IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

忙しかった3月が終わる!

2021-03-31 07:55:02 | この頃思う事

       ←拡大可能

今年も、「お花見」は自粛・・・で、近所の神社にある数本の桜を、一人鑑賞しながら、より良い明日が来ることを祈ると、花びらが、はらはらと舞い散り、まるで我が気持ちに答えてくれたかのようであった、風が吹いただけだが・・・

 

 


 

 ←3月のマイカレンダー

例年ならば、2月は予定で埋まるが、3月は、暇で真っ白なカレンダーの筈だが、今年はひと月遅れで、3月に予定が集中した・・・と言うのも、大方は、確定申告が1か月延長になった為である。

昨年も、申告期限が、ひと月、延長されたが、その発表された時点では作業が殆ど終わっていたから、3月にバタバタする必要がなかったが、早くから分かっていると、案の定、余裕と言うかナマケ心と言うか、準備段階がひと月遅れになるのだから、当然、3月が忙しくなるのであって、私にとっては、例年通りであっても、さして変わりないという事(個人的な感想)。

その上、3月は、その申告作業の合間に、「春」を感じて、気もそぞろになって「遊び」の予定も入って来るから、ご覧の如く、マイカレンダーが混雑の極みとなるのである。
ま、それでも。苦しみ(私にとっての作業)だけではなく、楽しみも混在していることが、予定をこなしていく励みになっているのだと感じているが・・・

 

バタバタしながらも、3月は今日で終わる。
ひと月前に、世話になりっぱなしでいる街の友人に、軽~く、ランチでお礼を・・・の予定が、店が休業で果たせないでいたのを、3月中(つまり今日)に解決する事にし、只今から出かける。
ついでに、「三嶋大社」と「源兵衛川」の桜も鑑賞出来たら、もう、3月としては「完璧」なのだが・・・行けるかな?

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

31日午後2時・追伸:今日は暑くて・・・街の桜は、既に葉桜でして、桜鑑賞という目的は達成できなかったが、忙しかった3月の私へのご褒美として、ちょっと豪華に(下記画像)ランチをして来ました・・・いやぁ、満足!です。

 ←これに珈琲付きで。

 

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ヘタな考え 禍招く?

2021-03-28 19:47:13 | この頃思う事

  ←ノースポール(拡大可能)

ここ数年、種がこぼれて自主発芽していた「ノースポール」だが、段々株が小さくなって貧弱になって来たので、今年(昨年末に)は、新しい苗(6株だったかな?)を買って植えた・・・さすが元気が良く花数も多くて、かなり豪華に咲いている。

 


 

 

昨日の我がブログでは、「悩むな 考えよ」と大口をたたいたのに、実は私、大いに、悩んで、悩んで、悩み抜いていたのですよ。
でも、きっぱり結論を下しました・・・えっ、何をそんなに悩んでいたのか・・・とお聞きになるのですか?
まぁ、実にクダラナイ事でして・・・


コロナ禍での自粛事態と共に、同級生仲間で「Zoomで飲み会」を開始し、もう、一年も続けているのですが、最近、ホストをしてくれている仲間に異変(?)か起きたのか忘れられてしまう回数が増えて来たのですね、何と言っても、ホストが頼りの会ですから、当然、会は催行されない訳ですよ、コロナ禍で貴重な存在となっていたのに・・・です。

開始した当時は、一年もすればコロナも収束だろうと安易に考えていたので、Zoomに関して、何も学ぶ事なく過ごして来てしまったが、果たして、この状態を続けていて良いのか・・・と、今更ながら悩んだという訳なんですよ、今から勉強すべきか、はたまた、おんぶにだっこを貫くか・・・とね。
何週間か悩んで悩んで(何を悩むのかと言うと、もう様々な面倒からは引退すると宣言したから)、最終的にちょっと考えて・・・一応、会議主催者としてのアカウント取得にトライしてみよう・・・に至った次第なんです。

Zoomホームページから「初心者でも分かるZoomの基本~ナンチャラカンチャラ」をプリントアウトして(基本イイ加減な私だから、手に取って、いちいち、事項を確認しながら入力をしないと、平気でとんでもない間違いをする)入力を始めるが、やっぱり、だんだんイイ加減に走ってしまうのでした。
ともかく入力を済ませて送信するとメールが送られてきて、更に、確認入力をするのですよね、もう、面倒臭い事と言ったら・・・それでも、どうやらクリア出来たようで、主催者として会議のスケジュールを申し込めるところまで到達したのです(とりあえず対象者は自分だけで試験をしてみるという手順を踏もうと)。

