行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

富山のライトレールも「まちづくり」の一環なんだ

2024年11月29日 | 鉄道


富山「富岩水上ライン」で富岩運河の見どころを堪能しながら、環水公園から終点の「岩瀬カナル会館」まで乗船。この乗船券には復路の路面電車の運賃が含まれていて、富山の新交通インフラをダブルで楽しめるといったものになっている。
チケットの案内には「路面電車」という表記になっているが、これは富山自慢のLRT(ライト・レール・トレイン)で、富山地方鉄道の「富山港線」ということになる。正確に言うと「トラムトレイン」という分類になるそうだ。
私が乗車した「岩瀬浜」は、富山港線の終点、そこから専用軌道を利用して旧JRの富山港線を活用し、市内に入って路面軌道を「富山駅」へ。富山地鉄の市内軌道本線や環状線(市電)と相互乗り入れをしている。(富山港線は第三セクターの時代があり、市電路線にも富山市が所有する部分があるなど、富山市が密接に関与している。)



さて富山港線、「富岩トラムライン」とでも呼ぼうか?岩瀬カナル会館から岩瀬浜駅までは、ほんの数分の距離。運行間隔は日中でも15分感覚が保たれており、すでに入線していた緑色の2連接低床車体の0600形は、富山ライトレール時代からの新時代を切り開いた生え抜き車両。「ポートラム」の愛称がある(写真最上段、見出し画像は剱岳をバックに走るポートラム)。
8編成ある同形車両には異なったカラーが施され、キャラクターもある。生え抜きといっても2006年運用開始だから内装もきれいで都会的。連接部にロングシートでボックスシートもある。もちろんワンマン。そのほかに、デ9000形(セントラム、写真上の交換列車)、三連接のT100形(サントラム、写真下・富山駅前で)が市電区間と主に共用運転をしている。(0600形、デ9000形は新潟生まれ!新潟トランシス製。)
岩瀬浜から富山駅へは30分弱。「奥田中学校前」までの専用軌道(第一種鉄道事業)線から、道路(軌道事業)に入ってクルマと一緒に走ったり、反対列車とすれ違ったり、牛島町の交差点で大きくカーブし富山駅に向かう車窓は、何とも都会を感じてしまう。



ところで、この富山港線は「富岩鉄道」によって大正期に開業した。その後、合併などにより会社名を変えるなどして戦時下に富山地方鉄道から国有化され、国鉄からJR西日本の路線となるのだが、JRの民営分割・合理化の流れの中で、JR西日本は超赤字路線だった同路線を実質廃線の検討をしていることを明らかにする。
それを何とかしようと富山市が中心となって第三セクター「富山ライトレール」が設立され、2006年(平成18年)開業する。お隣、高岡市の万葉線の例もあったのだが、国内で路面電車が新設されるのは実に久々のことであり話題を呼んだ。また、国有化を経て戦前の事業者(富山地方鉄道)に運営が戻るのも珍しいこととか。
富山市内を走る電車には歴史があり、そしてコンパクトシティを目指す富山市のまちづくりにも注目が集まり、宇都宮のライトレール事業にも波及したともいえる。様々な形の電車が走る市電を見ていると、何とも羨ましさと嬉しさが湧いてくる。(写真下:富山駅前の市電乗り場と、「県庁前駅」で古参電車デ7000形の雄姿。)



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水のエレベーターを体験できる「富岩水上ライン」に乗船

2024年11月25日 | 土木構造物・土木遺産


今回は富岩運河そのものを紹介しよう。前回触れたとおり富岩運河は昭和初期に赤司貫一の計画立案による都市計画の一環として誕生した。一時は海運の利用頻度も下がりヘドロ化するという場面もあったが、現在も工事進行形の「とやま都市MIRAI地区」事業として見事に復活を遂げた。
かつての船溜まりであった環水公園を起点として、岩瀬浜までの延長約5キロの運河だが、両岸には遊歩道や休憩スペースなども完備されジョギング・散歩コースとして利用する市民も多いが、観光であれば「富岩水上ライン」に乗船することをお勧めしたい。もちろん私も乗船しました!
クルーズ船は2009年の運航開始、富山県と富山市から委託を受けて「富岩船舶」が運航しており、この夏、総乗船客数が60万人に達した。前回述べたとおり環水公園も見どころが多いが、富岩運河クルーズでは土木遺産や文化財が乗船しながら存分に楽しめる。



