行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

荒天のために佐渡汽船が「欠航」は「結構」なこと?

2020年12月31日 | 旅行記・まち歩き


佐渡は新潟県とはいえ、もともと雪の少ない土地。それでも今回の寒波では、チラチラと降り始めたかと思ったら、仕舞に吹雪に。日本海に浮かぶ島だから、冬の風当たりは強いが、夕方には辺り一面白くなった。
実は30日に帰るつもりだったが、30日の帰路予約便は、早々と早朝に欠航が決まった。冬の佐渡渡航だから、ある程度は覚悟していましたけどね。

佐渡汽船、この日は両津港を朝5:30発新潟行は動いていた。ただ、反対方向の新潟港6:00発のフェリーというと、一旦改札をして乗船をしたものの、両津港に接岸できないということで出発時間になって客を降ろしたという。
まあ、安全第一ですから致し方ないところだが、あまりにも潔く、その日のその後出発する全便の欠航を決める。ただ、その後ジェットフォイルは、一往復ずつ運航するという、ちょっと首をかしげる対応も。

まあ、今回はクルマを持ってきているし、年末年始の休暇中で特に予定もない。早々と欠航の決めてくれたこともあって、孫とゆっくり過ごすことに気持ちを切り替える。
コロナ禍にあって、佐渡への帰省を我慢した方、暮れの欠航で一時足止めを強いられた人、それで佐渡行きを諦めた人もいるかもしれない。気楽でノー天気、孫と娘を甘やかすために渡った私たちをお許しください。

前回、「佐渡汽船が瀕死の状態」とか書き込んだバチが当たりました。重ねてごめんなさい。今日は、配船の関係で朝イチの両津発新潟行が欠航した以外、フェリーは全便元気に航行しています。(ジェットフォイルは、全便欠航。)
元日も娘夫婦は仕事ということで、明日まで滞在することにしました。欠航を大義名分とし拡大解釈により佐渡滞在4泊5日。これまででも最長滞在となりました。(写真上は30日の佐渡の様子、写真下は31日の様子。)

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コロナ禍、鞭声粛々と夜佐渡に渡ると…

2020年12月29日 | 旅行記・まち歩き


佐渡汽船、12月28日午後4:00発の両津行カーフェリー「ときわ丸」に乗船。写真は、その時の船内の様子だ。

半年ぶりかな?コロナの影響で、極めて佐渡訪問の機会が少なかった本年。娘夫婦が仕事のため、子ども(孫)を見る人がいないという合理的な言い訳をしながら、自粛ムードと「ステイホーム」を勝手に解き、佐渡に渡ることにした。「鞭声粛々、夜川を渡る」ではなく「暗くなって海峡を渡る」かな?

妻の仕事の関係で、前日に夜便(19:30発)を予約していたが、1便前のフェリーに間に合いそうなので変更。ジェットフォイルの最終便にも間に合う時間に新潟港ターミナルに入れた。
娘が通勤でクルマを使うので、今回の選択は端からカーフェリー。しかし、トップシーズンだと二人の一等船賃と軽自動車の航送料入れてを3万円を超えるので、割引が設定されている期間よりかなり高くつく。

そうです!今は年末の帰省シーズン。
いつもなら船内の廊下やエントランスまでも人や荷物でいっぱいになるのに、今回、二等船内はガラガラ。車両甲板には、数えるほどのクルマしか乗っていなかった。
観光の島・佐渡。観光でもコロナの影響でインバウンドや修学旅行の受け入れはなく、加えてgo-toの打ち切りで大打撃を受けている。佐渡汽船も公的な援助を受けながらも瀕死の状態?(ちょっとオーバーな表現で失礼!)

