見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

凶悪犯との長い戦い/中華ドラマ『漂白』

2025-02-28 23:37:13 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『漂白』全14集(愛奇藝、2025年)

 かなりグロテスクで陰惨な犯罪事件を扱ったドラマなので、万人にお薦めはできないが、私はハマって見てしまった。2002年、雪城市(架空の市、北国っぽい)で猟奇的な殺人事件が発覚する。集合住宅の排水口から発見された人間の遺体の一部。駆けつけた警察官の彭兆林は、不審な男とすれ違うが見逃してしまう。その男、鄧立鋼こそ、バラバラ殺人事件の主犯格だった。

 鄧立鋼、石畢、吉大順、宋紅玉の4人組(男3人、女1人)は、ナイトクラブなどで働く若い女性に声をかけ、監禁して家族から身代金を毟り取った後、女性を殺害して行方をくらますことを繰り返していた。雪城での犠牲者は、それぞれ田舎から出稼ぎに来ていた劉欣源、黄鶯という2人の少女だった。

 同じ頃、雪城市に暮らす真面目な女子高校生の甄珍は、同級生からのいじめに遇い、母親とも衝突して家出してしまう。むかし近所に住んでいた友人を訪ねて南方の灤城市に来てみたが、友人は自分のアパートを別人に貸して、上海の大学に進学していた。行くところのない甄珍は、家主の友人に頼み込んでアパートの部屋をシェアさせてもらい、アルバイトを見つけて生活費を稼ぎ始める。甄珍との同居をしぶしぶ受け入れた本来の借主は邱楓という女性で、甄珍と同世代だが性格は真逆。酒場のホステスをしながら一攫千金を夢見ていた。

 そこへ鄧立鋼ら4人組が灤城市に流れ着く。宋紅玉は邱楓に目を付け、男たちの金回りのよさを見せつけておびき寄せる。ところが、ひとり暮らしだと思った邱楓の部屋を訪ねた宋紅玉は、甄珍に姿を見られてしまう。完璧に証拠を消すため、鄧立鋼らは邱楓だけでなく甄珍も誘拐し、高層アパートの一室に監禁する。

 4人組に強要され、家族に電話をかけて送金を求める甄珍。その電話は、ちょうど甄珍の家を訪ねていた雪城市の警察官たちの知るところになる。直ちに灤城市まで捜査の手が伸びるが、それを知った鄧立鋼は激怒し、甄珍と邱楓の肉体を切り刻んでこの世から消し去る準備を始める。4人組が前祝いの酒宴に興じている間、浴室に閉じこめられた甄珍は水漏れを起こして階下の住人に異変を伝え、小さな天窓から外へ出て、高層アパートの壁伝いに隣室に逃げ込む。警察の助けもあって、なんとか2人は命を取り留めたが、4人組はまたどこかへ姿を消してしまった。甄珍は両親のもとに戻り、邱楓は心を入れ替えて新しい人生を歩み始める。

 2011年、大学を卒業した甄珍は雪城市の警察官となって彭兆林のチームにいた。あるとき彭兆林は、鄧立鋼の弟が病院に現れた噂を耳にする。そこから徐々に現在の4人組の状況が分かってくる。4人は偽名を使い、前歴を「漂白」して綏鹿市に潜んでいた。鄧立鋼はビリヤ-ドとマッサージの店の経営者となり、宋紅玉との間に息子が生まれ、2人は婚姻証明書も手に入れていた。石畢は子持ちの地味な中年女性と結婚し、小さな茶葉店の経営を手伝っていた。吉大順は雑貨店の女主人をたらしこみ、屠畜場で有能な屠畜人として働いていたが、体は末期の癌に犯されていた。

 彭兆林のチームは綏鹿市に乗り込み、ついに4人組を全員逮捕する。しかしここから、彼らに罪を自供させるための戦いが始まる。男たちは罪状を認めたが、宋紅玉は、自分は殺人にかかわっていないと主張。その結果、男たちには死刑が求刑されたが、宋紅玉は無期懲役となった。

 甄珍は、かつての雪城案の被害者・黄鶯が身に着けていたエスニック風のブレスレットを手がかりに、雲南のタイ族の村を訪ね、黄鶯の双子の妹・玉嬌を探し当てる。玉嬌に引き合わされた宋紅玉は取り乱し、殺害を告白してしまう。裁判はやり直しとなり、悪人たちは全て相応の裁きを受けることになった。

 甄珍を演じた趙今麦ちゃん、ドラマ『開端』を思い出したが、本作でも絶対にあきらめない信念と身体を張った頑張りが素晴らしかった。はじめは嫌な感じの邱楓(方圓圓)は、おバカなんだけど根はいい子で、幸せになってくれてよかった。彭兆林役の郭京飛さん、すっかり渋い俳優さんになったねえ。

 本作のおもしろさは、凶悪犯の4人組にも、それぞれ悪事に手を染めた事情があったり、家族のしがらみがあったりすることを丁寧に描いているところだと思う。特に任重さんの演じた石畢は、人付き合いが下手で、稼ぎが悪いとガミガミいう妻を衝動的に殺してしまい、鄧立鋼に死体の始末をしてもらったところから悪の道に踏み込む。しかし後年の偽装結婚では、平凡な妻と連れ子と穏やかな日々を過ごし、彼らの幸せを願って死刑場に赴く。社会への憎悪をエンジンに生きている宋紅玉(王佳佳)も貧乏ゆえに舐めた辛酸が根っこにあり、悪人だけど同情を感じた。

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歴史画いろいろ/武士の姿・武士の魂(大倉集古館)

2025-02-24 22:17:54 | 行ったもの(美術館・見仏)

大倉集古館 企画展『武士の姿・武士の魂』(2025年1月28日~3月23日)

 本展第1章では江戸時代から昭和にかけて武士の姿を描いた作品と、霊威をもち武士の魂として大切にされてきた刀剣を展示、第2章では、武力や権力の象徴であり、威信財でもある鷹を描いた作品を取り上げ、鷹図が武士の表象としてどのように描かれ、荘厳され、利用されたかを探る。

 冒頭に佐藤正持(1809-1857)という画家の『本朝歴史絵』という画集から「宇治川合戦」の図が開いてきた。怪力無双の畠山重忠が、溺れかけた味方の武士を掴み上げ、対岸に投げ飛ばして救う場面。馬上の重忠が片手で高々と掲げた武士は、腹を下にエビ反った姿勢で投擲を持っている。重忠、カッコいい。佐藤正持は、日本神話や歴史上の出来事などを多く描き、市井で衆人に見せて日本精神の高揚を図ったそうで、勤皇画家とも紙芝居の元祖とも言われるらしい。今どきはあまり流行らない感じだが、おもしろい。

 『虫太平記絵巻』(江戸時代)はたぶん何度か見た記憶があった。描かれた登場人物は、男も女もみんな頭に虫を載せている(昆虫だけでなく、蛇やトカゲも虫)。北条高時はクモで、田楽を踊る天狗たちも、後醍醐天皇らしき人物も虫を載せていたが、虫に貴賤とか善玉悪玉の感覚はあったんだろうか。

 そして大好きな前田青邨の『洞窟の頼朝』。描かれた甲冑は、国宝の鎧数点を参照しており、時代に合わないものも描かれていると解説にあった。甲冑に注目してしみじみ眺めると、実に紐だらけであることに気づく。兜の緒や腰紐(繰締の緒)はもちろん、籠手の脇の下とか履物とか、あらゆるところを紐で締め、結んでいるのだ。脱ぎ着は大変だろうなあと思ってしまった。なお、武蔵御嶽神社所有の国宝『赤糸威大鎧』(原品は平安末期、畠山重忠奉納)の複製品が来ていて並んでいた。東博にもあったと思うが、本展では千葉県立中央博物館所蔵の複製品である。

 もうひとつ楽しみにしていた安田靫彦『黄瀬川陣』がないと思ったら、後期(2/26~)の展示だった。そして『随身庭騎絵巻』も後期なのか~。これはもう一回来なくては。そのかわり、小山栄達(1880-1945)『吉野山合戦』という、少しあやしい雰囲気の歴史画を見ることができたのでいいことにしよう。このひとは「講談社の絵本」で加藤清正や菊池武時の挿絵を描いている。

 2階展示室は、久隅守景の『賀茂競馬屏風』に始まり、鷹狩図、架鷹図など。東博や摘水軒記念文化振興財団から多数の作品が出陳されていた。摘水軒の『洋犬・鷹図』は、たぶん春の江戸絵画祭りかどこかで見た記憶があった。変わった作品だったのは阪昌文『鷹狩犬図・鷹匠図』3幅(東博)。阪昌文(さかしょうぶん)は連歌師で、この3幅対は絵のほかに鷹狩に関する古典語彙がびっしり書き込まれた用語辞典になっている。東博、こういう面白い作品をもっとどんどん展示してほしいなあ。

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東京長浜観音堂フィナーレイベント(東博)

2025-02-23 23:25:24 | 行ったもの2(講演・公演)

〇東京国立博物館・平成館大講堂 東京長浜観音堂フィナーレイベント『びわ湖・長浜の観音文化~これからもまもりつづけるために~』(2025年2月22日、13:00~16:00)

 長浜市内の観音像の展示を行ってきた「東京長浜観音堂」の閉館(2024年12月1日)に伴うフィナーレイベントに行ってきた。収容人数約400名の大講堂はほぼ満員。大講堂専用トイレが長蛇の列になっていて、開会にちょっとだけ間に合わなかったが、開会挨拶をされていたのは「観音の里・祈りとくらしの文化伝承会議」の座長・大塚敬一郎氏(長浜商工会議所会頭)だと思われる。

 それから、長浜市学芸員秀平文忠氏による「長浜の観音文化振興事業の10年」と題した報告があった。長浜市が独自に「観音文化」という用語の定義づけを行ったのは2011年であるとのこと。そして地域ブランド戦略、シティプロモーションとして「観音文化振興事業」が始まった。2012年に長浜城歴史博物館で開催されたのが『湖北の観音』展。東京のお客さんに遠慮したのか、ちらっとしか触れなかったけれど、私はこの展覧会を見に行った。私は、もともと近江(滋賀県)の仏教文化が全般的に大好きだったのである。2014年と2016年に東京藝大美術館で開催された『観音の里の祈りとくらし展』ももちろん見ているので、大盛況の会場写真が懐かしかった。秀平さん、あのときギャラリートークをされていたのか。

 この事業は、長浜市の外に向かっての「発信」だけでなく、こうした展覧会の成果報告会を地元で開催したり、コーディネーターやコンシェルジュを雇用して仏像所有者の負担軽減につとめたり、所有者支援の補助金(防火・防犯設備)を未指定文化財にも出したりしているところが素晴らしい。

 続いて、彫刻史研究者の山本勉氏による講演「地域と仏像史-知るために、まもりつづけるために-」。山本先生のお名前はもちろん存じ上げているし、短い文章もいくつか読んでいるけれど、お話を聞くのは初めてだった。マンガ家になりたくて藝大に入ったら、2年生の調査旅行で奈良・円成寺の大日如来に「出会って」しまい、仏像の研究を一生の仕事にしたいと思うようになった。先生や先輩の活動を見ながら、自分もどこか教育委員会などに就職して「フィールドがほしい」と思っていた。1970年代は、伝統的な優品調査ではなく、地域あるいは寺院の「悉皆調査」が本格化した時代だった。それから、縁あって青梅の塩船観音寺にかかわることになり、40年かけて徐々に造像年代を明らかにした結果、2020年には本尊・千手観音と二十八部衆が国の重要文化財に指定された。だから、いま「未指定」の仏像も、研究が進めば指定文化財になる可能性はいくらでもあるのだ。

 美術史研究の方法(研究データである調査ノートのコピーは調査参加者だけが共有)や、県や市の教育委員会や博物館の重要性がよく分かって、とても興味深かった。『日本彫刻史基礎資料集成』という基本資料があることも初めて知った。あと、造像年代がよく分からないと「南北朝~室町時代」と言いがち、というのには笑った(この時代の特徴が確定していないため)。

 第2部は、秀平学芸員をコーディネーターに、仏像インフルエンサーのみなさん(田中ひろみ氏、みほとけ氏、久保沙里菜氏、宮澤やすみ氏)が「地域の仏像の魅力-若い世代に引き継ぐために-」を語る。ええ、最近はこんなに多種多様な「仏像インフルエンサー」がいらっしゃるのか、と驚く。フリーアナウンサーの久保沙里菜さんが紹介していた、浜松市美術館『みほとけのキセキII』展の試み(小学生が仏像の魅力を紹介)、上原美術館『きれいな仏像、愉快な江戸仏』展の試み(ひらがな多めの自由な感想の図録)はとても面白かった。どちらもまだ行ったことのない美術館だ。山本勉さんがかかわったという函南町の「かんなみ仏の里美術館」も、久保さんの話に出て来た「河津平安の仏像展示館」も行ったことがない。全て静岡県。長浜へも行きたいけれど、静岡仏像巡りもいいかもしれない。

 最後は長浜市長より挨拶。東京で常設の観音展示が終わってしまうのは本当に残念だけど、また新たな研究成果を携えて、いつか大きな展覧会をやってほしい。

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2025年2月:大雪の金沢散歩

2025-02-21 21:22:42 | なごみ写真帖

2泊3日の金沢出張に行ってきた。去年の同じ時期は兼六園で梅が咲いていたと記憶しているのだが、今年は大雪。最終日の昨日の朝は、少し自由時間があったので、駅周辺を歩いてみたが、近江市場の入口もこんな感じ。

ここは照円寺(金沢市笠市町)。府中市美術館の春の江戸絵画まつり2024『ほとけの国の美術』に出ていた地獄極楽図を所蔵するお寺である。地獄極楽絵図は春秋の特別公開期間でないと見られないことは分かっていたが、どんなお寺か興味があって来てみた。しかし門から先は、一面にふかふかの雪が積もっていて、ショートブーツでは足首まで埋もれそうだったので、敷地内に立ち入ることは断念した。

お土産を買おうと金沢駅2階にあるスーパーを覗いたら、なぜか福井名物「えがわの水ようかん」があって即購入してしまった。関東の物産展では、ひとまわり大型のものしか見たことがなかったが、これはB6サイズくらいで、ひとりで食べるのに最適。

金沢駅観光案内所で見た羽生結弦くん「石川県応援企画」の等身大パネル。いま、パネル7種類とポスター19種類が県内各所に設置されているそうだ。「私も能登を応援しています!みんなで能登を応援!」というキャプションが、押しつけがましくなくていいと思った。

能登、行ってみたいなあ。今年の夏は行けるだろうか。

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花木とともに/花器のある風景(泉屋博古館東京)

2025-02-20 21:10:10 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『花器のある風景』(2025年1月25日~3月16日)

 住友コレクションから花器と、花器が描かれた絵画を紹介し、同時開催として、 華道家・大郷理明氏より寄贈された花器コレクションも展示する。ちょっと珍しい視点の展覧会だけど、果たして楽しめるかな?と半信半疑で出かけた。

 第1展示室には、江戸~近代の花器が描かれた絵画を展示。村田香谷『花卉・文房花果図巻』には、中国の文人好みのさまざまなうつわ(磁器や古銅や竹籠、ガラスの器も)に彩り豊かな花と果物を自由に盛り付けた姿が続々と並び、豊かで満たされた気持ちになる。藪長水『玉堂富貴図』、原在中・在明『春花図』など、展示作品は中国趣味多めで、必然的に牡丹が多めなのは、大阪の大商人・住友コレクションの特色なのかな。たとえば江戸の庶民には、牡丹ってどのくらい身近な花だったんだろうか?

 竹内栖鳳・神坂雪佳の共作『曼荼羅華に籠』は、質素な蔓籠に白いチョウセンアサガオが一輪載っていて、和風な趣きを感じた。椿椿山の『玉堂富貴図』は大好きな作品。元来、玉蘭(白木蓮)・海棠・牡丹の組み合わせを描く中国趣味の画題だが、藤など独自の花を加え、淡彩でまとめた清新な画風は独自の境地を感じさせる。そのほか、確かによく見ると画面の隅に花器が描れている作品が挙がっていて、よく見つけたなあと苦笑してしまった。

 第2展示室には、茶の湯の花器を展示。青磁、古銅、竹の一世切などがストイックに並ぶ。しかしこれらは本来「花入」なんだよなあ…と思い返して、花を生けた状態を頭の中で想像してみる。青磁や古銅の花入には、やっぱり牡丹、あるいは椿、サザンカなど、大ぶりで色鮮やかな花を盛り盛りに飾り付けてみたい。舟形の釣花入には、朝顔や桔梗が似合いそう。中には鶴のように首が細かったり、口が狭かったり、何をどう生ければいいのか悩む花器もあった。

 第3展示室は「大郷理明受贈コレクション」の花器。19世紀後半~20世紀に制作された金属製(青銅、朱銅、白銅などの種類がある)の花器60件ほどが並んでいて壮観だった。実際に使われた状態の写真ネルが6~7件掲示されていて、それを見ると花器の3倍から5倍くらいある高さの花木を生けている。松とか梅とか、自立する強さを持った植物が多い。そして、植物を固定している水盤は驚くほど浅いのだ。生け花って、極限的に人工的な芸術なんだなあと実感した。

 私は雑に投げ入れたような花と花器のほうが安心する。梅原龍三郎の『餅花手瓶薔薇図』『壺薔薇』は、どちらも東アジアふうの磁器の花瓶に、西洋の花である薔薇を山盛りに投げ込んだ感じ。こういう自然な雰囲気のほうが好みである。

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台湾旅行2025【3日日/最終日】保安宮、龍山寺、迪化街

2025-02-15 21:55:55 | ■中国・台湾旅行

 最終日2月10日は月曜日で、博物館や美術館などの公共施設はお休みが多いので、寺廟めぐりと街歩きに当てることにした。MRT圓山駅から歩いて台北孔子廟に向かうと、やがて「万仞宮牆」と呼ばれる赤くて高い壁が見えてくる。

台北孔子廟(台北市大同区大龍街)

 壁を回り込むと「黌門(こうもん)」という額を掲げた門を発見。ここが入口らしいのだが開いていない。まだ早いのかしら…と思ってきょろきょろしたら「週一休館(Closed on Monday)」という掲示が出ていた。なんと!寺廟も休館するのか。

■大龍峒保安宮 (台北市大同区哈密街)

 隣りの保安宮に移動。ここは無事に入ることができた。保生大帝を主尊として主に道教の神々を祀る。

 門扉には門神画、壁には壁画、そして石刻、木彫、泥塑など、目に入る限り、装飾だらけで楽しい。大きな壁画には、三国志や岳飛の戦いなど、私にも分かる主題が用いられていた。しかし平日の朝、ここも真剣に祈りを捧げる人々が多くて、写真を撮るのは遠慮してしまった。

 正殿・后殿の裏に、近代的な4階建てのビルがあり(エレベータあり)、3階は大雄宝殿(仏教の諸仏を祀る)、4階は霊霄宝殿(道教の最高神・玉皇上帝を祀る)になっている。2階は図書館で、展示室も兼ねているようだが、月曜なので閉まっていた。外から見えるショーウィンドウに、先日、霊雲寺の『天帝図』の関係で調べた四元帥の彫像の写真が飾られていて、おお!と思った。

■艋舺龍山寺(台北市万華区広州街)~剥皮寮

 続いて、ここも台北に来たら外せない龍山寺へ。春節~元宵節シーズンということで、いつもに増して、にぎやかで華やかな飾りつけがされていた。

 山門を入ったところには十二支を集めた巨大なモニュメント。もしかして、夜は光るランタンなのだろうか。参拝者は蛇神の下を通り抜けて祈願をする。

なぜか十二支にネズミがいなくてリスがいたんだけど…。

 龍山寺では、毎回、擲筊(おみくじ)にトライしている。歴史上の人物にちなんだ籤が楽しいのだが、今回は「董卓郿塢蔵金」を引いてしまった。どう考えても凶の部類だと思うが、これだけの悪党を引いたのは初めてだったので、引き直さずに貰って帰ってきた。ちなみに、これまでは籤の番号の下に「上上」とか「中中」という記載があったが、この籤は何もない。これはよくない運勢の意味だという。「郿塢」は長安城の近くに董卓が築いた城塞で、ここに30年分の食糧を蓄えていたが、養子の呂布に殺害されてしまう。この籤の意味は、簡単に言えば「欲張りすぎると損をする」なのだろう。気をつけます。

 それから、いつものように剥皮寮(ポーピーリャオ)老街に寄ってみたが、展示を楽しめる台北市郷土教育センターは、月曜のため休館だった。近くに新富町文化市場というリノベーション施設があるのだが、ここも月曜休館。東三水街市場(新富市場)を歩いてみたが閑散としていた。月曜の観光は難しい。

■迪化街~台北霞海城隍廟~大稲埕埠頭

 台北駅のフードコートで昼食のあと、大好きな迪化街をぶらぶら歩く。昔ながらのお店も新しいお店も、活気があって楽しい。永楽市場も昔どおり営業していた。

 台北霞海城隍廟では参拝客に無料で甘茶(平安茶)が提供されていた。この日は朝イチこそ夜の冷気が残っていたが、どんどん暖かくなってようやく冬物コートを脱ぐことができ、喉が乾いていたので美味しかった。また、参拝客は無料で線香をいただいて参拝することができた。以前は龍山寺もこの方式だったと思うが、止めてしまったのかな。

 大稲埕埠頭で淡水河の風景を眺めてひと休み、そろそろ観光を切り上げて空港に向かう時間が近づいてきた。

 ホテル最寄りのMRT民権西路駅のコインロッカーに大きな荷物を預けていたので、いったん戻る。ここでちょっとしたトラブルが起きた。紙に印字された番号を入力してもロッカーが開かないのである。駅のインフォメーションに行って、英語と中国語でトラブルを伝えたら、中に入れたものを確認の上、新しい開錠番号を教えてくれた。1時間10元という料金設定だったので、とりあえず小銭のあった10元だけ払って、不足分はあとで払おうと思ったのがいけなかったらしい。バッグの色を聞かれて、灰色(huise)の正しい発音ができなかったのが悔しい。MRTスタッフのおばさん、ありがとうございました。

 そして松山空港へ。5年ぶりの海外旅行だったが、ひとまず無事に東京へ帰り着いた。次はどこに行こうかな!

(補記)結局、台湾現地で観光に使ったお金は、国立歴史博物館80元+故宮博物院350元=430元(2000円ちょっと)だった。あとは食事と交通費とお土産代、お賽銭が少々。日本で博物館巡りやお寺巡りをするより絶対安いのである。

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台湾旅行2025【2日日】中研院歴史文物陳列館、行天宮

2025-02-15 13:03:12 | ■中国・台湾旅行

中央研究院歴史言語研究所 歴史文物陳列館(台北市南港区中研路)

 故宮博物院からの移動は所要1時間くらいで、13:30には歴史文物陳列館に到着することができた。冷たい小雨がパラパラ降り始めていたので、急いで館内に駆け込む。エントランスに大勢の参観客が溜まっていたが、ここは無料と分かっていたので、脇をすり抜けて展示室へ直行。

 階段を上がって2階の展示室は、前回じっくり見ていたので、前回見残した1階(考古資料)の展示室に向かう。考古資料の冒頭にいたのは『大理石梟形立雕』。1930年代に殷墟西北岡王陵区で発掘されたものだ。中研院歴史言語研究所は、1928~37年に河南省安陽殷墟遺跡において全15回の発掘調査を実施しており、その貴重な成果が、ここで無料公開されているのである。

 この大理石のフクロウは、前回見た記憶がないな、と思ったら、あとで壁に「親近国宝」というパネルが掲示されているのに気づいた。いくつかの「国宝」文物をローテーションで展示しているという告知で、前回は左側の写真『大理石虎首人身立雕』を見た記憶がある。

 なお、興味を持って中研院歴史言語研究所の歴史(日本語ページあり)を調べたら、1928年に広州で設立され、北平(北京)→上海→南京→長沙→昆明等々を経て台湾に移ってきたらしい。いやあ流転の国宝は故宮の文物だけではないのだな…戦火で失われなくて本当によかった。傅斯年先生、ありがとうございます。

 ここは研究所の付属施設らしく、所蔵品を「研究資料」として扱う態度が徹底している。美術品的な名宝が見たい向きには合わないが、歴史好きには本当に楽しい。まず展示品の数が圧倒的である。類似の資料も全部見せてしまう。

いちいち修復せずに、出土したそのままの状態を見ることができるのも興味深い。

中にはこんな可愛い子もいる。首の細い壺の蓋に使われていた。

これは展示室の隅の暗がりにそっと片付けられていた等身大のボード。殷といえば女将軍の婦好かなと思ったら、これは紂王に寵愛された妲己のイメージらしい。2020年に『為己而来-被史家耽誤的女人』(歴史家に邪魔/誤解をされた女性?)という展示があったようで、見たかった!

 前回訪問の2018年(時間切れで考古資料を全部参観できなかった)以来の念願をようやく果たすことができ、2階に戻って、木簡(居延漢簡)、科挙資料、拓本、中国西南地方の少数民族資料、台湾考古資料などをひととおり見た。科挙資料の中に道光27年(1847)の会試合格者の名簿と石碑の拓本があって、李鴻章の名前があるというので探してしまった。少数民族資料では、1930~40年代の古写真と現在の同じ地域の写真を比較したスライドショーが流れていて興味深かった。

 たぶん私にとっては1日いても飽きないワンダーランドだが、朝から歩き続けで、さすがに疲れてきたので、2時間くらいで退出し、帰途についた。帰りのバスは、MRTの駅に行く路線を確かめて乗ったつもりだったが、下りたら、行きの南港展覧館駅でなく、1つ前(台北駅寄り)の南港駅だった。台鉄に接続していることもあり、大きなターミナルビルがあって、こちらのほうが賑わっていた。台北駅のフードコートで昼だか夜だかよく分からない食事を食べてホテルに帰着。

 ホテルでしばらく休んだあと、暗くなり始めた街へ出て、近くの雙城美食街をぶらぶら冷やかし、行天宮を訪ねてみた。

■行天宮(台北市中山区民権東路)

 行天宮は関聖帝君を主神としてお祀りする廟。道教の廟だと思っていたが、ホームページを見ると、儒教、仏教、道教の三教を習合した民間信仰に属すると書いてある。

 気軽な観光のつもりで訪ねたら、境内では道士(?)の方が演台でマイクを使って説教をしており、静かにそれに聞き入る者、長い時間をかけて真剣に祈る者など、思っていた以上に生きた信仰の場であることを感じた。ホテルに戻って2日目を終了。

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台湾旅行2025【2日日】国立故宮博物院(続き)

2025-02-14 22:57:01 | ■中国・台湾旅行

国立故宮博物院(台北市士林区至善路)

【202,210,212室】「心を伝える書と絵-書画に見える人情味」(2025年1月10日~4月13日)
品物や風景に託した思い、旅立ちや長寿の祝いなど、気持ちの伝達を中心に文字や絵画で心情を表現した書画作品を展示する。

明・張宏の『石屑山図』。大幅なので写真は一部だけ。この人は、大和文華館所蔵の『越中真景図冊』で名前を覚えた画家で大好き。

明・宣宗(宣徳帝)の『画寿星』。『明史』には宣徳帝が臣下に「寿星図」を賜った事が載るという。宣徳帝、絵画に堪能(しかもネコの絵多し)という逸話に加え、小説『両京十五日』ですっかり親近感を抱くようになった。この寿老人は、頭の長さが人間的。

【208室】「国宝鑑賞」
明・沈周(1427-1509)の『写生冊』を展示。花果や家禽、蝦蟹、猫、驢馬など日常的な景物を描いた作品で、特に生き生きした鳥や動物が楽しい。中国ドラマで覚えた文人政治家・高士奇の題跋(写真パネルのみ展示)があると知って、またテンションが上がってしまった。

【201,205,207室】「土の百変化-院蔵陶磁コレクション」
【202室】「巨幅の名作」
【203室】「目で見る紅楼夢」
【204,206室】「筆墨は語る-故宮書法鑑賞ガイド」

【300,301室】「すてきな魔法のお部屋─故宮のロココ」
今季最も「売り」の展示らしく、展示室全体が女子好みのかわいい別世界にしつらえられていた。展示品(香水瓶、拡大鏡、置時計、化粧小箱など)は、多くが「フランス製」とあったが、管理番号が「故」で始まっているところを見ると、もともと故宮の(つまり清朝宮廷の)所蔵品だったようだ。

【302室】「南北故宮 国宝薈萃」
いつも大混雑の特別室。今季は『肉形石』と『玉〔天地人〕三連環』を展示。『翠玉白菜』は南部院区に出張中だった。

【303室】「愛好家から見た硯の美」
蘇軾や米芾など「硯痴」と呼ばれた人々を惹きつけた硯の魅力を鑑賞する。これは五色の墨。

【304室】「祭礼と戦い-古代武器攻略」
石器・玉器をルーツとして、剣、矛、弓矢(弩)など青銅兵器の誕生と発展を概観する。展示室内にデジタルのシューティングゲームのコーナーもあって面白かった。

【305,307室】「古代青銅器の輝き-院蔵銅器精華展」
【306,308室】「敬天格物-院蔵玉器精華展」

 以上、常設展示エリアをショートカットしたおかげで、なんとか3時間(9~12時)で、ひととおり参観することができた。本館地下1階正面のバス停でMRT剣南路駅行きのバスを待つ。前の晩に、故宮博物院から中央研究院歴史文物陳列館への行き方を調べたところ、剣南路駅からMRT文湖線に乗って南港展覧館に出るのがいちばん早そうだったのだ。

 乗客の多い士林駅行きのバスが出たあと、続いてやってきた剣南路駅行き「棕20」はミニバス。私のほか、数名が乗車した。初めて乗る路線だが、悠遊カードを持っているので問題ないだろうとタカをくくっていたら、普通の路線バスと違って、あまりちゃんとした停留所の案内がない。だんだん乗客が減って不安になってきたので、おそるおそる運転手さんに声をかけたら、MRTは次、下りて後方、ということを身振りつきで教えてくれてホッとした。ありがとうございます。

 そして剣南路駅からMRT終点の南港展覧館駅へ。車窓からは大きな湖(大埤湖)のある碧湖公園の眺望が楽しめた。次は遊びに来てみようかな。南港展覧館駅からは、前回(2018年)の記憶をたぐりよせ、中研路方面に向かうバスに乗車、歴史文物陳列館を目指した。

(続く)

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台湾旅行2025【2日日】国立故宮博物院

2025-02-13 22:13:16 | ■中国・台湾旅行

 今回の台湾旅行では、行きたい博物館が3つ(国立歴史博物館、国立故宮博物院、中央研究院歴史文物陳列館)あって、当初は1日1ヶ所を予定していた。ところが出発直前になって、3日目の月曜日は全て休館であることを発見(故宮博物院は無休かと思っていた)。どこか1ヶ所あきらめようとも考えたが、結局、2日目の2月9日(土)は欲張って2ヶ所ハシゴする決意を固めた。

国立故宮博物院(台北市士林区至善路)

 まずは台湾に来たら外せない故宮博物院へ。MRT士林駅で下りると、以前はなかった故宮行きバス乗り場の案内板ができていた。この子は『翠玉白菜』をモデルにした小翡(シャオフェイ)ちゃんで、故宮の館内でもたくさん見かけた。

 故宮博物院に到着したのは8:30頃。外のベンチで待っていたら、9:00の開館の10分前くらいに中に入れてくれた。チケットを購入して、入館ゲートのオープンを待つ。開館と同時に、多くの参観客は名品の常設展示に流れて行ったが、私は迷わず、今季の特別展会場へ一番乗り。

【105,107室】「季節の祝い事-故宮所蔵品から見る清代の年中行事とその文物」(2025年1月28日~4月27日)
四時、八節、十二月令、二十四節気など、伝統的な時間周期に合わせ、季節の行事に関連する作品を精選して展示する。風俗画好きにはたまらなく楽しい展示。清朝の官員たち、冬は氷上だか雪上だかで橇を引かせていたりして楽しそう。

これは「春鞭牛」や「春打牛」といって、立春前日に土牛を鞭打って春耕を始めることを願う行事。古代の日本でも宮中の追儺で土牛を配置した記録があるが、中国では清代にも行われていたことを知る。

【103室】「都市建設の風雲-清代文献と絵図に見える台湾の諸都市」(2024年12月14日~2025年3月9日)
都市建設にまつわる台湾ならではの歴史や物語を、古籍、絵図、文物資料などで紹介する。台湾における撫民や都市建設について「福康安」が乾隆帝に奏上した文書がいくつか出ていてハッとした。福康安(フカンガ)、金庸の武侠小説やドラマでおなじみの人物なので。

【104室】「四通八達-古代道里交通図籍展2」(2024年12月7日~2025年3月2日)
皇帝の巡幸や陵墓の拝謁用の往復ルート、国境付近の警備軍用辺防図、東西南北を結ぶ大型駅路図など、さまざまな道里交通図を展示。美しい彩色の絵図も多くて楽しかった。日本と違うのは、運河や湖水を利用する水路が主要な交通ルートに組み込まれていることだろう。

【101室】「慈悲と知恵-宗教彫塑芸術」
【102室】「オリエンテーションギャラリー」
【106室】「集瓊藻-故宮博物院所蔵珍玩精華展」

【107室】「貴族栄華-清代宮廷の日常風景」
全体の雰囲気が以前と少し変わっていたのと、恭親王奕訢の写真が飾ってあったので、おやと思ってパネルの説明を読んだ。故宮博物院は1980年代の初め、北京の恭王府にあった紫檀家具を購入した。これらはもともと清朝宮廷にあり、恭親王が咸豊帝から賜って使用していたものだという。そういう由緒に弱いのと、1980年代初めの大陸中国を思いやって、しみじみ眺めてしまった。