私が乗り込んだのは最新鋭の「kansui(かんすい)」。環水公園にふさわしく、とてもスタイリッシュな形をしている。全長18メートル、定員55名、後部はオープン席となっており(写真上)、川風?運河風を浴びながらのクルーズが楽しめる。
いくつか運航コースがあるが、私は運河の全容を見るべく終点の岩瀬カナル会館浜まで行く便に乗船。70分、1700円(復路・路面電車乗車券付き)。これが富岩運河の見どころ満載でクルーズで、乗船するガイドさんがタイムリーに注目ポイントを解説してくれる。最大の見せ場は、乗船したまま「中島閘門(こうもん、写真下)」に突入すること。
以前、東京の扇橋閘門石巻の石井閘門を紹介したことがあるが、富岩運河の中島閘門はクルーズ船がそのまま閘室に入って、上流と下流の水位差を人工的に調整する水のエレベーターを体験できる日本で唯一の閘門クルーズになっている(他に中島黄門の操作室の見学するコースなどもある。)。




中島閘門は、富岩運河開削とともに建設され、1934年(昭和9年)に完成。パナマ運河方式の前後の扉を閉めて水位を調整する方式(複扉室(ふくひしつ)閘門)で、10分少々で水を出し入れできる。昭和の土木構造物としては初めて国の重要文化財に指定されている。
そのほかにも、「むくり護岸(曲面護岸、写真下)」は上部を曲面にすることで材木を転がすようにして積み下ろしできるようにしたもの、こちらも国の重要文化財。年代物のゲルバー橋の「永代橋(1938年完成、写真下)」とともに中島閘門の近くにあって、クルーズ船から至近で見ることができる。年代物のゲルバー橋が真下から見れる!
また、クルーズ船の終点でもある岩瀬地区(終点の岩瀬カナル会館から、岩瀬運河を渡ってすぐ)には、「北前船廻船問屋・森家(国重要文化財)」、「馬場家(登録有形文化財)」などをはじめ、岩瀬の古い街並みを散策することも可能である。とても魅力的な富岩水上ライン、環水公園とともにぜひ一度ご堪能いただきたい。桜の時期がいいかも!



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富山の都市計画の中で生まれた富岩運河と環水公園

2024年11月23日 | 土木構造物・土木遺産


富山に来た最大の目的は運河、富山市内にある「富岩(ふがん)運河」そのものと、「環水公園」等の関連施設を見に来た。以前、江戸期から機能していた仙台の「貞山運河」に触れたことはあったが、富岩運河は昭和初期になって開削されたもので、その後富山のまちづくりと密接に関係することになった。
富岩運河は、1930年(昭和5年)着工、1935年完成。富山駅北側から神通川に並行して河口近くにある岩瀬(東岩瀬港)までの約5キロの運河だ。この運河の完成により、工業資材や木材などの運搬が容易になり、運河沿岸は工業都市・富山を形成するきっかけとなった。
ただ、単に運河を整備するというだけではなく、都市計画事業として市街地の区画整理、街路、公園整備を一体的に行うというもの。これは内務省技師・赤司貫一(あかし・かんいち)の立案で、当時「日本初の試み」として称賛されるモデル的事業になるのである。(運河の誕生には、神通川の洪水の歴史、馳越(はせこし)線工事や旧神通川(松川)の跡地埋立などが深く関連するのだが、それらは次回以降に!)



しかし、時代の流れによって、物流は船からトラックに変わり、運河も貯木場に利用される程度で通行する船も少なく、水質悪化、悪臭などにより埋立てて道路にする計画が持ち上がったのは昭和50年台(1980年頃)。しかし富山県は、市街地の貴重な水辺として活用を図ると方針を大変換した。
1985年(昭和60)に旧建設省の「新都市拠点整備事業」の一環として、富山市も「とやま都市MIRAI地区」として富山駅北62ヘクタールを再整備することになり、1988年着手。運河の南端にあった船溜まり一帯を「富岩運河環水公園」として整備することとし、20余年の長い年月をかけて憩いの場と水に親しむ環境を作り出した。(富山駅方向は、まだ工事は進んでいるようだが…)
公園のシンボル「天門橋(見出し写真と写真上)」のほか、美術館や野鳥観察舎、野外劇場(写真下)などの公共施設のほか、公園を望める場所にレストラン・カフェなどがある。公園内の「スターバックスコーヒー富山環水公園店(写真下)」は全世界のスタバの中から、最も優れたデザイン店舗にも選ばれている。とにかく富山駅に近い(徒歩でも10分弱)場所に広大な公園があり、素敵な水辺の空間が収まっている。富山の新しいランドマークになっている。



