IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

また傷付けた・・・かな?

2020-11-29 12:49:41 | この頃思う事

もう二十数年前になるか、懇意にしていた美容院の窓辺を飾っていたのを、その形があまりに可愛くて子を分けて貰った、多分、サボテンの一種だろうとの推測に基づいた上で、当地が如何に温暖な場所と雖も、明け方の戸外では5℃を下回る時があるので、毎年、縁側内に取り込んで寒さを避けている・・・今年も、サボテン類の避難を開始した。

 


 

 

一年ぐらい前だったか、ちょっとした解釈違いのすれ違い(どちらが良い悪いでなく、多分に性格の違いから)で疎遠になっていた知人から、ホンの季節のご挨拶程度の手紙を貰ったので、私からもホンのご挨拶の返信手紙を書き、最後に、「暖かくなったら会いましょう」と付け足した。
でも、その後コロナ感染症が広がり、とても知人宅に出向くという事にはならず(知人は病気の治療により免疫力が非常に弱まっている)、結果的には放置という状況だったのだ。
そして、11月に入って、再び、知人から電話が来た・・・我が家の近くに住む知人のお身内の安否を訊ねる電話だった。
高齢なご夫婦だけの家庭だが、最近、娘夫婦が近くに家を持ち、それなりに面倒を見ているようだから、こちらからは特に干渉はしていないと返答したら、知人は、それでも見に行って欲しいと言うが、「何かあれば知らせが来るだろうから、何の知らせも無いのは良い知らせと思って」と、まぁ、知人にしては突き放された・・・という感じだろうな。

それから1週間程して、その知人からゆうパックが届いたから開けてみると、どうやら、お孫さんに送るつもりの物が私に間違って届いたようなので、すぐ知人に電話を入れて、「構わなかったら、私から、直接、お孫さん宅に送るから」と話すと、宅配料金がどうの、借りを作りたくないから云々、郵便局が間違えたのだから、そこに配達間違いを正すよう手配する等と言うのだ。
で、「私の性格をあなたはよく知っているでしょ?今、この話している時間があれば、宅急便を出しに行けるし、宅配料金を貸しただの、借りただのって、ぐちゃぐちゃ言うのが嫌いな私も分かっているでしょう、私が出来る事だからやると言っているだけで、出来ない事はやってくれと頼まれてもしないから」と、またまた私は情け容赦もなく(知人はそう思っただろうな)言い放って、当然、その日の内に、宅急便をコンビニに持ち込んでこの問題は完了としたが、多分、知人は納得していないと思っている。

自分自身でも、時に発する言葉に優しさが無い!という自覚はある。
第一の理由としては、優柔不断でいるのが面倒で嫌い(最近は特に感じる)、第二は、自分が動く事で解決するなら、多少の経費は掛かってもその方が楽でお得だという考え方、第三には、優しい人間だと思われたくない、等々・・・要するに、面倒を解決するもまゝならずに、それを抱えたまゝ暮らすエネルギーが根本的に欠けているって事であり、暗に(否、明らかに)問題を避けたい(早く片づけたい)気持ちが優先している。
そこで、面倒が私に近づかないよう、感染防止ではないが、自ら、様々なバリアを張って予防対策をしている・・・のだと思う。

知人を、又しても傷つけた・・・としても、もう、私にはその解決を誘導出来る能力が無くなったんだと察して貰い大目に見て欲しいと、自分勝手に期待しているが、どうかなぁ?
宅配手配完了を電話で通知し、とりあえず「コロナが落ち着いたら会おうね」とだけ伝えた。

 

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どうしようもない・・・と悟る

2020-11-26 12:00:42 | この頃思う事

 左側写真:猫じゃらし・・・イネ科なので食せるらしい(拡大可能)。 上側写真:芒と晩秋の空
我が家から畑に向かう途中に、もう、数年間も空き地になっている場所がある。
以前の持ち主は、時折、見回りに来て雑草を刈っていたけれど、手放したのだろうその姿を見なくなって久しい。
今は、わが身の丈以上にもなった種々の雑草が繁茂している。それでも、巡る四季折々に見せる雑草に季節を感じられて、なかなかどうして、イイ風情なのである。

 


 

全く、よく忘れるのだ!

