IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

誕生日の憂鬱は・・・!?

2018-10-25 10:14:41 | この頃思う事

今年は、「イノシシ」の大奮闘で菊株が根こそぎ荒らされてしまい、残っているのはこの「黄色の菊」だけになってしまった。
この菊は「懸崖用」なのだろうか、丈が高くなって、少々、邪魔なので、今年限りにするつもりでいるから、それでは、菊の花が一本も咲かない秋となってしまうのが寂しいので、来年には、新しい菊の苗を探そうと思っている。

 


 

 

10月24日。
メールを開くと、業者の宣伝メールが、何通か入って来る。
鬱陶しいなぁ・・・と思いながら見ると「お誕生日おめでとうごさいます」と書いてあり、ああ、今日は私の誕生日だったなと気づいた・・・そう、今日、72歳に到達したのだ。
あちこちの業者とネット取引を開始する際に登録した生年月日を、コンピューターが勝手に抽出して、送信して来るのだろう。
ま、今まで数十回も経験してきた誕生日だが、殊更、「おめでとう」などと祝った事は無かったのに(ただ意図した訳ではないが、数回、一人旅の宿で迎えた事があり、密かに祝杯を挙げたことがあったが・・・)、コンピューターから「おめでとう」を頂くなんて、ま、今日的だと解釈して置く。
「たいしてお目出たくはないね」というのがホンネであるが、否定してみても、現実は変わらないし・・・

友人がやはり10月生まれで、一緒にお祝いしようね(多分、ランチで)と話はしていたが、何とな~く、気分が乗らなくて実現していない。
その代わりという訳ではないが、11月に上京し気分を換えて、ちょいと美味しいものでも食して来ようかと思っている。

 

今年の春、高校時代の友達3人で、鎌倉へ行く計画を立てたが、一人がご主人の体調不良のために不参加となった。
その友達の事が気になっていたので、9月初旬にメールをしたところ、友達から電話が来て、その日がご主人のお葬儀だと言う。
取り急ぎ、お悔やみだけを言い「また、連絡するから」と伝えてあったので、先日、四十九日法要は済んだ頃かと電話を入れてみた。
すると、また、友達からの返事は、その日が法事をしていたのだと言い、「何か虫の知らせがあった?」と聞くので、「いやいや、鈍感な私には虫の知らせは分からないけれど、ただ、それだけ貴女の事を気にしているという事よ」と答えたが、事実は、やはり72歳にもなると、耳に入る情報は、誰かが入院したらしいとか亡くなったとか・・・そんな話ばかりなのだから、常に頭に(心に?)あって、それに支配されているみたいな日常なのである。

で、友達に「ねぇ、10月末日(丁度一週間後)に、アフタヌーンティに出かけるけれど、一緒に行かない?私も、ちょっと気晴らしをしないと滅入りそうで・・・」と誘うと、「行く行く」と二つ返事でOKが出た。
まだ四十九日が明けたばかりの友達を巻き込む事に、多少、罪悪感もあったが、「72歳三婆」で少しだけ憂鬱な気持ちを開放して来たいと思っている。 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「酔芙蓉」です!ただ、見てくださいね。

2018-10-20 13:04:29 | この頃思う事

   

  

 

 


 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと考えちゃう・・・よね!?

2018-10-17 12:35:16 | この頃思う事

 ←拡大可能   多分、「ヤマホトトギス」・・・好きな花です

 


 

 

  (拡大可能)真っすぐに立ち上がる姿が気に入っていて、近くの竹藪にあった「セイタカアワダチソウ」を飾った。
それを見た姉が、「種をばら撒いて、我が家に繁殖させないで」と言う。
しかし、先日見た新聞には、こんな事が書いてあった。



10月13日付 毎日新聞「余録」欄から、一部抜粋転載。
今頃の季節になるとセイタカアワダチソウの黄色い花が休耕田を一面に埋めていた景色を思い出す。
この外来種は根から出す化学物質でススキなど在来種の発育を妨害するため、その侵略性が取りざたされた。
それが今や昔のような勢いを失い、ススキも駆除されなかった。
というのも、土中に残留するその化学物質にはセイタカアワダチソウ自体の発育も妨害する作用があったからだ。
云々・・・以下略

そう言えば、我が畑の傍にある休耕田一面に、秋になると、2メートルは超えるだろうセイタカアワダチソウが繁茂し、花が咲き誇り、何時の間にか我が畑にも目立つようになり、必死になって、それを根こそぎ抜いていたのが、この頃は気にもならなくなっている(無いのかどうかは未確認)。
しかし、我が身の毒で我が身を滅ぼす(と、私は理解した)・・・というこの記事を見て(スミマセン!毎度、ナナメ読みで・・・)、姉の心配には及ばないと思いつつ、ふと感じたのは、何だか「人間の作る世界」と似てるいなぁ・・・だった。

