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IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

秋深くなり・・・なので?

2022-10-30 09:22:42 | この頃思う事

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ご近所さんの畑で咲く「フジバカマ」の花・・・十年位前だったか、この花を目指して飛来した渡りチョウの「アサギマダラ」が群れて飛んでいたが、フジバカマが大きくなりすぎて枯れ始めてしまった。
で、ご近所さんは株分けをしたけれど、寂しいことに、それから蝶々は訪れなくなっている。
現在、株分けしたフジバカマが、それなりに成長して花を咲かせてくれて来て、「アサギマダラ」の訪れを待っている。

 

 


 

 

大げさみたいな表現だけれど、かなりマジで、昨日、10月になったような気分でいたのに、もう、10月も最終日の一日前。
明日の午後、東京より友人の来訪を待てば、10月に予定したことの大体(1件だけ、一部、11月に再挑戦)は完了する・・・ま、軽い達成感状態・・・って気分かな?


秋が深くなったと実感できるのは庭に降り注ぐ落ち葉だ。
勿論、夏の間でも落ち葉はあったが、多くは枯れた笹の葉だったのに、今日は、笹の葉もあるが、広葉樹の少し色づいた葉が混じり始めている・・・あぁ、秋なんだ・・・少し一年を振り返るような気分になった。

先日、PCで「映画:戦場のピアニスト」を鑑賞した。
勿論、感動的なストーリーである事は認めるが、私がこの映画に興味を持ったのは、映像とともに流れる音楽「ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 第20番 遺作」を聞きたいと思ったからだ。
私事であるが、自分の葬儀では、始まりから終わりまで、お経(一応、仏教徒だが)でなく、この曲を流したいと思っていた、それは参列者のためでなく、これから三途の川を渡ろうとする自分自身に聞かせるために・・・。
ま、勝手な要望であるが、一時、その可能性について、真剣に考え、ありこれシュミレーションしたりもした。
その結果として、今は、「何かと面倒だから葬儀はいらないよ、遺灰は焼却の帰り道に海へでも振りまいてくれたイイ」と家族には伝えているが、家族としては、こんな指示は迷惑な話だろうと承知しているので、私の考えも変わるだろう・・・と、思ってもいる。
庭の落ち葉をを掃きながら、断片的にいろんな思いが巡ってくる儘に、結論も悟りもないことを自問自答する、それも秋深くだからなのかなぁ・・・と考えたり・・・ね。
掃き集めた枯れ葉を、庭木の下に堆肥代わりとして集め置いて振り返れば、もう庭には、新しい落ち葉がそこかしこにぱらぱらと・・・無常感の世界と言うのかなぁ、これって・・・

11月に東京国立博物館で開催されている「国宝展」に行こうと友人を誘ったので、11月最初の仕事はそのチケットをネットで予約する事・・・取れたらイイけれど、ま、取れなくイイし。

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予定は未定であっても・・・

2022-10-20 08:53:23 | この頃思う事

  

花壇に置いたブロックの隙間から自然発芽した「トマト」を、実を食そうと思いもせず、花を育てているつもりで放置して置いた。
やがて花が咲き、一つ、二つトマトの実が付いているのを確認すると急に欲が出て、よく実が付くという肥料(それも数年前に貰った消費期限経過?のサンプル品)を施し、周囲に咲く花より熱心に、毎日、観察をしている・・・(食)欲が絡むとこうなるという見本か?

 


 


10月も後半に入ると、当地でも、さすがに朝晩は冷え込むようになった。

10月中にしたい事と、あれこれ、予定を立てていたものが、突発的な事情で狂ってしまうことが続発する・・・敢えて言うならば「老人性突発的事情」とでも分類したいような事情である。

まず、拙宅を訪れる予定だった東京の友人は、転んで足の親指を痛めて歩行困難のためにしばらく延期。
次に、介護疲れを私とのたま~のお茶で癒している友人は、ご主人の体調が不安定のため落ち着くまで延期。
また、友人3人と自発的誕生祝会を持つつもりが、当日になって、その一人の隣組で葬式が出てしまって中止(後日、再び計画の予定だが、なかなか3人の空いている日の一致が難しいかも)。
そして、なんだかんだとトラブル続きだったがどうやら開催に持ち込んだ遊びの会の参加予定メンバーからは、自身の体調が少し悪いのでキャンセルすると言って来た・・・約ひと月の内に、4回、発生した訳だ。
だからと言って、それぞれを非難している訳ではない、そう、本当に、明日の我が身さえ、確信できる保証はないという事なのだ。

