行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

さて、いよいよ常願寺川上流部に足を踏み入れる!(序章)

2022年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム
行き先不明の旅は、今度は富山に向へということになる。これまでも土木構築物や土木遺産を数々紹介してきたが、私が最も注目するべきは隣県の富山県を流れる常願寺川である。
3000メートル級の立山連峰を水源としているが、僅か延長56キロメートルで富山湾に注ぐ一級河川。国内だけでなく、世界的に見ても急峻な川として知られ、私が仕事の研修用プログラムでも紹介しているが、実際、じっくりと足を踏み入れるのは初めてである。
明治時代に派遣されたオランダ人土木技師のデ・レーケが「これは川ではない、滝だ!」と称したことでも知られるが(この発言には諸説あるので、後日解説したい)、とにかく古くから暴れ川としても知られ、氾濫・洪水を繰り返してきた川でもある。(写真下:富山市上滝・立山橋付近の常願寺川と、支流・称名川との合流地点で、富山地方鉄道の立山駅や砂防事務所などがある千寿ケ原の遠景。)



この川には見所が実に多い。それを小出しに紹介していくことになるのだが、今回はこの川の概要について触れておく。
常願寺川は、富山市上滝を扇のかなめとして下流は富山平野で扇状地を描いているが、これより上流部が極めて急峻な地形の中を流れる。なんと標高1000メートル以上の高地は、流域面積の73%に当たるという。
富山最大の観光地である「立山アルペンルート」の美女平、弥陀ヶ原、室堂などへの降水もこの川(支流の称名川)に落ちている。アルペンルートの先には、国内最大の土木構造物である「黒部ダム」があるので気になると言えば気になるルートではあるが、こちらはいずれ足を踏み入れることを楽しみに取っておきたい。(写真下:立山カルデラ砂防博物館の展示から常願寺川の砂防施設の紹介と、日本最大の「立山カルデラ」の地形の紹介図。)



この川を管理するために国土交通省北陸地方整備局は「立山砂防事務所」を富山側アルペンルートの入口である千寿ケ原に設置し、山深い場所に出張所なども設けて暴れ川との戦に挑んでいる。
また、立山の地形から始まる暴れ川の由縁や自然美の造形、土木技術をもって戦いを挑んだ歴史を紹介するために「立山カルデラ砂防博物館(国土交通省・富山県の管理・運営)」を砂防事務所前に設置している。立山に足を踏み入れるには、まずここは押さえておきたい場所。
常願寺川の上流部の魅力をぜひ堪能したいし、ここで紹介できればと思っている。ネタが多いので、時折他の記事なども織り交ぜながら今回をプロローグとして何回かにわたって紹介していきたい。乞うご期待を!(写真下:北陸地方整備局の立山砂防事務所と、すぐそばにある立山カルデラ砂防博物館のエントランス。)

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佐渡味紀行(その17)、知る人ぞ知る隠れた名店が、今や観光客の行列店に!

2022年07月29日 | 食(グルメ・地酒・名物)
出張で佐渡ということになると、なかなか自分勝手に美味しい店をチョイスできないのであるが、佐渡通の自分なりに今回もマニアックな店を訪問したので紹介する。
マニアック?といっても、佐渡の人に親しまれてきた店。知る人ぞ知るといった隠れた名店と言われるものが、ここに来てにわかに観光客も目を付けてきている店だ。
近年、佐渡への移住者が次々と新感覚の店をオープンさせて注目を集めている中、今回紹介する2店は佐渡在住の方が頑張って切り盛りを続けてながら、じわじわと人気を勝ち取った店と言ってもいいだろう。




とにかく、いまや佐渡で1・2を争う人気店!やきとりの「金福」は、相川の狭いメインストリートの奥の、そのまた奥の狭い路地にあり、夕方になるとたまらないいい香りが相川の町を包み込む。
孫を連れてはなかなか来れない場所。しかも、開店直後から行列ができることもしばしばというので、今回出張で佐渡へ訪れた機会に、知人に頼んで席を確保してもらい入店することができた。
上の写真のとおり、名店はその店構えにあらず!ってところ?やきとりはふっくらとしていて柔らかい。もちろん大きいので食べ応えもあるし、それほど甘くないたれで仕上げられているためしつこくなく、いくらでも口の中に入っていく。もちろんお酒も進む。
知人に席を取ってもらって10数分遅れの入店だったため勘弁してもらったが、この店、実は予約は一切受け付けていない。かの「桜坂」のイケメン俳優で歌手のF山さんが貸し切りを申し出たが、店主はきっぱりとお断ったという逸話がある店。さあ、並ぶしかない!