 

で、その最初のスケジュールの日が3月28日13時からでした。
ホストとしてZoomを開き、マニュアル片手に項目の確認をするつもりが、ソフトのバージョンがマニュアルと違うために、何が何やらチンプンカンプン、分かったような分からないような・・・結局、時間途中で放棄してしまいました。

まぁ、毎度の如くの私のお仕事ね・・・と言えない事もないですが、やはり、「下手な考え 禍招く」という格言を作りたい心境ですね。
しかし、私は挫けません!(否、遣りかけで放置できない性質ですから、ダメ元でも結果を見極めたい訳でして)再度、試験トライのためにスケジュールを入れましたよ、4月中旬に・・・果たして、どうなるのでしょうか?

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❝悩むな 考えよ❞

2021-03-27 08:47:49 | この頃思う事

 ←狩野川土手のソメイヨシノ(拡大可能)

3月24日と26日に、近辺の桜開花状況を知りたくて、2、3か所の桜を見に出かけたが、何処も3分~5分咲きという具合だった。当地の開花が、平年より遅れているのだろうか・・・それでも、来週辺りには満開になりそうな気がする。

 

 


 

 

標題の「悩むな 考えよ」というのは、40代で早逝された哲学者:池田晶子氏の言葉だそうだ。



我が唯一の図書館である「100分de名著」の番組「災害を考える」に中で、池田晶子氏の「14歳からの哲学」の講義があり、「生きる意味を問いなおす」という副題が付いている。
「14歳から・・・」と銘打たれているが、古稀を過ぎた私にとってもちょい難解な論説であるが、何故か、惹きつけられるものを感じた。
まぁ、この歳になって「生きる意味を問いなおし」たからって、どう人生が変わるものでは無いけれど、14歳(人が社会に向けて開かれる年齢であり、自分の存在があるかたちを帯びて来るのだそうだ)に向けて、どんな語り方をしたら自己の発見に繋がるのか覗いて見たいと思ったので、とりあえず「テキスト本」を取り寄せたものの、まだ、読んではいない。
でも、一番先に目に飛び込んできたのが、この言葉「悩むな 考えよ」だったのだ。

その本当の意味(真理)について不確かながらも、分かるような気がした・・・私自身が、常に、ヘタな考え(これって悩む事では?)休むに似たり、前を見据えて行動するのみ・・・を、我が身上としているからだ。


我が家の近くに、ここ数年、ちょっとワガママ(甘えている?)ご主人の介護を続けている友達が居る。
買い物帰りなどに、時折、寄って話をしているが、デイサービスを拒んでいたご主人が、今週から、週2回、リハビリと言う名目(介護と言うと気を悪くするらしい)でお世話になる事になったとメールが来た。
前々から、ご主人がデイに出掛けられるように為ったら、ゆっくりお茶でもしようと約束をしてあったので、早速に、お花見がてら近所の公園に、珈琲・茶菓子持参で行く話にしたが、出かける直前に電話が入り・・・公園の桜は、まだ、満開になっていないので、ちょっと別な所に付き合って・・・と言うから、OKした。
その用事というのが、やっとデイに出掛けたご主人が、デイ以外はどこにも外出出来ない(歩行困難)ので、気分転換に出掛けられる場所を探したいのだそうで、「足湯」やら「桜並木」やら、数か所を車で巡って状況の検分をしたのだ。
その後、お茶屋で珈琲を飲みながら、毎度の如くの介護の苦労や愚痴を小一時間聞く・・・その事自体は、何も言うつもりは無い、それで一時的にも気が晴れてくれればそれで良し(但し、毎度、進歩が無い話だから真剣さは欠けるが・・・)。

