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今年は「センリョウ」が、例年に比べても綺麗な姿を見せてくれている(傍らに植えてある「ムラサキシキブ」は色づかないうちに実が落ちてしまったのに)のを見る度に、にんまりとするのを抑えられない自分が可笑しい。
ま、それなりにお世話をしたことが結果を出したのかも・・・という気持ちがどこかにあるんですよね。
今年の年賀状は、来なかった人もあり、今年で中止すると宣言された人もあり、大体、2割程度が、事実上、今年で終了になる感じだ。
私自身があれこれ迷うことなく結果が出て来たことに「それでいい」と、却って安堵感すら覚える。
ただ,その内の一人には、このまま「はい、了解しましたよ」と済ませて置けない気持ちもあり、時間があれば、一度、会って置こうと思っている、あくまでも、自分自身の為であって、あちら様には迷惑かも知れないけれど・・・
←本物のエスプレッソ(拡大してよ~く見て下さい)
先日、東京・新宿の「イタリアンカフェ」で「本場エスプレッソ」を味わう機会が有った。
私は、珈琲には目が無いと自認しているけれど、高級とか本場ものとかには、さほど、気に掛けてはいない。
ただ、美味しい珈琲を、静かな環境で、ゆっくりと味わえたらそれでよし・・・という感覚だ。
で、その「本場イタリアンカフェ」で味わった「本物のエスプレッソ」に私は驚いた・・・という話をしたい。
確かに香りと味は良かったのは事実、でも、出てきたカップの中の量に我が目を疑ったのである、少ない!とても少ない量で、これって中身を入れ忘れたんではないの?、そう、二口啜ると(飲んだのではない)カップは空になった。
誰に聞いても、「エスプレッソ」とはそういうものであって、その店は正しい流儀だと言うが、私は納得できない、飲めない程の量は必要は無いが、此れしきの見た目(あくまでも量に拘る)で商売し、「これが本場の常識だ」と言われることに納得出来ないのであるよ。
まぁ、お前には本物を味わう常識も持っていないのか・・・と非常識な自分を、全世界に晒されたようで逆切れたのかもしれないが、一方で、此れしきのものを出されて、しっぽを振って満足!満足!と諸手を挙げて協賛する人間の方が狂っている・・・とさえ思えたという訳で。
結果として、私には「本場エスプレッソ」を味わう知識も常識もないと理解したが、珈琲飲みを自称する者として、この商売、何か許せないなぁ・・・と感じる気持ちも尊重したいと思ったのであった。
最近、これって「常識」なのか「非常識」なのかを判断できない出来事に出くわす機会が多いように感じている(多分、自分自身を装おう事が苦痛になってきたのだろう)が、かと言って、「常識」「非常識」で色分けをするのではなく、私にとって心地良いか、また相手にとって迷惑でないかで、冷静に判断出来て行ければいいと考えるようになった。
実は、昨日の夜、手術を前にしている知人から電話が来た、多分不安な気持ちが重なって、その負担を払いたかったのだと思うが、私は、「そういう話は医者に問いなさいね、医者には答える義務があると思う。私には何も判断できない。但し、お見舞いに行く予定をしてるから連絡は必ずしてね」と、もしかすると、知人には冷たく感じたかもしれない返答をした、世間的には「非常識」な態度と言われそうだが、でも、これは私の出来る精一杯の「常識の範囲」なのだから。
何もしない3が日中、目的も無く配信映画をボーっと見ながら、いつの間にか、またしても埒の明かない思いを巡らしている・・・そうスッキリ思い切れないのも、私の持っている「現在の常識」か。