もう一店は、「食事処みなと」。こちらは民宿もやっていて、「旅荘みなと」が火付け役になり、食事処としても観光客の目的地にもなっている店だ。
場所がマニアック?佐渡は山地に挟まれた中央平野部が栄えているが、ここは北半分の大佐渡にあって、しかも日本海に向いた外海府と言われる高千という集落ところにある。両津港からだと50キロ、1時間以上かかる場所だ。
なぜ人気かというと、上の写真の料理を見てもらえばお分かりのとおり、とにかく品数が多い。写真は「刺身定食(1,600円)」だが、プラスここに焼き魚が付く。小鉢がいくつもついて、まるで宿泊客用の夕食のようだ。
仕事で滞在する人や釣り客といった宿泊客の「料理が凄い!」との声が徐々に広まり人気店に。朝食も凄いらしい。この日のランチも県外ナンバーのクルマ・バイクの客で賑わっていた。

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佐渡に伝わる能、能舞台は全国の三分の一が佐渡に集中

2022年07月24日 | 歴史・芸術・文化


蓮華峰寺で佐渡の歴史・文化財を紹介したが、佐渡で気になるといえば、実に能舞台が多く残されているということ。もちろん、年中行事として能が島内各地で演じられている。
これは先に触れたとおり室町時代に世阿弥が佐渡島に流刑となったことがきっかけと考えられる。ただ、調べてみると世阿弥が当時の城主に招かれて能を披露したとの記録はあるようだが、広めたのは世阿弥ではないようだ。
それは江戸時代。すでに佐渡鉱山で金が発掘されているころ、佐渡代官として島に赴任した大久保長安が能楽師や謡(うたい=声楽隊)、鳴物方(こういう言い方をするのか分からないが、いわゆる楽団)、狂言師一行を連れてきたことに始まる。(写真上:美しく松の絵が描かれている真野・大膳神社と能舞台)



その後、宝生流を本間家、観世流を遠藤家が、一時期は対立しながらも、奉行所(お役所)からのお墨付きなどを得ながら地方役人や庄屋・有力層に支えられながら、国仲地方(大佐渡・小佐渡に挟まれた、佐渡の中央平野部)の村々で披露させるようになり一般にも浸透していったもの。
神事として披露されるということもあって、佐渡各地の神社には能舞台が設けられた。一番古い記録では、佐和田・中原にある若一王子神社の祭礼での神事能が記録されていて、これが江戸時代の1676年。能舞台の多くは江戸後期に建造されたようだ。(能舞台は、若一王子神社のもの以前にも建造された記録はある。)
若一王子神社をはじめ、真野の大膳神社、畑野・加茂神社、新穂潟上・牛尾神社は国仲四所御能場とされるが、佐渡各地にはこの時代から現存する能舞台が30か所ほどあって、実は全国の能舞台の三分の一が佐渡に集中している。これも佐渡という離島バリアに守られてのことなのかもしれない。(写真上:拝殿の彫刻も見事な新穂潟上・牛尾神社と能舞台)



こちらもコロナの影響を受けて、能が奉納される、披露されるという機会がめっきり減っているとのことだが、つい先日、相川・春日神社で薪能が披露されたという話しを聞いた。二日目は悪天候のため、別会場の屋内で開催されたという。
その別会場とは、金井・中興の「金井能楽堂」。今から10年ほど前、前職の出張時に訪れた場所だ。そのとき、子どもたちが総合学習で取り組んでいる狂言と、地元の郷土芸能・鬼太鼓が披露され、甚く感動した記憶がある。
披露してくれた子どもたちはどうしているだろうか?人口減少、少子高齢化は佐渡に限ったことではないにせよ、何とか有形・無形に限らず地元の文化・伝統の継承に力をもたらしてくれていると信じたい。(写真上:佐和田・若一王子神社と畑野・加茂神社は、能が演じられるときに能舞台が出現する。写真下:2012年、金井能楽堂で子どもたちより狂言と鬼太鼓を披露してもらった)

