのだが、以前、鉢から地に戻した薔薇が、そこの環境に馴染むまで、数年、掛かったから、今、安易に移植したら、きっと枯れてしまうだろう・・・と、確信はある。

しかしながら、自分が欲しいと言って貰った以上、それなりに責任もあるのだから、ま、ボチボチでもトライするしかない、楽しみながら育ててみようと思ってるが、もしも枯れてしまったら「ゴメンナサイ!」。

我が家で、私が管理している庭木や花は、殆ど、花好きなのに、全く手入れがイイ加減で枯らしてしまう母が買ったもので、せっかく咲いているのに枯らしてしまうのは可哀そうと思い、私が面倒を見てきたが、それで枯れてしまっても寿命だなと思う事にしているし、遊び仲間から貰った薔薇も、廃棄処分をせざるを得ない事情の為、捨てるものなら私が出来る範囲で寿命を延ばしてみよう・・・ぐらいの軽い動機なのだから、本格的な手入れなど、端から無理なのだ。

という「言い訳」を用意して、責任の分散も図りながら、しばらく鉢植えを楽しんでみる積りである。
それにしても、「断捨離しろ」だ、「終活も」だのと放言しつつも、私って、思いの外、よく深い人間だったことが判明した次第。

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「禁三密」は守られたかな?

2020-05-22 14:14:35 | この頃思う事

「茶房 CHAKI CHAKI」の庭で咲いていた「やまぼうし」の花・・・初夏らしい新緑の風景に、柔らかな風と川のせせらぎが、なんとも涼やかである。

 


 

友達の家から、欲を搔いて「薔薇の鉢植え」を7鉢も貰って来た・・・どうする?ちゃんと手入れが出来るのかい・・・と自分自身に問いかけてしまうが、ま、貰った以上、頑張ってみるしかないという事よね

 

で、その足で、車を出してくれた友人と久しぶりのランチを決行する。
昨日調べて置いた、とりあえずの目的地、多分、「三密」は避けられる(かも知れない)茶房は軽食も無いようだから、その少し先にある「足湯付きベーカリー(時々利用していた)」で、軽~く、ランチ(パンとコーヒー)を取った。
ここでも、通常より人が疎らで、私と友人のフィジカル・ディスタンス(物理的・身体的距離・・・座席の事)が1メートル位だったのを除けば、まぁ「二密」は避けられていたと思いたい。
友人は、これで十分満足だと言うのを、いやいや、本来の目的地は茶房なのだから、ともかく寄ってみよう・・・と、半ば強引に引っ張って立ち寄った次第。


以下、「茶房 CHAKI CHAKI」です

 

   

 

飲み物としては、珈琲・お茶等が、数種、揃えてあったが、「お茶受け」は「和菓子」のみ・・・「練り切り」を食した友人は、気に入ってくれたようで、「美味しい!」と2度も口に出していた・・・私が頼んだ珈琲も美味しかった(但し、私には「和菓子と珈琲」の組み合わせは、多少、無理ありだが)が、器に取っ手が無いので、お抹茶飲みをする(ちょい飲みにくい)のは面倒・・・が、環境的には、申し分ない雰囲気で、心から癒された気分である・・・田舎の特典だよね。
何よりも、川を望むテラスに、客は我ら2名だけ・・・という「完璧な三密排除」であり、それでも、私は並んで寄せられていた椅子をさりげな~く離して物理的距離を置き、完璧の上に完璧を図った(ホントは、それ程には、気を使っていないけれどね)。

小一時間程、心地よい川のせせらぎを耳にしながら、久しぶりの友人との時間を楽しんだが、このご時世、少~しだけ、後ろめたい気がするのも事実よね・・・せめてお茶するぐらいは、気遣いなく出来る日が来ることを期待しつつ・・・初夏の一日を有意義に過ごした。

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「三密」を避けて・・・?

