IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

言葉の重さ・・・其の二

2018-08-31 10:41:56 | この頃思う事

半日村において、日光を求めて、高く高く伸びる「百日紅」の脇に、新しい木が一本伸びてきた。
高く伸びすぎた親木の方を、思い切って切ってしまおうかと、考えているが・・・

 

 


 

 

暑い暑い8月も今日で終了・・・何となく、気分的にはホッとしているが、戸外は、相変わらずの陽射してある。

個人的には(多分、私の勉強不足もあるだろうとけれど)、言葉の言い換え(差別的表現以外の)・・・例えば、百姓(農民)を農業従事者に換えるとか・・・が嫌いである。
基本的に差別用語とは違うような気がするからだが、言い換えたところで、現実な問題は何も解決していないと思うからだ。
6月5日付毎日新聞「香山リカのココロの万華鏡」欄に、「高齢者という重み」というエッセイが掲載されていた。香山氏は精神科医である。

以下、簡単な抜粋で転載。
・・・長寿社会を迎える中、「高齢者」という名称の見直しを求める動きが政治の世界でも起きている・・・しかし、私自身は「高齢者」という響きも悪くないなと思う・・・「高齢者」という言葉から、年齢を重ねてきた人が誰でも経験する苦労と身に着いた知恵を連想するからだ・・・もちろん、年齢が高いからといってもそれだけで偉いという訳ではない。とはいえ、70歳の人には70年間の、80歳に人には80年間の苦労と経験がある。それに対しては、私たちはやはり「すごいですね」という敬意と、「そこから学ばせてください」という謙虚さを持たなくてはならないのではないか。「高齢者」という言葉には、それだけの重みがあると思うのだ・・・。

 

先週の事、急に、先輩友人(80歳を超えている)からのお誘いがあった。
私がランチの代金を一括支払をして、友人からは少し多めの現金で頂いた。
その後、美術館に行き、先程余計に頂いたから、チケット代1000円を私が持つつもりだったが、チケット代といってお金を差し出すので、見てみると4000円ある。
「あら!、チケットは1000円よ」と言うと、「さっきの食事代も・・・」と言うのだ。
「貰ってるから安心して、先輩が忘れても私が忘れないから」と、冗談も入れて話した(納得してくれたようだ)。
これに始まって、その後も、小さな勘違いが多々あったが、本人も「この頃忘れっぽくて」とくり返すのを、「私もそうよ、人にはあまり言わないだけ」と慰めにもならない言葉で返した。
頭脳明晰であった先輩友人がボケた・・・と言う報告では無い。
頭脳明晰な人でも、例外無く老いは来る・・・という事なのだ、勿論、私にだって・・・ね。

先輩友人とは50年近い付き合いであるから、今日に至るまで数々のご教授を受け、それに感謝をしている。
「高齢者」という響きが嫌だというのは、何故なのだろうか・・・と、むしろその方が私には理解出来ない。
今の状態で判断するのでなく、今日に至るまで歩んできた道は、成功しようが、平凡であろうが、かけがえのない人生なのだから、大いに「高齢者」となった自分を誇っていいのだ・・・と思っている。高齢者たちよ、チャラチャラした名称など拒否しよう!

 

残暑厳しい中、半ボケ状態の頭でこんな事を叫んでみたが、核心がブレているかもしれない事をお許しあれ。

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言葉の重さ・・・其の一

2018-08-27 09:51:24 | この頃思う事

三島:源兵衛川せせらぎの道で・・・台風による雨の為だろうか、せせらぎが珍しく激しい流れをみせている。
豪雨で大荒れの列島にはウンザリ気味だが、身辺の水に、穏やかでも荒れていても心が潤されるのを思うと、大自然の奥深い営みに畏怖を感じて来る。

 


 
夏休み中で、乗降客の少なくなった駅の生垣に、ひっそりと狂い咲く「サツキ一輪」を見つけた・・・う~ん、何と言ったらいいか・・・寂しい風景だが惹かれるものもあるなぁ。

 

