IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

早々と正月気分でスミマセン!

2022-12-27 09:46:45 | この頃思う事

我が家にある「藪北茶」は、母が存命中に畑の周囲に植えたものだが、母が亡くなってから、もう、お茶摘みをすることもなくなっている。
ただ、刈り取ってしまう事も出来ずに(多少、罪の意識もあって)畑の囲いのような存在として残してあるが、時期が来ると花をつけ、それをみると家族一斉にお茶摘みに駆り出された昔を、解放された思いと少し寂しさも入り混じって思い出す。

 


 

12月27日・・・特にやることも無し。
今朝は、庭の落ち葉も少なくて、わざわざ掃除をする必要もない。


昨日、姪が(甥の代わりに経理を手伝わされている)甥の事業の青色決算に係る書類を持ってきた。
このところ、すっかり、さび付いた脳細胞で難儀している私が担当するのが当たり前状態であるが、もう改めてどうこういう事もない。
正直、私が出来なくなった時に考えてくれればいいと思っているし、ま、その時にはそれなりにどうにかするだろう・・・とね。
手元の書類に目を通しながら、今、不足のものだけを調べ、姪にはその旨を伝えて置いた、どうせ、取り掛かるのは正月を迎えてからと思っている。


毎度、自分勝手な日常を過ごしているから、年末だから年始だからと特に用事はない(と言うより、どれにも関わらないでいる・・・が、正しいかも)ので、元旦に配達出来るよう年賀状を郵便局に託したので、後は元旦を待つだけ・・・の気分。
昨晩は、きちんとPC(配信映画を点けっぱなし)も消して、就寝に着いたのは午前0時少し過ぎ・・・今朝の目覚めは午前6時過ぎ、久しぶりにキッチリ眠りにつけたようだ。
で、今朝は簡単に居間の掃除(私が一日中を過ごす場所)をしてから、食パン一枚トーストし、珈琲(先日購入したお高い珈琲でなく、昨日、姪が持参した「東チモール産オーガニックコーヒー」なんだそうで)を淹れ、ちょい固目ながら香ばしい香りを賞味している傍らで、無料聞き放題期間中のA・musicから「カフェ・クラシック特集」を流し放題(それも少し音量を上げて)にしている・・・ホント、世間から見ると「呆れた所業」かも知れないな。

でも、私が七十数年をかけて得た特典と思う事にしている・・・まぁ、自分勝手な屁理屈という事。



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もの凄い!贅沢をしたかのような・・・

2022-12-22 14:23:45 | この頃思う事

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冬になると、殆ど、陽のささない片隅で「南天」の実が、花の少ない庭に、鮮やかに色を添えている。通年では、もっと早くに実が落ちてしまったように思うが、今年は、まだ、しっかりと留まっている。

 

 


 

 

年末だからという訳ではないけれど、何かと買い物が多くて、毎日、あれやこれやとお金(カード)を使っている。
その金額に、あまり細かく注意はしていないものの、それでも、自然と分相応の金額で落ち着いているのに、先日、ある珈琲店で、スティックタイプのインスタントコーヒーを買った時、えっ、ちょいお高くない?と気付かされた。
まぁ、「エイジドスマトラコーヒー」とかで、熟成させた希少なお豆を用いた珈琲なのだそうだから、お高くても当然?
友人とお茶もしたから一緒に清算したら、なんと3,807円だと。

自宅に戻って、その貴重なインスタントコーヒーの値段を確認してみると、2.1g入りスティックコーヒーが12本入りで1,343円ってことは、1gあたりが53.3円になる。
常には、大体280g入りを500円~600円で調達しているので、600円としても1gあたり2.1円だ・・・いやいやいやぁ、こんな贅沢許せない範囲よね・・・と思ったという訳。
とは言っても、このお高い珈琲を一杯飲んだとしても112円程だから、どこぞの美味しくない100円珈琲を飲むよりは絶対的にお得感はあるんだけれど・・・でもねぇ。

世間では、いろいろ物価が上がって来ていて、正直なところ、どれ程が適正価格なのか分かりずらくなっているにしても、コーヒー一杯分の金額に動揺する私も、かなりイイ加減だなと改めて感じる。
そういえば、先月だったか、出先の公園でもみじの紅葉が綺麗だったので、ケイタイで写して自分のPC宛に送信したら、何と通話料金が3枚で6000円も掛かってしまっていた。
紅葉の写真が6000円とは、これこそバカな事を・・・なのに、それ程ショックを受けていないのは、以前にも同じような失敗をしていて・・・私には間違いとしての許容範囲になっているみたいだ。

この頃、世間から遠い存在になっている私なので、まず金銭感覚がオカシくなってきているのだろう、でも、やはり、気を引き締めないとね、お金は自然に沸いては来ないものだし・・・ね。
今、そのお高い珈琲を飲みながらブログを書いているが、ちょい面白い味ながら、さ程の贅沢感はないよなぁ・・・

