IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

春遠からじ?

2021-01-27 13:06:53 | この頃思う事

   ↑ 本日、切り花にした蕾

 ←最後まで残った蕾

昨年の晩秋、枯れてしまいそうになっていた「薔薇」の鉢植えに、ダメ元で新しい土を加え追肥をしたら、予想以上に甦って、蕾も10個程付けた。
「薔薇」に詳しい方からは、蕾を切り落とし、本体の体力温存をした方がイイ・・・と、ご助言を頂いたが、せっかく頑張っている蕾が可哀そうで(否、私の欲かも)、開花の前まで維持を図り、その後、切り花(まだ蕾の状態ながら)として、友人宅と姉宅に寄贈した(開花したかどうかは確認していないが・・・)。
さて、今年、この鉢の薔薇は新芽を出してくれるだろうか・・・

 


 

 

今朝は雨で・・・目が覚めると(何時も、無意識的に必ず点ける)エアコンが稼働していない・・・暖かかったのだろうな、まだ、雨音が聞こえている。

午前7時、朝食を済ませてから庭に出て見ると、かなり雨足も強くて、本降り模様である。
ふと気づいて、寒さ除けで家の中に取り込んでいるサボテン種の鉢植えを、雨の中に出した。
そう、家の中で水遣りしても、すぐに乾燥してしまうが、しばらく雨の中に置くと、かなり水分維持が上がり、その上に、サボテン自体が生き生きとしてくるのだ、自然は有難い!
鉢植えの水分補給を小まめに出来ない(怠惰だからね)私は、よく、こういう手抜きをするけれど、それには、それなりの報い(禍?)もあって、気温が高下する時期には油断大敵なのに、鉢を取り込むのを忘れるのだ、それも頻繁に・・・その結果については、もう、誰にも文句は言えないから諦めるしかないと達観(?)している。

それでも、コロナ禍の雨降りは、何とな~くホッと出来るのよね(科学的根拠は不明)。
戸外に出て、大きく深呼吸しながら、暫く、庭を歩き回る。
少し、雨足が弱くなった中で、目立ってきた花壇の雑草取りをした・・・撒き散らかったコロナ菌が雨と共に流されていくようで、すこぶる爽やかな気分。
当市内でも、あれよあれよと感染者数が増えて行って、もう、累計100名が目前なのだ。
先日、スーパーの店先で、偶然、知人と出会い、買い物が済んだ後、「先に帰るね」と挨拶したら、「えっ、もう終わったの?早いねえ」と言われた、そうなんだよね、早く店から脱出したい気持ちが募って、買い物時間が短くなっているように思える(度々、予定していた物まで買わないで帰ることがあるくらいなので・・・)。


明日は、久しぶりに街(感染者数が累計150名)に出る。
ちょいとした用事(でも、不要不急でもなく)だから、無理に外出する事も無いながら、抱えている用事を一気に済ませたい衝動と、昨年末以来、会っていない友人に積もった愚痴も聞いて貰いたいという甘えとを、コロナと天秤にかけた訳で・・・それなのに、私の中では、何か、億劫な気持ちが支配しているのだ。
コロナの自粛は辛くない・・・と、断言してもイイくらいの私だが、既に周辺は「春遠からじ」の季節になっているというのに、やけに出不精になっている自分が、一番、厄介な気がするなぁ・・・

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今年も「オンライン飲み会」で?

2021-01-19 12:27:58 | この頃思う事

 ←拡大可能

もう何年位前だったか・・・5年?6年?・・・定かではないが、同級生宅にあった大木の「白い花の椿」が気に入って、分けて貰った一枝を挿し木にした。同時期に、ご近所さんから、「赤い変形花の椿」も貰ったので、同じ場所に挿し木した。
でも、根が付いたのは一本のみ、赤か白かの判断が出来ない。
漸く、50cm程の背丈に成長し、初めて蕾を付け「白い花」だった事が判明・・・この花がこれ以上に開花するかどうかは不明ではあるが、私の息のある内に花の色が判明したのは喜ばしい事。

 


 

 