「立ち止まらせる言葉」・・・8月1日 毎日新聞「水説」欄 中村秀明編集員著

・・・テレビやラジオはしゃべりすぎていないだろうか…街に出てもそうだ。電車の車内放送はますますおしゃべりになった。だが、肝心のところはよく聞き取れない・・・
「言葉が軽くなった」と言われるのは、こうしたしゃべりすぎが世の中に広がったせいだろう。言葉があふれ、何かを力んで語っているように感じるが、誰にも何も届いていない。
・・・自らを「文筆家」と名乗った哲学者、池田晶子さんは言った。
「しゃべり散らし、書き散らして、たちまち忘れてしまうよね。大事で無いから忘れてしまうんだ。そういう言葉は、言葉のようで、実は本当の言葉ではないんだ。本当の言葉というのは、人間を、そこに立ち止まらせ、耳をすまさせ、考え込ませるものなんだ」・・・・この問いかけに出会い、ずっと考え込み、本当の言葉を探している。(以上新聞より抜粋転載)

私は、子供時代には、「全く、用の口もきかない子」というレッテルが張られていた。
無口な子どもというより、子供ながら世のしくみ(たとえば本音と建て前という2面性とか)の理不尽さに反抗して、口をきかない子供になっていたように思う。
その私が、何時の間にかしゃべりまくっている自分に気が付いて、「何だよこれって!」と、我ながら愕然としたこともあった、多くは、一生懸命、自分の正当性を主張しているのだ。
その努力も、今は、無駄だったなと思う(言葉に重みが無かったのか、付いたレッテルは簡単に剥がすのは難しいもののようだ)。

 

それはさておき、ブログを書いたり、友人らと長い長いおしゃべりなどしている私自身は、「考え込ませる」ようにはならぬ迄も、果たして「立ち止まらせる」ような会話をしたことがあるのか・・・4週間の夏休みで中に、じっくり新聞に目を通していて、真摯にショックを受けた言葉である。

 

コメント (7)
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秋風を感じて再起動!

2018-08-20 08:09:26 | この頃思う事

 

花壇の片隅に、「ハナスベリヒユ(ポーチュラカ)」 が、一株、自立発芽(数年前に植えたもの)して、花を付けた。
来年は、この花を、また植えて見ようか・・・と、思い始めている。

 


 

ここ2、3日、急に、朝晩の気温が下がって来た。
日中の風も、もう真夏のうだるような暑さではなく、肌を刺す強さはあるものの、爽やかさを感じるようになっている・・・もう、秋・・・の気配か。

で・・・そう、もう夏休みも終了しなければ・・・と、寝ぼけた脳細胞に活を入れた。

  ←夏の草花が終わりに近づいている・・・

 

「何もしない夏休み」と宣言したとは言え、一応、生きているのだから、日々、何かしらしなければならない事が、目の前に出てくる。
それだけを、一つ一つ、クリアしながらも基本的には何もしないを貫き、気が付けば4週間も過ぎていた・・・夏も終わる訳だ。

4週間の間、国内外は、相変わらず「強者横暴」が幅を利かせ、「弱者」は、ただただ、流れにも逆らえず身を任すしかなく、先行きに明るい陽射しを見つける事が難しいのは、全く変わらない。
そんな世に、我が命を長らえる必要(お偉い方のおっしゃる生産性の無い人間だから税金(年金)を使う価値はあるのか・・・とかね)はどこにあるのか・・・なんて事も頭によぎったり・・・

それでも休眠中に、友達の突然の来訪が2回、お泊り客1回(これは予定されていた)、お茶のお誘い2回(友人の車で、ついでに買い出しも)などと、まだ、私にも利用余地があるのかもと思わせて貰えたし、我が愛車・チャリで買い出し4回と自力更生力も残っているようだしと、都合のイイ解釈をして生きている価値をむりやり見出す。

まぁ、殆ど通常と変わらない日々なのだが、「夏休み中」だという思いが、ちょっと違った感覚を生む(うまく言葉では表現できないけれど、あえて言うならば「幽体離脱」的な自分の姿をちょい上から俯瞰している気分)のが面白かった・・・結局、休みは大切なのだ・・・という結論にしておこう。

 

 一方的な我がままを、すんなり受け入れてくださったお仲間ブロガー(これまた、一方的解釈でスミマセン!)の皆様に感謝し(でも、皆様のブログは、毎日、拝見させて貰っていた)、これからも、こんなナマケモノの私でも、少しはまともな面もある事をご披露して行く積りでいる・・・が、何時まで続くかは、これも、不確かではあるけれど・・・ね。

コメント (6)
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