(能舞台の多くは、県・市の有形民俗文化財として指定。能については特に指定はないものの、「佐渡鷺流狂言」が県の無形文化財に指定されている。)



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佐渡・蓮華峰寺がただの観光地ではない歴史と由縁

2022年07月23日 | 歴史・芸術・文化


佐渡は歴史深い島である。歴史はどこの土地にもそれぞれに古くからあるのは当然として、佐渡は島国ということからも保存継承がされ、独特の進化をしてきたといってもいい。
今回紹介するのは、「あじさい寺」として親しまれ、観光客にも人気のパワースポット「蓮華峰寺(れんげぶじ)」である。佐渡南部の小比叡というところにある真言宗の寺で、806年に空海の開山という伝承を持つ由緒ある寺である。
7月に入って二週間という時期、「アジサイはもう終わったか?」と半ばあきらめ半分で出かけたが、少し色褪せてはいたものの、広々とした静かな境内で7000本のアジサイがしっかり出迎えてくれました。(写真上:参道のアジサイと仁王門。)



蓮華峰寺には数多くの文化財がある。国の指定文化財として、金堂、弘法堂、骨堂があるほか、境内にある小比叡神社の本殿と鳥居も指定されているほか、国の登録文化財が16(弘法堂につながる無明橋を含め、すべて建造物)、県の指定文化財が3(建造物1と彫刻2)ある。(写真上:金堂と、一方は奥に弘法堂で、手前に見えるのが無明橋。)
歴史深い土地(島)とはいえ、これだけのものを境内で一度に見れるのはそうそうない。現に佐渡市は、国の指定登録等文化財数では新潟市に次ぎ二番目。博物館保存や近世建造物が多い新潟市からすると、歴史深さでは間違いなく県内市町村内では随一といえる。
その中にあって蓮華峰寺は随一?(長谷寺に怒られる?彫刻(仏像等)関係は長谷寺が多い。国指定1、県指定6、国登録建造物15)特に骨堂に至っては、1348年の南北朝時代に建造された新潟県内では最古の建物だという。
(写真下:県内最古の建造物の骨堂と、拝殿・鳥居とも国指定文化財の小比叡神社。)



佐渡は流人(島流しにされた人)の島と言われているが、政治犯、思想犯が多く、鎌倉時代の順徳上皇や日蓮聖人、室町時代の世阿弥など、高貴な人や文化人が多い。また島国独特の外からの圧力もなかったなどが影響し、文化が守られ、継承されたのではないか?
戦国時代のように国同士の争いもなく、大きな騒動もない。いや、全くなかったわけではなく、現に1652年に巻き起こった「小比叡騒動(奉行所の役人同士の軋轢による蓮華峰寺での立てこもり事件)では、一部の建造物が焼失したものの、奇跡的に紹介した文化財は難を免れた。
これがパワースポットの由縁ともいえる。勝手な解釈も加わっているが、ぜひ一度、佐渡の文化に触れに蓮華峰寺を訪問いただきたい。観光客の皆さん!アジサイに気を取られてはダメよー!(写真下:仁王門で金堂を守る金剛力士像と境内の案内看板。)







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佐渡の手前の新潟港にオープンした「佐渡の手前」

2022年07月18日 | 食(グルメ・地酒・名物)
しばらく投稿がなかった。コロナが再燃してきている中ではあるが、仕事で出かける機会が多くなってきていて、佐渡へも出張。仕事で佐渡に行けるということは、自分にとっては実にラッキーなことでもある。
そんな中、先月の佐渡訪問時にすでに気が付いて訪問済みであるのだが、写真を取り揃えて今回紹介したい店がある。ただ、佐渡島内ではないので「佐渡の味紀行」とは言えない。佐渡の手前、新潟港に新しい食事処が6月1日にオープンしたもの。
店名が「佐渡の手前」。確かに、佐渡に渡る手前で、佐渡の玄関口ともいえる佐渡汽船の新潟港にあって、手前の料理を提供しようというもの。この場所で長く営業してきたレストランが廃業となって、寂しさを感じ、さてどうなると思っていた矢先、意外にも早く次の店がオープンしていた。(写真下:白いのれんが印象的な店のエントランスと、やはり白を基調とした明るい店内。)