この大事業にもつながった富岩運河と都市計画事業だが、赤司貫一は土木界では有名ではあるものの、市民にはその名があまり認知されていないように思える。常願寺川の砂防工事において功労を称えられているデレーケや赤木正雄との違いは何か?砂防・治水は直接的に災害を防ぐという意味では重要だが、都市計画事業は少しインパクトに弱い?
確かに人命にかかわる問題と生活利便性は比にならないということかもしれないが、羨ましいほどの素敵な公園を持つ富山市であるものの、「シティブランド・ランキング(住みよい街2021・県庁所在地)」で32位(新潟市31位、1位は福岡市)。市民や行政は富岩運河や環水公園の存在、そしてランキングをどのようにとらえているのだろうか?
旧建設省OBで白井芳樹氏という人がいる。長年富山県で都市計画・土木行政にかかわり、富山県土木部長も歴任した方である。この方が富山の都市計画事業や赤司貫一について著書を出版したり講演活動を行っているようであるが、赤司貫一について公園の一角にでも紹介するコーナーを作ってほしいと思うのは私だけ?
(写真下:環水公園から富岩運河へ、次回は「富山水上ライン」に乗船して富岩運河を紹介する。)


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新湊・放生津は、まち歩きにぴったりなスポットばかり

2024年11月19日 | 旅行記・まち歩き
富山県射水市新湊、実に魅力的な街であり、こちらもまち歩きにはもってこいのところがある。今回は時間の関係上、クルマでくるくるっと回ることになったので詳しくは触れられないが、個人的な志向で数か所だけご案内したい。



新湊には漁港があり、富山湾の新鮮な魚が味わえる店も多い。JF新湊(新湊漁業協同組合)では早朝だけでなく、午後1時からの昼セリなどを実施。豊富な漁獲高、種類を誇っているが昼セリでさらにその新鮮さは保証されているという。
そんな海の幸を求めて、前回も触れた海王丸パークにある「新湊きっときと市場」でランチを。観光バスの団体昼食の時間を避けて入店。「高志(こし)の紅(あか)ガニ」は富山のブランドガニ(写真上)。そのほかにもホタルイカ、白エビ、ブリなど富山を代表する海の幸が並ぶ。(「きときと」とは富山の方言で「新鮮な」という意味。)
施設内の海鮮レストラン「きっときと亭」で「富山御膳(写真下)」を注文。イカ黒作り、白エビ刺身、ホタルイカ沖漬けなどに氷見うどんもついてくる。安易な盛り付けに見えるがコロッケも白エビ入り。欲張りな自分は、富山湾オールスターの定食をチョイスしたのである。売店の白エビソフトクリームには手は出しませんがね!



新湊の湊町は「放生津」という町で、古くからの湊町。旧放生津潟(現富山新港)と富山湾を結ぶ「内川」という川がある。実は、3キロ弱の運河で、住民生活やこの地の繁栄と歴史にも深くかかわってきた川なのである。
放生津は、鎌倉時代には越中守護が置かれ、室町時代には「明応の政変」により将軍・足利義材(あしかが・よしき=足利義稙(よしたね))の逃亡先にもなった地である。もちろん、江戸期には北前船の寄港地としても栄える(ただし、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に富山市・高岡市は認定されているが、射水市(放生津)の名前はない。地元ではかなり怒りの声が上がっている?)
そんな歴史にかかわってきた内川は、ゆったりとした流れで(流れているのかな?)湊町の繁栄を支え、現在も観光船が就航するとともに漁船の係留場所になっている。ここを「日本のベニス」と呼んでいるようだが、その呼び方は歴史とはミスマッチじゃないかなー。



その内川の両岸のノスタルジックな街並みに加え、橋がまち歩きの中でも注目を集めている。途中、臨港道路の「奈呉の浦」にかかる「奈呉の浦大橋」を含めると15橋。歴史を感じさせる造りが街並みにマッチしていることに加え、モニュメントや足利義材の像がある橋もある。
その中で最も美しいといわれるのが「東橋」。スペインの建築家が設計したものだが、木製で切妻屋根を持つ歩行者専用の橋で、両岸に立派なガラス張りの塔がある。両岸の交流を図ることはもちろん、観光客の休憩スポットしても人気を集めている。(写真上、写真下)
日本における歴史的湊町で、日本のベニスと言われているという中で、設計者も悩んだのではないかと思うのだが、和洋折衷とも思えるシックな面持ちでありながら何かモダンな感じも否めず、見事に折衷のど真ん中を打ち抜いた感じがするのだがいかがだろうか?