少しでも佐渡の経済を回すために、年末のおうちパーティーで盛り上がりますわ。





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ラーメン激戦区の山形で、ぶっちぎりトップの店「琴平荘」

2020年12月28日 | 食(グルメ・地酒・名物)


琴平荘(こんぴらそう)と言えば、絶大なある人気を誇るラーメン店。多くのファンに愛されているラーメン店です。
庄内地方を訪れた際には、ぜひ一度と思っていたのですが、鶴岡市三瀬の海岸線に着いたのは午前10時を少し回ったところ。人気店とはいえ、この時間ならと思い車を駐車場に止める。
海岸線の少し高台になっているところに店がある。案内看板と「中華そば」という赤い旗ですぐに見つけることができた。構えはどう見ても旅館。なんでも冬の閑散期にラーメンを提供したところ、それが爆発的な反響を呼ぶことになった。



駐車場には数台のクルマが止まっていて、中に人が乗り込んで待機している。どうやら同じ目的の開店待ちのようだ。
後から来た人が、店先に入っていく。「しまった!」、聞いてみると整理券を発行している様子。玄関を入ると、あらまあ、どこにでもある旅館に、近代的な整理券発行マシーンが鎮座している。この時間(午前10時15分)で12番目だった。
中に入ってみると、廊下の奥のラーメン処に通されたものの、ここはどう見ても旅館によくある大広間。ちょっとしたステージまである、重厚で正式な正真正銘の日本式田舎の旅館スタイルだ。



テーブルは12卓。1組1卓なので、大広間に通された時点で12番目の私まで座ることができた。開店前から満席。後から後から押し寄せてくる客は、大広間の後ろの待合スペースで、整理券の番号が呼ばれるまで待つことになる。
開店時間である11時を待たず注文を取りはじめる。迷うことなのいメニューの中から「中華そば・あっさり」を注文、キッチリ整理券の順番に提供される。
鶏ガラの澄んだスープで、大きめのチャーシューが2枚、メンマ、のり、ネギと極めてシンプルだが味わい深い。自家製チャーシューは確かに美味い!面も240グラムとボリュームがあるが、替え玉や漁師めしを注文する客も多い。



各種のグルメやラーメンを紹介するサイトでも、常にランキング入り。食べログでは1位を獲得したことがあるとかで、遠方からわざわざ訪れる客も多い。(まあ私もそうですけど。)
もちろんラーメン好きの山形県民の絶大なる支持も獲得しており、米沢ラーメンや酒田ラーメンと数多い山形県のブランドラーメンを押しのけて間違いなく県内一の人気店である。
JRの冊子でも紹介されており、庄内観光に一役かっている。これが暖簾分けや土産用・通販のラーメンも登場し、琴平荘の人気による集客効果がじわりじわりと山形庄内から拡大し続けている予感がする。
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15年前の今日この日、その鉄道事故が発生した

2020年12月25日 | 鉄道


15年前の2005年(平成17年)12月25日、鉄道史上忘れられない大事故が発生した。地元を走る羽越線の特急「いなほ」が脱線横転し、乗客5名が死亡、32人が重軽傷を負った事故である。(当初16年前と記載していたが間違いでした。訂正します。)
事故発生場所は、地元からだと100キロほど下り方向、庄内地方の北余目駅と砂越駅の間。最上川にかかる鉄橋の南端。秋田発新潟行の特急いなほ14号6両編成が強風で脱線、転覆した。
庄内地方を訪れていた時に、ふと思い出す。いつもは列車あの窓から祈りを捧げていたのだが、クルマを走らせていたら風雪に見舞われて、事故現場を訪れようと思った。確かこんな季節の、こんな天気の日に起こった事故だったなと。

現地は、確かに風当たり強そうな場所。川の土手から駆け下りるようなところだから風当たりが強そうだ。一面田んぼで、畜舎が建つその脇に、JR東日本により慰霊碑と施設がある。施設はこじんまりしているが、きれいに整備されている。
受付にはJRのOBだろうか、ガードマン風の制服の初老のおじさんがいた。ここを訪れるのは、亡くなられた方の遺族やその友人、JRのOBなど限られているようだが、極稀にまれに鉄道ファンもいると言いながら、わざわざ守衛所から出てきて慰霊碑に案内してくれた。
建物は二つあって、慰霊碑をガラス張りの部屋から拝めるセレモニー的な施設、もう一方は休憩室なるもの(写真下)。事故の概要を知らせるような資料等はない。慰霊碑脇の石碑に、事故の概略が記されている。