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「写真集:東京・下町日和」の紹介

2022-12-19 07:53:29 | 三六趣味の会便り

我が家へ続く「区道」脇の更地になったところに、一本の柿の木(甘柿らしい)が残っている。ただ、持ち主は存在するようで、毎年、柿の実を取りに来ているらしい。
今年も、いつの間にか柿の実は姿を消し、空になった枝を残すのみ・・・来年も実をつけるだろうが、残された空の姿は、何故か寂しい。

 

 


 

 

東京在住の写真家である浅井秀美氏は、我が小・中額時代の同級生で、「東京シリーズ」をライフワークとして、写真集「東京・下町日和」を出版し続けてている。
今回、その第3弾である写真集「東京・下町日和-平成から令和へー」を出版、我が手元に送って来てくれた。

私自身も、十数年住んだ東京の街は山手線内と言えども下町であり、日々の生活の匂いが漂うような街だった。
何もすることが無い日曜や祭日は、通勤用の定期券を使って、秋葉・御徒町・上野界隈を、一人、無目的でブラブラするのが好きで、結構、仕事疲れの癒しになっていたように思う。
帰郷してからは、東京に出向くのは用事があるからで、その用事が済むと、もう、帰るだけ(特にコロナ渦では尚更)になってしまい、下町の人の中をブラつくことも無くなっている。

そんな中、浅井氏から送られてきたこの本に、感謝感激と言える気持になった・・・そう、東京に戻ったような、そんな気持ちだ。
これから少しづつ、私が去った後の下町情緒を堪能したいと思っている。

この本は、浅井氏によると我が地元書店(多分、長屋書店だと)にて取り扱いを依頼してあるそうで、ご興味を持たれたら、是非、ご覧になって欲しいと思う。
このところ、繁忙な浅井氏は「遊びの会」も、少々、ご無沙汰気味なので、来年は、是非、日程を繰り合わせてのご参加を願いたい。

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友人とお茶に行こうかな・・・

2022-12-17 10:45:13 | この頃思う事

今年の「大文字草」の寂しい事と言ったら・・・今まで数年育てていたが、こんなに侘しい風情になったのは初めてだと思う。
山野草だからと肥料も与えず、少し日陰の場所に放置していただけだったから、今年は、ちょい肥料を与えたほうがいいかも・・・と、考えているが、いったい何を肥料とするのかも不明である。

 


 

 

12月に入ってから、「高齢者対策ボランティア」とでも言うか、いや、金銭での報酬や、手作りお菓子なども頂いたりしてるところもあるからボランティアでもないし・・・先輩友人宅に様子見訪問、介護中友人の癒しにお付き合い、認知が始まったような仲間(同年配の)とのランチ会、買い物の自動精算機が使えないという友人に買い物同伴、年一のPCで年賀状作成教室と、まぁ、そんなこんな用事で東奔西走(大げさですが)し、さすがに疲労感の残る日々であったが、その疲労感の抜けないうちに(疲労感が抜けるとやる気も失せるので)、我が年賀状の下作りして印刷だけを済ませ、後は、各個人宛に私信を付け加えるだけ・・・と、とりあえず、ここでやって力が尽きた。

2週間ほど、これらの用事を消化しながら思ったことは、何をするのにも問題発生は日常化し、一つ一つクリアしながらなので、容易に完了は出来なかったけれど、それでも、まだ今年は、何とか済ませることが出来たという事は有難いなという気持ちでいるものの、来年の事は、ホント、考えるのも恐ろしいくらいだ。
それでも、来年は来年、その時に出来ることをすればいい・・・と、考えらる余裕(居直りとも言う?)だけは持っていようと思っている。


相変わらず一向にコロナは収まらないものの、考えてみると、コロナのために、暮れも正月も来宅する人が少なくて、却って落ち着いた日々が送れているように思うし、私自身も、必要最小限の動きに留めているから、時折でしかないけれど、じっくり物思いに浸れたり出来るのは、ある意味、幸いではないかと思う。
先日、知人から「息子と畑の草を取りながらの話で、ウクライナに平和をなんて思えどもどうすることも出来ないし、こんなのんびり草取りなんかしていていいのかな?あなたは(私の事)、こんな時、どういう言葉を発するか聞いてみたいと息子が言っていた」と言うのだ。
「あら~、私だってウクライナに平和を・・・なんて常には考えていないもの、ただ、世界の人々は、本当に、平和を望んでいるのだろうか?平和って何だろう?・・・という疑問は持っているけれどね」と話した。

今年もあと半月を残すのみ。
私としては、遠いウクライナでなく、目の前で起きる出来事に振り回されない、でも、それなりの解決策を模索しつつ、穏やかに過ごせればいいとしか思いつかない。


来週には、友人らとの今年最後の「Zoom」と、姉に付き添い(これも高齢者対策ボランティア)「市役所」に出向く仕事があるだけ・・・友人と「お茶」に行こうかな?

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自分勝手な分析で・・・嵌っています!

