見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOURディレイビューイング

2024-12-31 21:16:49 | 行ったもの2(講演・公演)

〇「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR」埼玉公演ディレイビューイング(2024年12月14日13:00~、TOHOシネマズ日比谷)

 遅くなったけど書いておく。羽生結弦くんの単独公演「Echoes of Life」は、いま埼玉→広島→千葉を巡回中だが、埼玉公演の初日をディレイビューイングで見てきた。単独公演シリーズを見ることにはちょっと躊躇があったのだが、今年4月にやはりディレイビューイングで見た「RE_PRAY」が文句なく素晴らしかったので、また見に行ってしまった。

 ストーリーの概要は、どこかで誰かが詳しく書いてると思うが、「人間」と「作られしもの」の戦争によって、生命体が死に絶えた世界。人間なのか非人間なのかよく分からない「NOVA(VGH-257)」という個体が目を覚ます。生命について、存在について、運命について、多くの疑問を抱くNOVAが出会った「案内人」は、その答えを見つけるための扉を指し示す。扉をくぐった先で、氷上の演技で示されるNOVAの思考、というような設定。

 最初の数曲はゲームやアニメに関係の深い楽曲だったらしく、私の知らないものばかりだったが「Utai IV ~Reawakening」が印象的だった。和風というかエスニックというか。その後、なつかしいショパンの「バラード第1番」の衣裳で登場した羽生くんは、ブラームス(たぶん)やバッハ(たぶん)のピアノ曲で次々に舞う。フィギュアスケーターには、バイオリンが似合うタイプとピアノが似合うタイプがいると思うのだが、彼の精緻で正確な音の捉え方は、ピアノ曲でこそ生きる気がする。多様なピアノ曲のハイライトを5曲滑ったあと、6曲目が「バラード第1番」だったのには息を呑み込んでしまった。初演日は1回、ジャンプの失敗があったが、その後の公演では完璧な演技が見られたそうだ。前半の最後はカッコよく「Goliath」で締め。

 後半に「Danny Boy」を滑ってくれたのも嬉しかった。羽生くんには、人間を超えた存在に祈りを捧げるようなプログラムがいくつかあるけれど、これもその1つで、新定番と言っていいだろう。呼応するように、ストーリーの中のNOVAくんも、自分に「愛してる」というメッセージを残してくれたVGH-127の存在を思い出し、荒れ果てた大地を癒し、草花を再生していくことに、自分の命の役割を見つける。壮大で美しいファンタジー。

 終演後、半袖の白Tシャツに黒ズボンというラフなスタイルで現れた羽生くんは、ニコニコ顔で喋りっ放し。この日(12月7日)は羽生くんの30歳の誕生日で、みんなでハッピーバスディを歌ってお祝いしたあと、「Let Me Entertain You」「阿修羅ちゃん」「SEIMEI」のアンコールも大盛り上がりだった。

 年明けの千葉公演、チケット取りに参戦しようかとも思ったのだが、3月の「notte stellata2025」がまた見逃せないことになりそう。彼と同じ時代に生きていることに感謝して、来年も追いかけていくだろう。

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門前仲町でイタリアン&甘味

2024-12-30 21:09:01 | 食べたもの(銘菓・名産)

 年末の休日、友人に我が家の近所まで来てもらって、門前仲町で美味しいものを食べたり、ぶらぶら散歩したりした。ランチに選んだのは、PIZZERIA ONDA(ピッツェリア オンダ)。「真のナポリピッツァ協会」の公認店であることを看板にしており、評判は聞いていたけど、期待以上だった。生ハムのサラダもイタリアンオムレツも美味しかったし、窯出しの焼き立てピザは最高。また誰かを誘って食べに来たいな~。

 それから、初詣の準備に余念がない深川不動堂や富岡八幡宮に参拝。不動堂の2階や4階に上がってみたのは初めて。4階の内仏殿には中島千波(1945-)の巨大な天井画『大日如来蓮池図』が飾られていた。どういうご縁なのか分からないが、中島千波画伯は、深川不動堂の信徒総代でいらっしゃるらしい。