事故は、12月25日の午後7時過ぎ、風雪により始発の秋田を出る時から遅れていた列車が、1時間以上遅れて酒田駅を発車して間もなくのこと。第二最上川橋梁を渡り終えたところに、竜巻と思われる突風に巻き込まれて脱線し、前3両が横転、先頭車両が畜舎の施設に激突したというもの。
30トンから40トンの電車がそんな簡単に横転する?意外だが風の影響によって横転するという事故はいくつかある。山陰本線のかの有名な余部鉄橋から列車が転落した事故(1986年)も、風速33メートルを超えると突風によるものだ。
余部鉄橋の事故から、JRは事故防止に努めていたし、風速計や安全施設の設置、運行にも慎重に対応する姿勢をとっていたのだが、いなほ14号の場合は、予期せぬ猛烈な突風(竜巻と考えられている)に見舞われたとされる。

私が訪れたのは12月23日、二日前。鉄道ファンとして呼び寄せられたような気がする。改めて事故の悲惨さを記憶に刻み、安全のためにと深く祈りを捧げました。
このとき慰霊碑に向かって施設内は花を飾る作業がされており、スーツ姿のJR関係者だろうか、数人がその様子を見に来ていた。当日(今日)は、慰霊のためのセレモニーがあるらしい。多くの方々が15年前の事故のことを記憶によみがえらせるとともに、JRをはじめ関係者は安全運行のための教訓としてほしい。
(写真下:異例のセレモニーに向け花を飾り付ける業者、現場近くの平岡踏切付近を通過する特急いなほ号(現在使用車両のE653系、当時は485系))




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樽ケ橋のライトアップ、光を当ててくれてありがとう!

2020年12月23日 | 旅行記・まち歩き


外の話題ばかり書き込んでいたもので、たまには地元の話題を。
地元の景勝地にある道の駅は、以前から観光の拠点となっており、観光交流センターなるガイダンス施設でもある。様々なアイディアを凝らして集客やサービスに力を注いでいる。スタッフの熱心さには頭が下がる。
ここで、この冬から(以前からもやっていたのかもしれないが…)大々的にライトアップをしている。(大々的は少しオーバーか?)

地元の電気工事業者の協力で行われているライトアップ、市内では早くから駅前広場で実施されていたが、観光の拠点ということでここ「樽ケ橋」のセンター脇の広場に光のトンネルが出現(写真下)。
なかなか、夜の時間帯に訪れることがなかったし、コロナの影響でその奥にあるホテルにも行く機会がなかったので、通ることもなかった。気が付きませんでした。
私は待ち合わせの時間に僅かの滞在だったけど、親子連れがぽつりぽつり。密を避けてちょっと気分転換にはいい空間かもしれない。



注目したいのは、地元のゆるキャラのマスコットで観光大使にも任命されている「やらにゃん」の全身ライトを光らせている姿。ひときわまぶしく光り輝き、神々しく見える?それとも不気味?まあ、いずれにせよ目立つ存在だ(写真下)。
また、橋梁マニアにとっては、上路アーチ式の樽ケ橋もライトアップされているのも嬉しい。赤い鋼材が映し出され、美しい姿を見せている(写真下)。
この部分、橋を渡るクルマからは見えないし、使う人にとっては気にもとめない部分だけど、橋台とともに重要な役目を担っている。景勝地に架かる橋といったこともあり、上路方式で眺望を意識してますから、アーチは脇からしか見れない。(以前の橋が上路アーチだったからか?ここ、真下からも見れます!)
正に地味なところに光を当ててくれた発案者に御礼を言いたい。この機会にぜひじっくりご覧あれ!

