すっかり初冬の装いを見せる周囲の木々の中に、ほんわかと「皇帝ダリア」俯いている・・・開花が、ちょっと、季節を外れたのかな?
11月は今日で終わり・・・あれこれ予定を入れたからか、気持ち的には短かったように感じる。
それでも、我が周辺に於いて、順調(考えようで)に、12月を迎えられることが素直に嬉しい!
10月から収束への段階を見せているコロナ感染が、11月中も、安定を続けていて、もしかすると、このまま完全収束かと、ちょい緩んだ気持になっていたところに、何ですって?「オミクロン株」て、何なのよ!・・・と、しっかり現実に引き戻された。
頭では「現実はこんなものよ」と承知はしているけれど、こんなにはっきりと示されると気持が萎えちゃうよね。
どこかでちょっと期待していただけに、つくづく、人間は弱いものだなぁ・・・と実感させられた。
いずれにしても、粛々と日々を送るだけが我ら凡人に与えられた「抵抗力」という事だろうな。
11月中に、近隣の友らと「ランチ&お茶」で早めの「忘年会」を催し、さて、来月はちょっと足を延ばして(新幹線に乗って)、少し遠方の友に会おうとした思惑も、何となく、腰を折られた感がある。
でも、先方からは何の行動も無いのだから、私が先に行動を起こすこともないだろうとも考えた。
というのも、関東地区に住む友から、コロナが収まって来たから近くの仲間3人で(一応、私も仲間の内で4人だが)豪華な食事会をしたというメールが来たのである。
そうかぁ・・・と思った、私自身も、コロナ感染の状況から見て、そろそろ会えるかも・・・と思っていたからである。
私がそこに出掛けるには新幹線やら在来線やら使用して2時間余が掛かるのだから、声を掛けるのは遠慮したのだろうが、でも、一応、声を掛けてみるという選択肢は無かったのだろうか・・・と。
友らに気遣いが足りない・・と一方的に非難することは無いが、私自身が(勝手に)している会えない状況の遠方の友への気遣いは無用だったのかと思う一方、自分だけの思い入れが負担となっているのだから、精神的な終活の一環として整理すべきものとして捉えてもいいかなとも思った。
今、悩んでいることの一つである、もう実際に会う事はない(と思っている)人たちとの「年賀状のやり取り」もそうである。
特に人生の先輩の方々には、こちらからは賀状の取り止めが言い出せないので、相手側から通知があるまでは続けると決めているが、これも私だけの考え過ぎなのかも・・・
今迄、終活と称して整理してきた一つ一つに心残りがない訳では無いが、ある時、思い切る事も必要だと思っているし、どうとするのも、私の考え方で決断することであって、誰それの行動に責任を押し付けるつもりはない。
でも、遠方の友らの事は、もうしばらく静観していよう・・・そう促された感じの出来事だった、私も年を取ったかな・・・て思う。