2022-12-11 12:42:03 | この頃思う事

 ←↑からすうり(拡大可能)

「山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も 枯れぬと思へば」・・・源宗干朝臣 小倉百人一首(古今和歌集から)
冬になると、我が家の日照時間は午前10時あたりから3時間程しかない、そう、ホントに暗くて寂しいのだ。
人間には陽の光が大事であって必要欠くべからざるものと認識させられ、覚えの悪い我が脳細胞にも、唯一と言ってもいい程に、スラスラと口からほとばしる和歌なのである。

 




デイサービスでコロナに感染した先輩友人のお見舞い、介護疲れを癒したい友人との珈琲タイム、今年一年お世話になった友人とは早めの忘年会、ちょい認知気味な友人とは忘年会と言いながらの様子見ランチ、そろそろ来始めた喪中通知にお悔やみのハガキを出したり・・・等々、12月初旬には、少々、気疲れのするあれこれを、バタバタと消化しているうちに、もう3分の一の日時が過ぎようとしている。

年末までに整理したいと考えていた映画配信会社を、本日、3社解約した・・・残りは3社は暫く保留する。
実は、私としては意識的に避けていた中国ドラマに、珍しく、熱中している(一本だけだが)からだ。
物語自体はファンタジーで、今までならば、どちらかと言えば、意識的にも無意識的にも避けていたジャンルだ。
で、何に嵌ったのかというと、出演者自体が凝視に耐えられる(つまりイケメン揃い)のは勿論だが、ファンタジーなのに画面の色調が全体的にモノトーン(白黒主体)で、我が荒れた脳細胞に静寂さえもたらす事、その上、時々、ふと考えさせられるセリフに出会い新鮮な驚きを感じて、我ながら先入観で見てしまいがちだった中国映画に自身の反省をしたり・・・ま、これはある種の「目からうろこ」なのかもしれないと。
多分、製作された国に対する偏見があるからだと思いつつも、作家・脚本家の言わんとする真実は何?と深読みしているのである・・・だから、もう2度も3度も繰り返して観ては真意を探っているという訳だ。

世の中、どんどん複雑になって行き、もう素人のうすら寒い脳細胞では深層など分かりようのない。
中国四千年の歴史・・・なんて、簡単に口にするけれど、4千年の人間の歩みがある訳で、そこを私たちは見落としていけないなと、気付かされたドラマ(と言ってもストーリー自体は正攻法なので結末は予測できる)なので、もう少し、勝手な深読みを堪能しようと思っているのである。


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12月に入っているんですよね!

2022-12-06 09:04:47 | この頃思う事

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三島駅にほど近い場所に「楽寿園」という市民公園がある。
以前は、侯爵だか子爵だかの私有地だったらしいが、今は、市営公園となって開放されている。
ま、そういう成り立ちだから、回遊庭園のように池を巡る散策が、四季折々、楽しめるようになっており、今は「紅葉」が綺麗だ。
ただ、市民には無料入園料が配られているようだが、市民でない私は、公園入口外にある数本の「もみじ」で、もっぱら無料鑑賞するのである。

 

 


 

 

今朝は腰が痛む。
昨日、本当に久しぶりで(前回が何時だったのかさえ忘れている)物置の屋根に上り、降り積もった枯れ葉や枯れ枝を片付けた。
素足で上がったものの、どういう事か足の裏全体でしっかりと屋根を踏みしめない・・・だから立てない。
で、ドカッと腰を下ろし、両手で屋根を掴み、少しづつ這いずるようにしながら、枯れ葉や枯れ枝を下に落とした。
それでも、濡れた落ち葉で腰が滑り落ちそうになるのを懸命に支え、もう一歩で終わるという時に箒を落としてしまって・・・そこで終了にするが、気持ち的には達成感は無し。
まぁ、自分が落ちなかったことを「良し」とするしかない。
という訳で、朝一、腰の痛みで動けなかったという次第なのである。

達成感が無いというのは、私にとっては耐えられないことだが、もう、再び屋根に上るエネルギーもないから、その代わりに今朝は、我が家の庭の半分を掃き清めた(て、言うほどではないけれど)。

 ←我が家の入り口前の言わば公道を掃く

代替品で済ませるようになった私の性分も、大分、老齢化したようだ。

11月末から12月に入るまで、ちょい忙しかったために、ブログのネタが纏まらないでいる。
PCを前にして、あれこれ考えてはみるが全く思考が定まらないから、ついつい、その手でビデオを選択してしまい、またまた数時間を無思考で費やすのがこの頃の私だ。
それでも、大分、映画(ビデオ)も飽きが来ているから、そのうちにこの依存症的行為も解消されるだろう。
年末が近くなって、喪中の通知が来るようになり、とりあえずお悔やみのはがきを出しておく。
年賀状も、そろそろ、用意をしなければ・・・なんて思いながら、またしても映画(ビデオ)を検索している私なのである。

ともかくも、12月に入ったことを思うと、何とも一年の過ぎる速さに少し動揺を禁じ得ないのも事実であり、ちょっと焦りも・・・ね。

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