確かにコロナの影響もあり、ただでも飲食店の経営は大変なところ、佐渡へ渡る観光客も少しは戻ってきたと紹介はしたが、観光の島・佐渡にとってはまだまだ厳しさが続いていることは確かだ。
ここのところ、佐渡には島外・県外からの資本投入が活発。以前紹介した「みちのりホールディングス」の佐渡汽船への資本投入や、東京・日本料理「僖成」グループの飲食店のオープンなどがそうである。
「この場所でよくやってくれた!オーナーはどちらの方?」と店員に声をかけてみると、なんとまあ僖成グループでした。店構えこそ日本料理とはかけ離れているものの、メニューには例の海藻を練り込んだうどんなどもあり、佐渡の手前を演出している。何だか嬉しくなった。(写真下:僖成グループの店を紹介するパネルと、「佐渡の手前」のメニューの一部。)



店内は白いテーブルに白い椅子の明るい雰囲気で、メニューもシンプルでカジュアル。食券をタッチパネルの自販機で買い求め、配膳等はセルフサービス。若い人や小グループでも入りやすい。船へ持ち込める弁当「船弁」やかき氷・ジェラートなどもある。(写真下:店の看板メニューになっている「船場のマイルドスパイシーカレー」と「佐渡うどん」。)
この僖成は、以前紹介した佐渡うどん「蒼囲」のほかに、まだ紹介していないが佐渡で「佐渡箱ちらし」なるちらし寿司専門店「ときなり」もオープンさせている(現在は団体のみの受付)。昨年来、「佐渡」という文字を付して次々新店舗を展開している。
この時世、人口の激減に、観光客の激減が、島内の経済疲弊に拍車をかけている。ただその中で、頑張っている従来からの店や、島外から佐渡の魅力に魅せられ移住し開店する店も多いような気がする。まだまだ佐渡の魅力を開拓・追及していきたいと思う。



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ウィンブルドン、実はジャバーを応援していた

2022年07月12日 | スポーツ・スポーツ観戦


この時期はサッカーがプレシーズンということで、どうしてもテニスの四大大会のひとつウィンブルドン選手権に目が行ってしまう。てか、夜中の放送が、この大会を放映しているので、そうしても。
優勝したのは、エレナ・リバキナ。カザフスタンの選手(実は今大会出場が認められなかったロシア出身)で、ウィンブルドンでグランドスラム初制覇。これまで四大大会では昨年の全仏でベスト8が最高。東京五輪で4位。184センチの長身。23歳。
とにかく長身から繰り出される高速サーブが持ち味。粘り、スピード、力強いストロークもあって、第一セットを失うも、逆転で優勝を飾った。はにかんだ様子のインタビューや控えめなところも初々しく、混迷する女子テニス界に、以前紹介したガウフやラドゥカヌ、世界ランク1位のシフィオンテクなどともに新風を巻き起こしそうだ。



といっても、私はずっと準優勝となったオンス・ジャバーに注目していた。リバキナはあまり眼中になかったこともあって、間違いなく優勝はジャバーだと思い込んでしまって、決勝戦も第一セットまでは「やっぱりな!」という感じで見ていた。
ジャバ―は27歳。世界ランキングは最新で5位(最高位2位)。グランドスラムはベスト8が最高成績。2年前から頭角を現して、WTAランキングをコツコツと上げてきて、得意の芝生のコートで今回初のグランドスラムを手にするところだった。
ただ、このタイトルはジャバー自身だけのものではなく、母国チュニジアやアフリカ大陸の悲願のタイトルだった。加えて、アラブ人として初めてのグランドスラム挑戦。ベスト8以降、初めて尽くしの快挙を成し遂げての決勝進出ということに注目してきた。これは偉業!