文化だか文明だか知らないけれど、先進的(?)で利便性が良いと言われると、たちまち、皆が飛び付き「イケイケドンドン」と際限知らず、そして何時しか、そのものに侵されてしまっている・・今、取りざたされている「プラスチック」のように・・・ね。

この仕組みは、大自然が自らの暴挙を制御するために準備されたものなのだろうか、顧みて、人間社会にも該当すると思われるのは、人間も、完全に大自然の一組員と言う証明なのだろうか・・・

 

セイタカアワダチソウよ、あんたはエライ!・・・と、理屈も理論もイイ加減ながら、この草に教えられた気がする私なのである。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「行き詰った感」がしています

2018-10-13 08:30:14 | この頃思う事

 拡大可能

数年前、「サギ草」の群落があると言うので、南伊豆:自然野生植物園に出掛けたが、もう咲き終わったのか、お目当てのサギ草には出会わなかった。園の管理者がお土産(お詫びかな?)に・・・とくれたのが、この「黄色いホトトギス」だった。
今年の異常気候のせいか、葉が痛んでしまっているが、花の付き具合は良いようだ。

 


 

この10月を迎えて、ブログ掲載期間も13年目入った。
実際のところ、ここ数年の生活は、日々平凡・平穏であり、何の変化も起きていないから、改まってブログなどに記載する事柄はない。
ただ、何時まで続けられるかは定かではないが、ブログに、老いて行く自らの姿を偽る事無く書く事で、冷静に見つめて行くことが出来たらイイナと思うだけである。

 

と言いながらも、この「行き詰った感」には耐えられないナ・・・というのが私のホンネであり、日々、何とか気分一新すべく努力(嘘?)はしているが、如何せん、仲間はいないし、一人で出来る事もない(趣味の世界に没頭するという技を持っていないから)のが現状なのだ。
何とな~く続けている「ハングル」を、もっと真面目に勉強して、東京オリパラのボランティアでもしようか・・・など、浮ついた考えもしたりするが、「全く覚えられない」という明らかな現実がある自分には、だから努力しようという気力も持ちわせていない(ま、昔から努力をしない人だったけれどね)。

こんなバカげた思いでいる時、先輩友人と東京の美術展に行こうと計画をした事が、前回はご本人の風邪、次にはご主人の体調不良でと、2回キャンセルとなった・・・3回目をどうしようか、実は悩んでいる。
このまま友人との約束をチャラにして一人で出掛けようか、それとも、先輩友人の都合の良い時まで待つか・・・要するに、私が待ちきれなくなっているのだ、つくづく「短気だなぁ」と実感している。
この反動症状も出てきたようだ。
別の友人から、三島市内の美術館で「北斎・広重展」を開催しており、結構見ごたえもあるから・・・とお誘いが来た。
私は、即座に「行かない」と返事をした・・・あまり興味もない(もう、何度か鑑賞経験もあるから)し、先日、転倒した時生爪を剥がした足が、まだ、痛みもあるからというのが表向きの断りで、本当は、行っても構わないのだが、何かを遣り残したまま(仕掛けたまま)、次の事を始めたくないという私のオカシナ性格が、そう言わすのだ・・・多分、東京行が済んでいたなら、OKしたと思うわな。

「行き詰りの嘆き」は、以前のように、スイスイと出かけない自分自身に、一番の原因があるように思える。


 

イノシシと闘いつつも未然に収穫出来たという「サツマイモ」をご近所さんから頂いた。
無水鍋で「焼き芋」にし、ほくほく感を味わいながら、これからの我が人生を憂いてみる・・・というのもオツな趣味(変なの!)かもね。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イノシシと共存はタイヘンだ!