私が放生津を訪れたのは10月1日。やけに臨港道路に路上駐車する県外ナンバーのクルマが多い。実はこの日は「放生津八幡宮」の秋季例大祭。県外ナンバーの正体は露天商のクルマで、橋を見に行くといっても新湊の市街地はあちこちで通行止めで何回か迂回やバックの切り返しなどを求められる。
富山市街のホテルに帰ってからテレビニュースで知ったのであるが、この日は祭りの曳山巡行の日で、各地区の曳山13基が昼は花傘山、夜は提灯山となって引き回されるのである(写真下:地元局のテレビ放送から)。富山湾沿岸の湊町で同様の曳山があるそうだが、なんでもこれらは「放生津型」という曳山文化であり、ここのお祭りが本家本元とのこと。
しかも、この行事は「国重要無形文化財」であり、「ユネスコ無形文化遺産」だったとは。まあ、このブログで紹介するネタとしてというより、単に見ておけばよかったなと。こればかりは年に一度のこと、「忘れ物を撮りに行く」ってな技はなかなかできませんからねー。



新湊大橋、海王丸パーク、富山湾の幸、内川、東橋のほかにも文化財や見どころ満載の新湊。自分としては、万葉線(新湊線、写真下)や富山地方鉄道射水線の廃線跡(写真下:旧打出駅付近)なども気になったのだが、そのほかに見どころ紹介はまたの機会とし、新湊から富山市街に向かうことにした。とにかく魅力的な町でした!

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富山新港にかかる日本海側最大の斜張橋「新湊大橋」へ

2024年11月18日 | 土木構造物・土木遺産


再び富山にやってきた。今回は山ではなく、海沿い。まず目指したのは富山新港、富山県射水市。「新湊」といったほうがピンとくるのだが、ここに架かる日本海側最大の道路橋「新湊大橋」を見に来たのだ。
橋のある富山新港は、かつては放生津(ほうじょうづ)潟という潟湖であったが、富山・高岡を工業都市として発展させるため、いわゆる「伏木富山港」の中核として開削・掘り込み港湾として整備された。1968年開港。伏木富山港として国際拠点港湾に指定されている。(九州を除く日本海側では、新潟港(西港・東港)と伏木富山港だけ。写真下:富山新港入口と新港大橋から富山新港を望む。)
この掘り込み式の港湾の整備よって、かつては道路・鉄道でつながれていた周辺地域は分断されたが、港周辺に企業が進出し、コンテナを扱うターミナルの設置、公園等の観光施設の整備が図られることによって、物流や交流を促進させるために新湊大橋が建設されることになり、10年をかけて2012年に供用開始となった。



臨港道路富山新港東西線は国道415号のバイパス線でもあり、国と県が事業費494億円を負担し建設。東西のアプローチ部分を含むと3600メートル、5径間連続複合斜張橋で主橋梁部600メートル、高さ127メートルの東西主塔から72本のケーブルが張られ、長さ360メートルの主桁(5径間の真ん中)を支える(引っ張る)構造になっている。
大型クルーズ船の航行も可能なように、橋桁から海面までは47メートル。とにかく存在感抜群!日本海側最大の斜張橋ということであるが、高い、大きいだけでなく、美しい!白色を基調としていたり、主塔を「A」型にして、繊細ともいえる美しさを見せてくれる(写真下:斜張ケーブルが伸びる主桁部の道路、西側アプローチはループ式になっている。)
西側の海王丸パークからだと立山連峰をバックに見ることができるし、みなとオアシスやスポーツフィールド(東橋詰の堀岡側)、「新湊きっときと市場」などの周辺施設も整備されていることから、観光客のビューポイントになっている。なお、帆船「海王丸」は商船学校の実習船であったが、伏木富山港振興財団が新港に恒久係留して一般公開している。



新湊大橋は、自動車専用道路(二輪車、原付自転車OK)であるが、実は主桁部は二層構造になっていて、桁下には自転車歩行者用の通路が吊り下げられるような形で設置されている。全面覆われている全天候型の通路は「あいの風プロムナード」の愛称が付けられている(写真下)。
東西の両主塔部の下には駐車場があって気軽にアプローチが可能。主塔近くの橋脚に設置されたエレベーターで桁部まで一気に上がることができるが、主塔・主桁を下から見上げる壮大な景色、上へ行って主桁通路部の窓からは港の全景や海王丸パーク(写真下)、遠くは立山連峰や富山湾から能登半島などを望むパノラマなど、両方堪能できるスポットでもある。ぜひ足を運んでほしい。
橋は最新技術による耐震・耐風構造になっているというが、揺れるんじゃないですかねー?なお、風速25メートル以上、波浪警報などが発令されている時は通行止めにあるというので、事前に情報を確認すること!
(新湊大橋は、2012年度「土木学会田中賞(作品部門)」を受賞。田中賞は、永代橋・清洲橋などの名橋の生みの親、かの田中豊に因んだ橋梁・鋼構造工学界の功績を称える賞。今回の記事も土木の日(11月18日)に因んだ話題でした!)



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「歩きたくなる温泉街」月岡温泉を久々歩いてみると

2024年11月15日 | 旅行記・まち歩き
新潟駅で、カヌレの店「canelé de CHIANTI(カヌレ・ド・キャンティ)」を見つけたとの記事を掲載したが、実はここのカヌレとはひょんなことで出会いが始まる。そう新潟駅万代口近くにあったイタリア料理店「Atelier CHIANTI」からのコロナ禍での進化系カヌレ誕生
娘が、近くの月岡温泉にカヌレの店がオープンしたので行こうというので腰を上げるのだが、やっぱりCHIANTIだった。新潟市内女池明神に支店を見つけ(実は見つけた時点でこちらが「本店」、駅前の店は宣言どおりイタリア料理のレストランとして再オープン)、月岡で出会い、新潟駅は4回目という出会いでもある。すでに東京の一等地に支店を2店舗、日テレ「スッキリ」やフジテレビ「めざましテレビ」など全国放送でも取り上げられている名店になっている。
今回、CHIANTIに月岡温泉で出会えるとは!月岡温泉が提唱する「歩きたくなる温泉街」という企画の中で、新潟生まれの品物を扱うコンセプトショップ群のひとつ「新潟ロースト『煎(IRU=いる)』」を出店した(写真下)。新潟駅も同様、東京だけ向いている店ではなかった。もちろん、味は変わらずでしたよ!(月岡温泉「煎」では10種類のカヌレとコーヒーを販売。)




ただですねー、この月岡温泉の他の店も注目です。CHIANTIのように、自家製品を販売する店だけではなく、体験型の店や新潟の名産品を使った店、県内の名店・名品を集めた店など、そのコンセプトに合わせて10店舗が同じデザインが施されたロゴを掲げてオープンしているんです。
県内のプレミアム日本酒を試飲・購入できる「蔵(KURA=くら)」、米菓テーマで手焼きせんべいを焼ける「田(DEN=でん)」、県内ワイナリーのワインの店「香(KAORI=かおり)」、和菓子の店は「和(NAGOMI=なごみ)」、ドライフルーツとベジタブルの店「恵(MEGUMI=めぐみ)」といったところ。
そのほか「旨(うまみ)」(干物・海産物)、「米(べい)」(米粉商品)、「甘(あまみ)」(チョコレート)、「実(みのり)」(ジェラート・スムージー)など、「煎」を加えて10店舗。温泉街を訪れた際にふらりと立ち寄って県内産を中心とした美味しいものを口にしたり、お土産として購入することができるのである。




我が家御一行様も、カヌレのほかに、「和」で和菓子とわらび餅ドリンク(写真下)を購入、「恵」でドライフルーツセルフ詰め放題を体験(写真下)してお土産にした。(出かけたのはちょうど昼どきだったが、多くの店で昼休み時間(休憩時間)を設けているので、来店時はチェック要!)
そんな購入したものを宿だけでなく、温泉街にある足湯(湯足美=ゆたび)やブルワリー(月岡ブルワリー)、源泉の森、月あかりの庭など、これまたちょっと温泉街から目を離した隙にできた魅力的な場所を散策しながら楽しみのもいい。まあ、その「歩きたくなる」といったところが狙いで、合わせて賑わいを醸し出そうというところなのだろう。




どこの温泉街はコロナ感染症による旅行控えの影響をモロに被っているし、月岡温泉も何軒かの旅館や飲食店・商店が廃業・撤退ということもあったが、その中で何と積極的に誘致・開業するという手に打って出たのが今回紹介の店。それに呼応する会社・店舗も見事としか言いようがない。
多くは新潟をアピールするうえで、この月岡温泉の地に集結をということだろうし、canelé de CHIANTIをはじめとして県外観光客にアピールする狙いもあるのだろうが、近くに住む県内住民にとっても様々な県内産の魅力を再発見できる場所にもなりそうだ。
(写真下:月岡温泉のメインストリートと足湯「あしゆ湯足美」入口)



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新・新潟駅(その4)、あの店も出店!CoCoLo新潟の魅力と課題

2024年11月11日 | 鉄道
新しくなった新潟駅、あまりにもエキナカのCoCoLo新潟が変貌し、魅力的であるがためについつい長居をしてしまっている。が、まあもう少しだけ紹介し、今回で一区切りとしたい。



前々回紹介したとおり、CoCoLo新潟は、新潟駅自体の機能の関係か、バスターミナルをはじめとした公共交通のアクセスの関係から、EAST SIDEに力が入っているような気がする。まあ、これは仕方ないこととしても、実はWEST SIDEにも魅力的なショップがある。
西口の改札前の通路は(写真上)、万代広場と駅南のけやき通り方面を結ぶ通路にもなっていて、スターバックスコーヒー、吉野家、丸亀製麺など全国展開するチェーン店など(写真上)通勤通学の地元客の利用も多い場所ならではのラインナップのほかに、「ニシデリストリート(写真下)」というアリアがある。
このエリアの奥まったとこっろにあるのが「市玄」というラーメン屋(写真下)。あえてEAST SIDEの「ニイガタバル★麺横丁」のグルメエリアから離れたこの場所に、以前紹介したことのある(この時は「ラーチャン」のカテゴリーで)新潟あっさりラーメンの人気店がひっそりと店を構えているのである。この店、私自身もイチオシの店なので、見つけたときには嬉しさの限り。



市玄は、前回少し触れた「ことぶき寿司」と同じ会社「enn」の経営。ennは、ことぶき寿司を展開する中で本社機能を新潟市中央卸売市場内に移転、市玄をオープンさせ、その後も場内に2店の飲食店を早朝から営業している。新潟の台所を支えるために働く人たちの胃袋を支えている。
市玄の看板メニューは「朝っぱラーメン(写真下)」というマグロなどの海鮮系で出汁を取った究極のあっさりラーメン。朝早くから食べることができるようにとの味付けであるが、市場内にある本店では握り寿司やチャーハンのセットメニューが人気である。
そのラーメンに新潟駅で出会うことができるとは。ただ市場内の本店は午前6時の開店だが、CoCoLo新潟のWEST SIDEニシデリストリート店はオープンスペースのため、エリア内の他店と開店時間を合わせ午前10時、メニューも本店より絞っての営業となっている。もちろん、あさっぱラーメンはありますよ!



このニシデリストリートは、名前のとおりテイクアウトを中心としたお店が並ぶエリアで、市玄のスペースでも海鮮系の商品を開発・販売するつもりだったらしいが、イレギュラーで人気ラーメンの駅進出となった。ただ、そのためか店のスペースは極めて狭い。隣の「とんかつ太郎(写真上)」も同様、狭いイートインでのメニューはカツ丼一本。
とんかつ太郎?ここはタレカツ丼発祥の店ですよ!こちらも新潟の名店。そのほかにも、燕三条で人気イタリアンレストランのBit Market(写真下)、新潟米をアピールしようと壱成(新潟市)が運営するおにぎり屋「新潟おにぎり・笑ん結(えんむす、写真下)」、おなじみ角中グループの「はっぴ商店/横浜こがね庵」などが出店している魅力的なエリアなのである。
ただ難点はとなると、いまのところ駅化改札を挟んだEAST SIDEやバスターミナルとの距離的な問題。以前、西自由通路となっていた場所にあるので、今後工事中の万代広場の完成とともに、駅前の弁天方面と西改札へのアクセスがどうなってくるのかがカギを握る場所になりそうだ。