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旧万世橋駅の高架を活用したレトロモダンの商業施設

2020年12月21日 | 土木構造物・土木遺産


東京には鉄道遺産が数多く残されている。まあ、いち早く鉄道網が整備されたところだから、明治期から大正・昭和初期と、当時に建設され残されているものはすべて遺産といっていい。
土木学会選奨土木遺産である有楽町から新橋間の「新永間市街線高架橋(東京高架橋)」など、いずれ紹介したいと思いながら、コロナ禍の東京に出張の際、目的地に近い万世橋付近の高架橋を見に行く。

秋葉原駅の電気街口を出て、万世橋を渡る。ここは、旧万世橋駅(甲武鉄道がいわゆる中央線を東京方向に延伸し、後の鉄道院に引き継ぐ。1912年(明治45年)開業)から開業のあった場所。
訪れてから気が付いたのだが、そう、ここは旧交通博物館があった場所(2006年閉館)。現在整備され、跡地には「JR神田万世橋ビル」という多目的なオフィスビルに、交通博物館でも一部を利用していた旧万世橋駅は「mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋」という、高架橋を利用してちょっとレトロでおしゃれな商業施設として利用されている。



高架橋のレンガやアーチ、中に入ってみると鋼材にリベットが打ち込まれているガーダー橋のような桁を見ることもできる(写真下)。
神田川沿いには、オープンデッキがあって、約140メートル。夜になるとライトアップもされているし、何せ「松住町架道橋(写真下)」が見えるし、万世橋、昌平橋といった土木遺産に囲まれている。(グッドデザイン賞受賞、建築家の中でも注目の場所。)
カフェやバル、雑貨、ファッションのお店が入っていて、お散歩気分で気軽に立ち寄ることができる。旧万世橋駅のジオラマも見つけました。(中央快速線に挟まれた、注目の「RESTAURANT PLATINUM FISH」は階上の旧万世橋駅を活用したカフェ。ここには恥ずかしくて行けませんでした。)

とにかく洗練された最新デザインとレトロモダンが融合して、心地居場所になっている。鉄道遺産・土木遺産の生まれ変わり、新しい使い方として注目を集めている。
あちこちにまだまだありそうですね!ついついお茶の水まで歩きました。さあ、もっと探しに行こうぜ!

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長生橋を愛するフォーラムに参加して

2020年12月19日 | 土木構造物・土木遺産


雪の中をなぜ長岡に行ったかというと、「長生橋フォーラム2020」に参加するため。
以前紹介した長生橋は、信濃川に初めて架橋されたという初代から現三代目の永久橋が三代目。三代目は1937年完成だから83歳。いまなお長岡市民の生活路として活躍している。(長生橋については、11月16日の記事参照。)
この橋を「もっと知ろうよ」ということで、市民の有志の会である「長生橋を愛する会」と、地元建設業協会の主催で開催された。

以前の記事で、長生橋のことについて調べていると、この日にフォーラムが開催されるという情報に遭遇した。すかさず申し込みました。
プログラムは「長生橋の歴史」から始まり、「長生橋の構造と土木工学」、「長生橋の現状と補修工事」という内容。「長生橋ライトアップの経過と意義」にも触れながら、長岡の街づくりに寄与してきた長生橋をとことん掘り下げていくもの。
普段なら眠くなる午後の時間帯の会議だったが、わくわくドキドキしながら、あっという間に時間が過ぎていった。とても興味深いものでした。



特に、カンティレバー(ゲルバー)トラス橋の構造は、分かりやすい解説付きで私にも十分理解できた。(構造計算の話はちんぷんかんぷんでしたがー。)
その稀有な構造こそが、美しい景観を生み出しており、市民に愛されることになっているということや、土木に関わる人たちにとってはとても貴重な資料でもあることに改めて感心した次第だ。
県の地域整備部の方からは、「今後も補修工事を施しながら大切にしていきたい」との言葉もあって、長岡市民でもないのにのめりこんでしまうことになってしまった。