それでも、東京の友人からは10月中には訪れたい・・・と言って来ているし、癒しのお茶の会は、ひと月遅れて持つことが出来たし、お誕生会は分割して(2人づつで2回)開くことになり、遊びの会も人数は減っても開催は出来るし・・・どんな形であっても、予定したことは実行するという気力の維持は保っている、否、保ち続けたいと思っている。


今日、時間があれば(天気であることも必需)、他に用事もあるからだが、体調を崩したという遊びの会メンバーのお見舞いに行く予定にしている。
とりわけ構えているつもりもないが、予定は未定であっても、これからも起きるだろう「老人性突発的事情」に打ち負かされてばかりではいないよ・・・という心境でしょうかね。

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何をしたいの?

2022-10-15 10:01:27 | この頃思う事

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何時だったかなぁ、もう「金木犀」が咲く頃だと庭掃除をしながら見上げた時には、花一つ咲いていなかったのに、ある日、なにげなく台所の窓を開けた時、辺りいっぱい香りが漂っていて・・・それから一週間で、花は見事に散ってしまった。

 


 

あまりにも青空が爽やかなので、用事はないけれど、朝一に畑に向かった。

 ←10月15日の空(拡大可能)
畑からは、空全体(周囲は山に囲まれているから地平線は見えないが)を見渡せるので、気分転換をしたい時にはうってつけの場所だ、その上、殆ど人もいないし・・・ね。

 

せっかく畑まで出向いたのだから、先日、ご近所さんから頂いて植えた「ブロッコリ」の生育状況を見分し、ま、順調そうな気配にちょい安心(先に頂いた「レタス」は、何故か、みな、溶けてしまった)して帰宅。


徒歩でも10分は掛からない所に、小・中・高と同じ学校に通った友が済んでいて、月一程度、毎度定番の喫茶店でお茶をしている。
友は、ご亭主の介護にすべての自分の時間を費やしていると言っても差し支えないのでは・・・と思えるほどに、熱心な(愛情深くと言うべき?)介護生活中で、私とのお茶の時間(2、3時間、定番喫茶の理由は時間が惜しいからでもある)を持つことで癒しになっているだと言う。
私自身といえば、表向きに母の介護をしていたと言っているけれど、正直、介護などという範疇ではなく、ただ、年老いたワガママで頑固な年寄りと暮らしていたと自覚しているので、本物の介護の状況は分かっていないというべきだろう。
それでも、友には息抜きが必要ぐらいは理解できるし、私自身もお茶(珈琲だが)は嫌いでないから、何時も、喜んで付き合わさせて貰っている。

で、昨日、予定通り予定の場所で「珈琲&ケーキ」でおしゃべりタイムを費やした。
その時に友が「介護に入って5年になって、この頃、時間が空くとボケーと過ごしてしまうようになった。このまま終わってしまうのは嫌だから何かしたいと思うけれど、何も見つからない」とため息を吐く。
そう言う友に、私は毎度のごとく、やさしい言葉はかけられないし、一応、言葉を選びながらこう助言した。
「あなたにとって、今はボケーと過ごす時間は必要な事であり、無駄な時間ではない。先日来、私自身、余りにも気力が失せて、こんな状態で生きている意味はあるのかな・・・って考えたのね、でも、目の前にあるパソコンで映画が見られることに気づいて、ホントのところ、それほど映画好きでもないが、今、4社と契約して(あれこれと選別して悔いを残したくない、ともかくすべてにアッタク)、一日24時間映画三昧で過ごしているけれど、もう飽き始めてきたから、多分、年内には何社かは契約解除すると思う。これは好き、これは嫌い、出来る、出来ないと区別しないで、今、目の前に見えるものにチャレンジしてみたら?それで面白くなかったら止めればいいし・・・考え込むことないと思うよ」と話した。
友が「あなたは何でも出来るから」と返してよこしたから、「出来るからやる、出来ないからやらないではなく、機会があったら逃すな・・・って事、それでなければ、これからどんなに時間があっても貴女はやらないと断言できる」と無慈悲な言葉だったかも知れないが付け加えた。
そして、「そうそう、まず、介護生活5周年金パーティをしたらどう?それでまず5年間をリセットね」とも提案したが・・・どうするのかな。