まぁ、あえて一つだけ提言させて貰えるならば、やっと解放された3時間の貴重な時間を愚痴で終わるのはモッタイナイ・・・という事だ。
介護で悩んでいるなら、それを解決する方法を探せばいいし、自分では出来ないと悩まないで、その道のプロに頼ったらいい、介護状態(認知も含めて)になる事は世間体の問題では無いし、その人格を貶めるものでも無い等々・・・現実をしっかり認識すれば、手間を省けるところが見えて来る、それを非難や噂話をしたい人にはさせて置けばいい、彼らにやっかいになっている訳では無いのだから無視でOK、今、自分の出来る事だからと必死にこなしたとしても、悲しい事に、やっぱり後悔は起きて来るのが人間なのだから、今は、無理のない範囲で対処して行けば良しと自分で自分を納得させる事と、まあ、イッパシブッて助言した。
100歳までは生きたいご主人が葬式はお前が出してくれと言うのだそうで、友達は、そうすると、後20数年は生きなければならないと愚痴るから、「まず、当面の目標が決まったね、目標があるのは良い事よ」と励ましたつもりだけれど、励ましになったかどうか・・・

つまり、私は友達に「悩むな 考えよ」と伝えたかったのである。

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「男女間平等」について想うこと

2021-03-21 07:29:59 | この頃思う事

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春一番に花を持った「クリスマスローズ」の花に、ようやく、色が付いて来た。
それにしても、この名称は、どうしても季節に似合わないと感じてしまうが、しっくりとくる別称はないのかな?



 

 

姉の孫が、この3月中旬から、まだ、研修期間であり直に仕事に就いた訳では無いが、新入社員として勤めを始めた。
本来ならば、本部だか研修センターは知らぬが、九州にある施設で研修する筈が、コロナの為、それもならず、県内の施設に通って研修を受けていると言う。
孫自身がが、これをマイナスと受け取らず、通常では得られない貴重な体験だと捉えてくれるとイイナと思っている。

思い起こせば、私自身は、ある都市銀行に入行し研修を受けたのは勤務場所である支店で・・・だった。
50数年も前の事を、何故に覚えているかと言うと、同じ年に入行した男性行員らは(同じ支店に勤務予定男性子行員も)、本店(本部?)で研修を受けたからだった・・・そう、何で、男女で扱いが違うの?と、その時に強く憤った記憶が蘇る、姉妹ばかりで育ち、元から男女の違いなどとは縁遠かったから、とても印象的な出来事だったのかも。
その後、システムをコンピュータ化する際の講習(その頃からコンピュータに興味を持っていたから受講したいと願っていた)にも、女性行員は対象では無かったと記憶している(システム化のデータ登録は、何も講習を受けていない私が、退職後に来店して、処理をした)。
そう言えば、女性行員には転勤も無いし、採用条件に、実家から通うと言う条件も付いていた等々、結構、様々な不平等があったと思っている。

昨今、「男女間差別」について、大分、姦しくなっているが、「平等」と言わず「差別」と表現する事に違和感を感ずるのは何故なのだろうか・・・
考えてみれば、45年間程、会社勤めをして来て、「平等」では無いと感じても、「差別」とは感じなかった私は、「平等」を勝ち取る闘争心が無いために、暗黙の裡に「差別」も認めていたのだろうか・・・いやいや、当時から、人間から「差別」を取り除くのは無理な事・・・という考えであった為と思う。
確かに、私自身が「頂点に立ちたい」という意欲は無かった、しかし、「機会は平等」にして欲しかった・・・が、偽らない気持ちなのだ。

孫が職に就くに於いて、他の社員と「平等の機会」を得るために、彼への助言はただ一つ「あらゆる機会を捉えて勉強しなさい」そして「勉強は他人の為ではなく自分の為」と付け加えた。

 

本日は雨・・・当地方も、かなりの量(総雨量250ml?)になるという予報だが、雨音がとても心地良い。
先日、種を蒔いたばかりのポットを庇の内に取り込ん置く・・・まだまだ、発芽は先の様だが、毎日様子を見るのが、ちょい楽しみな日課になっている。

  
手もとに保管してあった種を、適当に蒔いて、残りは廃棄した・・・何が出て来るか・・・お楽しみ!ってところね。

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何やら、急かされているような・・・

2021-03-17 15:33:05 | この頃思う事

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昨年、やたら大きく伸びてしまった「ユキヤナギ」を、少し形を整えようと思いながら、案の定、手入れをしなかったが、今年も、それなりに華やかに咲いてくれた、有難い事!
その姿を眺めながら、今年こそ、剪定しようと考えているが・・・