ジャバ―がはテクニシャン。左右の揺さぶりに鋭いクロスを打ち返したり、ドロップショットを織り交ぜたりしながら、粘り強く相手コートにボールを返す。リバキナの強力なサーブもしっかり返すことができていた。
決勝戦で敗れはしたが、今大会は輝いていた。決勝戦後のインタビューでは「多くの若い選手に良い刺激を与えたい、チュニジアの選手にもいい影響を与えたい」と締めくくり、また全米での活躍に注目していきたい。(またまた写真はWOWOWの画像を拝借。)
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安倍元首相襲撃事件、この事件の発生を機に議論したいこと

2022年07月10日 | ニュース・うんちく・小ネタ


安倍元首相が凶弾に倒れ亡くなったというニュースは、日本だけでなく世界に衝撃を与えている。
安倍さんの政治信条などはここでは触れないが、第一次内閣(平成18年・2006年)には、教育基本法の改革を実行し、「愛国心」が話題になったことを思い出す。1年の短命内閣で、それ以後、首相がコロコロ代わる政治混迷の時代が続く。リーマンショックによる株価暴落、東日本大震災からの復興など、第二次内閣以降ではアベノミクスなどによりある程度の経済効果を発揮させた。
参議院議員選挙の投票日を目前にした街頭での演説中の出来事。ただ、犯人からは政治的な信条による犯行は見えてこない。まだまだ捜査の続く中であるが、用意周到ながらも、全くの逆恨みによる犯行という報道もある。



参議院選挙活動のさなかに発生し、元首相である要人を狙ったことから、報道をはじめ各政党関係者・政治家も「民主主義の根幹を揺るがす行為」と語気を強める。それはそのとおり。
ただ、政治家が襲撃されるという事件はこれまでにも何回かあった。安倍首相の祖父である岸信介氏(1960年首相時代に首相官邸で刺され、重症)もそうだし、社会党・浅沼委員長が刺されて亡くなった事件(1960年)は有名、そのほかにも拳銃が使用されたという例もいくつかある。
これらの事件には確かに政治思想・信条の違いからの凶行。しかし、今回はそんなところが見受けられないことから、その銃弾に倒れた安倍元首相は無念だったろうし、政治関係者や安倍支援者だけでなく悲しみと怒りを覚えてしまうのである。



民主主義への挑戦?それはそれとして、私は民主主義の最先端の国で生活し、法治国家の法律の下で生活する一員であり、どこよりも平和で安全な国で暮らしていると感じ、自負していた。世界で巻き起こる紛争や事件に胸を痛める側であった。
加えて、殺人事件の発生率は世界でも一番低く、事件発生後の検挙率は世界でも最高レベルの我が国・日本。つまり、世界でも最高の警察組織を持っているといっていいのではないだろうか?これは数字により間違いないことのはず。
検挙率より発生を未然に防ぐことが重要。今回の事件では、警察の警備(SP)の問題も取り上げられそうだが、犯罪を防ぐためには警察だけではなく、政治家や国会がしっかりと対策を議論していくことこそ大事にしていかなければならない。
(個人的に、奈良出張の際には取引先の方に近鉄「大和西大寺駅北口」まで送迎していただくことが多い。前回(3月)も、ロータリーはタクシー用なので、事件現場になった道路の付近で降ろしてもらった。あそこが現場と知って驚きでもある。写真は地上波テレビ各社のものを拝借)

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信濃川下流部の市街地や農地を守る4つの県営ダム

2022年07月08日 | 土木構造物・土木遺産
紹介した三条の母なる川・五十嵐川を筆頭に、守門岳や粟ケ岳、八十里越といった雨雲を受け止める山々を水源にし、信濃川に流れ込む川がある。ここにもありました!洪水調節機能を主目的とした県営ダム。
さほど規模は大きくはないものの、信濃川下流域の都市部や越後平野の穀倉地帯を守るという大事な役目を担う新潟県土木部が設置・管理する4つのダムを紹介していく。



大河津分水を経て、中ノ口川と本流が分水する前(上流)で合流しているのが刈谷田川。守門岳を源として栃尾・見附・中之島などの市街地を流れて、三条市尾崎付近で信濃川に合流。丁度以前紹介した「横田切れ」の対岸だ。
「刈谷田川ダム」は、栃尾がすでに山の中といった感じではあるが、栃尾市街地からはかなり近いところにある。1981年完成の重力式コンクリートダム。堤高83メートル、堤頂長202メートル。
貯水量はさして大きくはないが、平成16年(2004年)の豪雨時には下流の被害低減に威力を発揮した。上越新幹線が湖の上を走っていたと表現した水害だが、下流域の低地で浸水被害があったものの、刈谷田川ダムは写真上の二枚目で確認できるように対岸のラインまで満水にして町を守ったのだ。



話題の五十嵐川上流、八十里越の国道289号線の工事が進むその途中、下流にかかる大谷大橋から美しいロックフィル式のダムが見えてくる。これが「大谷ダム」だ。(本来の「八十里越街道」は、五十嵐川支流の守門川に沿って県境に向かうコースで、県道183号で三条市遅場・吉ケ平を経由するルート。)
1994年完成。堤高75メートル、堤頂長360メートル、総貯水量は今回紹介する中でい一番大きく2110万立方メートル。水害の町・三条を守る要として、新潟県が初めて採用したロックフィル方式で建設されたのがこの大谷ダムだ。
ダム湖畔には広場や遊歩道が整備されていて、浮桟橋もある。ダム湖畔の資料館は閉鎖中(閉館?)だったが、国道289号線の開通(予定は2026年)は、かの「峠」の映画化も相まって、この地が観光ルートして脚光を浴びることに期待が寄せられている。



「笠堀ダム」は、五十嵐川の支流の笠堀川にある。大谷ダムのすぐ隣。重力式コンクリートダムで、堤高78.5メートル、堤頂長251メートル。今回紹介する中では一番歴史のあるダム。(県営ダムでは、以前紹介した三面ダムに次ぐ2番目の古い礫。)
五十嵐川が引き起こす水害を一番長く見てきたダムということもあって、放流能力の増強のため堤体の一部を取り壊しクレストゲート増設したり平成23年の水害後には堤体を4メートル嵩上げして貯水量を上げるなど、改修工事による進化を続けているダムだ。
国の特別天然記念物「ニホンカモシカ」の生息地として早くから知られる場所であるが、現在も縄張りを保ちながら20頭ほどが生息しているという。保護色なのでなかなか見つけられないというが、それだからこそ探したくなるよね!



今回、最後に紹介するのは「下条川ダム」。新潟県土木部の資料では高館山が水源となっているが、この山は標高138メートル。大丸山北側の水も集めているが、この山とて180メートル程度だ。なぜ粟ケ岳(1292メートル)を源とする加茂川ではなく、下条川にダムだったのだろう?
まあ加茂川には、加茂市民の上水道の水源として早くから貯水池1号(1954年)、2号(1960年)が設置されていたからか?加茂川自体も度々氾濫・浸水被害をもたらしてきたが、川幅を広げるなどの河川改修も行われてきた。おっと!主役は下条川の下条川ダムだった!
下条川ダムは重力式コンクリートダムだが、規模的には今回紹介する4つのダム中で一番小さい。市街地に近く、市民にしたし生まれている場所だが、行くまでの道が狭い!ダム建設の際、どうやって資材を運びこんだのか、謎の多いダムでもある。あと、クマ出没に注意して!平気で釣りを楽しんでいる人がいましたけど!

今回紹介した4つのダムとも、洪水調整が主目的であるといったとおり、この時期(私がお邪魔したのは6月末)は貯水量を減らして大雨に備えている姿が印象に残る。来るなら来い!ってな感じだろうか?


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三条市は「水害の街」、万が一の備えを怠らない街だ

2022年07月05日 | 旅行記・まち歩き


三条は古くから「水害の町」というように紹介した。江戸時代に水害に苦しむ農民に和釘づくりを推奨したことで金属加工の町に進化し、その金属加工がアウトドア用品の世界的メーカーを生み出すことにつながり、そのメーカーは災害に備えてキャンプ生活を推進する。
それも、守門岳を源とする五十嵐川の存在がある。福島県境・八十里越付近は毎年のように記録的な降水量を記録し、五十嵐川はそれを急流を作って三条市を目指す。そして、下流域に入ってゆっくりと流れを変える信濃川がそれを受け止める。
三条・下田地域にとって母なる川である五十嵐川であるが、暴れ川でもある。また三条の市街地で合流する信濃川は、以前にも触れたとおり大河津分水の下流では低地を流れ、大雨にもなると他の川からの流入も当然ある訳で、なかなか通常の機能を果たせなくなることもある。(写真上:上流・大谷地付近と三条市街を流れる五十嵐川)