先日17日に、本年最初(※実は違う)の「オンライン飲み会」を実施した。


昨年春、「コロナ自粛」が始まり、「同級生遊びの会」でも、宴席を催す事に懸念が生じ、それでは・・・と、始めた「オンライン飲み会」だったが、まさか、一年近くも続くとは予想もせず、と言っても、秋迄に収束は無理だろうが、忘年会乃至新年会ぐらいは可能になるだろうとした予想は見事に外れた。
私自身、「遊びの会」のみならず、関東圏内、県内に住む友人達(近隣の情勢が掴める友人らを除いて)とも、会席する事も無く、一年を、粛々と過ごして来た。
ま、確実にヨカッタ!と感じたのは、もう退職した身であったという事で、そのお陰で、ここ一年の自粛での弊害は何も無かったと確信している。
自粛していても、電話やメール(無い人はハガキ)で、音信を図り、互いの安全を確認して来たけれど、哀しいかな、人間の懲りない性分とでも言うか、やっぱり、現実の顔を見て話したいという欲求は抑えがたいものであり、それを、それなりに解消してくれたのが「オンライン飲み会」だったと思う。
月一回、40分間の顔合わせ・・・大袈裟なと言われそうだが、「自分は人間である」という認識を持てる時間のように感じたのだ・・・問いかけにうなずく顔が見える、すぐさま、リアルな反応を確認できる、その事が、なんと気分の良いことか等々・・・私の場合、決して、「全くの孤独の日々」などと言える生活状況では無いにしても、生きているのか死んでいるのかと問われれば、特別、怒る事も無く、喚く事も無く、自身の呼吸さえ、あまり意識出来ないという、ま、「死んでいるような常態」なのかもしれない、だから、生きている確証が欲しいのだろうね。

「オンライン飲み会」は、高尚な事は語らず、役に立つ情報一つ無く、只々、元気な顔を確認できて、次回も又、笑って会える事を期待するだけ・・・それでも、次回が楽しみなのである。
来月も「オンライン飲み会」の実施予定は立てたけれど、取り敢えず可能な目標としては、3月に「桜の花びらが舞う下で宴会」を企画したいと思っているし、気分だけならば98%達成済で、残す2%がコロナって事?

 

「※実は違う」の詳細・・・・・・

新年最初の「オンライン飲み会」の実施予定は1月10日だった。
お仲間の一人が、自宅に夕食を用意し、市内在住で気心の知れた他の仲間と私との3人が「オンライン飲み会」に参加する段取りで、開始30分も前から用意万端整えて待ち構えていた。
のに、のにですよ・・・開始予定時間から30分も経過したのにホストから開始の指示が来ない・・・またまた、お忘れかな?と思ったが、一応、参加予定の仲間に電話で確認を取ると、ホストから電話が来て、案の定、すっかり忘れてたとの事、その上、Zoomに入る暗証番号も思い出せない(詳細は追求せず)ので、本日は中止すると相成った訳だ。
我らも、皆、74歳(73歳も少し居るが)だし、こんな出来事があるのも想定内であり、反省に時間を費やすより、前向き、前進の方向を取りたいと思うだけ。
中止後は、ささやかに一時間程「三人で三密飲み会(でも酒類は少々・・・これホントだが、一方で宴会する後ろめたさも有ったりで複雑!)」をして解散した。

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「With Corona」の試練の内か?

2021-01-15 13:02:43 | この頃思う事

 

 ←(拡大可能) 葉が多くて花が見えない!

明るい日差しの中で「蝋梅」が輝いている・・・他所様では、裸の幹にあかりを灯すように花を咲かせるのに、何故か、我が家では葉を付けたまゝで花が咲くので花の存在感が欠けているが、時折、漂う香りに季節の巡りを感じている。

 


 

 

昨年暮れ近くの事、少しは、世間様の真似事でもと、「お年玉」の用意をしようと思った。
最近は手元に現金が無いので、最初、コンビニのATMから下げようとしたが、反応なし(2銀行のキャッシュカードが不可)だったから、次に、スーパーマーケットのATMでも試したけれど、ここもダメ・・・
で、結論としては、多分、コロナの所為で(私にとってはお陰で・・・かな?)、年賀に我が家を訪れる親戚の子供はないだろうと予測を持って、家にいる高校生(姉の孫)だけに「お年玉」として、少し手元にあった現金(暮れの臨時バイト収入5千円)をあげる事にしたのだった。
元日に、高校生には、前年より額が少ない理由を、これこれこうだから・・・と、講釈を垂れ、おカネが無くても祝ってあげたいと言う優しい親心(親ではないけれどね)を有難く受取りナサイ的に恩着せしたが、彼は、それなりに理解していたと思っている。