 少しお腹がこなれたところで「いり江」でひと休み。私はクリーム白玉あんみつ+黒みつにした。ほどよく満足感のある上品な一品。おじいちゃんの二人連れがいたりするところが下町らしい。

 これは私から友人へのお土産。門前仲町の紙製品会社のビルの屋上で養蜂事業を営み、採取しているはちみつだという。最近、煎餅の「みなとや」さんで購入できることを知って、自分の分と友人の分を初めて購入してみた。

 年賀状も書いたし、お餅とおせちも買い揃えたし、台所と風呂の掃除もしたし、あとはのんびり大晦日を過ごすだけ。

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2024年12月展覧会拾遺の拾遺

2024-12-28 22:48:33 | 行ったもの(美術館・見仏)

サントリー美術館 『儒教のかたち こころの鑑-日本美術に見る儒教』(2024年11月27日~2025年1月26日)

 理想の君主像を表し為政者の空間を飾った豪華な障壁画から、庶民が手にした浮世絵まで、儒教のメッセージを宿した日本美術の名品を紹介する。英一蝶など、主に江戸の絵師が描いた孔子像がいくつか出ていたが、帝王の衣裳をまとった袞冕像など、いずれも華やかで、コスプレ孔子様だな、と苦笑してしまった。足利学校の聖廟に祀られているという彫刻の孔子像は、ちょっと人麻呂像に似ていなくもない。かつて名古屋城の二之丸庭園内の聖廟に祀られていた聖像セットは、祠堂のかたちの厨子の中に、周公旦、孔子、堯、舜、禹の5像を納める。15センチくらいの小像だが、堯は純金、他は青銅に鍍金したものだという。キラキラして美しかった(現在は徳川美術館所蔵)。これが江戸の庶民になるとやりたい放題で、鈴木春信の『五常 義』は少女のような男娼二人が「義」について語っているところ。男色は「義」を重んじたというのは、まあ『菊花の契り』を思えばそうなのかもしれない。

戸栗美術館 『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』(2024年10月10日~12月29日)

 伊万里焼や景徳鎮の磁器の人物モチーフに注目し、あらわされた人物は誰か、どのような背景から描かれたのか、などを紐解く。「唐子」は子孫繁栄を願う吉祥文として好まれたが、なぜ日本の子どもでなくて唐子なのかなあ。身近な風景すぎると寓意性や象徴性が薄れるのだろうか。陶磁器の図柄が同時代の版本の挿絵を参考にしているというのは、以前にもどこかで聞いたことがあって面白い。明代の五彩人物文壺には、鴻門の会を描いたものがあったが、この時代、小説『西漢演義』や戯曲『千金記』が人気を集め、項羽と劉邦の逸話が享受されたのだという。風俗ものでは、色絵のういろう売り人形に惹かれた。歌舞伎を題材にしたものと思われ、役者を思わせるいい顔をしている。南蛮人図は現代の陶磁器にも継承されており、母のお気に入りのひとつで、正月のお膳によく並んでいたことをふと思い出した。

日本橋高島屋史料館 『さらに装飾をひもとく-日本橋の建築・再発見』(2024年9月14日~2025年2月24日)

 ずっと気になっていた展示をようやく見ることができた。会場となっている日本橋高島屋の店内の装飾だけでなく、日本銀行本店本館や三井本館、看板建築、ポストモダン、都市のレガシーを引き継いだリノベーション建築など、日本橋エリアの建築を幅広く紹介する。2020年9月〜2021年2月に開催された『装飾をひもとく〜日本橋の建築・再発見』展の続編だというが、前回の展示は全く認識していなかった。案内のお姉さんにそう話したら「コロナの時期でしたしねえ」と残念そうにうなずいていた。

  久しぶりに訪ねた史料館の場所が分からなくて、店内をきょろきょろしていたら、エスカレーターの脇にいたライオンが目に入った。これは! 解説パネルを読んだら、私の記憶どおり、丸石ビルディングのライオンだった。合計4体あって、2体は今でも丸石ビルディングの入口両脇に残され、2体は大洋商会が保管しているとのこと。しかし現役の2体(※写真)にこんな長いシッポはついていたかしら。五分刈りみたいな丸い頭部が、ちょうど大人の胸あたりにくるので、撫ぜてみたいのを必死にガマンした。「日本橋高島屋S.C.装飾スタンプラリー」は年明けにチャレンジ予定。