ということで、新しくなった新潟駅の魅力や課題をダラダラと書き込んでみたものの、新潟の玄関口はとにかく綺麗になったし魅力的なところにもなったという感じはするが、今後は「ニイガタ2㎞」を機能的にリンクさせ、集客を図り、まちの活性化を見出せるかが一番の課題となる。
特に、古町をどうするか?ご承知のとおり、当時の新潟の一大ショッピング街であった古町で、鳴り物入りでオープンした地下商業施設の「西堀ローサ」は来春運営会社(三セク)が会社の解散を発表し、テナントへの退店要請を行うことになっている。
古町も「古町どんどん」や「古町夜市」など、商店街や市民団体がイベントでの集客を図ろうと頑張っているが、一方で新潟駅のリニューアルに巨費を投じてきただけに、その恩恵を2キロ圏内が享受するための具体的計画や、交通体系を含めたインフラ整備・対策なども、重ねて新潟市は求められることになるだろう。
(写真下:現在工事が進められる新潟駅前万代広場の工事現場と、仮の万代口から見る駅前通りの「東大通」は、万代・万代島地区、古町地区を結ぶ幹線である。)

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新・新潟駅(その3)、「食」にも新潟満載のラインナップが

2024年11月07日 | 鉄道
今春オープンした新潟駅のエキナカ「CoCoLo新潟」は、食事を楽しむといういう点でも充実している。前回総菜やテイクアウトの店もあると紹介したが、ここでは店舗業態から2つレストランエリアと駅弁について、新潟発という視点でその特色づくりを探ってみたい。



EAST SIDE2階の一番東側、南館への通路近くには「ニイガタバル★麺横丁(写真上)」がある。遅い時間までお酒の楽しめるバルのほか、特に山形市とラーメン消費量を争う新潟の玄関口・新潟駅にあって、県内ラーメンの名店が出店している。
新潟市の人気店「ラーメンいっとうや」をはじめ、新潟をラーメン王国に押し上げただるまやグループが「だるまやNIIGATA BASE」、同じく角中グループは「まぜしゃもじ」、そして燕三条背油ラーメンの名店として全国・世界系列17店を誇る「燕三条らーめん潤」だ。
このラインナップは、県外客への大きなアピールとなるだけではなく、新潟県民も注目のスペースになるのではないだろうか?半ラーメンを注文してハシゴしたいくらいでもある(「半ラーメン」というメニューがあるかは不明!)。



新幹線東改札口を出て南側のエレベーターを降りるとWEST SIDE1階の「エキナカキッチン」がある。こちらはちょっとしたレストラン街になっていて、ゆったりと食事を楽しむのによさそうだ。
全9店舗、うち新潟初出店の店が6店舗ある。仙台牛タンの「利久」や今月オープンの「鎌倉パスタ」も初上陸組。ただ、県内企業としては、阿部幸製菓(小千谷市)が「米」つながりでフォーのレストラン「PHO’ MINH(フォーミン)」を、enn(新潟市)が「ことぶき寿司 c/o まいもん寿司」を新たにオープン。県内注目企業の出店だ。
ことぶき寿司は県内でも寿司店を数店営業している実績があるが、実績というと旧新潟駅時代から長年CoCoLo新潟で営業してきた「長岡小嶋屋」がここでも営業していることがうれしい。新潟県人としては「へぎそば(写真上;長岡小嶋屋の野菜てんへぎ)」は県外からのお客様に是非食べていただきたいからね!



だた、エキナカの飲食店やテイクアウトの店が充実をしていく中で、心配なのは駅弁である。米どころ新潟の駅弁文化はぜひとも残したいと思っているのだが、ありましたよ,駅弁屋!新幹線東改札口の前に「新潟三新軒」のショップが(写真上)。
こちら新潟三新軒の看板が出ているものの、以前から連携している新発田三新軒、神尾弁当の弁当もを扱っている。全部で17種類。自分自身は電車に乗る機会は少なくなっているものの、車内で駅弁を楽しみたいという人のため新潟の力を見せてほしい。
お米といえば、エキナカのコンビニである「NewDays(ニューデイズ、写真下)」では、駅弁とともに白いコメのおにぎりのパック(写真下)を販売をしていた。県内産のブランド米3種類「南魚沼産コシヒカリ、ミルキークイーン、新之助」の三種類の食べくらべができるというもの。これもインパクトあるなー!