 


 

 

いやぁ、今週は、とても気温が高くて、今日(17日)は、多分、20℃を超えたのではないか・・・と思える。

日曜日(14日)に、甥の決算・申告作業も、殆ど終わり(確定申告書作成を残すのみ)、肩の荷が下りたけれど、ついでに、気も抜けたようになっている。
うだうだと腑抜けた時間を送っていたが、姉が、夏野菜の苗を植える準備だと言って、畑の手入れを始めたのを聞いて、私も動いた方がイイのかな?な~んて事を考えて、畑の一角にある我が担当区域(毎年、ゴーヤを植えている)と、雑草が目立ち始めた花壇の草刈り(姉は、丁寧に雑草の根を引き抜くが、私は面倒なので、鎌で払うだけ)を、何だか、気温に急かされたのか、はたまた姉に急かされたのか・・・そんな気分で始める事となった。
9時頃から午前中だけと決め、ぼちぼちと作業をしているだけなのに、やはり、腰に来るので、やむなく膝を付いて(つまりイザって)安全を図る。

 

  (ゴーヤ専用地 神のお恵みがあれば自然発芽する)     (花壇では、芍薬の芽が出始めている)

何しろ、基本イイ加減なのだから、またすぐに雑草も出るだろうが、今年は、少し、畑の作業も増やしていこうかと考えている。
毎年、数種類の夏野菜を育てている姉が、いろいろな理由から、今年は、今までのような農作業は無理かもしれない・・・と言うので、私が出来る事はするから、とりあえず植えて置いたら?と告げて置いたのだ。
私自身が、農作業をする時には、一人で、あれこれ考えながらする方が楽なので、多分、姉としても、手伝って貰うより止めた方がいいと思っているのかも知れない。
ただ、姉は、マイナス思考なので、先にいらぬ心配をし過ぎる傾向にあるから、始めて見れば、案外、何とかなるもの・・・という考えに至らないのだ。
ま、決断をするのは姉であり、私はそれを補助するだけで・・・でも、畑が空いていると雑草が出放題になるのは嫌なので、結局、草取りはする事になるのだろうと思っている。

何れにしても、姉も私も、80代中頃迄(私が畑を引き継いだのは母が85歳か86歳位だったと思う)、一人で農作業をしていた母の足元にも及ばないという明白な事実が判明。

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やっぱり、壊れてるよね

2021-03-13 09:22:00 | この頃思う事

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多分、「ヒメリュウキンカ」と思うが・・・何とな~く気分か滅入っている時、黄金色に輝くこの花を見ると、背筋がすっと立つようなある種のショックを感じるが、そう言えば、トイレの内装を黄色主体にした友人が、「黄色は元気を貰えるから」と語った言葉を思い出した。

 


 

 

3月初日に卒業を迎えた姪の子供に(子供にとっては、結構、精神的にも、頑張った数年だったと思う)、ささやかな祝い金を上げようと、先日、使用可能の手続きが完了した「キャッシュカード」を持って、コンビニに走った。
自信満々で、ATMに向かい入力をしたのに、エラーになる・・・はて? なんでだろう・・・と、更に、数回、くり返して、はたっと気が付いたのは、「そうだ! 、残高が無いのだ」だった。
実はこの口座はクレジットカードの専用にしていたから、常には、残高を置いていなかったのだ。
急いで、家に戻り、パソコンから送金をし、残高を確認して、再び、コンビニに走る・・・が、相変らず、受け付けてくれない。
手元に眼鏡を持っていなかったので、画面上に何が表示されているのかがはっきりせず、じっと目を凝らして見つめてみると「お取引銀行窓口に行って云々」と書かれてあるようで、えっ~と思いながら、またまた、はっと思い出したのが、「そうだ、この口座のパスワードを変えたんだ」だった(ずっと以前、 財布を無くし、大急ぎで銀行に停止依頼したが 、 再発行する際に番号を変えるように言われた事があった)、要するに、またカードは壊れたという事。
 で、結局は、そのカードをそのままにして、別の手段をもって「祝金」の調達を済ませた。