車で自宅まで送ってくれた友に向かい、「お茶だけでなくても私に出来ることがあれば、何時でも声かけて」
と言葉をかけて別れた。
友は賢い人だから、きっと私の無慈悲な言葉の真意を理解してくれたと思う(思いたい?)。




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こんなに空は高く澄んでいるのに・・・

2022-10-11 18:33:30 | この頃思う事

ご近所さんの畑に咲いている「コスモス」・・・花の中の埋もれて、一日中、ぼーっと過ごしたい気分になる。

 


 

お昼過ぎ、少し雲が懸かってきた空

 

まだ薄暗い朝、5時過ぎに目覚めて・・・と言っても、昨夜もまた明け方まで「ビデオ(映画)」に取りつかれていたから目覚めたわけではないけれど、気持ちがザワザワして落ち着かなくて外に出る。
姉宅では、もう出勤する支度が始まっていて、台所には明かりが点いている。

何なのだろうか、体内の臓器の配置が勝手に移動しているような不安定感でじっとしていられなくて、まだ7時前だというのに、昨日の雨で湿っている落ち葉を掃き始める・・・おおよそ庭の半分程度を掃く。
それから花壇の内にある小さな草や積もった枯れ葉を取り除いてから朝食(トーストした食パンとゆで卵に珈琲)を取り、ブログを更新しようかとパソコンの前に座る・・・が、脳細胞も機能停止状態で何も書けず。

かなり日が高くなってきたので畑に向かうが、とりわけ用事はない(やる事はあるのだけれど)。
先日、移植した「ブロッコリ」の苗が日差しの暑さにげんなりしている・・・水を与えるべきか、しばし迷うが、何もせず帰宅。
9時半、チャリで10分は掛からない10時開店のドラッグストアに出かけたが、まだ早すぎて開店していないので、近くに住んでいる同級生宅を訪ねた(急ぎではないけれど用事があったから)が、あまりにも予想通りの回答を得て、ま、こんなものでしょ、想定内、想定内・・・と、自分に言い聞かせる。

買い物を終えての帰り道、何となく見上げた空があまりにも高く清々しく、富士山もいい姿で・・・でも、カメラを持参していない。
家に戻ってからカメラ持参で畑に向かう、空は少し雲が厚くなってきている・・・ご近所さんの畑に「コスモス」が咲いていたので、「天高くコスモスと」なんて風な写真を撮ろうかなと考えた。
でも、「コスモス」は少し花の時期が過ぎていて、自分が勝手に期待していた満開の風景ではなかったので、ちょい残念!
とは言っても、結局、写真を撮ろうと思ったくせに、行動を起こすのが遅かっただけで・・・確かに、少し前まではコスモスは綺麗に咲いていたのだから。


撮ってきた「コスモス」の写真を、半日、ずーっと眺めていたけれど、結局何も浮かばない。
脳細胞がスッカラカンという事実を認識しても、でも、決着をつけなくてはという気持ちが収まらないから・・・「我が脳細胞停止」をおおげさに叫び、何も出来ない(何もしない)理由を自分自身に対しての言い訳をした・・・って事よね。
こんなブログでも、何か、少し吐き出せたようで、内臓のザワザワ感が和らいだ(解消ではないが)みたい。


空が高く澄みわたっているからと言っても、皆、最高のコンディションであるという訳ではない・・・まぁ、こんな日もあるし・・・というところかな?

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笑い合いたい・・・と思う

2022-10-06 07:39:39 | この頃思う事

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ちょっぴり酔いが回ってきた(?)酔芙蓉の花

数年前、知人から貰った「酔芙蓉」を鉢で育てていたものが、鉢にいっぱい根が回って栄養不足なのか花の付き具合が悪くなってきていた。
たまたま、枝を切って花瓶に生けておいたもの(3本あり)に根が出て来て、それを畑に植え替えたら、今年は、かなりの大株に育ち、花もたくさん咲いている。
で、鉢植えの株はお世話が面倒(水やりが大変で)なので、どなたかにお分けしようと思っているが、誰も引き取り手がいない・・・ま、我が周辺地域では「芙蓉」はそれほど珍しい花ではないので、諸手を挙げては貰えないのかもしれないな。

 


 

 

いやいや、今日は雨降りの上に、気温が低くて肌寒い・・・寒いのは嫌いではなかったのに、ちょい心細い気になるのは、やはり歳の所為?