2018-10-09 12:11:49 | この頃思う事

←拡大可能 

 昨年(?)だったか、以前の半分ほどの大きさに剪定した「金木犀」に、今年も多くの花が咲いた。
 香りには、好き好きもあろうけれど、秋空には欠かせない香りだと思っている・・・一枝、両親と妹の写真の横に
 飾り、秋を報告する。

 



 

秋も深くなると、山々の動物たちが冬支度を始める。
我が家周辺では、季節を問わず、イノシシが大忙しのようだ。

 

家の敷地内に、以前は、小さいながら畑を耕して、当座に間に合うよう野菜を作っていたが、収穫時になると、野生の小動物に食べられてしまうようになったので、野菜作りを止めて、草畑となっている。
それでも、イノシシが山から這い出て来て、かろうじて植え残っている「コンニャク芋」の地面を掘り荒らして行くのだ(芋を狙ってでなく、ミミズを探しているらしい)。
目的のものが手に入らない腹いせ(という事ではないだろうが)に、庭木の中や花畑の柔らかな地面を漁り、掘りまくって去って行く・・・ホント、毎度の事ながらも、その穴の埋め戻しの度、ため息を付いている。

でも、我が家周辺の農業従事者(そのすべてが農業収入で暮らしを立てている訳でもない)の山に近い畑では、その被害は甚大なものらしい。
たまたま、ご近所さんと井戸端会議をしていた時、山の畑から戻って来た人が我らの輪に加わって言うのには、このまま放置して置けず、畑の周囲に電気を流すよう設備をしてきたのだそうだ。
ご近所さんもその人も、イノシシ(他の小動物もいるだろうが、元凶はイノシシ)被害を被っているし、私も多少であっても被害者で、あれこれ対策を話したりしてはいるものの、ただ私は、個人的に防御するのには限界があるように感じる、もっと行政で本格的に共存対策をせねば・・・と話した。
他の知人も、植えても取られ、植えても取られの繰り返し・・・で、畑での耕作は止めたと言っていた。

 

里山を開発して人間が移り住み、必然的に、野生動物は人間社会に飛び込んでくる。
だから、イノシシ等を何とか始末せねばならないと考える。
でも、たとえ迷惑な(人間にとって)イノシシを全滅に追い込んだとしても、大自然は、また違ったサイクルに人間を取り込むだろう事は、まさに「想定内」の出来事なのだ。

人間と野生動物のセメギ合いは、世界中、どこにでも存在するだろうが、多分、何処でも、双方に都合の良い(と言うものの、本音は、人間にとっての都合を優先?)解決策はないのでは思うが・・・如何?

 

今、我が家では、屋敷内の畑は放棄し、ちょい山からは離れた畑で自家消費用野菜作りをしているが、やはり、日々の目が届かない場所では、ついつい、手抜きが生じて、思うような収穫が出来ない。

この地に住んで七十有余年、時代が進む毎、利便さは改善・進歩・発展しているだろうけれど、悲しい哉、実際の我が家に於ける住環境は、年々、悪化しているように思える・・・そう、小売店は無くなり、公共交通手段も無く、野生動物が跋扈するし、畑も耕せず、周囲の山は荒れ果てて太陽光を遮り・・・ホント、これを嘆かずして何を嘆くか・・・まぁ、そう言いながらも、悲観論は横に置いて、こんな環境でも楽しめる事を探し続けている。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の洗濯機たち・・・は

2018-10-05 09:38:39 | この頃思う事

「シュウメイ菊」の白い花。
ずっと以前、山形:「山寺」で見たのが最初で、境内の深々とした静寂な印象(一人旅だったから?)と共に心に残っている。

 


 

今日(5日)は、友人と東京に行く予定だったが、友人の都合で、急遽、日時変更となった。
先日の転倒で剥いだ爪が完全に治っていないため、靴を履くと、多少、痛みがあるから、私にも、ちょうどヨカッタ。
でも、予定が無くなると、時間の過ごし方がわからなくなったみたいに気力が薄れる。
で、本日は、なんだか気になっているが、どうでもイイ話をもって、気力UPしようと思う。

 

私が東京を去る3か月程前に洗濯機が壊れ、3か月と雖も、手洗いをするのが嫌なので、一時凌ぎにと、「全自動で無い洗濯機」を買った(5万円くらい?)。
転居の際には、大方の物は破棄して来たが、まだ新しい洗濯機は捨て難くて実家に持ち帰った。
自宅には、母が使っている「全自動で無い洗濯機」が健在であり、持ち帰った洗濯機は、自動的に物置に置かれる運命となった。

姉宅では、姪が、子供付き、家具・電化製品付きで戻って来ていたので、当然、全自動洗濯機が2台となり、一台は「靴洗い専門自動洗濯機」となっていたから、以後、私の持ち帰った洗濯機は、10年も放置されたままである。

先日、姉の友人がくれたという「全自動洗濯機」が我が家に現れ、姉から使ってくれと言われたが、何せ、洗濯物が少ない(もう母もいないし)上に、基本的に「全自動」が嫌い(洗濯機に限らず)だったから、それもまた放置したままであった。