東京国立博物館・東洋館8室 特集『中国書画精華-宋・元時代の名品-』(2024年11月12日~12月22日)

 毎年恒例の特集展示だが、今年は特別内容が濃かったことを書き洩らしていたので、ひとこと書いておく。梁楷、夏珪、馬遠(伝承作品もあるけど)が揃い踏みしているのを見ると、これは日本スゴイと言ってもいいのではないかという気持ちになる。インバウンド需要が復活して、中国系の参観者の姿も多かった。東博では、展示室内でガイドさんがツアー客に説明することを許しているらしい。私が行ったとき、若い男性ガイドさんが、米芾の『行書虹県詩巻』を全文音読してくれて、流麗な中国語音に聞き惚れてしまった。

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2024歳末風景

2024-12-26 20:51:22 | なごみ写真帖

この季節、一般家庭と思われるのに、恐ろしくクリスマスのイルミネーションに力を入れていいる住宅を発見することがある。むかし、通勤先だった武蔵嵐山にもあった。

今の住まいの近くにも、住宅街の細い路地を入ったところに、毎晩キラキラ電飾を光らせているお宅がある。その一角に用事がなければ通らないような道なので、見る人が少なくて勿体ないが、そんなことは関係ないのだろうか。

毎年、このお宅は、律義に12月25日が過ぎるとイルミネーションを消してしまうのである。今日も覗いたら暗い夜道に戻っていた。

さて本格的に年末である。明日は年休を取ったので、今日で仕事納め。今年もよく働きました。

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2024年11-12月展覧会拾遺

2024-12-25 22:52:02 | 行ったもの(美術館・見仏)

そろそろ年末の棚卸し。

半蔵門ミュージアム 特別展『小川晴暘と飛鳥園 100年の旅』(2024年9月11日〜11月24日)

 今年の春、奈良県立美術館で開催されているのを見逃してしまったなあと思っていたら、東京に巡回してきてくれたので見に行った。飛鳥園の創業者で仏像写真の第一人者・小川晴暘(1894-1960)とその息子光三(1923-2016)の作品、さらに光三に師事し、現在飛鳥園に所属して撮影を続ける若松保広(1956-)の作品を紹介する。彼らの仏像写真が素晴らしいのはもちろんだが、創業当時の飛鳥園の店先など、歴史を伝える記録写真も面白かった。

神奈川県立歴史博物館 特別展『仮面絢爛-中世音楽と芸能があらわす世界-』(2024年10月26日~12月8日)

 神奈川と深く関わる仮面や、中世の武士たちが親しんだ仮面の数々を集めることで、仮面の背後にある地域に息づく豊饒な音や音楽の存在を発見し、またこうした文化を利用しながら、地域を支配しようと試みた領主たる武士たちの姿をも捉えていく。神奈川以外の地方に伝わる仮面も多く、私は千葉県山武郡の広済寺に伝わる「鬼来迎(きらいごう」(ビデオ紹介あり)に惹かれた。千葉県香取市の浄福寺所蔵で「かぶると3年以内に死ぬ」と言い伝えられている幽霊面も展示されていており、まあ確かに恐ろし気だった。

横浜開港資料館 日米和親条約170周年記念特別展『外国奉行と神奈川奉行-幕末の外務省と開港都市-』(2024年9月21日~11月24日)

 幕末の外国奉行と神奈川奉行にスポットをあて、組織の実態や外交官たちの姿、開港都市横浜の様相を紹介する。Part1「外国奉行-幕末の外務省」(10月20日まで)とPart2「神奈川奉行-開港都市を治める」(10月26日から)の二部構成になっており、私が参観できたのは「神奈川奉行」の展示だった。思ったより複製資料が多かったが、日常勤務を想像させる資料あり、事件記録あり(生麦事件など)で面白かった。

根津美術館 重要文化財指定記念特別展『百草蒔絵薬箪笥と飯塚桃葉』(2024年11月2日~12月8日)

