IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

やはり、今年も・・・

2020-12-25 08:45:54 | この頃思う事

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我が家の「さざんか」の内で、一番、華麗な花びらを持つ花だが、悲しいことに、我が写真技術ではその真の姿を表現できないので、ちょい加工をしてみた・・・造花のようになってしまったが、でも、形的には、かなり、現実に近いと思う。

 


 

 

最近は、毎年、「年賀状」を止めようか、どうしようか・・・とシェクスピア的に悩むようになっている。
が、パソコンで作成する年賀状であっても、今現在、私が作れないという状況でもないし、「軽~い安否確認の為に」と考えて、悩みながらも続けているのが実情なのだ。

先週の事、友達から年賀状作成の依頼が来た。
会社を退職してから地元に戻り、同級生などと旧交を取り戻し始めた頃に、簡単なパソコン指導をした友達の一人で、今まで業者に依頼していた年賀状を自分で作りたいと言うの聞いて傍から援助をするつもりが、何時の間にか、作成から印刷まで私が手掛けるようになってしまったのだ。
なかなか覚えてくれないのを辛抱強く待つのに耐えられない私にとっては、当然の、経過であり結果なのだと自覚しているが、やはり、自分のものさえ面倒になって来ているのだから、他人様のものでは、腰を上げるのが重くなるのは必然的な事。
実は、昨年の年賀状作成時に、友達には、暮れにバタバタと作るのが辛くなったから、夏の内に時間を取って、簡単に作れるハガキのひな型を、数件、作成して置き、自分で加工出来るように教えるから・・・という話が付いていたのだが、ここでも「コロナ」のお陰で、私が一方的に自粛してしまったと言う顛末があったので、今回は作成受諾という結論を下して友達宅に向かったのが22日だった。

しかし、「天は見ている」のか「因果応報」「身から出た錆」なのか・・・仕事完了後に帰宅してノタ~としていた私に、友達から電話が来て、「一字、誤字がある」というのである、がぁ~ん!的ショック。
視力に自信がないから、自分で判断しないで、常に、友達の目を持って、チェックして貰っていたのに・・・すぐに思ったのが、「何故よ、私の責任なの?」だったが、ハタッと気づいたのは「そうだった!私が入力したんだ」と。
そう、入力が終り、チェックも終わり、試し刷りも完璧で、さぁ、本刷りを・・・とプリンタを調整していた時、かの家の愛猫が、なんと、キーボードの上で遊んでいるのではないか・・・その時、入力内容に狂いが生じて、一字だけ空白になってしまった所を何の疑問も無く打ち直したのが私であり、何故か、つまり友達のチェックを通さずに、印刷を開始したのだった。
どうやら年始配達期限(25日)に間に合ったと意気揚々(さすが私!的気分で)と引き上げたのに・・・

友達は、修正液で直すからイイというのだが、どうしても自分的にはユルセナイ・・・で、翌日23日に、再び、友達宅に出かけて印刷し直したのである。
朝、出掛けようとする私を見た姉が、2日も掛ける年賀状ってどんなもの!という疑問を呈したので、経緯を話すと一言「あなたも年を取ったという事!」ですって、それも嬉しそうに・・・ホント、真実だと痛感!

友達には、「来年こそ、コロナの最中でもあっても、必ず、ハガキ作り教室は開くからね、覚えようよね」と念を押したのは当然の事である。

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趣味と階級の因果関係?

2020-12-19 12:32:50 | この頃思う事

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~さざんか、さざんか咲いた道、焚火だ、焚火だ落ち葉焚き あたろうか、あたろうよ しもやけおててがもう痒い~
昔々、我が小学校は、徒歩で小一時間程かかる場所にあった。
「さざんか」の季節になると思い出すのは、冬季の通学は小学生にとってかなり辛い時間であったのを、無意識の内に「焚火」の歌を口ずさみ、道端の焚火に引っかかり、エネルギーを追補給しながらが通学していた事だが、今は、懐かしい我が原風景である。

 


 

 新聞も眺めるだけの私が、久しぶりに手にした「活字」

小学生の頃には、あまり気づかなかった事の一つに、「私には、全く、音楽的才能は無い」という事だった。
中学生になった頃、和音だの短調・長調とかについては、それこそ皆同じに聞こえて区別がつかなかったが、それ以外の何かで頑張ったのか、通信簿評価では、まぁまぁ普通で通っていた。
が、高校になり、もう才能無しを自覚していたから芸術科目で音楽は専攻しなかったが、全生徒に課せられた「クラス別合唱コンクール」で貰った評価は「全く、伴奏のピアノと音が合っていない」だったのには、かなりのショックだったのを覚えている。
そんな事も有って、社会に出てから、自分用のオルガンを買ったり、姉宅にあったピアノを弄ったり(習わなかったが)、レコードを買い漁り、ステレオも買って時間が許せば、一日中でも音楽を流しているとか、努めて、音楽を身近に置くように計らってきた。

が、あるバイオリンコンサートで、世界でも名器と称されているバイオリンの音色を聞いてみたいと出かけた時、演奏者から観客に向かって「皆さんでバイオリjンを習った人はいますか?」という質問に手を挙げた人がほぼ皆無だった(当然、私もその中の一人、でも、元々シャイな(積極性がない?)土地柄だから習っていても手を上げなかったのだろうと推測しているが)、「えーっ! 一人もいないというのは私は始めて」という驚きを示した・・・その時、イジケ全開となった私は、バイオリンを習うどころか手にしたことも無いものには、コンサートを楽しむ資格がないのか、否、聞いたところで理解不能な存在なのかと、もうすっかり私の音楽に対する憧れにも似た気持ち(一応、探求心のつもり)が崩れ去ってしまい、今は、「音楽コンプレックス一色」となって、トラウマというかPTSDというか・・・の状況なのである。

 

先月だったかな、TVで「100分で名著」を見ていたら、「自分が好きで選び取ったはずの趣味というものが、実は、社会階級によってはっきりと傾向づけられている(岸正彦氏文中から抜粋)」という説を唱えているという、我が身に於いては、一層、ショッキング、否、絶望的な社会学を紹介した。
すぐにでも確認したくて、その誰にでも分かるという手引き書をお取り寄せした。

著作者がフランス人であることが、「階級」に関心を持たざるを得ないものがあったのだろうという推測は出来るが・・・ピエール・ブルデュー著「ディスタンクシオン(区別というフランス語)」である。
既に、4回中2回が放送されていて、必死に理解しようと取り組んでいるが、いやいや、何せ「活字」を読むのも久方ぶりだから、目では活字を追っていても、それが脳細胞に意味を持って伝播しないのだから、読み進めては元に戻り、やっと一ぺージが終り次パージをめくると前を忘れて、何が何やら・・・暗中模索、支離滅裂。
それでも、一応、理解出来ているのは、「下階級の私がいくら頑張ってみたところで、上階級の嗜む音楽を理解し鑑賞するのは、根っから無理!」だという事になるが・・・・ま、この本の結論はどう出て来るのだろうか・・・という事に興味津々と言ってもイイ手ごたえはある。

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小春日和な師走の一日

2020-12-14 12:58:19 | この頃思う事

昨晩の風で、庭に降り積もった落ち葉の中に、ようやく、我が家での「紅葉狩り」を体験する。
このまま、掃き捨ててしまうのも惜しいので、器に入れて両親や妹の写真の前に飾ってみた・・・まぁ、生前中の両親は、紅葉などに、余り、関心を示していなかったように思うけれど・・・ね。

 


 

 

昨晩は、珍しく午後11時過ぎには眠りコケていたようで、今朝、目覚めたのが午前6時過ぎ・・・私としては久しぶりに、普通の人間並みになったようだ(明日は分からないけれど)。
朝食(即席ハムサンドマガイを作り、友人から貰ったキウイにヨーグルトを掛け、ゆで卵(昨日茹でていて、又しても、忘れしまって焼き卵に))を済ませてから外に出ると、アレアレアレ、我が東屋玄関前が吹き溜まりとなって、落ち葉が積み重なっているではないか(ガックリ!)・・・放置するのは我慢ならないが、まだ、時折、強い風が吹き、周辺の木々から、絶え間なく枯葉を落としているので、とりあえず、定番吹き溜まり場所(玄関前、駐車場、洗濯場の3か所)だけの落ち葉を掃いてから部屋に戻り、ゆっくりと珈琲を淹れた。

ちょうどTVで、「Infodemic=不確かな情報の大量拡散」の問題提起をしていて、WHOが示す拡散防止のための7つのチェックポイントがあるとか言っていた(スミマセン、そこは自分には関係ないと聞き流したので不明)のを、番組のアナウンサーが締めの言葉で「私達それぞれが注意する事が、拡散防止になるのかも知れません」と結んだのですよね。
それをぼーっと聞きながら「何故、なるかも知れませんなの?何故、なるのですって言わないのだろうか?断定的に言う事は、放送禁止用語になるのかな?」何て曖昧な疑問が湧いたのですが、まぁ、私自身も、責任回避の為に(かなぁ?)、最近、断定的な言葉を避けているようにも感じているから、人様には強くは言えないよな。


珈琲を飲み終わった時、姉が、蜜柑栽培している親戚から送られて来たというミカンを持って来てくれたので、それを味わう、あれ!甘いと思った・・・甘いのが意外に感じた理由は、かつて、その地のミカンは皮が厚くてスッパイというイメージだったので、明らかに、私の固定観念を排除しなければと実感する・・・そう言えば、「infodemic」回避7つの誓い(勝手に付けた名称)の中に、固定観念を捨てると言うのもあったなぁ、どういう理由でだったのか・・・


陽射しも出て来た午後、少し風も弱まって来たので、またまた、落ち葉掃きを再開し、再び、3か所の吹き溜まりに今度は側溝(洗濯場からの排水用)も追加して、本日の落ち葉に関する作業は未完了ながら終了とする。

今、TVではどの局を開いても「ワクチン、ワクチン」と騒がしいので、TVを止めてDVDを聞きながら(そう、何回も見ているから音を聞いているだけ)年賀状の最終段階(宛名の印刷)に着手した、後は、其々にコメントを少し書き入れるつもり(あくまでも、つもり)だ。
早起きは三文の得・・・では無いけれど、午前中が長いと一日がゆったりと流れているように感じるんだよね。

 

まぁ、引退生活者の何ともやる気の抜けた、でも、老人らしく穏やかで理想的な(本人のみの一方的見解)師走の一日ではないか・・・なぁ~んてね。

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先行きが心配⁉

2020-12-11 12:04:18 | この頃思う事

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今年初夏の頃、自宅の庭でたくさんの薔薇の鉢植えを栽培していた同級生の友達が、都合で鉢植えを処分するという事を聞いて、私も上手く育てる自信はないけれど、廃棄処分するのならば貰って行く・・・と、数鉢、持ち帰って来た。
悲しいかな・・・案の定、夏が過ぎたら2番咲きどころか、葉が全部落ちてしまうという有様で・・・だからと言って、そのまま放置するのも可哀そうと思い、時期かどうかも分からぬまま、薔薇の木を鉢から外して、新しい土を追加し植え直してみた。
当然、枯れても仕方がないなという考えも無きにしも非ず・・・でも、スゴイものですねぇ、葉が復活したばかりか、花も咲き、今では九つも蕾を有しているではないか・・・しかし、さすが蕾の全部が開花してくれるかは断定できない。

 


 

 

昨晩、8時だったか9時頃か、面白いTV 番組もないし、寝るには早いし・・・と、久しぶりにPCの設定項目を点検していたら、WIN10がバージョン20H2にアップデートだかバージョンアップだかがインスト出来ると通知が入っていたから、「ま、する事もないし、暇だからやって置こう」ぐらいの軽い気持ちで「OK」をクリック。
それからがタイヘンな状況になって、翌日午前4時までダウンロード、インストール、再起動と、延々と続いたのだった。
その間、パソコンを監視しつつも、何時の間にか微睡み、目が覚めて慌ててパソコンをチェックするを繰り返す。
で、その努力の成果は?というと、何処がどう変わったのか、全く、不明であるのみならず、疲労が腰痛となって現れたと言う始末で、果たして、この作業は必要だったのかという疑問も湧いて来るのだった。

実を言うと、2、3か月程前に、知人のパソコンに新しい会計ソフトをインストールしようとした時に「OSのバージョンを更新してください」のような指示が出て、最新バージョンに更新するまで十数時間も費やすと言う難儀をした経験があったのだ。
また、7月(だったか?)に、我がPC(2台分)にも新しい会計ソフトをインストールして置いたところ、先日、やはり、追加修正分をダウンロード・インストするよう指示が入り、ソフトのサポート期間中ならばタダと言われて、大急ぎでインストールしたという出来事もあった。
ITの日進月歩の速さに、とても付いていけないと認識はとうに感じていたが、MyPCでさえ、もう理解が出来ないと実感する。

 

 

ここ10余年は、殆ど、個人的な遊戯器具としてしかパソコンを使用していないから、動けばイイくらいの知識しか必要ないと思っているので、どの程度のバージョンで良いのか、グレードアップの必要があるのか等判断が出来ない。
だからと言って、メーカーからの指示を無視する勇気もないから、何となく、必要があるのかもという(よりも、中味はよくわからないが、ともかくインストして置けば何とかなるだろう・・・みたいなイイ加減な)気持ちだけで更新してしまうのだから、ホントは危険極まりない仕業と言えるかもしれない。
最近でも、ATMでの詐欺行為が後を絶たず、相変わらず騙される人の有る事に理解出来ないとしている自分なのに、まぁ、自分もそれに近い行為をしているな・・・って、思う事多々あり。

徹夜でインスト作業後の寝ぼけた頭であったとしても、「この先、私は、どうなってしまうのか・・・」という不安材料を除けられない自分が居て、その自分をどこかで認めてしまっている自分自身が何とも不甲斐なく、恐ろしいわなぁ・・・と感じている

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コロナ下での忘年会は・・・

2020-12-08 08:59:27 | この頃思う事

友人が住んでいる町には「楽寿園」という公園がある。
これと言った設備は無いが、四季折々、それなりに巡りくる自然に癒される場所として、友人を訪ねた折に、一人で訪れる事も多い。
今年の「紅葉狩り」の最後の有力地と、訪れてみたが、やはり暖かいからだろう、鮮明なもみじ色になっていなかった・・・これも自然の営みの流れの一つ・・・と、しばし眺めていた。

 


 

 

コロナ下では今までとは違う生活をしなければいけない・・・と、頭では理解しているが、やはり、年末となると、例年の如く、一年間ご無沙汰をして来た友人達と、忘年会と言う名目の年一回の会食をして、重ねて来た不義理を埋め合わせようという気持ちになってしまう。

例年だと、この会に参加するのは、私を含めて4名(内3名が同じ町に住む)、それぞれ私との出会いは別個であったが、ある時から一堂に会するようになった、その理由は、同じ町で3回も忘年会(新年会も)する事に疲れた私が、其々を引き合わせたという、相変わらずの利己的判断からであった。
でも、今年は、やはりコロナの為に、新年会を開く機会を失って、その後、友人の一人(仲間内では最高齢)の体調を考えると、食事会を開く決断が出来ずに、とうとう、年末になってしまったという次第なのだ。
ぎりぎりで、一度、声掛けだけしてみようと動き始めたところが、友人たちの住むこの町でも、出所分からずのコロナ感染が急増して不安を感じている面もあるし、私自身も大丈夫だ!と太鼓判は押せない以上、中止の判断をした(但し、友人の一人とは用事があったので、ランチついでの忘年会をしたが・・・入店の際、体温検査・手の消毒あり、会食1時間程の間に、店員が、度々、お茶を継ぎ足しに来るのは、「早く切り上げて」という暗黙の圧力かという被害妄想もありで、ま、落ち着かないのも事実)。
2,3日前、東京に住む知人から年内に写真展を開催するという案内状を貰った。
ハッキリ言って、今の状況下での上京は、私には考えられない。
知人には、東京を差別したのではなく、我が家の置かれた状況を説明し、コロナが収まったら、じっくり飲み語りましょうと伝えたが、理解して貰えたと信じている・・・但し、約束した事は実行するという意志も大事だという認識あり。

 

国中で、非常事態並みに感染者が増え、自粛要請がされていても、めげずに(?)出かける人もあり、要請は高齢者をターゲットにした差別であり不公平だと主張する人あり・・・自由を尊重する国であるからして、それ自体を悪だと決めつけはしないが、でも、多分、否、きっとすべての国民が、このままコロナ禍の中で過ごしたいとは考えてはいないと思っている。
ニュースを見ていると、大方の意見が不平・不満である事が悲しくなる(ニュースの取り上げ方が一方的?)、一日でも早く、本当の自由を謳歌するために、可能性ある建設的な意見を提示し、我ら其々が、出来る事を実践しながら収束を待ちたい・・・と思う私の考えは偏っていてオカシイのかと、最近、戸惑いを感じているんだよな。


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今年も「師走」が始まった!

2020-12-02 12:00:05 | この頃思う事

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ず~っと若い頃には、結構、「大輪の菊」に興味を持ち、自分でも、「3本仕立て」の鉢植えなど試したものだが、何にしても同じだろうが、毎日、毎日、朝の晩にチェックをしながら手を入れないと、全く目も当てられない状態なってしまう事で、それから挑戦を諦めた・・・という悲しい経験がある。
最近は小菊だけを、春に目を出した時に株分けをして植え替えるのみ、後は放置・・・それでも、季節には、ちゃ~んと花を咲かせてくれるのだから、感謝!あるのみ。

 

 


 

 ←多分、白菜か?

玄関脇の小さな花壇の片隅に、ある日、自然発生的に芽を出したもので、最初は傍にあった「ぺチュニア」かと思っていたら、だんだん育つうち、どうやら菜っ葉(白菜)のようだと気づいた。
でも、私が、間違ってもこんな場所に野菜の種を蒔く筈も無く、姉に種をこぼしたかと聞いても知らないと言う(でも、最近、姉の物忘れ状況から見ると、極めてアヤシイ)が、まぁ、折角芽を出してくれたのだから、暫く成長を見て、あわよくば、ここで白菜を栽培するのもイイかな?と「捕らぬ狸のなんとやら」を決め込んでいた。
ところが、今朝(2日)に見ると、いやぁ~やっぱり、シッカリ虫に喰われているではないか・・・防虫剤なんかしないのだから当然で。


今朝のニュースでは、この冬の野菜の見通しは安価になると言っていた。
私は、我が家で調達できる野菜はスーパーに行っても見る事さえ無いので、現在、野菜価格がどの位なのかは不明で、姉に聞くと「そう、結構安いよ」と言うので、「そうならば(白菜が高価でで無ければ・・・という意味合いで)、虫に喰われる前にこの白菜を食用にしよう」と、大人げもなく虫に対抗意識を燃やしたという訳なのだ。
本日の夕食には、味噌汁の中味となっているだろう。


一年中がコロナ、コロナで圧迫され、脅威の日々であっても、きちんと師走はやって来る。
何か一年の最終月というには、締まりのない気分で(多分に温暖な気候のためとも思うが)切羽詰まった感も無い。
コロナ自粛生活の余裕時間で、案外、何時も年末に取っかっていた細かい仕事(窓ガラスの掃除とか障子貼り、年賀はがきの用意等)が、既に終わっているからかも知れない。
TVで見るだけの世界情勢も、コロナワクチンの接種が可能(?)になった事で見通しが出来た安心感も漂っているように見えるのも、私が、この節気に(祖母がよく口にしていた)ノタ~としている一因かも・・・確定は何もされてないのに、ホント、イイ加減なものだと思うけれどね。

 

まぁ、こんな風でも、コロナ発生からおよそ一年、何はともあれ、我家の住民皆が無事に過ごして来た努力を誉めてあげよう、いやいや、友人も、友達も、ご近所さんも、親戚も、その他の方の努力も褒めなくちゃ、私が「我利我利亡者」になってしまう・・・そこまで気を使うのもねぇ、ちょい偽善的?
とは言っても、まだまだロロナは続くのだから、気は緩めずに・・・ね。

 

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