その水害の町・三条では、災害に備えて「三条水防学習館」、その周辺を国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所が「三条防災ステーション」を設置している(写真上)。信濃川の河川敷や堤防外を利用したもので、災害対応の車両置き場や資材置き場、ヘリポート、水防活動スペースなどが設けられている。この広大な土地は三条競馬場の跡地ですよね?
というのも学習館の展示でも紹介しているが、三条では2004年(平成16年)、2011年(平成23年)の夏(いづれも7月)に大規模な水害が発生し、甚大な被害を及ぼした。(写真下:防災学習館の展示パネル)
2004年には、五十嵐川が決壊し、市街地が浸水し、三条市では死者9名、被害棟数1万棟を超える被害。そう、信濃川支流で上流にある刈谷田川の決壊は、長い期間田んぼを水が覆いつくし、新幹線は湖の上を走っていた記憶が蘇る。
また2011年の水害は、降り始めからの雨量が3日間で985ミリで土砂災害も加わる被害が出る。そう、これは新潟福島豪雨と言われ、福島県内の只見線の橋梁をいくつも流し現在も復旧作業が続いているというものだ。



そのような過去の災害を忘れずに、水防と災害に向き合う姿勢を見せて整備された水防学習館と防災ステーションだが、河川敷にはやはりキャンプ場のような「交流広場」が整備されている。
河川敷という場所で、しかも信濃川を挟んで対岸には五十嵐川が合流しているという位置からして、水害時の避難所としての機能というよりは、先に紹介したアウトドア用品のメーカーと同様、市民に避難時の練習と備えの場所として提供されているような気がする。
五十嵐川も、堤防の強化や川幅の拡幅、遊水池の整備などその備えを強化しているが、万が一の時は早めの避難とそのための備えが重要!暑い夏がやってくると、新潟ではまた災害への警戒をしなければならない。



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三条のアウトドア用品二大企業は、単に製品を作るだけではない

2022年07月02日 | 旅行記・まち歩き
佐渡を少しばかり離れて(まだネタはありますし、今月もお邪魔する予定があります。)、次なる興味深いまちを紹介することにする。それは新潟県三条市。
おのずと知れた金属加工の町で、町の中には「◯◯製作所」「△△工業」「◇◇金属」などの看板が立ち並んでいる。水害の多い地域なので、江戸時代農民を救済するため「和釘(わくぎ)」づくりを広めたのがものづくりの伝統を今に伝えたという。
コロナ禍の中、そんな金属加工の町で注目を集めているのがアウトドアの製品。金属加工の技が、キャンプで使う道具をいつしかちょっとした気分で作り始めたものの、昨今の事情も追い風となってさらに注目を浴びることになっている。



まず紹介するのは「キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG)」。ご承知の方も多い人気のアウトドア、レジャー用品のブランドだ。これは三条に本社を置く「パール金属」のブランドで、設立は2012年(平成24年)と新しい。
パール金属自体は1967年設立で、当初はキッチン・リビング用品を製造する中から、アウトドア製品の売り上げが好調で、海外からの引き合いも強くなったことからキャプテンスタッグを独自ブランドとして立ち上げた。
独自の開発力で、同一メーカーとしての品揃えでは、会社のホームページでも自負しているし、更に「サイクル用品、カヌー用品、ガーデン用品、ヘルス用品をラインナップに加え、更なる飛躍を試みる」と、進化を遂げていることも強調する。



キャプテンスタッグの強みは企画力のほかに販売力。海外への販売は海外事業部のほかに別にパール通商という会社を立ち上げているが、地元・三条をはじめ「WEST」というアウトドア用品を扱う店を県内4店舗で直営展開。
確かに所狭しと興味深いアイテムが揃っている。ここでWESTの偉いところは、自社製品であるキャプテンスタッグのブランドにこだわっていないというところ。国内外のあらゆるメーカーの製品が店頭に並んでいるのである。
そのキャプテンスタッグがキャンプ場を名勝・八木鼻の真下に開設。自社製品のレンタルなどでユーザー情報を得る場所としての機能のほか、災害の多い地だけに防災意識を高める場所として活用したいとのこと。知る人ぞ知るキャンプ場になっているとか。