 『百草蒔絵薬箪笥』は、何度か同館で見たことがあったが、本展はこの薬箪笥を主役にした特別展。はじめに作者・飯塚桃葉(初代)の蒔絵作品を展示。 それから『百草蒔絵薬箪笥』の制作背景というべき植物図譜や博物図譜を紹介。肝心の『百草蒔絵薬箪笥』は?と思ったら、内容物を1つ1つバラされて(ガラス瓶、薬の紙包みなど)、広いスペースを取って展示されていた。服部宗賢所持の薬箪笥(杏雨書屋蔵)と緒方洪庵所持の薬箱(壮年期と晩年期の2件、大阪大学適塾記念センター)を見ることができたのは貴重な体験で、『木村蒹葭堂貝類標本』(大阪市立自然史博物館)は眼福だった。

國學院大學博物館 特別展『文永の役750年 Part1. 海底に眠るモンゴル襲来-水中考古学の世界-』(2024年9月21日~11月24日)

 長崎・佐賀県境に位置する伊万里湾の鷹島海底遺跡における水中考古学調査研究とその成果について紹介する。展示品の『てつはう(鉄砲)』や元軍の印、武具や陶磁器は、今年初めに鎌倉歴史文化交流館の企画展『異国襲来』でも見たものだった。水中調査のビデオ映像は初めて見た。もちろん探査装置も使うのだが、最後は潜った人間が、手探りで海底の泥を掻き分けて遺物を探していた。

東京国立近代美術館 企画展『ハニワと土偶の近代』(2024年10月1日~12月22日)

 本展は美術を中心に、文化史の舞台に躍り出た「出土モチーフ」の系譜を、明治時代から現代にかけて追いかけつつ、ハニワや土器、土偶に向けられた視線の変遷を探る。東博の『はにわ』展が、素直に見て楽しみ、驚く展示だとすれば、こちらは、さまざまな歴史的情報を考慮に入れて、読んで考える展示だった。埴輪(はにわ)と土偶では、ハニワブームのほうが早い。戦前のハニワは、万世一系の歴史と、皇室に従う純良な日本人を象徴していた。戦後、考古学が実証的な学問として脚光を浴びるとともに、「日本的なるもの」の探求が盛んに行われた。一方、1970-80年代にはSF・オカルトブームの影響を受け、先史時代の遺物に着想を得たキャラクターが量産された。とても面白いので、どなたか、このテーマで新書の1冊くらい書いてほしい。

大倉集古館 特別展『志村ふくみ100歳記念 -《秋霞》から《野の果て》まで-』(2024年11月21日~2025年1月19日)

 染織家・志村ふくみ(1924-)の100歳記念回顧展。志村さんといえば、私は桜や花のイメージを持っていたのだが、1階展示室は青系統の作品が多くてちょっと意外だった。解説を読んでいったら、志村さんは近江八幡の生まれだそうで、ああ琵琶湖の青だ、と合点がいった。「夭折の画家である兄・小野元衞」という紹介もあって、名前に覚えがあったので自分のブログを検索したら、倉敷の大原美術館でこのひとの絵を見た記事が出てきた。志村さんは新作能「沖宮」の衣裳を制作したり、クラッシック音楽やリルケの詩に着想を得たり、多彩な人である。

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しばらくお別れ/トプカプ宮殿博物館・出光美術館所蔵 名宝の競演(出光美術館)

2024-12-22 23:58:42 | 行ったもの(美術館・見仏)

出光美術館 日本・トルコ外交関係樹立100周年記念『トプカプ宮殿博物館・出光美術館所蔵 名宝の競演』(2024年11月2日~12月25日)

 休館前の最後の展覧会は、日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して100周年を迎えた本年にあたり、両国の友好を記念する特別展。

 冒頭にはトルコのトプカプ宮殿を彩った工芸品、金銀や宝石をふんだんに使った香炉や水指し、コーヒーカップなどが並ぶ。華麗で愛らしくて、高級チョコレートのパッケージを思い出させるものが多かった。驚いたのは水晶製の水指しおよび蓋付きカップ。完全に透き通っているので、どう見てもガラスだろうと思ったら、一塊の水晶を加工したものだという。また乳白色の玉から、複雑な浮彫り・透かし彫りのある鉢や皿を彫り出したものもあって、これは産地が中国になっていた。実はトプカプ宮殿には、中国の工芸品が多数伝わっており、特に今回、中国陶磁の名品を請来しているのである。