とは言っても、まるで手元に現金が無い生活は不便なので、ちょうど同じ銀行(車で30分以上掛る)を使っているという友人に、銀行に行く際には同行させて貰いたい旨、依頼して置いた。
今朝(15日)午前8時半、友人から電話が来て、今日の午前中はどう?と言う、「あれっ、来月では無かったの?」と問うと、「いや、早く手続した方がいいんでないの?」と、わざわざ、私の為に時間を作ってくれたのだと言う・・・有難い事!と感謝あるのみだが、私自身は、そんなに急がなくてもヨカッタのだ。
ま、現金を持たない生活(多分、5年位前から)に、かなり、強制的に移行しており、なんとか融通しながらも回っていたから、年末、年始などの特別に現金を必要とする時期以外では、不自由さは、殆ど感じないでいる。
だから「With Corona」で社会が変革しても、案外、自然に受け入れられるのではないか・・・と、楽観的に思ったりもするが・・・
但し、あくまでも「インフラ」と言うか「手段」と言うのか、それらが、常に、スムーズに(高齢者に易しく)働く事が絶対必需なのだと実感している・・・そう、インターネットが、訳も分からず繋がらなくなったり、突然、キャッシュカードが使えなくなって、近場の銀行に出向きたくても、銀行そのものが無いという現実は、もう、高齢者(私のことね)には対処出来ないのだから。

銀行窓口で「キャッシュカード再発行」の申し込みを済ませたら、1週間ぐらいで新しいカードが送付されてくると言うが、私自身は、そう度々、使用不可にならない頑丈なカードを作ってくれよ・・・と、注文したい気分だわな。
一応、カードの一つは解決に向かったが、もう一つ(最近、支店店舗を廃止した)は、近場と言っても新幹線で行かなければ店舗がないので、当分、出かけることは無いだろう(県内で感染者数第一位!の所だからね)。
銀行の店舗廃止は「With Corona」の所為ばかりでは無いと思うが、確実に、変革している社会現象の一つとして、自らが対策を考え直して置かなければならないという認識は持っている。

 

午前中の貴重な時間を割いてくれた友人には、この時期だから本日のランチは止め、コロナが少し安定して来たら「ゴ~カな(?)ランチ」を奢るから・・・と約束した。
約束を果たす日が、少しでも早く来て欲しいと願うばかりである。

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「憂鬱の淵」に落ちろ・・・と?

2021-01-09 10:58:14 | この頃思う事

「黄色い実の千両」を「赤い実の千両」と隣り合わせに植えてあるのだが、何故か、赤より育つ勢いが弱いように思う。
それでも、赤色のちょっと厳格さの中に、ぽっと、暖かな感じを漂わせているのが、なかなかイイなぁ・・・と、眺めている。

 


 

 

所謂、大都市圏においては、1月7日付で「緊急事態宣言」が発令された。
個人的には、もっと早くてもよかったのでは・・・と思うけれど、ま、表面的に一概の判断できない諸々の理由もあるのだろうと思うから、今、決断をしたのなら、国民が一丸となって、一日でも早く、収束に向けた足がかりとしたいと、それなりに決意している。

それにつけても、毎度感じるのが「報道の対処の在り方」に、前向きの頑張ろうとする気力を削いでしまうのだ。
確かに「報道」する方にしても、過去の過ちから学び、「何でも政府のお説ごもっとも」では危険極まりないことと、無学な私でも理解はするが、あまりにも否定的、悲観的報道ばかりで、ホント、「憂鬱」を通り越し、「病的な鬱」に引きずり込まれそうなのだ。

 

下記に記載したのは、1月8日付、毎日新聞社会面の「見出し」である。
大小取りポイント.を取り交ぜた文字が紙面で踊っている。
(一応、お断りして置く事は、毎日新聞に対する非難・中傷ではなく、実際掲載されている文字を挙げただけである)

 

   宣言 効果伴うのか

   市民 政治怒り

   学びの場 確保に奔走

   時差登校やオンライン授業準備

   国の決断遅すぎる

   医療現場 悲痛な声

   コロナで8万人解雇・雇い止め

   東京2447人感染 最多更新

   全国も最多 7475人

   重いアレルギー 米で29人が発症 ワクチン接種後

     因みに、530万人接種で・・・だそうだが、それは本文中に書かれている。(注釈:伊豆の花)

