○出光美術館 開館50周年記念展『美の祝典II-水墨の壮美』(2016年5月13日~6月12日)
開館50周年記念展の第二部。「水墨の壮美」って、すいぶん肩肘張ったタイトルだなと思いながら、見に行った。まず玉澗の『山市晴嵐図』、牧谿の『平沙落雁図』など、中国水墨画の優品で、高貴なモノクロームの世界に浸る。あとはもっぱら日本の作品。能阿弥の『四季花鳥図屏風』は久しぶりのような気がする。見るたびに「好きだ」と書いているのだが、童心、いや乙女心を感じる作品。ぽってりした蓮の花一輪と、薄墨に浮かび上がる白鷺たちの丸っこいフォルムがかわいい。長谷川等伯の『松に鶴・柳に白鷺図屏風』『竹鶴図屏風』も久しぶりかな。『竹鶴図』の歩いている鶴は、黒い羽先がばさばさ垂れているのが、リアルな「生きもの」を感じさせる。
第2室は『伴大納言絵巻』の登場の前に、王朝風俗を描いたいくつかの絵巻や屏風絵。『天神縁起尊意参内図屏風』は、見るたびヘンな屏風だと感じる。菅原道真の怨霊を鎮めるため、参内を命じられた高僧が牛車で宮中に急ぐ図だが、こんな場面を屏風に仕立てて眺めたいと思う意図がよく分からない。そして、車中の尊意はまだしも、氾濫する賀茂川の川床(尊意の法力で道ができた)を走らされている従者に同情する。『白描中殿御会図(ちゅうでんぎょかいず)』は、順徳天皇の時、清涼殿で催された和歌管絃の宴の様子を描いたもの。似絵の名手・藤原信実が描きとめた原本は失われ、現在はこの室町時代(15世紀前半)の白描模本(唇などに彩色あり)が最も有名だそうだ。うじゃうじゃと集まった公卿たちは完全に「モブ(群衆)」だが、体格や顔つきや年齢がよく描き分けられていて面白い。
以上を踏まえて『伴大納言絵巻』の展示へ。今日もさほど混雑していないので、何度でも行ったり戻ったりして見られそうだ。よかった。中巻は、左大臣・源信邸に向かう使者の姿から始まる。あまり緊張感のない、のどかな導入。左大臣邸では、庭に荒薦(あらごも)を敷いて座り、無実を天道に訴える源信。後ろ姿にもかかわらず、憤怒と緊張感がビリビリ伝わってくる。屋敷の中では、女性たちが絶望に身悶えしていたが、使者たちが放免の知らせを持ってきたと分かり、一転、安堵の表情が広がる。ここまでが前段。
後段は、京の下町の七条通りのあたりで子供どうしの喧嘩。ひとりの父親が割って入って、我が子の喧嘩相手を突き飛ばす。突き飛ばされた子供の父親(舎人)は腹がおさまらず、妻とともに路上に立って、隣家の男の主人である伴大納言について、重大な秘密をぶちまける。いや~子供の喧嘩から、その収め方までを一目で見せる異時同図法の面白さ。人の動きが、無駄なく円弧を描いている。
そして、秘密をぶちまける生き生きした舎人夫婦の表情。それに聞き入る一群の人々は、読者に対して背を向けているけれど、大きな壺を背にかついでいたり、つづら(?)を頭に載せていたり、無駄に(?)個性的。舎人がへたっとつぶれた烏帽子で、伴大納言家の出納の男は立烏帽子なのは、身分か金回りの違いを表しているのかしら。
もう一度、見直して気になったのは、冒頭の左大臣邸に向かう使者の前方に不自然な大きい空白が広がっていること。何が描かれていたのかなあ。興味が尽きない。
再び水墨画に戻る。見ものは狩野元信の『西湖図屏風』。かっちりした緻密な描写に淡彩が施されている。特に右隻の、弧を描いてまわりこむ堤によって、画面の奥行きが表現されているのが珍しくて面白い。室町時代にしては、すごく新しい感じがする。江戸ものは、与謝蕪村うまいなあ。池大雅はいい作品を持っているなあ。谷文晁の『戸山山荘図稿』『青山園荘図稿』も珍しかった。というか、出光の開館50周年記念展は、基本的に自館のコレクションで構成されているのだが、名品が多すぎて、ふだんあまり見られない作品が一気に「お蔵出し」されているようで、たいへんありがたかった。