10月に入ったら我が家を訪れるから・・・と約束していた東京に住む友人から電話が入った。

その友人は、私が地元税理士事務所に勤務していた、もう,、20年以上も前のこと、所長とお仲間の税理士事務所に同じように勤務していて、所長との関係上、私と友人も、仕事上にも遊びの時にも親しく交流を重ねていた。
お互い多少の時間的な差はあったが、同じような時に事務所を辞め、同じように東京で仕事を得て暮らし始めて、時折、六本木あたりで会って食事を楽しんだりしていた。
が、私は定年で故郷に戻ったものの、友人は、そのまま東京に住み続けていて、以前のように頻繁に会うこともなくなっていた。
友人の故郷は我が町からはそう遠からずの距離で、車で3~40分程で行くことが出来、今回、用事があって帰省するので我が家に立ち寄りたいとの話だったのだが、友人曰く「急に足の指に痛みが出て、歩行が困難な状態だから、そちらへ行くのを少し先に延ばす」のだそうだ。
骨折か?と心配したけれど、病院での検査の結果、「足の形が悪いから」と診断されたそうで、詳細は、今度会ったときに聞こうと思っているが・・・

まぁ、我らが世代になると、様々な理由で、なかなか予定通りに実行するのが難しいこともあり、ホント、何につけても余裕は必需だと身に染みることばかり。
実は、今月予定している「遊びの会」開催日を、それなりにあれこれ考慮(一人でだけれど)して自分としては完璧(そんな訳ないのにね)と決断して皆にメール発信したものの、何という事よ!基本中の基本である会場のホテルが休館日だと!
またまた、大急ぎで訂正変更メールを発信する顛末となったのだが・・・まぁ、なんと言い訳をしようが、私の完全失念(全く脳細胞に引っかかりもしなかった)であり、基本的な抑えが出来ていなかったという事、いやぁ、これはかなりのショック!

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下旬に変更すると連絡をくれた友人とは、3年前?4年前?私が上京の折に高田馬場(だったかな?)で食事した以来だが、どんな話が中心となるのかは、もう言わずとも明らかで、でも、そんなドジな話を、愚痴でなく、お互いに笑い合いたい・・・と、思うのである。

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10月ですよねえ・・・

2022-10-01 10:09:31 | この頃思う事

我が家の庭の片隅で、たった一輪だけ咲いた「彼岸花」。
農道などに群生しているのも華やかで見事だが、何故か、一輪の寂しげな風情もいいなぁ・・・と。

 

 


 

私が通った小学校、中学校のすぐ脇を「深沢川」と言う川が流れていて、よく昼休みや学校帰りに、水辺で遊んだ思い出がある。

先日、その川の源流近くに同級生らと「遊びの会現地調査」のために出かけ、しばし、流れる水を眺めていた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
ふと、「方丈記」の一節を思い浮かべる・・・われらもまた、あの頃の自分ではあらず・・・なんてね。

「同級生遊びの会」は、「正式な同窓会」とは別に、気の合う仲間が、都合が付いた時に自由に参加を前提に、ここ十年あまり続けている。
私自身、一時はいろいろあるストレスを解消出来なくて、脱退はしないものの幹事的役割から引退する旨、通知をしたこともあったが、いつの間にか、現在またも、幹事的役割を担うようになった。
理由はあれこれある、が、一番の理由は、「自分の手でこの会を解散させたくない」という思いがあるからなのだ。
200名程の同級生らには、きっと、それぞれの考え方もあるだろうが、私自身としては、もう「正式の同窓会」は終わりにしても良い・・・と考えており、その代わりとして、自由に開催される「遊びの会」を、しばらく存続させたいという、ちょいこだわり的な思いがあるのだ。
で、こだわるならば、当然、自分が担うべきであり、愚痴を言うべきでもない。
人間として生きている間になさねばならない責務(?)にようなもので、これをなさねば、まともなお迎えにも来てもらえない・・・的な感覚かな?

そういう自分自身さえ、何時まで担えるかは不明としか言えないから、今、出来ることをしているうちに、また問題点にぶつかるだろうが、その時点で何かしらの対策も見つかるかもしれない、で、ダメになったら終わればいい・・・と、考えるようにしている。
いずれにしても、基本、楽しいと思う仲間があるから続けられているのだと勝手に思い込み、我が指針としては、一つづつでも、前進(若しかすると後退?)するよう努力をするのみで・・・それが楽しさに繋がるのだから・・・ね。

で、この「遊びの会」は10月下旬に開催する予定・・・結構、忙しい10月になりそうだ。

 

 

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