見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

古籍、絵画、現代工芸/平安文学、いとをかし(静嘉堂文庫美術館)

2025-01-04 22:54:37 | 行ったもの(美術館・見仏)

静嘉堂文庫美術館 『平安文学、いとをかし-国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」と王朝美のあゆみ』(2024年11月16日~2025年1月13日)

 新年の展覧会参観は本展から。平安文学を題材とした絵画や書の名品と、静嘉堂文庫が所蔵する古典籍から「いとをかし」な平安文学の魅力を紹介する。

 と言っても最初の展示室に並んでいた古典籍は、作品時代は平安文学でも、江戸時代の版本や南北朝・室町時代の写本が中心だったので、まあそうだよね~というゆるい気持ちで眺めた。その中で『平中物語(平仲物語)』は静嘉堂文庫本(鎌倉時代写)が現存唯一の伝本だという。『今昔物語集』は享保の版本が出ていて、室町時代には南都周辺で読まれていたらしいと解説にあった。『うつほ物語』『栄花物語』『大鏡』なども版本があって、江戸の出版文化すごいな、と思った。

 鎌倉時代の文芸評論である『無名草子』(私は藤原俊成女の著作として習った)も江戸の版本が出ていた。壁のパネルの紹介を読んで「歌集の撰者に女性がいないことは残念」という趣旨の記述があることを初めて知った。言われてみればそのとおりで、平安時代は多くの女性文学者が活躍し、勅撰和歌集には女性の和歌も採られているけれど、撰者は全て(21代集まで下っても)男性なのである。それを「残念」と思ったことのなかった私には、ちょっと衝撃だった。『無名草子』、ちゃんと読んでみたくなった。

 続いて絵巻物。『平治物語絵巻・信西巻』は、信西の首級が運ばれ、獄門に晒される場面が開いていた。信西の死は12月なので真冬のはずだが、下級武士たちは、短い甲冑の下は裸の太ももをさらしていて、身軽だが寒そう。見物の群衆には女性が描かれていない(牛車の中は不明だが)。『駒競行幸絵巻』(鎌倉時代)は駒競(こまくらべ)に先立ち、頼道の高陽院に上東門院彰子が行啓した場面を描く。多くの人物が描かれ、さまざまな仕草や表情を見せており、華やかで楽しい。劣化(焼損)が激しいのが惜しいが、このたび『平治物語絵巻』ともども修復が行われたそうだ。

 さらに『源氏物語』の世界へ。俵屋宗達の『源氏物語関屋澪標図屏風』はやっぱりいいなあ。人も牛も、松も岩も藁ぶき屋根の小屋も、全てがザ・宗達である。波に浮かぶ船の人の大きさがどう見てもおかしい(小さすぎる)のだが、源氏との身分差に気後れする明石の君の船だと思うと、あれでいいのかもしれない。あと、2台の牛車はどちらも全体に九曜紋が描かれていることを確認。住吉具慶の『源氏物語図屏風』は、「葵」に碁盤の上に立った紫上の髪を切る源氏が描かれていた。室町~江戸時代の『白描源氏物語絵巻・賢木』(小絵サイズ)がユニークで可愛かったことも書き留めておこう。一種のファンアートだと思う。截金ガラス作家・山本茜さんの『空蝉』『橋姫』にも一目惚れした。「源氏物語シリーズ」は54帖全てあるのだろうか(オフィシャルサイトには15点掲載)。

 最後の展示室は平安古筆の名品揃いだが、なんといっても『高野切』(第三種)があって、わずか2行の断簡に目を奪われてしまう。しかも記されているのが「わが庵は三輪の山もと 恋しくはとぶらひ来ませ 杉立る門」(古今982)という私の大好きな和歌。実は最後の1句が読めず(思い出せず)悩んでしまったが、眼福だった。

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2025新年風景と深川江戸資料館

2025-01-03 20:10:15 | なごみ写真帖

 今年の年末年始のカレンダーは9連休で、さらに私は年休を加えて10連休にした。遠くに出かける予定は入れなかったので、せいぜい近所をぶらぶらして、のんびり過ごしている。

 今日は、正月特別開館の深川江戸資料館で獅子舞が見られるというので行ってきた。江戸の街並みを再現した常設展示室が会場。時間になると、砂村囃子睦会の獅子舞の一行が現れて、一軒一軒、年賀の詞を添えて訪ね歩く。お囃子に乗って、獅子が首を振ったり背を伸ばしたりの演技を見せたあと、パパパン、パパパン、パパパン、パンの一本絞めで締める。顔役のおじさんが「この家はハワイに行ってて留守だったな」「ここは喪中だ」など小芝居を入れてくるのが楽しい。獅子は、家々だけでなく、共同井戸や共同厠や船着き場でも舞う。江戸の獅子舞は一人で演じる「一人立ち」の獅子である。

 それから火の見櫓の前の広場で、様々な高度なパフォーマンスを見せてくれた(獅子の中の人は若者から熟練者に交代)。本来は座敷に上がってするものなので、茣蓙を敷いて、畳の上という約束事で演じてくれた。けっこう全身を使う演技で、特に足技が多い。器用に体をひねったり、丸まったりする仕草は、ネコを見ているようだった。

 最後は、厄落しのため、お客さんの頭を噛み噛みして退場。異国のお子さんも大喜び。楽しかった!

 ところで、近所の大横川は、昨年5月末から護岸耐震補強工事が進行中。このところずっと我が家の窓の正面に、大きなクレーンを積んだ作業船が停泊していたので、年末年始風景の記録に残しておこうと思っていたら、仕事納めの27日か28日に、どこかに移動してしまった。写真は越中島橋の北側の橋詰だが、ここにあった白いサクラ(オオシマザクラ?)が伐られてしまったのは本当に残念。遊歩道の封鎖は2025年1月上旬までと看板にあるのだが、サクラの開花までに終わるのだろうか。

 そういえば、長らく工事中だった巽橋は、暮れに通ったら、通行止めが解除されていた。

 今年の正月膳。おせちはコンビニやスーパーの格安品だが、お餅は老舗・深川伊勢屋さんの伸し餅なので絶品。どうやって食べても美味しい。餅は餅屋ということわざを実感する。蓋付きのお椀は両親の遺品整理のとき、1つだけ貰ってきたので、実家の家紋が入っている。

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七人の大統領で知る/韓国現代史(木村幹)

2025-01-02 22:30:33 | 読んだもの(書籍)

〇木村幹『韓国現代史:大統領たちの栄光と蹉跌』(中公新書) 中央公論新社 2008.8

 戦後、日本の植民地支配からの解放と米国の占領を経て、1948年に大韓民国が建国される。以後、60年間(本書の刊行まで)の韓国現代史を、個性豊かな大統領たちの姿を通じて描く。はじめに終戦の8月15日をどう迎えたかを、金大中、金泳三、尹譜善、李承晩、朴正熙の5人について検証し、以後も「政治的な節目」ごとに、4~5人(大統領就任前だったり、引退後だったり)の動向について語っていく。このほか、70年代以降に登場する李明博、廬武鉉を加え、最終的には7人が本書に取り上げられている。

 李承晩(1875-1965)は名前しか知らなかったので、1948年の大統領就任時にすでに73歳だったことに単純に驚いた。朝鮮王朝時代に開化派のホープとして期待され、日本統治時代はアメリカに亡命、日本の敗戦後、米軍政府と各種政治勢力にかつがれて初代大統領に就任するが、1960年の四月革命により辞任、アメリカに亡命し、ハワイで客死する。尹潽善(1897-1990)は名前も知らなかったくらいだが、かなり後の時代まで政治家として活動している。

 朴正熙(1917-1979)の軍事クーデタによる政権掌握、そして維新クーデタ(上からのクーデタ)による維新体制の発動については、近年、書籍や映画でだいぶ理解が進んだところである。興味深かったのは、韓国経済の立て直しのため、朴正熙が日本との関係改善に積極的に取り組んだこと、それが国民(特に学生)や野党強硬派の強い反発を生んだことだ。日韓国交正常化に賛成した野党政治家の金大中が、揶揄を込めて「サクラ」と呼ばれたことも初めて知った。政権の末期、朴正熙は「追い詰められることにより、弾圧し、弾圧することにより、さらに追い詰められる」状態で、深い孤独の中にいたという。1974年の暗殺未遂事件では、銃弾を受けた妻が亡くなっている。暗殺直前の1979年10月に李明博が見たという朴正熙の姿は、老いた独裁者の孤独を穿っていて、小説の一場面のようだった。

 その後、本書は、崔圭夏、全斗煥、盧泰愚の3人は取り上げてない。これは、彼らが光州事件等の裁判を受けることになった関係上、資料的な制約が大きかったからと説明されている。そのため、次に登場するのは金泳三(1928-2015)と金大中(1924-2009)である。両者とも、長年にわたって権威主義政権の下で民主化運動を牽引してきたリーダーだが、大統領就任のいきさつを見ると、きれいごとだけでは済まない「政党政治」の怖さを実感した。

 以上で旧世代が退場し、廬武鉉(1946-2009)、李明博(1941-)は、新世代の大統領と言ってよい。しかし期待を背負って登場した廬武鉉政権は、すぐに国民の支持を失い、レイムダックに陥ってしまう。韓国が未だ貧しく、権威主義体制下にあった時代には、政治家は「改革案」を示し、実行することができた。しかし豊かで民主的な社会では、政治的指導者の権能は限られており、「既にあるこの社会」よりも優れた代案を示すことは難しい。にもかかわらず、「改革」と「経済成長」を続けることができると信じていた国民は、廬武鉉政権に失望したのだ、と本書は説く。そして「経済成長」への期待は李明博政権に受け継がれる。この「豊かで民主的な社会」における政治と政治家の役割という問題は、韓国という限定を超えて、さまざまな地域に適用できると思った。

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あきらめない刑事たち/中華ドラマ『我是刑警』

2025-01-01 20:21:35 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『我是刑警』全38集(愛奇藝、中央電視台、2024年)

 大晦日に見終わったドラマ。おもしろかった~。ドラマは1990年代から始まる。平凡な若手警官だった秦川(于和偉)は、刑事捜査の資質を認められ、大学で法律を学び、職務に復帰したばかり。1995年1月、西山鉱山の事務所が強盗に襲われ、保安員ら十数名が殺害される事件が起きる。中昌省河昌市の警察隊は、1991年に彼らの同僚が殺害され、銃を奪われた事件との関連を疑う。まだ科学的な捜査設備の整わない中、過去の事件記録の読み直しと論理的な推論で徐々に犯人をあぶり出し、逮捕に至る。

 大きな功績を上げた秦川は、上司と衝突して、西山分局の預審科長(予審=被告事件を公判に付すべきか否かを決定すること?)で冷や飯を食うことになるが、この間にも大規模な食糧盗賊団を摘発するなど成果を挙げる。犯人たちはトンネルを掘って食糧倉庫に近づいていたら棺桶に行き当たってしまったという、これは本作で唯一笑えた事件だった。

 2001年、秦川は中昌省緒城市の刑偵(刑事捜査)支隊長に復帰。いくつかの事件を解決したあと、師匠と慕う刑事捜査の専門家・武老師(丁勇岱)からある事件の相談を受ける。2004年と2005年に昀城市で発生した短銃による殺人と金銭強奪事件。さらに2009年、軍の管轄区の門衛が殺害されて銃を奪われる事件が起き、2010年には渓城市の鋼材工場前で同様の金銭強奪事件が起きる。秦川は昀城と渓城の合同チームを作り上げようとするが、小役人の縄張り根性が邪魔をして、なかなか上手くいかない。彼らを嘲笑うように犯行を繰り返す犯人。当時、街頭の監視カメラは普及していたが、その映像を確認するには人海戦術にたよるしかなかった(今ならAIが使えるのかな)。しかし、とうとうネットカフェの検索履歴から犯人の相貌が明らかになる。その結果、悉皆調査で見逃されていた犯人の住居と家族が判明し、2012年8月、犯人・張克寒は昀城市で捕捉され、手向かおうとしたところを射殺された。

 このドラマは、捜査が犯人にたどりつくまで、視聴者も秦川らと一緒に耐えるケースが多くて、かなりストレスフルなのだが、張克寒の事件だけは(秦川らが知らない)犯人の動きを同時並行で追っていく描き方だった。他の事件では、逮捕された犯人が、それぞれ印象深い供述をするのだが、張克寒は現場で射殺されてしまうため、この描き方を選んだのではないかと思う。

 次いで秦川は、2014年1月に清江市で起きた事件にかかわる。山上のテント拵えの賭博場が何者かに爆破され、多数の死傷者を出したというもの。爆破現場の草を刈り、土を攫う捜査を何日も続け、ついに犯行に使われたと見られるリモコンを発見する。これが手がかりとなって二人組の犯人を逮捕。

 しかし清江市には「清江両案」と呼ばれる積年の未解決事件があり、刑事たちの心痛の種になっていた。秦川は、特に婦女や児童が犠牲となった凶悪な未解決事件の重点的な再捜査に乗り出す。「清江両案」は1998年、警官が殺害されて銃を奪われ、続いて銀行の支店長一家が殺害された事件。「東林案」は林城市東林県で、三人の小学生が性被害に遭い、殺害された事件。「良城案」は1997年に始まる連続婦女殺人事件。「草河案」は若い女性の連続殺害事件。いずれもDNA鑑定や指紋鑑定など、新しい(そして費用のかかる)捜査方法の適用によって解決に至る。

 ただし実験室での鑑定だけで万事が解決するわけではない。東林案では、DNA鑑定によって、犯人は近隣住民の「顧姓の者」と血縁の可能性が高いという結果が示される。東林県の刑事・陶維志(富大龍)は、この可能性を頼りに、家譜や郷土史を読み込み、石碑を探し、車どころか自転車でも通えないような僻地の集落を訪ね歩く。この黄土平原の風景が素晴らしくよかった。

 タイトルを聞いたときは、難事件を次々解決するスーパー刑事が主人公かと思ったのだが、全然違って、ものすごく厚みのある群像劇だった。武老師と秦川の師弟関係(おじさんになった秦川を川児と呼び続ける)もよいし、ちょっと嫌な上司・胡兵(馮国强)も好きだった。汚い恰好で執念だけが取り柄の陶維志も、二人の刑事仲間とあわせて、だんだん好きになった。また、このドラマでは刑事たちだけでなく、犯人やその家族たちも、それぞれ生きた人間が描かれていたと思う。90年代から2000年代の中国では、とにかく金銭を得ることが人間の尊厳と結びついていたということを嚙みしめた。

 なお、ずっと舞台になる中昌省(架空の省)は、序盤の事件では暗くて雪深い北国なのだが、張克寒の事件では長江流域の重慶らしく、清江では背景に少数民族の舞踊が登場し(貴州とか雲南?)、東林案は西北地方の風景である。

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