(続く)

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台湾旅行2025【初日】国立歴史博物館、台北植物園、中壢

2025-02-12 21:32:37 | ■中国・台湾旅行

 久しぶりに2泊3日の弾丸台湾旅行に行ってきた。年末年始にも検討していたのだが、安いツアーが見つからなくて断念。この時期、ようやく航空券とホテルで15万円を切る設定ができたので、決行することにした。

 2月8日(土)は早朝5時起き、羽田発7:55の中華航空便で台北松山空港へ向かった。羽田のチェックインカウンターのお姉さんに「中華空港は入国カードが全てオンライン化されましたので」と言われて、ORコードを印刷した紙切れを貰ったのだが、まだ頭が働かないまま、飛行機に搭乗してしまった。しかし機内ではネットが使えない、松山空港で入国ゲートの前でスマホを取り出してみると、空港wifiに接続できたので、なんとか入力。入力画面を見せてゲートを通過した(ゲート前で紙の入国カードも入手できる)。

 MRTに乗る前に悠遊カードの残高を確認。5年前にチャージした金額がちゃんと残っていてホッとする。予約したホテル(サンルート台北)に寄ってチェックインを済ませたのは午後1時近くだった。この日の台北は小雨のパラつく曇り空で、信じられないほど寒い。暖かくなることを予想して薄手のパーカーも持ってきたのだが、冬物コートのまま観光に出発する。

国立歴史博物館(台北市南海路)

 ここには何度か来たことがある(最後は2017年)のだが、しばらく工事のため休館しており、2024年2月にリニューアルオープンしたというので、ぜひ来てみたかった。伝統建築風の正面外観は変わっていなかったが、現代的なデザインの回廊が付設されていて、日本の博物館のリニューアルと似ているなと感じた。

 1~2階の特設展示は『藏珍-清翫雅集30周年記念コレクション展』。「清翫雅集」は1992年に設立された台湾の文物収蔵家の組織で、本展では、伝統的な書画、西洋美術、器物、珍玩など多様な文化財の個人コレクションを展示する。

 私が一番気に入ったのはこれ。北宋・磁州窯の『白釉黒花耄耋紋荷形枕』。耄耋(ぼうてつ、maodie)は老いぼれることだが、猫(mao)と蝶(die)で長寿を祈願する意味にも使われる。大好きな磁州窯だが、ネコの図柄は初めて見た。

 これは金代の磁州窯で『赤緑彩将軍坐俑』。腰につけているのは角笛? 足元に親犬(?)の親子がいるのがかわいい。

 なんか可愛い絵画があると思ったら、これも大好きな斉白石だった。立ち上がったネズミが見上げているのは燭台で、上に赤い蝋燭が載っている。手前のネズミは4個の赤い実にかじりついていて『許得四利』というタイトルである。

 3階は同館コレクションが中心で、銅器、玉器、唐三彩など、見ごたえある歴史文物が展示されていた。唐三彩の天王像は象の頭の膝当てを付けている。象頭皮の膝当てといえば、深沙大将か大元帥明王だと思っていたが、これはどちらかの尊格なんだろうか。

 なお、同館の歴史を回顧する展示も行われていた。1970~80年代、大陸中国では文化大革命によって貴重な歴史文物の破壊が進行したが、同館は「中華文化在台湾」を掲げ、中華文化を代表する名品の精巧な複製をつくり、「中華文物箱」に納めて世界各地での展覧に供したという。日本ではあまり意識したことがない、博物館の政治的・外交的役割について考えさせられた。

台北植物園(台北市南海路)

 もう1ヶ所、別のスポットに移動するほどの時間はなくなってしまったので、国立歴史博物館の隣りにある植物園に寄っていくことにした。広い園内は無料で開放されている。同園は日本統治時代に日本人によって創設された「台北苗圃」が前身だという。では、牧野富太郎博士も立ち寄っていたかもしれないな。

 あやしい門構えがあると思ったら、この「欽差行台」は清朝末期の建築で、中央政府(もちろん北京)から台湾に視察に来た官員を接待するためのゲストハウスだった。市内の別の場所から移設されて、保存されている。

■台北駅→MRT桃園機場線→老街渓駅…禅園(レストラン)…中壢駅→台鉄自強号→台北駅

 予定どおり、台北駅16:00発のMRT桃園機場線に乗車し、1時間ちょっとで終点の老街渓駅に着いた。ここで知人と落ち合い、客家料理のレストランに連れていってもらった(料理の詳細は別記事またはフォトチャンネルで)。中壢区は、もともと客家が多い地域で、隣りの桃園区とは文化が異なるのだが、現在は桃園市に広域統合されているそうだ。

 食後は少し歩いて、元宵節のランタン飾りを楽しみながら、台鉄の中壢駅に出た。駅前は東南アジア系の集住地帯になっていて、タイ語、ベトナム語のお店が目立った。中壢駅から台鉄の特急自強号に乗り、40分ほどで台北駅へ。これで盛りだくさんの初日観光を終了。

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