家の周囲の生い茂った萱や羊歯を鎌で払った時、その中に「ほたるぶくろ」が数本。
いったん捨てたものの、何か、後ろ髪を引引かれるような気がして、拾い集めた・・・結構、季節を感じる。
「私は私の主人たらん」
先週ベルギー下院選挙でオランダ語圏の分離独立派が勝った・・・英推理作家アガサ・クリスティが造形したベルギー人の名探偵ポワロはフランス語を母国語としていた・・・彼はフランス人と間違えらると「ムッシュー、失礼ながら私はベルギー人です」と正す。我は何者であるか。他社と対立してでも人間はこれを意識せずにはおれないらしい・・・敗戦直後の1948年から毎日新聞に連載された獅子文六の「てんやわんや」・・・この小説、四国の日本からの分離独立という奇想天外な運動を物語のヘソにしているのだが・・・占領支配下の日本で「私は私の主人でありたい」と考えた男(犬丸順吉29歳)の悲喜劇を描き、今日の私達の心の奥を突いてチクリとするものがあるのだ・・・僧侶、町議、復員兵らがひそかに練る四国独立運動に誘いこまれる・・・小学校で演説会を開いても集まったのは3人・・・宣伝歌を練習してタヌキに間違えられ・・・資金が必要と「同志」の一人が闇で大量のイリコを買い集めて・・・独立運動より何やら金集めのほうに夢中になったようで・・・そこへ南海大地震・・・同志は荷を守るべく懸命に人を呼び集める。だが、順吉の心は既に冷えていた・・・。
この寓意はさまざまに読める。戦後の物質的復興の中での理想主義的な思潮の退色。「独立」に託す「何にも屈せず、私の主人である私であろう」という決意とその忘却。
いずれにせよ、こうした葛藤は長い「日米安保体制」の中、棚上でほこりをかぶっているらしい。(毎日新聞「火論」より抜粋)
これは空論でしかないが・・・日本が外敵に脅かせれているのならば、「日米安保体制」とやらに任せておいて良いのだろうか、沖縄に危険を負担させるだけで・・・本当のところ、良く判らないというのが正直な気持ちである。
しかし、日本という国の存続を本気で望んでいるならば、たとえ膨大な金を必要としても自国で防衛すべきだと思うし、他に依存するのは間違ってはいないか・・・。
存続を願うのが、一部の人間でなく、全国民であれば、全国民が負担すべきことだ。
今日に至るまで、私達は、真剣に、この国はどうなったら良いか、どうするべきかを考えてきたかどうか疑問である。
決して、軍備を増強し、戦争に備えよというのではない。大局的視野で、じっくり、考えてみようという事。
何故、存続させたいのか、どうしたら可能なのか、それを実行すると何が起きるか、起きたらどう対処するのか、その対処の方法は間違っていないか、別の道はないのか、それでも存続させたいか・・・空論であっても真剣に考えることは価値があると思う・・・「私は私の主人たらん」としたいから・・・。
で、獅子文六著「てんやわんや」も読んで見るべきなんだろうなぁ・・・宿題2件。