 その話を、前回もお世話になった友人にしたところ、また、当該銀行まで車(車で3~40分程掛かる)を出してくれるという事になって、昨日(12日)、手続きの為の「カード・印鑑・保険証の銀行三種の神器」を持って出向いたのだが・・・ま、結果は、身分の証明出来ないから手続き不可だというのである。
銀行窓口では、マイナンバーカードは持っているかとか、スマホから手続き出来るとか(詳細は省く)、いろいろ手段を上げてはいたが、「3種の神器」しか持っていない私には、今の段階では、何も役に立たないではないか・・・つまり、だんだん怒りがこみ上げ、やっぱり、キレたという事ですよ。
 「では、このままで結構! 」 と、 手続き未完了のまま銀行を出た(心象的には、振り返りもせずさっそうと後にした・・・と、言いたいが )、ホントは、既に、別の銀行でキャッシュが出るように手続きをしてあったからだが・・・

 帰り道、2度も車を出してくれた友人に、「さぁ、腹立ち気分一新に豪華なランチを奢るから、あなたの好きな所に行って! 何でも何処でもOKだから」と、友人オススメお昼時レストランに向かったら、何と一時間待ちだと言うではないか・・・えーっ、今日は平日でしょ、何故こんな田舎なのに、 どうして混む訳? ・・・と文句も出たけれど、そうか、子供らが春休みなんだ、こんな具合じゃ、コロナなんて収まる訳ないよなと、妙に納得。

何時も暇人だけれど、一時間なんて待つ気持ちは毛頭ないから、別の軽食喫茶でランチ(黒カレーという素材も不明なものを食したが、それなりに美味しかったな)したが、ここでも、大失敗をしでかした私だった。
食事が済んで会計の際、5千円札を出したのに、店員さんは、現金受け皿に千円を出したまま何か言っている・・・えっ、お釣りが千円? どうして? 何なの?・・・もう、お分かりでしょうが、5千円札を出したつもりが千円札だったという話でして、もう、お金の違いも分からないようになってしまった(最近、現金を手にする機会がないから・・・という言い訳をしたいが無理か? )。

ま、どう言い訳しようが、私の頭は「壊れてる」に変わりないよね。

 

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一雨毎、「春」に・・・

2021-03-06 10:31:45 | この頃思う事

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昨年だったかなぁ、まだ生るかも知れないけれど捨てる・・・と言っていた友達から、「椎茸のほだ木」を、数本、譲り受け、ダメ元だと思いながら植木の陰に立て掛けて放置していた。
ある日、姉から「椎茸が生っている」と聞いて、「貰った元が取れた」ぐらいに思っていたところ、今年、この雨模様の中で水分を補給したのか、あちこちに、小さな頭を一気にもたげ始めたのだ・・・大きなものもあり、これは儲けもの!とニンマリ。
椎茸が出たよ・・・と、友達に報告しようと思いながらも忘れてしまうので、本日、この場にて報告とする。

 


 

 

我が氏名の読み方(漢字表記は別)と2字しか違わない氏名の同級生が居る。
その同級生が、腰だか膝だかの具合が悪くて手術をした・・・というメールが送信されて来たのを見た(或いは聞いた)別の同級生が、我が家を訪れ、応対している私を見て「足は大丈夫?」と言うのだ。
あぁ、間違えてるな・・・と、すぐに、「私じゃないよ」と訂正し、正しい情報を伝えた。
同級生は用事があって我が家を訪れたのだが、きっと、お見舞いの気持ちも含んでいたのだと推測し、その気遣いが嬉しくなって、「わざわざありがとう」とお礼を述べた。
まだ、顔を見て話している時は、その場で訂正できるが、電話(私は、あまり電話をしない)やメールならば、案外、間違った情報が、そのまま、事実のように認定され皆に流れて行くのだろうな・・・という事が、十分、予測出来る。
ずっとずっと以前の話、私は若くして亡くなったという話になっていた事もあったしなぁ・・・

先日、足を怪我して歩行困難の友達宅を訪ねた時、顔を見るなり、まず、「何時もあなたは元気だねぇ」と、私に言うのを聞いて、はぁ、またか・・・と感じたが「お陰様で元気よ」と、毎度の如くの「定番返事」をする。
だが、正直なところ、現在の私自身の状態は、病気では無い(自己診断)ものの、元気だと言う程でも無いから、何をするにも、かなり、自身を鼓舞しながら日々を過ごしているのになぁ・・・と、心の中では愚痴も出る・・・まぁ、慰めの言葉を貰いたい訳でも無し、表立って反論をするつもりも無いけれどね。

