1988年4月・東京で
―ラサでの入院(3/3)・・・Wさんの手記より―
朝、目が覚めた感じでは、大分調子が良い。
隣のチベット婦人の朝食(家族が届けてきた)の中から、羊の乳が入ったお茶と青麦をつぶした粉を貰う。
お茶の方は病み上がりの身には、少々きついが、思ったよりおいしかった。
青麦はきな粉のような風味で、懐かしい味である。
昨日のチベットおじさんが、朝食を誘いに来た。
せっかくのお誘いでもあり、体力回復の為にもと、食堂に向かう。
こういう時、中国の粥は何よりだ。お粥と漬物を持って戻ろうとすると、チベットおじさんは、「それでは少な過ぎる。
あれも持て、これも持って・・・」と、勧める。
おじさんの親切は嬉しいけれど、私、昨日まで下痢で苦しんでた病人で、しかも胃袋の小さな日本人ですよ・・・全世界制覇を遂げた中華料理の「これがルーツだ!」というお国の方とは違うんです・・・とは、私の言語力では言える筈もなく、「普段から少食なんです」と言って、曖昧な笑いを浮かべてごまかすしかなかったのです。
昨夜からの「好了」が功を奏して、退院許可が出た。
ホテルの服務員が、病院まで迎えに来てくれるとの事で一安心。
医師にも看護婦にも、「このご恩は一生忘れません」と教科書で習った表現ではあったが、心を込めてお礼を言った。
そして、たった一晩の行きずりの外国人に対し、チベット婦人の親切には感謝の気持ちで一杯である。
若い服務員との自転車相乗りで、ホテルに向かう。
デコボコ道は病み上がりの身には少々堪えるが、彼女の暖かい背中に掴まっていると、何となく幸福な気分になってくるのだった。(完)
これで「郷愁のおばさん二人中国紀行」の紀行文は終了。
2002年8月、再度訪れたチベットの風景。
ラサはすっかり変貌を遂げていたが、ラサを一歩出ると、雄大な景色が展開し、心が洗われる感じであった。
Wさんが、過酷な体験にも係わらず、チベットに深く思い入れ、1986年の旅以降に、再びチベットを訪れたと聞いた時、私にも、その思いが多少理解できる気がした。
チベットは、そんな風景、そんな空気を持ったところである。 (伊豆の花)
標高4000メートルの高原に咲く、青い花。魅惑的な雰囲気がするのは、青い花を見慣れない為だろうか・・・。