こんなマニアックな会に、しかも遠方から参加しているので、会場内に知っている人はいないだろうと思っていたら、いました!しかも、司会をしているではありませんか!
いわゆる「ドボジョ(土木女子)」の彼女は、筋金入りの技術職。お酒も強い。知識もお酒も足元には及ばないので、軽く挨拶を交わし会場を後にしました。
土木遺産をテーマに、あちこちでこんな会があったら楽しいだろうに。マニアや技術者だけでなく、単に趣味の素人も楽しめるような今回のようなフォーラムに期待して、来年もまた来ます(毎年やっているのかどうかは分かりませんが)。


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北越急行ほくほく線の凄い副業を見つけた

2020年12月15日 | 鉄道


北越急行・ほくほく線は、何回か紹介してきたが、久々乗車する機会を得たので雑感を。
今回、スノーラビットに乗車すことができた。ほくほく線内を走る最速の快速列車で、「超快速」というカテゴリーを生み、公募により「スノーラビット」という愛称がつけられている。
車両は、北越急行オリジナルのHK100形電車。最高速度110キロ、表定速度(時刻表上の時間・距離によるスピード)が88.6キロという列車は、他に存在しないのではないだろうか?一番早いもので越後湯沢~直江津間を57分で結ぶ。さすが高規格の路線をフルに活かしている。
この列車の売りは、直江津から越後湯沢で新幹線へ乗り継ぐと、東京への時短が図れるし、料金も安い!このルートを利用する直江津周辺の上越市民は、いまだに多いそうだ。



以前にも触れたが、北越急行ほくほく線は、豪雪地帯の超ローカル路線でもあることから、計画段階からその建設費やその後の運営などにも心配があった。
1997年の開業当時から、越後湯沢を始発とするJRの特急「はくたか」が乗り入れており、北陸新幹線開業まで首都圏と北陸地方を結ぶ路線として多くの乗客を運んだ。この時、ストックしたお金が数十億円といわれており、将来的な経常的な赤字を補填することが可能だという。

トンネル区間を利用して「ゆめぞら」を運行するアイディアで脚光を浴びたが、一方で後進の三セクである「えちごトキめき鉄道」はジョイフルトレイン「リゾート雪月花」をはじめとして、各種の趣向を凝らした列車運行に力を注ぐ。そうそう、SL(D51=デゴイチ)を借り受けたそうですね!
鉄道事業とその関連のイベントやグッズの販売などでは、ほくほく線よりトキ鉄の方が魅力的のように思える。トキ鉄は、公募で選ばれた元・いすみ鉄道の鳥塚社長のアイディアが駆使されているようだ。

ただ、ほくほく線もスピード・料金というだけではなく、調べてみると実に様々な取り組み・事業を行っている。
旅客専用だった電車を改造し、佐川急便と「貨客混載列車」を運行することに合意、すでに日に一往復運用されている。また線路敷に敷設されている光ファイバーケーブルの芯線の貸し出し、公募を行っている。この結果にも注目したい。
最大的な特徴は、「適格機関投資家」としての資産運用が凄い。ほくほく線は高規格路線を有することから、純資産額は112億円(2019年3月期)。これを元手に資産運用し、毎年1億8千万円余りの利息利益を計上し、赤字を抑える工面をしている。ただの鉄道会社じゃないぞ!ってところでしょうか。

ともあれ、ローカル三セクの鉄路と沿線住民の足を守るため、トキ鉄とともに切磋琢磨して頑張ってほしい。(記事と写真にあまり関係性がなくてごめんなさい。乗車時の様子と景色をお楽しみください。)







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直江津駅探訪、頑張れトキ鉄・ほくほく線&山崎屋

2020年12月10日 | 鉄道


密に耐え切れず現美新幹線を長岡駅にて下車。大人の休日を楽しむかのように、在来線での旅を楽しむことにする。
長岡まで来ると、どっち方面に行くか、それほど選択肢はない。列車の接続を考えると、直江津からほくほく線、越後湯沢を周遊して戻るコースを選ぶ。まあ何度か訪れた経路でもあるが、ほくほく線も久しぶりだからと気を取り直す。

直江津は、かつて信越本線と北陸本線が交わる交通の要所。鉄道の町でもある。
日本海縦幹線の途中駅であり、JR東日本と西日本の境界駅、乗務員もここでの交代が行われていた。当時は、トワイライトエクスプレスをはじめとする全特急が停車していた。
ゆえに構内は、車両留置のための側線も多く、以前は機関区(運輸区)も置かれていたので、そりゃ活気に満ちた駅の光景を車窓から眺めることができた。



現在の直江津駅は、JR信越線がこの駅で途切れる形となる。(まあ、新潟方向が下りなので、県内の信越線はここが起点。)
北陸新幹線開業に伴い、信越線の上り方向は「えちごトキめき鉄道」の「妙高はねうまライン」に。北陸線は、同社の「日本海ひすいライン」となる。
ここに「北越急行・ほくほく線」が乗り入れているので、JRを含め3社が、4路線乗り入れているので列車の本数的にはそれほど減った感はない。必ず列車がホーム上にいるし、乗り換えの利便からすると複数本停車していることも多い。やはり、鉄道の主要駅には間違いない。
ただ、北陸新幹線の開業に伴い、長距離特急への乗り換え客や旧高田市街からの直江津を目指す乗客は減少したはずなのだが、乗降客数のデータを見ると、民鉄の頑張りもあってこちらもそれほどでもないようだ。

駅は、JR東とトキ鉄の共同使用駅となっており、駅の業務は「みどりの窓口」を含めトキ鉄がJRから受託。駅舎や構内の施設・設備はトキ鉄に譲渡され、トキ鉄本社も直江津駅舎内にある。
JRはというと、ほとんどの旅客部門の機能は北陸新幹線の上越妙高駅に、運輸区は長岡運輸区に統合された。まあ、新潟方向からすると終着駅で、ドル箱でもある長距離輸送・優等列車が新幹線に頼らざるを得ない状況だから仕方ない?
ともあれ、トキ鉄やほくほく線など、超ローカルとなった路線を盛り上げようとする民鉄の踏ん張りに期待したい。

えっ?駅弁ですか?やってましたよ。以前はホームでの立売もあったし、駅の改札内コンコースでの販売もしてたのですが、コロナの影響もあって駅前の製造元である「ホテルハイマート(写真下)」まで買い求めに行きましたが。
名物の「鱈めし」、「さけめし」の二種類でしたが、それで十分!(写真下:この日は5年ぶりに「さけめし」に。)
というより、こちらも主力は上越妙高駅に「山崎屋」という駅弁処を設置している。「山崎屋」はハイマートの屋号(以前の屋号と言えばいいのでしょうか?)。良いライバル(ホテルも隣同士)であった「ホテルセンチュリーイカヤ」が駅構内の営業を撤退。この地域を代表する駅弁屋として頑張ってほしい、「よっ、山崎屋!」。




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遅ればせながら、世界最速の芸術鑑賞「現美新幹線」の紹介

2020年12月07日 | 鉄道


「現美新幹線」は、JR東日本・上越新幹線の越後湯沢・新潟間を走るジョイフルトレイン。車内で現代美術を鑑賞できるため、「世界最速の芸術鑑賞」とのキャッチフレーズが使われている。JR東日本管内の新幹線を使用したジョイフルトレインは、山形新幹線内を走る温泉列車「とれいゆつばさ」に次ぐ2編成目。
出張の際買い求めた「大人の休日倶楽部パス」がこの土日まで期間内だったもので、遅ればせながら乗車することにした。というのも、この現美新幹線は、今月いっぱいで運行を終了することに。運行期間5年弱は、少し短かったですよね。