少し前の日、スーパーに買い出しに行って「そうだった、珈琲用のミルクが終りそうだったんだ」と気づいて買おうとしたが、何時も使っているミルクのメーカーを思い出さないので、適当に選んで買った、案の定、毎度のミルク(違うメーカーだと珈琲の味が変わる)では無かった。

先日、殆ど行かないスーパーに出かけた折、「そうだ、珈琲用の濾過紙が無かったんだ」と思い出し、あちこち探し回って購入した、これはセーフだったが、濾過紙は、以前に買った在庫があったのに・・・だ。
その日、珈琲を淹れた時に、「いやいや、珈琲が終りそうではないか(もう、残り4、5杯分くらいしか無い)」と分かったものの、「まぁ、終わったら買いに行けばイイ」と、再び出かけるのが面倒で放置した。

今朝、残りの珈琲を使い切ってしまったのに、買い出しに行くのがどうにも億劫で・・・この際だから、来週辺りまで控えてみようか(最近、暇の所為か、一日に珈琲を飲む回数が増えたから)と思いつつも、喉の渇きか精神の渇きか判断が難しいが、我慢するのが辛くなりイライラしてくる。
で、やっぱり、チャリを飛ばして(自他共に認める暴走族で)近場で珈琲も売っているドラッグストアに向かうが、ふと、どうせ重い腰を上げて出て来たのだから、ドラッグストアでなく、もう少し先のスーパー迄行って食料も買い出しして来ようと、すばやく判断を下した訳で・・・そうだ、郵便局前を通るから年賀はがきも買っておこう・・・何て予定外の事もね。


もう、賢い皆さんはお気づきと思うが・・・自宅に戻って、冷蔵庫に食料を仕舞いながら、突然、思い出した、いやぁ~、珈琲を買うのを忘れた!のですよ、第一目的だったのに、ホント、なんてこった!ですよねぇ。
それも、しっかりメモも書いて財布に入れたのに、それすら思い出さなかったのだから、もう、どうしようもない!状況に至っている(実は、これ以外にも、ご紹介出来ないくらいいろいろやらかしている)と確信するが、これも順調に老いている事だとも納得。

午後に、も一度、ドラッグストアまで走るか、それとも、じっと珈琲の渇きに耐えているか・・・正念場なのである。


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身近で「紅葉(こうよう)狩り」

2020-11-23 13:57:17 | この頃思う事

   ←ツタの絡まる~藪の中の柚子の木(拡大可能)


このところ気温が高くて、日中など汗ばむくらいの天気のためか、それでなくとも「素晴らしい紅葉」等とは縁遠い当地だが、それでも、落葉広葉樹の葉が染まり始めて来た・・・緑色が濃い中で、一際、存在を誇示している「漆の紅葉(写真上)」。但し、本命の「もみじ」は未だ紅葉(こうよう)せず。

 


 


我が町で発生した「コロナクラスター」は、とりあえず収束したのだろうか、以後、思い悩んだ程でもなく、新規の感染者数が上がっていない・・・ひとまず、安心という事。
とは言っても、全国での感染者増加には、私自身、結構、想定内であったにも拘らず危険信号が増しているから、暫くは、「引き籠り生活」に徹しようと思っている。

だけど・・・京都・嵐山の様子が今日のニュースに出ていたが、凄い人出なんだよねぇ、驚き!というより、何か理解出来ないものがある。
コロナを気にせず出歩く人が・・・ではなく、それ程迄「旅(小旅行)」がしたいのか・・・という事に・・・なのだ。