    以上

ま、事実なのだろうが、本当に、気が滅入る言葉ばかりで、これらを見て、建設的な明日を描けると言う人がいるなら、お目にかかりたいと思うくらい。
私は、決して楽観的性格では無いけれど、だからと言って、全て悲観的に考える人間でも無いと思っているが、この紙面を埋める文字面を見ると、憂鬱この上なく、この先、何の出口も見いだせないと思ってしまう程なのだ。
何も、気分を明るくするために、嘘八百を並べろ・・・という事では無い、無力な私が、せめて一歩を踏め出せる灯(ともしび)・目標を示してほしいと思う・・・が、如何?

報道(コロナでなくても)に関するTVも、新聞も見たくない私は、現実から完全逃避しているだけだと言われても反論出来ないが、だからと言って、「病的な鬱」には落ち込みたくもないから、自身で、精神安定を図っているのである(と、勝手に意味付けをしている)・・・とね。

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「三が日」が過ぎて・・・

2021-01-04 11:45:47 | この頃思う事

山にある木の実で足りているのだろうか、それとも山鳥が少なくなったのか・・・今年は、庭の「千両」の実が、鳥についばまれることなく、鮮やかなまゝであるのは、喜ぶべき事なのかなぁ・・・と。

 


 

正月3が日が過ぎた。
そう言っても、私自身、年末から年頭に掛けて、特別な事な何もしていない、つまり、通常の日々だった・・・て、事。

母が亡くなってからかな?否、それ以前から、暮れの定番作業も、勿論、お正月の風習も、全く、無関係に過ごしてきた、但し、元日には姉宅の朝ご飯に召集される習慣だから、子供(孫)たちに「お年玉」の用意はした。
初詣もしないし、年始回り(ご近所さんにも友人たちにも)もしないし、只々、TV三昧(退屈な番組しかないから大体、音を流すだけ)で、神事にも関係なく過ごして来た。
今日(1月3日)のニュースで見たが、どこかのお寺で、コロナ完全防備を施している「除夜の鐘」を突いた参拝者が、「鐘を突かないなんて願いが届かない」みたいな発言をするのを聞いて、「そこまで拘るの、大変だねぇ・・・無宗教というのは、何とも、面倒が無くてイイ」と思う一方で、「無宗教だから、何時まで経っても、地上を這いつくばるだけで救われないのだ」とも感じる訳で・・・「ま、どちらでもイイけれど」と、やや、捨て鉢な思いになったりもする。

コロナ経験一年の成果(?)として、何時も年始挨拶(姉宅に来て我が東屋にも顔を出した)に来る親戚が、皆、自粛した事かな?
これを「寂しい」と思うか、「いやいや、のんびり過ごせた」と思うかは、優劣(善悪?)をつけるべきでないと思う。
私自身が子供の頃では、「正月は、神々に感謝をしつつ、静かに過ごす(3が日は商店も閉まっていた)」ことが定番であったなと記憶しているが、何時の間にか、商戦に乗せられて出歩くようになったのでは・・・という認識を持っている。
ま、私自身は無宗教だけれど、無信仰ではないと思っている、つまり、大自然が与えてくれる恩恵(良い事例も悪い事例も含めて)は計り知れないと感じるし、人間は、結局、それに依存して生きていると考えているから、「無条件な大自然信仰」と言ってもいい。
今年のようにパンデミックな世情では、たとえ鐘を突いて願を掛けられなくても、神や仏もご理解下さるだろう・・・そんなゆる~い考えは、神や仏に対して傲慢な冒涜である・・・と批判を貰いそうだが、それが我が信仰なのだから見逃して貰うしかない。

この正月、私が直面している問題は、「名無しの年賀状」を頂いたが、どうしても、誰から来たものかが、考えても考えても判明出来ない、我が脳細胞が働かないという自分自身の事だ。
ホント、こんな問題しか眼中にない自分の立ち位置が、やっぱり、今年もイイ加減で無責任だという自覚はあるわなぁ。

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❝迎春❞

2021-01-01 06:31:16 | この頃思う事

 ←「拡大可能」 令和3年元旦 午前8時40分現在撮影の「富士山」です


 

 穏やかな日々を過ごせますよう

                                                       お祈り申し上げます

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