2020-05-20 16:15:42 | この頃思う事

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昨年、薔薇の鉢植えをたくさん育てている、遊び仲間の同級生から譲り受けた鉢植えが、素人のイイ加減手入れながら、今年、其々、数個から十数個の花を咲かせてくれている。
お礼も込めて、咲いた花を写真に撮ってメールしたら、まだあるから欲しければ取りに来て・・・と返信が来たので、遠慮なく貰う事にした・・・でも、欲張って貰ったものの、あれこれと注意が回るかどうかが疑問だが・・・

 


 

友達から薔薇の鉢植えを貰うにあたって、まさかチャリでは間に合わないから、時折、お茶をする友人(車所有)に都合を聞いたところ、OKだという返事を貰った。
友人が「このところお茶もご無沙汰だから、ついでに、どこかでランチでもどう?」と言うが、ホント、5か月弱、「ランチ」も「お茶」もしていないし、現在、何処で「お茶やランチ」が出来るかも分からず「ま、どこか開いていたら、そうしましょ」という事にした。

で、今日(20日)パソコンで調べたいことがあり、「お気に入り」に登録してあった項目を探している時に、半年くらい前、「お気に入り」に「周辺の行って見たい喫茶店」を、数店、入れてあったのを見つけたのだ。
街に行けば「スタバ」がやっているらしいが、ここは「三密」を避けなければならないし(ホントは、車だと言えども、街に行くのが面倒で)、山家(以前は「天城湯ヶ島町」だった場所)の小さな喫茶店なら「三密」は避けられるだろうと判断し、早速、電話をして状況を聞くと、開いていると言う・・・自分だけでは決めるのはマズイだろうから、一応、近々にお邪魔するかも・・・と店主に告げた。


私は、昔から、可笑しな拘わりを持ったりするのに、以外に、何かに依存したり執着したりが無いので、かつて、お茶やランチ三昧に暮らしていたけれど、ここ数か月、何処へも行かなくなった(行かれなくなった)事に不満も感じず、出かけたいという衝動も起きてこない・・・いやいや、ただ単に、情熱というエネルギーが欠けているだけなんだろうね。
そうは言っても、誘われれば断れない(人の所為でなく自分も好きだから)から、このコロナ騒動が落ち着き、もう少し自由度が増したら、また、あの人、この人と出かけるのは明確な事だと思っている。


今日は、一日中、パソコンとニラメッコ。明日は、「ゴーヤ」の移植と支柱作りをする予定・・・あくまでも予定だが。


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寒~い一日は自主活動で・・・

2020-05-16 18:11:32 | この頃思う事

 

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「ペチュニア」が、昨年に花が咲き終わった一株(白い花)が越年して、今年、また、たくさんの花を咲かせているのを見ると「強い植物だなぁ」と感心するが、一緒にあったピンク系は株も残らなかったし、今年、自発的発芽もしなかった、弱い種類もあるんだよね、多分、白より高級品なのかも(我が家には高級品が育たないという宿命で)。

 


 

いやいや~、今日は寒かったなぁ・・・雨降りとは言え、日中最高気温が17~18度位だったようだ。

先日来、夏を思わせる日が続いたので、ストーブは片づけて扇風機を出し、長袖を脱ぎ捨てて半袖生活に突入していたから、もう、寒くて寒くて・・・まぁ、エアコンを暖房にして、長袖を羽織ればいいのだけれど、「意固地とものぐさ」とが邪魔をして、ただただ手足を縮めてうずくまるしか能が無し
雨降りだから、外回りの掃除も草取りも出来ない(動けばあったまるけれどね)。

 

それでも、そうだ!と思い立ったのが「マスク作り」で・・・いえいえ、今、マスクが手元にないからではなくて、先日、引き出しを片付け中に、私が決して使わない「貰いもののハンカチ(在庫期間は長いが新品である)」を見つけ出し、「これをマスクに作ろう」と決めていたが、ずっとやる気にならないで放置してあったのだ。
やると思い立てば、何せ、すぐ行動を起こさないと済まない性質だから、重~い電動ミシンを定位置に設置して、怒涛の如く(バタバタとイイ加減)に仕上げたのが下記の如くである。

     
この4枚を仕上げる事で、在庫ハンカチが片付き、在庫ゴム紐(前回、マスク用がなくて幅広を購入)が片付き、もうちょいなのにミシンの下糸も終って(下糸を巻くのが面倒で、後は手縫い)・・・中途半端になっていたものが、全て片付いたという訳でして・・・気分スッキリ。

結局のところ、マスクを作りたかったのではなく、我が「中途で止められない病」の為せる技という事なのだ。
自分自身では「片づけ魔」とは思っていないが、ともかく、中途で放置するのが気持ち悪くて落ち着かない。
この病、年と共に重症化しているような気もするが、ま、自分に都合よく考えれば、暇な時間が増えたのに考える事がないから、必然的に、中途になっているものに気が向いてしまうのでは・・・と、理解する事にした。
結果的には、「断捨離」であり、また「終活」としても有効になっていると思う。

ただ、「コロナ自粛」で、買い出しの回数を減らす為に、多少、以前より一回の調達量が増え、冷蔵庫内に在庫があるから、それを見ると片づけたい病が動き出し、食事の量が増えている気がする・・・それが困る。

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こちら、正真正銘「芍薬」です!