私自身、若い時には、随分、日本の中を旅(一人旅で、予定なしの飛び込み宿泊が多かった)したけれど、日本が豊かになったのか、何処の観光地も「飛び込み宿泊」が難しくなったのを機に、シーズンの混雑を外し(勿論、土曜日と祭日前も外して)ノンビリ旅を主体にするようになった。
その後は、何処の場所も観光客を目的に風景が画一化(商業化)して来て、お金を掛けてまで泊り旅をする興味がなくなってしまった。
ここ15年間、仲間同士の旅で幹事をした時を除き、個人的な旅では、全く、泊り旅をしていないし、数少ない日帰り旅であっても、遠出はしていない(目的は一つにし、大抵、どこかで珈琲を味わう)。
で、現在、その状態に不満はない。

皆は言うんですよね、「あなたは、自由に旅をしまくったから、もう十分なんでしょ?」ってね、う~ん、そうなのかもしれない・・・でも、こんな風にも考えるんですよ・・・私の旅は、どこそこの景勝地を見たい、どこそこで有名な物を買いたい(食べたい)では無かった、固定化した日常を崩しリセットしたいが目的であり、それは海外旅でも同じスタンスで、A地を訪ねて予定の観光が出来なくても、その場所で未知の体験が出来たらOKであり、再びA地を訪ねる事が無くても何も問題で無い・・・が私の旅の本質だったのだ。

今、コロナ感染が急増している最中、観光地に溢れる人々を見ながら、旅をする事は否定しない、でも、そろそろ、「皆が行く所を私も見たい(行きたい)ので皆が行く時に行く」から、「私が見たい(行きたい)所へは自分に合わせた主体的な旅をする」に変換してもイイのではないだろうか・・・そんなことをボンヤリ考えた。
GOTOキャンペーンを利用して出かける事にも否定はしない、しかし、現在の状況を考えた上で旅を楽しむのは、誰それからの指示を待つよりも、その人それぞれの責任(ホントは義務と言いたいが)でもあるように思う、実際、京都の紅葉は素晴らしいが、日本中どこででも、ささやかな紅葉がある事を発見するのも悪くない。

まぁ、結構、あざといな・・・という感じもするが、我が家の身近にある「まことにささやかな紅葉」を掲載してみた、如何!




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ちょい鬱気味?

2020-11-17 08:34:45 | この頃思う事

 ←「拡大可能」

姉が管理している「皇帝ダリア」は、我が家の2階から眺めるには最適の高さに咲く。
何時もならば、地面から見上げて撮影するが、今回は、2階から撮ってみた・・・ズームで撮影したから半ボケになってしまったが、やはり、皇帝らしい崇高さ(単に、丈の高さが)を表現出来ていないな・・・と判明、来年は、また、地面に戻そうかと。

 


 

 

私より5歳若い友人が、この10月に現役引退をした。
2人の子供を連れての離婚からずっと働き続けていたのは(私個人の考えでは、潤沢にあるかどうかは知らないが、ある程度の貯えも有ったと思う)、女手だけで2人の子を育てる事を責務と考えていたからだろう。
でも、子供たちが、其々、自立を果たしている現在、漸く、自分の人生を楽しむ事を選択した・・・と、私は思っていたところが、友人は、もう、ずっと以前から、子供らの勧めもあって、自分自身が楽しめる生活をしていたと言うのだ。
さすが5歳若いとこれだけ意識が違うのかなと、ある種、頼もしい気がして来る。
ただ、ちょいストイックな面があるので、もう少~し、イイ加減になってもいいのでは・・・と助言した。
まぁ、本来的に助言などは聞く耳を持たなければ無用の長物であって、物の役には立たないと承知した上で、友人には、「何時でも誘ってくれれば、何処へでも付き合うからね」と付け足したが、多分、これは有効と感じている。
友人は、全く違う仕事だけれど、短時間パートで、暫くは働くと言っている。


