ご近所さんの畑で咲く「フジバカマ」の花・・・十年位前だったか、この花を目指して飛来した渡りチョウの「アサギマダラ」が群れて飛んでいたが、フジバカマが大きくなりすぎて枯れ始めてしまった。
で、ご近所さんは株分けをしたけれど、寂しいことに、それから蝶々は訪れなくなっている。
現在、株分けしたフジバカマが、それなりに成長して花を咲かせてくれて来て、「アサギマダラ」の訪れを待っている。
大げさみたいな表現だけれど、かなりマジで、昨日、10月になったような気分でいたのに、もう、10月も最終日の一日前。
明日の午後、東京より友人の来訪を待てば、10月に予定したことの大体(1件だけ、一部、11月に再挑戦)は完了する・・・ま、軽い達成感状態・・・って気分かな?
秋が深くなったと実感できるのは庭に降り注ぐ落ち葉だ。
勿論、夏の間でも落ち葉はあったが、多くは枯れた笹の葉だったのに、今日は、笹の葉もあるが、広葉樹の少し色づいた葉が混じり始めている・・・あぁ、秋なんだ・・・少し一年を振り返るような気分になった。
先日、PCで「映画:戦場のピアニスト」を鑑賞した。
勿論、感動的なストーリーである事は認めるが、私がこの映画に興味を持ったのは、映像とともに流れる音楽「ショパン:ノクターン 嬰ハ短調 第20番 遺作」を聞きたいと思ったからだ。
私事であるが、自分の葬儀では、始まりから終わりまで、お経(一応、仏教徒だが)でなく、この曲を流したいと思っていた、それは参列者のためでなく、これから三途の川を渡ろうとする自分自身に聞かせるために・・・。
ま、勝手な要望であるが、一時、その可能性について、真剣に考え、ありこれシュミレーションしたりもした。
その結果として、今は、「何かと面倒だから葬儀はいらないよ、遺灰は焼却の帰り道に海へでも振りまいてくれたイイ」と家族には伝えているが、家族としては、こんな指示は迷惑な話だろうと承知しているので、私の考えも変わるだろう・・・と、思ってもいる。
庭の落ち葉をを掃きながら、断片的にいろんな思いが巡ってくる儘に、結論も悟りもないことを自問自答する、それも秋深くだからなのかなぁ・・・と考えたり・・・ね。
掃き集めた枯れ葉を、庭木の下に堆肥代わりとして集め置いて振り返れば、もう庭には、新しい落ち葉がそこかしこにぱらぱらと・・・無常感の世界と言うのかなぁ、これって・・・
11月に東京国立博物館で開催されている「国宝展」に行こうと友人を誘ったので、11月最初の仕事はそのチケットをネットで予約する事・・・取れたらイイけれど、ま、取れなくイイし。