車庫の隅に置いた「全自動洗濯機」のため、車が半分はみ出してしまうのが邪魔で、それならば、「全自動で無い洗濯機」から「全自動洗濯機」に、一度、代えてみようか・・・と姉に言うと、実は、姉宅の姪が持ち込んだ洗濯機が、水漏れがするようになったとかで、もう、頂いた「全自動洗濯機」に代えたと言う。
でも、姪の「全自動洗濯機」は毛布を洗うのに便利だから、一応、取って置いてあるのだそうだ。
とりあえず、車庫から出して、邪魔にならない場所に置き換えた。



と、そういう次第で、我が家(私宅と姉宅)には、「全自動洗濯機3台」、「全自動で無い洗濯機2台」を所有するという結果になった。
聞くだけでは、何とも贅沢な・・・と思わぬでもないが、真実は、捨てられない症候群の症状とも言えるなぁ・・・と。

私の責任範囲は、物置にある10年間使用せずの「全自動で無い洗濯機」なのだが、現在、私が使用中である母の「全自動で無い洗濯機」が壊れるのを待つしかない(誰も全自動で無い洗濯機には興味を示さない)けれど、洗濯機が先か、私が先か・・・それは神のみぞ知る。


 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大事に至らぬものの・・・

2018-10-03 08:30:24 | この頃思う事

「シュウメイ菊」が咲き始めました!

 


 

 

10月1日朝、台風24号の大風で我が家の庭中は、1メートル位の小枝や木の葉・笹の葉が散乱している。
ともかく、朝ご飯を食してからの仕事にしようと思い、珈琲を入れながら冷蔵庫内を見れば、ほゞ、空状態であり、買い出しも行かねば・・・。

朝食を済ませ、早速、戸外の清掃業務(私の仕事としているからね)を始めたが、先日転倒した際に手のひらに受けた傷に箒が当たって、少し痛むので、本日は庭半分で終了とする。
で、翌日の朝、さっと朝食を取ってから、まず、全自動ではない洗濯気を回したまま、花畑に降り積もった(それ程でもないが)笹の葉や木の葉を取り除き、昨日残した庭半分の掃除に取り掛かった。
2つの事を同時にすると、絶対(世の中に「絶対」という事は無いというが、私には存在するのだ)何かを忘れるから、全自動で無い洗濯機を、しばしば、チェックに戻ったり、そうだ、買い出しにも行かなければと考えたえり・・・結構、脳細胞も活用している積りでいるのだ。

ま、かなりイイ加減な掃除ではあるが、とりあえずキレイになった(事にして)から、珈琲タイムで一息入れていた時、姉がちょうど畑から戻ったところに出会い、買い物に行く旨を告げて出掛けた。

スーパーを一回りして最後に卵を買うのが習慣で、今日も卵の前に立った時、突然!思い出した・・・あっ、卵を茹でたまま出て来てしまった!・・・事を。
ケイタイ電話は持って来ていないし、赤電話は見当たらないし・・・店員さんに聞くと電話はあると言って案内されて、ふと、思ったのがふざけたことだが「どうやって掛けるの?」で、「今も10円でかけられるのですか?」なんて質問もしてしまった。

電話に出た姉の言葉は「すごい爆発だったよ」で、ともかく、大事にはならなかったそうで、一安心・・・「お姉さま、さまさま」である。
そう、珈琲を入れた手で、冷蔵庫に残っていた卵2つを茹でていたのを、すっかり忘れていたのだ、そういえば、2、3日前にも、煮物を焦がしたばかりだった。

スーパーの店員さんが「どうしたのですか?」と聞くから「ガスを点け放しで来てしまった。もう、毎度のことで・・・どうしようもないですよね」と答えると、「大丈夫、大丈夫。ちゃんと買い物にも来られし、食事の支度も出来るんだから・・・たまたまの事だから、どうしようもないなんて悲しいことは言わないで」と、まだボケてはいないと慰めてくれるが、私は、度忘れした事を悲しんでいる訳ではなく、火事にでもなったら大変だったという事を恐れているのだけれど・・・ま、ボタンの掛け違いみたいな会話は、それなりに成り立っていたようだ。

帰宅して台所に入ると、卵の爆発した残骸が四方に飛び散り、かつての面影は何処?の状況で、掃除をするのは、結構、ミジメ感があるわなぁ。
本日の教訓、「決して、2つの事を同時にしない事!」であるが、もしかして、嫌でたまらない料理拒否反応の表れか?と思ったり・・・ま、大事に至らなかったから言える事だよね・・・反省!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする