咲いている花が無くなった花壇に、「ベゴニア」が、ひっそりと、白い花を付けていた・・・何となく、気持が引き締まる
偶々、見ていたニュースで、東日本震災の被災地で、ことごとく流れ去った家の敷地内に、ボランティアで「小さな花壇」を造っている人を紹介していた。
亡くなられたその家のご家族の写真を見て、同じように見える顔型の花壇を造ったと言う。
ご遺族の方が、その花壇を眺めて、心を癒し、前向きな気持ちになられたのだそうだ。
それは、本当に小さな花壇だった。
海岸から拾い集めたのか、河原からなのか、丸いコロコロした石で花壇を囲み、その中に、タイルのようなもので顔かたちを作ってある。
そして、顔に寄り添うように、花を植えてあった。
不覚にも、胸が熱くなり、涙もこぼれそうになった。
決して大がかりな援助ではないけれど、確実に、相手の心に届いている事に感動すら覚える。
私も、ここ2年かな?、仲間たちと、「花壇管理」のボランティア(というのも恥かしい位些細な)を続けている。
称賛の言葉を貰いたいのでは無い・・・でも、もう少し、反応があるだろうという期待は持っていた。
「お手伝いさせてください」という申し出があれば最高だが、そこまで行かなくても、せめて、この花壇にゴミを捨てないで、もし、落ちているのを見たら、拾ってくれても良いだろうに・・・と、ついつい、愚痴が出てきてしまうのが、最近の私だ。
被災地での「小さな花壇」を拝見し、我が心の卑しさを痛感した。
自分自身が楽しめれば、それが最高、他に期待はしてはいけない、初心忘るるなかれ!
若しかして、こぼれそうなった涙は、我が身を恥じたのかも・・・目を覚まさせてくれた「東北の小さな花壇」であった。
我家の孫娘が造った「洋風箱庭(?)」
ま、褒めてくださいと言い難いので、「なんと芸術的な・・・」と感じて頂ければ・・・ね。
おばあちゃんは癒されているようですよ。