2020-05-12 09:30:36 | この頃思う事

今年は、かなりの力を込めて世話をした「芍薬」が、見事な姿を見せてくれました、ホント、〝ありがとう〝です。
先のブログで「牡丹」を「芍薬」と掲載してしまいました、こちらが、正真正銘の「芍薬」でした、ゴメンナサイ

 

一番早く咲いた白い花

漸く蕾が膨らんだ薄桃色の花

突然(のように)開花した濃桃色の花・・・私が気が付かなかっただけ?

 


 

 

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「人生、最後まで手放してはいけないもの」って?

2020-05-10 09:22:34 | この頃思う事

 ←拡大可能 畑花壇(日当たり良好)に植えてある「白のアヤメ」

以前には、ちょい離れた畑(現在、畑を廃止して、数本の果樹を植えた)にあった「アヤメ」を、畑を止める時に、一部分、自宅の庭(半日村だが)に移植したものが、かなり、密になって来たので、株分けをしなければならないが、相変わらず思うだけ・・・の私である。

 


 

コロナ騒動のお陰で(というより、それ以前からだが)TVも新聞も見ていると、不安がそうさせるのか(ま、そんな訳ないな)イラついて来て、中味を詳細に追及する事を避けているが、先日の新聞(広告欄)に、こんな文字が載っていたのが目についた。

「あなたは答えられますか?人生、最後まで手放してはいけないもの・・・カネか、義理か、名誉か、誠実さか、愛か、家庭か、プライドか・・・云々」(週刊現代 巻末特集より転載)。

週刊誌を買ってまで知ろうとは思っていないが、ちょっと気になった・・・私ならばどう答えるだろうか・・・とね。
私には、カネも、義理も、名誉も、その他列挙されているものは、もう、とうの昔に手放してしまったし、今更、取り返しようのないことだし・・・つまりは、最後までもなにも、我が手には、何も残っていないという事なのか・・・と、考えた訳だ。
それも何だか悲しいから、ちょい無理筋的に探して見た・・・一人で生きて来た自信か、病院にお世話になった事がない体力か、常に冷静でいられる判断力か・・・等々、自分の都合の良い項目をチョイスしてみたが、どれも、最後まで縋るような(或いは、縋って行かれるような)ものではない事は、自分でも察する事だ。
で、捻りだしたのが「そうだ、感性なのだ!」だった。

感性(かんせい)とは。
1 ・物事を深く感じ取る働き。感受性。「感性が鋭い」「豊かな感性」
2 ・外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。・・・(goo国語辞書より引用)

現在、私自身を形どっているものの根底は「今までの人生経験」であり、どうしても、知らず知らずのうちに、自身の考え方を他人にも押し付けていると、折に触れ、実感している。
「感性を尊重する」と言っても、今までの生き方を否定する事は無理であり、すべて流し去る事は出来ないから、やはり根底には「我が理屈が存在」し続けるだろう、何せ、私は「理性」と言う言葉が大好きなのだから。
からこそ、理性・知識(私が常識と捉えているもの)ではない、その時々の「心の動き」を手放さないようにしたい・・・そう思うのだ。

しかしながら、そんな私の思いの中には、なにかイヤらしい考えも見え隠れしているような・・・そう、意固地なバァサンと思われたくないな・・・そんな打算がチラリ・・・とね。

実際に何が「人生、最後まで持つ続ける」ものなのかは、個人個人で決めたらいいと私は思うが、気になる方は、週刊誌を見てくださいな(買うなり、コンビニで立ち読みするなり、それも個人の感性で・・・ね)。

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3分割か、6分割か・・・迷える日々?

2020-05-06 09:40:20 | この頃思う事

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今年の「カラー」は、思いの外、長く咲いてくれている・・・隣にある柿の木が、枝を大きく広げていているので、日陰になってしまうからだろうか・・・

 


 

GWも最終日・・・現在の私には何の関係もない連休だが、ただ、ひとえに、行楽地に人が来ないよう(一応観光地である我が町に厄災が及ばないように・・・と、一方的で利己的な感情から)という緊張感から解放される日と捉えている。
まぁ、だからと言って、明日からガラリと日常が変わる訳では無いにしろ、「とりあえずの一区切り」と言う意味で気持ちがリセット出来る。