馬鹿げた話だが、自分の周りで再出発する人があると、何故か、気持ちが落ち込んで鬱気味になってしまう。
停滞している自分の姿が、はっきりと見えて来るからだ・・・と思っているが、だからと言って、何も行動を起こせない自分が、一層、嫌になって、何とも言えぬ「とり残された感」に苛まれるのだ。
そこで勝手に、「やらねばならぬ事」を持ち出し、強制的に行動を起こそうとするが、何せ、相手のある事では、得てして、実践不可能になる確率が高くなっているのも事実(年齢的にも?)であり、またしても、結果的に意気消沈となるという悪循環となるのだ。

庭に咲く花が、めっきり、少なくなって来て、「花」を起爆剤にして来た「ブロブ更新のエネルギー」が枯渇、ネタアイディアが、まるっきり、湧いて来ないのも鬱の原因・・・そう、唯一の脳細胞活性化の道が閉ざされているという事。
もう終了宣言しようかと考えている「年賀状」を、もう一年、続けようかと、とりあえず、年賀状の下書きを始めた。
今のところ、何時までに完成するかの予定はしていないから、果たして、期限に間に合うかどうか・・・・あぁ、この状態、何とかしなくては           (ただ今混乱中で・・・)

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ディベート(Debate)に思う事

2020-11-08 08:20:39 | この頃思う事

(写真左)芦ノ湖からの富士遠景(拡大可能)   (写真上)山のホテルラウンジから望む富士 

鑑賞定番位置からの「富士山」である。
箱根・芦ノ湖湖畔にあるホテルの「アフタヌーンティ」を目的に出掛けたが、多少は紅葉してるかも・・・という淡い期待も持って・・・・が、見事外れた。
それでも、シーズン中(つつじの花で有名)と違って、静かな環境の中に身を置き、コロナ下で凝り固まった緊張が解されて行く時間をじっくりと堪能した・・・ホテルの珈琲は美味しかったしなぁ。

 


 

 

どうやら、アメリカ大統領選挙も目安が付き始めたようだ。

どう考えても、自分がどう思っていたところで他国の選挙に係るなんて事も出来ないのだから傍観しているだけだが(どうでもイイという感覚?)、しかし、日本国内に氾濫する選挙関連ニュースの多い事!
食傷気味を通り越して嫌悪に近い感情になってしまい、チャンネルを切り替える事しばし・・・な私が異常なのだろうかねぇ。

そんな中でも、候補者がする「ディベート」なるものには、少々、興味を持った。
かと言って、私自身に「ディベートせよ」と言われたら断る・・・そう、「演説」は出来るが「ディベート(討論?)」は嫌いなのだ、学生時代には、何回か壇上に立って「演説マガイ」の経験もあったが、「討論」したという記憶がない。
「お山の大将」はいい気分だけれど、「平等に戦う」事は苦手だったという事だろうね。
基本的にも、何時も「逃げの体制」保持者だから、争う姿勢に面と向かうと、「緊急宣言発動」で「だんまり無視戦術」に移行するするのが私のサガであり、何処でも、何時でも、誰とでも、争う事が嫌なのである。

ならば何故、「ディベート」に興味を持つかというと、「大国の大統領選挙」と雖も、案外、中味のない事をアゲツラッテいるのだなぁ、高い理想なんて✕✕くらえ(一応伏字で・・・でも、伏字に自分的には疑問アリ)みたいなそんなものでイイものなんだ・・・ディベート嫌いの私でも出来るかもよ・・・と思わせられたのだ(実際は無理だろうね)。

大統領選が始まる前から、TV番組で何回となく観ていた米国映画「ブロークンシティ」が、結構、面白い。
ラッセル・クロウとマーク・ウォールバーグが演ずるニューヨーク市長選を軸にした陰謀暴露ドラマであるが、その市長候補が戦い合う「ディベート」が、単純に面白いのだ(興味があったらご覧あれ)、ホント、現実に行われた大統領候補者の「ディベート」より、ぐいぐいと引き込まれる迫力を感じたものだ、まぁ、映画だから脚本があるし・・・と言ってしまえばそれまでだが、実際の方だって、シナリオがあっただろうしね。