そのキャプテンスタッグと双璧と言われるのが「スノーピーク(Snow Peak)」だ。これまた世界的なブランドになっている。こちらは1958年(昭和33年)の金物問屋が出発点。山好きの創業者が、自分の好きなものを作ろうと立ち上げた。
スノーピークは商標名。その登録は1963年とかなり早い。以来、このブランドを大切にしながら商品開発を進め、現会長である山井太氏が社長に就任した1996年、正式に会社名をスノーピークとした。ここからの国内外での事業拡大が凄い。
アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアと次々に製品の輸出を開始。国内でもありとあらゆるショッピングモールなどに出店。全国各地の自治体や企業、大学などと包括的連携協定を締結し、地方創生や協働にも一役買っている超アグレッシブな会社だ。



スノーピークは、三条市中野原という実は山の中にある。ここには、「HEADQUARTERS Campfield」という広大なキャンプ場がある。以前ゴルフ場立った場所なんですかね?そこに本社・工場を移したのは2011年。
ここには本社のほか、博物館、ショップなどを集約。別棟の温浴施設&レストランのある「FIELD SUITE SPA」は、かの隈研吾氏の設計。オリジナルの箱型宿泊施設なども併設し、複合施設としてもにわかに注目の場所になった。
そんなブームを巻き起こしているアウトドアライフの提案についても、日本各地のキャンプ場やゴルフ場、屋外エリアで展開していることから、ますます注目度がアップ!新潟・三条の二大企業が世界のアウトドアをけん引しているのである。
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佐渡味紀行(その16・番外編)涼しい佐渡で最も涼しい場所「ドンデン山荘」

2022年07月01日 | 旅行記・まち歩き


6月中の記録的に最も早い梅雨明け。そして、6月末からは全国各地で猛暑に見舞われるのも異例中の異例。そのまま7月に突入したという感じで、暑さが続く中、精力的にブログネタを求めて歩き回っている。
天気予報など見ると、佐渡は本土より3~4度気温が低いようだ。そんな中でも先に佐渡へ行ったときに、そりゃ涼しい場所を見つけたので紹介したい。
実はここへは「味紀行」のネタで美味いものを目当てに行ったのだが、そりゃマニアックなところへ来たしまったという感じ?標高も高い、眺望も素晴らしく、美味しいものもある。ただ、行くまでの道がかなり狭くて急カーブ続き。スリルを味わうことでも涼しさを感じる場所である。



目的地は「ドンデン山荘」。標高が890メートルの地。県土木部管理のダムを紹介したときの記事のとおり、佐渡の大佐渡山地は1000メートルを超える山もあって、ここもその一角にあり、登山のベースキャンプイ的な場所でもある。
実際、山小屋として食事や宿泊などもできる場所なのであるが、以前紹介した大佐渡スカイラインにある白雲台と同様、佐渡が一望できる眺望がすばらしいこともあって、観光に訪れる人も多い。
しかしながら、写真の通り、この日は下から山の方を見ても雲がかかり、ようやくたどり着いたかと思って山荘のデッキに立つが、湧き上がってくる雲に遮られて外科医を確認することは困難な状況だった。



晴れていれば(いや、この日も下界は晴れていたんだけどー)、両津湾から加茂湖、国中平野、真野湾、そして小佐渡の山々の向こうには、本土・越後を取り囲む山々まで見渡せるという。
そんな青い海や青い空を一望できることから、この山荘の名物となったのが下の写真の青い「ドンデンカレー」と青い「ソーダ水」。これが奇妙な(?)色合いであることから「インスタ映えする」と話題になっていた。それを味紀行に掲載したかったのだ。
海や空の青もそうだが、登山道にはアオネバ十字路というのがあったり、シラネアオイなどの「アオ」の文字や、登山道に咲く多くの花々が青や薄紫というのもこのカレーやドリンクの色を生み出したのではないだろうか?(まったくの自分勝手な仮説)



食事を含めて、付近を散策すだけでも十分な時間を費やすことになる。ただ、気になるのは下界の眺望だが、雲の流れを注目しながら見えそうで見えない!何ともフラストレーションを溜めてしまう時間を繰り返す。
帰り道は、下り。のぼりよりも運転に注意が必要。雲の中をしばらく走ることになるが、間もなくして前方の眺望が開けてきた。まだ、標高の高いうちに晴れてくれたので絶景とスリルを楽しみながら降りてくることができた。
この道で外海府・高千方面へ横断することも可能。人気のトレッキングの愛好者も注目の地で、我々が決死の覚悟で走った道は一応県道「ドンデン線」だが、行こうという方は十分注意して安全運転で!



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