 最初に登場した浅めの青磁鉢(元時代)は、見込みの中心に菊花形の貼り付け装飾があって、こんなの見たことないぞ?と思ったら、出光美術館所蔵の青磁鉢(元時代)にも同じような装飾があった。大型の鉢の場合、焼成に耐えられるよう底に孔をうがち、それを隠すために貼り付けたという解説が付いていた。壺や瓶の場合も、共土で別に作った円盤状の皿を落とし込んで底にする場合があるらしい。図録には、青磁瓶を横に倒した写真が載っていて、底部を下から見るとよく分かる。

 青磁・青花は、まさにトプカプ宮殿博物館の至宝と出光美術館の名品の競演。両館の持っている青磁瓶(元時代、龍泉窯)はとてもよく似ていた。中国陶磁に大皿が登場するのはイスラム文化の影響だと言われているが、今回の展示品でいちばん大きかったのは、出光美術館所蔵の青磁皿(明時代初期)で直径68.5センチ。これを超えるものがあれば見てみたい。

 青花は出光美術館の名品が惜し気もなく並んでいた。休館前の最後の展覧会なのに、なぜ「トプカプ宮殿」なの?と思っていたけど、ちゃんと自館コレクションの粋を見せてくれて嬉しかった。明代の草花文の大皿(2種)は、藍色の発色が美しい。元時代の躍動感ある魚藻文の大皿も好き。解説に、トプカプ宮殿にも本作と類似する青花の大皿がある、と書いてあったけれど見たかったなあ。トプカプ宮殿コレクションでは、大きなひょうたん型の青磁瓶(元時代)が、表面をフラットな牡丹文で覆っており、英国のテキスタイルみたいで可愛かった。麒麟を描いた青花鉢(明時代)は、崩れた表情が民窯ぽくて、これも好き。あとで壁の年表を見たら、オスマン帝国(1299-1922)は、中国でいうと元時代から中華民国までをカバーするのだな。

 本展には日本陶磁も登場する。トプカプ宮殿には、古伊万里の色絵蓋付瓶(ゴージャスな金襴手!)や染付瓶も収蔵されているのである。中国磁器とは異なるテイストで世界に売り出そうとした古伊万里の例として、和装美人を描いた色絵蓋付壺(江戸時代中期、出光美術館)も展示されていた。

 あと珍品というか、ピンクや黄色のポップな色調で楼閣山水を描いた五彩皿(景徳鎮窯、清時代)も気に入った。最後に出光美術館が所蔵するトルコのタイルや陶器が展示されていたが、こちらは宮殿美術とは異なる民窯の世界で、バラやチューリップの造形がひたすら可愛い。

 休館前の最後の展覧会、私の大好きな「陶磁器の国際交流」をテーマにしてくれてありがとうございます。いちおう、先日公表された建替計画には出光美術館の存在が明記されていたので、少し安心した。

※三菱地所:(仮称)丸の内3-1プロジェクト(国際ビル・帝劇ビル建替計画)始動(2024/12/16)

陶片室は残るよね。入口で警備員のおじさんがエレベーターを案内してくれるシステムは、好きだったんだけど、なくなっちゃうかな。

それでは、さよーなら、またいつか!

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色とかたちの新鮮さ/中国陶磁展(松岡美術館)

2024-12-21 22:55:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

松岡美術館 『中国陶磁展 うわぐすりの1500年』『伝統芸能の世界-能楽・歌舞伎・文楽-』(2024年10月29日〜2025年2月9日)

 この数年、同館には足繫く通っている。特に中国美術関係の展覧会はおもしろいものが多い。本展は、後漢から明までのおよそ1500年間における陶磁器を、うわぐすり、つまり釉薬に着目して展観する。

 はじめに「低火度釉」と「高火度釉」という分類を紹介し、低火度釉から見ていく。後漢時代の緑釉の壺と酒尊が出ていたが、どちらもあまり緑が鮮明でない。と思ったら、緑釉には、一定の条件の土中で長い年月をかけて風化すると「銀化」という現象が起こるそうで、これが緑釉陶器の見どころの1つなのだという。

 北斉(6世紀)後期から白釉陶器が登場する。『三彩蓮弁八耳壺』は、背の高い宇宙船みたいなかたちで、白地に茶色と緑の釉薬がうっすら流れている、不思議なうつわだった。唐代には鉛釉が本格的に登場。酸化鉄を加えると褐色や黄色になり、酸化銅を加えると緑、コバルト(西方産)を加えると藍色になるというのは、どこかで聞いた気がするが、ここにもメモしておこう。細身で小さな『三彩婦人』が可愛らしかった。鉛釉は流れやすいというのは、名品といわれる唐三彩を思い出してなるほどと思う。同じ三彩でも、金代の磁州窯系のやきものはみんな絵柄が可愛い。『緑釉劃花鳥文枕』は、クッションみたいにでかい陶枕だった。そういえば、最近の中国ドラマは服飾や什器の再現に凝っているけど、陶枕の再現は見たことがないなあ。

 続いて高火度釉のやきもの。灰釉陶器は、焼き締められた丈夫なつくりで、明器や日常使いの器に用いられた。植物などの灰がうつわに降りかかり、ガラス化することは殷時代には発見されていたという。MIHOミュージアムの『古代ガラス』展で学んだ話だ。後漢時代の『灰釉双耳壺』は、備前を思わせる肌合い、平たい宇宙船(うつぼ船)みたいなかたちで面白かった。

 そして青磁、澱青と続く。『澱青釉紅斑瓶』は、本展のポスターには、わざと全体像が分からない写真が使われているのだが、一見の価値あり。梅瓶をきゅっと細くしたような独特のかたちで、四方に(と言っていいかな)異なるかたちの紅斑が浮かぶ。なので見る位置によって印象ががらりと変わるのだ。まるで現代美術のようなセンスだが、金~元時代の作品だという。驚いた。

 展示室5と6では『伝統芸能の世界-能楽・歌舞伎・文楽-』を開催。「歌舞伎」のセクションは武士を描いた絵画が多くて楽しかった。前田青邨の『鎮西八郎』は、背後に一人従者を連れ、弓を横たえてかしこまる烏帽子姿の若武者。鎮西八郎為朝なのだが、ニキビ面のヤンキーみたいな風情で噴き出してしまった。小堀鞆音の『忠臣楠公父子図・孝子小松内府図』は、右幅の小松内府に注目。画面いっぱいに描かれたのは武装した郎党たちの集まる清盛邸。左下に、悠然と門をくぐる小松内府重盛が描かれている。

 展示室6は「文楽」特集。実は同館の創立者・松岡清次郎は素人義太夫の愛好者だったそうで、今回、松岡愛用の見台(台本を置く台)も展示されていた。十数件の絵画のほとんどは、宮前秀樹氏の作品だった。どれも描かれた戯曲世界がよみがえってくるようで、文楽ファンには至福の空間だった。『近松の人々』は三組の男女が描かれているけど、お初徳兵衛(曽根崎心中)、小春治兵衛(心中天の網島)、梅川忠兵衛(冥途の飛脚)で合っているかな。摂州合邦辻の玉手御前を描いた『玉手五姿』もよかったが、女性を描いた絵画が多かったのは、画家の趣味か、それとも蒐集家の趣味だろうか。

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秋葉原で雲南料理2024

2024-12-20 22:12:12 | 食べたもの(銘菓・名産)

中国&中華料理好きの友人と「過橋米線 秋葉原店」で食事をしてきた。今年2月にも、同じ友人と同じ店に行っているのだが、寒い日が続くので、雲南伝統の「気鍋鶏」で暖まりたかったのである。

メニューでは「スズキの雲南風付け」になっているのだが、いわゆる清蒸かな。大きなスズキを二人で食べて、もうお腹いっぱい。ほかにも素朴で美味しい料理が次々にテーブルに並んだ。