車両と車内を簡単に紹介する。(写真上)
車両は、秋田新幹線・山形新幹線でもお馴染みのE3系、6両編成(秋田新幹線に、E6が投入されたため、余剰車両の改造車)。土日に、越後湯沢と新潟間を3往復(各駅停車)。営業キロ134キロを50分程度で結ぶ。6両で定員107人は、新幹線としては贅沢の極みだ。

車両の山側(上り方向左手)の壁に、鏡面ステンレスのアートやオブジェ、写真、映像モニターが配され、海側にはソファーが並ぶレイアウト。
越後湯沢寄りの11号車のみが指定席で、4列シートが並んでいるものの、こちらも芸術的仕掛けがあるそうだ。
ただ、自由席である12号車から16号車のソファーの座席を考えると、果たしてどちらがお得かというと何とも言えないし、乗車時間50分で芸術鑑賞しようと思うと、座席に座ることの必要もあまり感じられない。

13号車には、カフェスペースが設置されていて、新潟や沿線ゆかりの味を楽しめる。リッチな空間。
ただ、キッズコーナーが併設されていて、子どもたちはプラレールに興じる。少し賑やかなところはあるが、まあ子どもたちにとっては芸術もリッチな空間も関係なですからね。(車両の半分がカフェスペースで、半分がキッズコーナー。内装は、やはり作品で彩られている。)

この日は、定員を遥かにオーバーする乗客を乗せて現美新幹線は新潟駅を出発した。あまりの密に、私は2つめの長岡駅で下車。同じことを考える人は多いことに驚かされる。
ただ、列車を降りて気が付いたのだが、外装が左右で違う。このデコレーションも、写真家で映画監督の蜷川実花氏の作品。長岡花火を撮影した写真を用いている。
つまり、列車内だけが世界最速の芸術鑑賞ではなく、新潟ならではの田園風景や雪景色の中を走る姿こそ、この列車が世界最速の芸術であることに気づかされる。







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せんべい王国で、観光客は〆のせんべい?

2020年12月05日 | 旅行記・まち歩き


仕事で「せんべい王国」なる国に入国してきた。荷物を取りに行っただけなのだが、以前も来た時から気になっていた場所。
新潟特産の米菓・せんべいのPR施設であり、「ばかうけ」でお馴染みの栗山米菓が運営する施設である。新潟市の北区新崎の工場に併設されている。

米菓はスナック菓子などともに、人気上昇中。というのも、昨年の台風19号が甚大な被害をもたらしたことで、非常食としての需要が高まったこと。そして、コロナ禍の自粛ムードの中にあって、「おうち時間」を過ごすのにお菓子が欠かせないという、ちょっと喜んでいいのか分からない事情があるという。
特に、新潟県に住むものとして、あまりに身近なお菓子であって、あまり気にしていないのだが、せんべい、おかき、あられなどの米菓類は県外での評価はすこぶる高い。さすが米どころが産んだ産業なんでしょうね?



王国内の体験館では、主力商品、人気商品、新商品などの販売コーナーのほか、併設した工場の中を見学できるコースが設けられている。
ガラス越しにはせんべいを手焼きする様子も見ることができるのだが、これはパフォーマンスなの?もしかするとプレミアものとして販売されているのかもしれない。(すいません、不確かな情報で。)

敷地内ではお土産屋や見学コースの中でせんべいの歴史や製造過程っを紹介する資料コーナー、ちょっとしたスナックコーナーもある。
ただ、自分でせんべいを焼くことのできる「体験コーナー」が一番人気!手焼きだけでなく、絵描きもできるそうだ。(写真下:コンロが置かれた手焼き体験コーナーと、絵描きせんべいの見本。)



この日も、近隣の小学生が社会科の勉強?に訪れていて、自分で焼いた焼きたてのせんべいを口にしていた。美味そうでしたよ。
県外からの団体での訪問もあるほか、コロナの影響でしょうか、近隣から個人で訪れる親子連れやカップルなども増えているとのこと。
新潟県下越地方の観光スポットしての人気で、お土産も買えるし、新潟市街地に近いこともあって、観光の〆のせんべいといったところなのでしょうか?
「鬼滅の刃」と「ばかうけ」のコラボで、コンビニ限定商品がこれまた人気だとか!せんべい王国にもありましたよ。さあ、せんべい王国へ!


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1歳の誕生日に一升餅の記憶と記録

2020年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム


急に孫ネタを立て続けに。
1歳の誕生日のお祝いというと「一升餅」ですかね?どうやら「一生」と「一升」をかけて、「一升食い物に困らない」、「健康で一生過ごせる」などの意味があるようだ。丸い形は「円満に」だとか。

上の写真のとおり、まだ歩くことに躊躇しているところ、手を離せばすぐに転ぶ。そりゃ1歳の子どもに、2キロの重さを背負わせて歩かせるというのも過酷な儀式だ。
でも、歩かなくてもいいし、転んでもOK!厄が落ちるとか、家に長く居る(後を継ぐ)とか、まあポジティブな言い訳もある。
いずれにしても、背負わされる子どもにとっては迷惑な話のように思えるが、儀式は儀式。

儀式だから以前よりあったのだろうけど、自分自身もやったのだろうか?もちろん記憶はないし、記録もない。すでに亡くなっている両親からも聞いたことはない。地方による?どうですかね?
今も昔も子ども誕生がめでたいことに変わりないのだが、現代の子育て世代はこうした祝いの行事には敏感なようで、それに呼応したように一升餅のネット販売も盛況だとか。カラフルで、絵が描かれたりデザインが施されたりしてるものなるようだし、この儀式用に餅を入れる専用リュックまで販売されている。

まあ、インスタ映えっていうのもありますかね。
現代の子どもは、一升餅を背負った記憶はなくとも、しっかり記録は残ることになるんだな。

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三番目の孫が誕生日を迎えて

2020年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム


12月1日は、三番目の孫の誕生日。そう、今日が満1歳ということになる。

春先にたびたび紹介してきたが、2か月半の入院・治療を乗り切って、コロナ感染拡大の第一波が猛威を振るう頃は、病院で過ごした。
生後3か月ほどでの入院で、小さい体にいくつもの管を付けている姿は痛々しかった。当然お母さんは付きっ切り。最初の孫であるお兄ちゃんは、爺ちゃんと家の中で過ごすという日が続いた。
確かに大変だったし心配もしたけど、そんなことがあると子どもたちは大人になるし、初めての誕生日の感慨もひとしおだ。

三番目、まだ歩かない。もうつかまり立ちで部屋の中の移動の速さは目が離せないところだが、いまにも歩きそうなのだが立ち上がってはすぐに尻を着く。テレビの裏に入りたがるのは、お兄ちゃんそっくりですね。危ない危ない!
食べるのは離乳食。ミルクはやめたといっていたがどうかな?これからはかなり形のあるものや初めてのものに挑戦する。爺さんは、いつも野菜のスープを作る係だ。うなり声をあげながら完食してくれるので、こちらも嬉しい。
あと、口にものを入れるのは万国共通?佐渡にいる二番目の孫、この春に生まれた4番目もそうだった。口に触覚でもあるのだろうか、子どもは様々なところで社会の状況を吸収しながら大きくなっていくようだ。ビニールの切れ端を口に入れて、大騒ぎになったこともありましたなー。

引き出しや戸棚、家電製品、様々な食品、食器、書棚の本、リモコンなどに興味津々。爺さんの持ち物ではスマートウォッチとスマホについているホルダーが気になるようで、ぐずった時の魔法の道具。時期が時期だけに、除菌シートが欠かせない。
時計にかなりキズがついていたけど、あなたですか?元気に誕生日を迎えたんだから、まあいいかー。

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