ともかく、一応、日本のマスメディアの「よそ様選挙狂い」が鳴りを潜めたら、いま少しましなTV番組が放映されることを願う・・・が、ま、無理だろうな、ふぁ~ぁ(タメイキで)。

 

 

 

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「文化の日」ですが・・・

2020-11-03 10:09:20 | この頃思う事

 ←拡大可能

夏の暑さを避けて日陰で管理していたつもりの「大文字草」の鉢植えが、何故か、葉が日焼けをしたようになってしまったが、それでも、たくさんの花を付けてくれたので、「良し、良し!立派!」と褒めて上げた・・・来年は、置き場所を変えてみようかな・・・と。

 


 

11月3日は祝日・・・はて、何の日?と、最近では、日曜も祭日も関係無いという俗世離れの日々である。


ここ数年、文化的活動は何もしていないし、およそ、文化的な生活などとはかけ離れているにしても、思い返してみれば、音楽会や美術館・博物館などには、結構、出かけていた時期もあったはずで(当時、自分では文化的と思っていた)・・・それも過去になってしまったのが、やはり、ちょい寂しい事だとは思っているので、コロナが落ち着けば、また、出かけるチャンスもあるだろう(田舎住まいには、出て行く事が大変だというマイナスがあるけれど)。


先日、眠れないから(もう当たり前になっている)夜中までTVを見ていたら(実際は、TVを消すと眠気が醒めるので、見ているのではなく聞いている状態)、突然、2本組の蛍光灯が切れてしまった。
別に電気が切れた訳では無いから、そのまま、朝を待てばいいのだけれど、必需な理由もなく、蛍光灯(灯り)を付けたかったので、隣の部屋の蛍光灯(サイズが一緒)を外し取り付ける事にした・・・が、当然の如く、我が部屋も、隣の部屋も、蛍光灯を外したから真っ暗であり、順調に、速やかに、取替作業が出来るはずがないのだ。
しかし、ともかく、今までの経験と手探り感覚で取り付ける事が出来、無事、部屋は明るくなったのを確認して眠りに入った(ホント、自分でもバカみたいと思うが・・・)。
翌朝、新しい蛍光灯を買いに出かけようとして、姉にその話をしたら、「予備があるからサイズが合えば使っていい」と言うのに飛びついた・・・お陰様で、買わずに済んだ、アリガタヤ・・・である。

で、買おうと思っていたものを買わずに済んだから、蛍光灯代として、私が「シャインマスカット」買ってあげる・・・と、大口をたたいたのであるよ・・・何せ、我ら末端庶民には手が届かないと夢見るだけでいるしろ物を・・・だ。

早速、我が地域の中にある、他のスーパーより全般的にお高いと言われているスーパー(やはり、商品が良いからね)に向かい、「シャインマスカット一房(2000円と1600円があり、しばし悩んで1600円にした。ここに来て、400円ケチるなんて、やっぱり末端庶民のカナシさか?)」を手に入れ、我が家全員6人で分かち合って味わったが、それでも、一人、3~4粒はあったと思う、孫たちには、「又、食べたかったら自分で買う事」と、釘を刺すのも忘れずに。


何故、「文化」を話しているのに「ブドウ」の話になるのか・・・
世の中、どんどん、富の2極化が進み、一房2千円もするブドウや、2個で20万円(ご祝儀的なものもある?)という柿が、巷で売られているのならば、分不相応と分かっていても、一回ぐらいは口にしたいとの欲望に負けて無理をする(柿やブドウのみならず)自分に言い訳を考えるのだ・・・そう、少しは文化的な雰囲気のある生活を味わいたいから・・・とかね。
お金を掛けたから「文化的」だと、私自身、心から思っている訳でもないが、ギリギリ生活の中で詰めていた息を、少し吐きだし、整えたい時に、生活に直接的必需のない贅沢な食事や音楽会・美術展などは、かなり効果はあると実感しているものの、やはり、資金が(時間も)必要なのも事実なんだよね。

まぁ、そんなこんなで、「文化って何だろうね」と、ふと考えたという話なのである。


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