仕上げの過橋米線。

お店はサラリーマンふうのグループで満員だった。次回はコースでなくて一品も試してみたい。

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浄楽寺の運慶仏出開帳/運慶展(横須賀美術館)

2024-12-18 21:49:57 | 行ったもの(美術館・見仏)

横須賀美術館 企画展『運慶展 運慶と三浦一族の信仰』(2024年10月26日〜12月22日)

 2022年に特別展『運慶 鎌倉幕府と三浦一族』を開催した横須賀美術館で、また運慶展が開催されていると聞いたときは、ちょっと戸惑った。しかしまあ、運慶と言われれば、行かないわけにはいかないので、出かけてきた。

 その前に、12月1日(日)に「ニコニコ美術館」でこの展覧会が取り上げられた。朝8時から横須賀美術館の『運慶展』の紹介があり、夜19時から金沢文庫の『運慶-女人の作善と鎌倉幕府-』(2024年11月29日~2025年2月2日)の紹介があったので、どちらも視聴した。なお今回の運慶展は、鎌倉国宝館の特別展『鎌倉旧国宝展-これまでの国宝、これからの国宝-』に付随する特集展示『鎌倉の伝運慶仏-教恩寺 阿弥陀如来及び両脇侍立像 修理完成記念-』(2024年10月19日~12月1日)を含む3館連携展示であると、12月1日朝のニコ美で知ったので、その日が最終日だった鎌倉国宝館の展示も、慌てて見て来た。鎌倉ゆかりの名品(旧国宝)が勢ぞろいする豪華な展示だったが、「鎌倉の伝運慶仏」として、初めて見る教恩寺(鎌倉市大町)の阿弥陀如来及び両脇侍立像が出ていたのが珍しかった。

 さて横須賀美術館は、2年前と同様、京急線の馬堀海岸駅からバスに乗り換えて訪ねた。運慶展のチケットを買って入口を入ると、「特集:かながわ散歩」を掲げた所蔵品展示の回廊に誘導される。廻廊を進んでいくと、厚いカーテンで隠された、秘密めいたエリアの入口があって、そこが運慶展の第1展示室になっている。横長のひろびろした展示室には、芦名の浄楽寺所蔵の阿弥陀如来坐像、両脇侍、不動明王、毘沙門天の計5躯。全て運慶仏と考えられている。私は、今年3月に久しぶりに浄楽寺で拝観しているのだが、お寺さんよりもゆったりした空間で、時間制限もなく拝見できるのは、大変ありがたかった。背景の壁の色は、アクアマリン、あるいはターコイズブルーかな? 海の見える横須賀にふさわしいしつらえだったと思う。仏像との距離も近くて、手を伸ばせば触れるというより、阿弥陀如来の手が自分のほうに伸びてきそうな気がした。阿弥陀三尊の頭髪は、かなり青色が残っている。両脇侍(特に向かって右)はお腹のあたりの金箔が剥げているのに初めて気づいた。

 もう2つ、展示室というか展示コーナーがあって、1つには清雲寺の観音菩薩坐像がいらしていた。「滝見観音」とも呼ばれる、リラックスしたポーズの観音様である。両手とも指が長く、縦に長い手のかたちが優雅に感じられた。

 別のコーナーには、三浦市・天養院の薬師如来坐像と両脇侍がいらしていた。かなり古風な雰囲気の薬師如来(平安時代)で、和田義盛ゆかりの寺院・仏像である。本尊の前面に大きな亀裂が入っているのは、和田合戦の折、義盛の身代わりになったためと伝えられている。ニコ美で、金沢文庫の瀬谷貴之さんが、義盛は、いつぞやの大河ドラマで描かれたような武辺者ではなく、もっと教養人だった、ということを残念そうに、繰り返し強調していたのが面白かった。

 以上、浄楽寺阿弥陀三尊の像内納入品(の複製)を入れても、全10件という小規模な展示だが、見に行って損をした感はなかった。金沢文庫はまた別の日に、じっくり見にいく予定である。

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1930年代の金融抗争/中華ドラマ『追風者』

2024-12-15 21:10:01 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『追風者』全38集(愛奇藝、2024年)