毎日、これはと言った仕事は無いけれど、自分で我が仕事としているのが、我が家の敷地内(庭とは呼べない)の清掃(主として、落ち葉掃きと雑草取り)だ。

 ←今週は「6分割中」で~す

無駄に広い(物理的には広くは無いが、精神的には、その日の気分で広くなったり狭くなったりで・・・)場所を、通常は3分割に区切り、気力が乏しい時は6分割に区切って、順次、清掃を繰り返しているが、6分割だと、6区目が終ると、すぐにまた、1区目が始まるという、ほゞ毎日、作業し続ける事になる・・・ホント、生産性の無い作業なのだ。

昔、勤めていた会社で、年一回と雖も、今期の決算が済むと、また同じように次期の仕事が始まるという現実に、少し空しくなり「また、同じ事の繰り返しよね!」と、ため息を吐いてしまい、社長に睨まれた事があったが、「終りが無いことは幸せなんだ」とは感じられなかったよね。
現在、コロナ騒動を経験して、「昨日と同じ今日がある」ことが、如何に大事な事だったと認識出来るわなぁ。

私も、随分、やわになって、6日間も竹箒を使って掃き掃除をすると、確実に、親指の付け根が痛くなったり、時には、皮膚が剥けたりするようになった(手袋を付けると滑って力が加わらない)。
ともかく、毎日、屋敷内の落ち葉掃きや雑草取りが出来る有難さ(?)を肝に銘じて、痛む手を擦りながら、「有難い、有難い」と唱えつつ、我に与えられた使命に勤しんでいる(ま、言う程の大変さは無いけれど・・・ね)。

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「爽やかな五月」の到来!

2020-05-02 09:07:17 | この頃思う事

姉宅の縁先に植えてある「芍薬」が見事に咲いた・・・庭先を徘徊する「イノシシ」によって、年中、引っ掻き回される花壇にあった芍薬は、数年前、畑の隅に移植したが、土が合わないのだろうか、花は咲いても、以前のような豪華な姿にならない(手入れも悪いのだろうが・・・)のが残念である。

5月8日追伸:姉から、この花は「芍薬」と聞いたのですが、その姉が「これは牡丹だったかも?」という訂正が入りました。私も、そう思ったのですよ、フェイクを流しました事を、深くお詫び申し上げます・・・・伊豆の花

 

 


 

5月1日・・・春でもなく、夏でもない、「初夏」と言う響きが心地よくて、四季の中で、一番、癒される季節である。


 ←畑に移植した「芍薬」に蕾が膨らんで来た

五月になったら、絶対にやろう・・・と思っていたのが、畑に移植した「芍薬」に見事な花を咲かせること。

この畑は、何時からこんなこん姿になったのか(暗に、私が畑を担当している時はこうでは無かった・・・と言いたいようで)つくしんぼ畑と化してしまった(今はスギナだが)。
まぁ、根っこを掘り起こして、丁寧に取り除けば、何とかなるのだろうが、もう、そんな面倒はしたくないし、花壇自体が姉の物だから、勝手に植え替えることは避けたいので思うように手入れが出来ないでいた。
それでも、如何せん、我慢の域を超えてしまい、とりあえず、スギナを鎌で払って「芍薬」の周囲だけを開放、根元に肥料を入れて、暫く、様子見をしている状況だった。

で、昨日(1日)は、すこぶるよい天気であり、今日を逃せば、もう、やる気も失せると判断し、午前8時に畑に出向いた。

畑の花壇では、まず最初に、伸びて来たスギナを鎌で払い(2回目)、芍薬の株の間に伸びた草を抜き取ってから、支柱を立てた、そう、この畑は、実に風当たりが良くて、強風時には、植えてある野菜なども、支柱ごと倒されてしまう事が多いのだ。
もし「芍薬」に豪華な花が咲いたとしたら、一網打尽は火を見るより明らかな事で、立てた支柱を紐でクモの巣状に繋ぎ、花の重みにも耐えられるように張り巡らす。
実際に、どの程度の補強になるかは、風次第なので、これから注意をしていくつもりでいる。
そのあと、数種類植えてある「紫陽花」の周りも草刈りをしてから本日の作業を終了した。


帰り道、ご近所さんから、「もう帰るのかね?」と声を掛けられるが、「何せ、朝5時から仕事モードだったのだから、朝飯前のお仕事よ」と、冗談を交わして帰宅。
朝ご飯は済ませてから出かけたが、まだ、10時をちょい過ぎたばかりだった・・・いづれにしても、爽やか5月のいいスタートが切れた(と自画自賛)。

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