「他者を思いやる」事は、自分自身の体力に余裕が無いと出来ないかも知れない。
でも、「自分も他者も同じ人間」ならば、誰もが、一斉に同時進行はないけれど、それぞれ、病を持ったり、癒されたり、鬱になったり、躁になったり・・・という経験を繰り返して年を経て来ているのだと考えたい。

 

元気だねと言われたら、本来、喜ぶべき事であり、「ㇺっ」とするのは、私のようなアマノジャクしかいないのだろうが、ただ、もう我らが世代では、誰でもが、何かしらの衰えがあると思うし、元気そうに見えても辛い経験もしているかも・・・と、「他を慮る心(言葉)を持ちなさいよ」と思うだけであるが、つまり、私も、ひ弱になったという事ね。

 


朝から曇り空だったが、現在は、気持ちよく晴れている。

で、気分一新して・・・・・

 

多分、八朔・・・今朝、落ちたばかりの実(毎日、点検している)を、すかさず拾い、中味を「蜂蜜漬け」にした。
私としては、「廃棄食料削減」方針に則り、ただ捨て去る事を許さずに(ケチなだけの声あり)、「ビタミンC満載のデザート」として再生している・・・結構、美味しい!

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睡眠不安定が諸悪の根源?

2021-03-03 10:53:25 | この頃思う事

 ←拡大可能 : 満開を通り過ぎた感あり。
何時の間にか、裏の竹藪の「やぶ椿(よそ様の物)」が、すっかり、満開となっていた。
触れなば落ちん・・・の状態の枝を、そおうっと切り取って花瓶に挿したが、その花びらが音も無く、はらりと散ってしまうのを見ると、ホント、桜よりもはかない風情だなぁ・・・と思うのだ。

 


 

 

3月3日、雛祭り。
割合、年中行事には丁寧な姉も、何故か(心情的には理解出来るものがある)今年は、雛壇段飾りを省力したようだ。
それでも、心のどこかに、雛に対して後ろめたい気持ちがあるのか、やっぱり飾りたい気持ちがあるのか、極々、可愛らしい雛人形が玄関に飾られている。
ま、大小に係わらず、雛人形に会えるのは、多少、心弾むものがある。

              一応、2体飾ってある。


コロナ自粛の1年が経ち、私自身、馴れが生じているのか、最近の感染者状況にも緊張感を維持出来ていないと思える日々である。
そんな中、時期的にも出かける事が多くなっているが、先日、友人と、「風の中の桜鑑賞」で、ちょい風邪を引いたようで、その晩、鼻水(これは以前からだったが)は出るし、喉は痛むし、足腰も痛むし、そのうち、何か頭も痛くなったような気になり、でも、熱は無いよな・・・いやいやいや~、まさかコロナに捕まったか?と、危機感さえ生じるような・・・で、取り敢えず、常用風邪薬(胃と風邪の薬だけは用意してある)を服用し、早々に布団の中に避難した(薬のお陰か、その晩はぐっすり眠れたのだ)のが良かったのか、翌日は、鼻水は止まらないものの、それ以上の症状は無くなって(前日、競歩のように歩き過ぎたから、足の筋肉に疲労感あり)、やれやれと、ひとまず安堵する。
とは言っても、「コロナでは無い」と自分勝手に判断しただけだから、真相は不明である。
思うに、こんな風に何でもにコロナに結び付け、神経をツンツン尖らせている自分を見ると、既に、精神的には全負けだなという実感がある・・・でも、緊張感も必要なんだし・・・と、ねぇ。

今月中には、甥から頼まれている仕事も完了したいと思っているし、コロナからちょい離れる心の修正が必要な気がする。
来週には、友人との「ランチ&珈琲」の計画があるので、まずは、気力・体力維持の為、早寝早起きを実践しようと思うが・・・そうなんだよね、又しても、このところ睡眠時間が大幅に狂っているからして、やっぱり、睡眠不安定が諸悪の根源(ま、それ程の大袈裟な事でもないが)なのだろうな。

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