 1930年代の中国、国民党と共産党の抗争を背景に、金融業界に進んだ青年の奮闘と成長を描く。日本でも人気の王一博の主演ドラマなので、すでに日本でも配信・放映されているらしい。会計学校を卒業した苦学生の魏若来(王一博)は、上海で中央銀行への就職を目指していた。試験の成績は抜群だったが、共産党の革命拠点のある江西省出身であることが難点となった。しかし中央銀行の高級顧問である沈図南(王陽)は、若来の才能を惜しみ、私人助理(私設秘書)として身近に置き、金融業を学ばせる。若来もよく期待に応え、二人は師弟の交わりを結ぶ。

 あるとき、若来の兄・若川が上海に現れるが、彼は共産党の地下党員となっていた。そして共産党員の摘発を任務とする偵緝隊(警察隊)に見つかり、命を落とす。若来は兄がやり残した任務を継ぎ、兄を陥れた共産党内の裏切者への復讐を決意する。

 沈図南の妹・近真(李沁)は、ドイツ留学帰りで軍備に詳しいエンジニアという変わり者だったが、共産党の地下党員にして女スナイパーという、兄の知らない顔を持っていた。近真は、洋裁店の店主と見せて実は地下党員同志の徐諾(王学圻)と語らい、若来を共産党に勧誘することを考える。共産党は革命拠点に銀行を設立したものの、経済や金融に詳しい人材を必要としていた。若来は、次第に近真の正体に気づくが、共産党に対しては警戒を緩めなかった。

 沈図南は三民主義の信奉者で、国民党政府のために働くことに喜びを感じていた。しかし国民党の有力者には私利私欲で動く者が多かった。1932年の第一次上海事変の後、中央銀行は上海復興のための建設庫券(債券)を発行したが、有力者たちはその価格を操作して私腹を肥やした。割りを食ったのは庶民である。義憤に駆られた魏若来は、中央銀行と沈図南に別れを告げ、近真らに協力して、国民党政府の腐敗を告発する。その結果、本格的に追われる身となった若来と近真は、上海を離れ、江西省の共産党根拠地・瑞金に赴く。沈図南は自分の信条に従い、国民党の側に留まりながら、妹たちの逃亡を助ける。

 その後、沈図南は共産党討伐を使命とする特派員を命じられ、偽紙幣をばら撒くなど、経済的な手段で共産党根拠地にゆさぶりをかける。沈図南の部下となった、もと偵緝隊隊長の林樵松(張天陽)は、攻撃の手段を選ばず、彼の仕掛けた爆弾で沈近真は命を落とす。正式に共産党に入党した魏若来は、共産党根拠地で採掘した鎢砂(タングステン)をドイツの商人に売り込み、国民党側の企む数々の障害を突破して交易に成功。1934年10月、共産党は長征の途に就いた。そして1936年末、再び上海を訪れた若来は、埠頭で沈図南の姿を見る。

 基本的に共産党の評価を爆上げする作りになっているのは、まあこの時代を舞台にする以上、仕方ないだろうとゆるい気持ちで見ていた。こういうドラマが面白いかどうかは、敵対側の描き方による。本作は、政治的信条は信条として、異なる道を行く妹と愛弟子を全力で助ける沈図南がカッコよくて目が離せなかった。ただ、最後は共産党根拠地で人々が幸せに暮らしている様子を見て、信条そのものが揺らいでしまうのは、ちょっと残念。

 好きだったのは張天陽さんの林樵松。何をやっても好きな俳優さんだが、古装劇以外で見たのは初めてかもしれない。頭の悪い、ダメな弟分の彪子を可愛がっていて、彪子が死んだあとは、自分も早晩死ぬ覚悟を固めていたように思う。沈図南の従来の秘書・黄従匀もよかった。魏若来に嫉妬しながら、脇目も振らずに沈図南に付き従い、最後は沈図南を護って命を落とす。演者の宋師さんはこれがデビュー作のようだ。本作には男女のパートナーシップも描かれるが、心に残ったのは、男性と男性の、BLではないけど特別に親密な関係だった。その最たるものは魏若来と沈図南。ラストシーンは、いかにも続編あります的な匂わせに感じられたが、さてどうなるだろう。

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