※会期の誤記を修正(6/6)
開館50周年記念展の第二部。「水墨の壮美」って、すいぶん肩肘張ったタイトルだなと思いながら、見に行った。まず玉澗の『山市晴嵐図』、牧谿の『平沙落雁図』など、中国水墨画の優品で、高貴なモノクロームの世界に浸る。あとはもっぱら日本の作品。能阿弥の『四季花鳥図屏風』は久しぶりのような気がする。見るたびに「好きだ」と書いているのだが、童心、いや乙女心を感じる作品。ぽってりした蓮の花一輪と、薄墨に浮かび上がる白鷺たちの丸っこいフォルムがかわいい。長谷川等伯の『松に鶴・柳に白鷺図屏風』『竹鶴図屏風』も久しぶりかな。『竹鶴図』の歩いている鶴は、黒い羽先がばさばさ垂れているのが、リアルな「生きもの」を感じさせる。
第2室は『伴大納言絵巻』の登場の前に、王朝風俗を描いたいくつかの絵巻や屏風絵。『天神縁起尊意参内図屏風』は、見るたびヘンな屏風だと感じる。菅原道真の怨霊を鎮めるため、参内を命じられた高僧が牛車で宮中に急ぐ図だが、こんな場面を屏風に仕立てて眺めたいと思う意図がよく分からない。そして、車中の尊意はまだしも、氾濫する賀茂川の川床(尊意の法力で道ができた)を走らされている従者に同情する。『白描中殿御会図(ちゅうでんぎょかいず)』は、順徳天皇の時、清涼殿で催された和歌管絃の宴の様子を描いたもの。似絵の名手・藤原信実が描きとめた原本は失われ、現在はこの室町時代(15世紀前半)の白描模本(唇などに彩色あり)が最も有名だそうだ。うじゃうじゃと集まった公卿たちは完全に「モブ(群衆)」だが、体格や顔つきや年齢がよく描き分けられていて面白い。
以上を踏まえて『伴大納言絵巻』の展示へ。今日もさほど混雑していないので、何度でも行ったり戻ったりして見られそうだ。よかった。中巻は、左大臣・源信邸に向かう使者の姿から始まる。あまり緊張感のない、のどかな導入。左大臣邸では、庭に荒薦(あらごも)を敷いて座り、無実を天道に訴える源信。後ろ姿にもかかわらず、憤怒と緊張感がビリビリ伝わってくる。屋敷の中では、女性たちが絶望に身悶えしていたが、使者たちが放免の知らせを持ってきたと分かり、一転、安堵の表情が広がる。ここまでが前段。
後段は、京の下町の七条通りのあたりで子供どうしの喧嘩。ひとりの父親が割って入って、我が子の喧嘩相手を突き飛ばす。突き飛ばされた子供の父親(舎人)は腹がおさまらず、妻とともに路上に立って、隣家の男の主人である伴大納言について、重大な秘密をぶちまける。いや~子供の喧嘩から、その収め方までを一目で見せる異時同図法の面白さ。人の動きが、無駄なく円弧を描いている。
そして、秘密をぶちまける生き生きした舎人夫婦の表情。それに聞き入る一群の人々は、読者に対して背を向けているけれど、大きな壺を背にかついでいたり、つづら(?)を頭に載せていたり、無駄に(?)個性的。舎人がへたっとつぶれた烏帽子で、伴大納言家の出納の男は立烏帽子なのは、身分か金回りの違いを表しているのかしら。
もう一度、見直して気になったのは、冒頭の左大臣邸に向かう使者の前方に不自然な大きい空白が広がっていること。何が描かれていたのかなあ。興味が尽きない。
再び水墨画に戻る。見ものは狩野元信の『西湖図屏風』。かっちりした緻密な描写に淡彩が施されている。特に右隻の、弧を描いてまわりこむ堤によって、画面の奥行きが表現されているのが珍しくて面白い。室町時代にしては、すごく新しい感じがする。江戸ものは、与謝蕪村うまいなあ。池大雅はいい作品を持っているなあ。谷文晁の『戸山山荘図稿』『青山園荘図稿』も珍しかった。というか、出光の開館50周年記念展は、基本的に自館のコレクションで構成されているのだが、名品が多すぎて、ふだんあまり見られない作品が一気に「お蔵出し」されているようで、たいへんありがたかった。
※会期の誤記を修正(6/6)