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新・新潟駅(その2)、心揺さぶる「CoCoLo新潟」のリニューアル

2024年11月05日 | 鉄道


新潟駅、前回紹介したとおり、駅やホームそのものが高架化されて、バスターミナルが移設・新装したことが駅周辺整備事業の最大のポイントではある。しかし、自分自身一番驚いたのは、エキナカ(実際は改札外)の商業施設「CoCoLo(ココロ)新潟」の大変貌である。
新潟駅2階の改札内コンコースを東西通路で挟んで、加えてバスターミナルを挟んで1階にも、かねてから「ビックカメラ」などが入っていた南館や西側のメッツ館などを合わせると、テナントの数は160店舗。
今春、お土産品や食料品などを中心としたEAST SIDEがオープンし、次々にファッション・コスメエリア、バル&麵横丁やグルメストリートなど、駅を真ん中に西に東にエリアを拡大してきた。(写真上:南館からEAST SIDEへの入口、EAST SIDEの案内図)



CoCoLo新潟のグランドオープンは、今年4月25日(3月27日にEAST SIDEの一部が先行オープン)。JR東日本新潟シティクリエイトが運営する。(写真上:東改札口方向からEAST SIDEへ、WEST SIDE1階のファッション・コスメエリアは百貨店の様相)
お店の数もそうだが、とにかく広い。以前のCoCoLoは直線的な通路と店舗の区割りだったが、その通路を何本も張り巡らし、時には曲線を描き、1階に2階に。東京駅より複雑かもしれない。
自分は下調べによる情報インプットと鉄分が入った血により大体の方向感覚は備えての新潟駅への出陣であったが、初めてだと道に迷うというか、なかなか目的地に行きつけないということもあるかもしれない。



東口改札前の通路がエキナカのメインストリートだが、CoCoLo EAST SIDEへの入口が並んでいくつか設置されている。一等地には新潟の名店が並ぶ。大阪屋、加島屋、丸屋本店、田中屋本店といった既存組に、ブルボンや亀田製菓、ヤスダヨーグルトなどの新潟ブランドが並んでいる。
新潟県初進出で話題になっているのは「成城石井(写真下)」、こちらも東改札に近い位置に陣取る。県内初出店は、37店舗。このほかほか、以前このブログでも紹介してきた「中条たまご(写真上)」「canelé de CHIANTI(Atelier CHIANTI、写真上)」などのショップもある。
WEST SIDEには既存の「ぽんしゅ館」があるが、EAST SIDEのお土産品売場の一角に、吉乃川、久保田(朝日商事)のショップ(写真下)もある。以前の東館にも種類を扱う店舗はあったが、日本酒王国・新潟のメジャーな蔵元の力の入れようが分かる。



食料品、生鮮品はEAST SIDE1階の一番東側にあって、佐藤食肉が肉と加工品を、にいがた海鮮家(大栄魚類)が魚・海産を販売する。このエリアは旧万代口のCoCoLo同様に集中レジ方式。そのほか弁当・総菜を扱うテナントもこのフロアに並んでいる。
目を引くのは「明治屋(MEIDI-YA、本社・東京都)」の新潟ストアだ(写真下)。というのも、明治屋は輸入食品やジャム、冷凍・レトルト食品、自社ブランド食品などで人気を得ているが、実は19年前に古町5番町で店舗を閉店、再度新潟に帰ってきた大手食品ストアだ(集中レジ内のため、酒類の販売はない。)
新潟ストアの店長・渡邊竜之さん(写真下)は、19年前の古町店舗閉店時の店長。一旦明治屋を離れて仙台で仕事をしていたものの新潟ストアを開店する際に再登板の声掛けがあった方。長岡市出身だけに、新潟での再オープンを嬉しそうに話してくれた。



一応カテゴリー別にフロア・エリアが分けられているとのことだが、店によっては扱う商品が多様なため、「あの商品はどこにあるの?こんなところにもあった!」と何度か行かないと店の志向が見えてこないかもしれない。
また、食料品売場が改札から遠いということを難点とするのは、JRを使うという前提の地元民(自分)の叫びか?以前、万代口にあった時のことを考えると、発車直前にという技は発揮できない。まあ、バスターミナルには近いからなー。
全体的にEAST SIDE(東改札、写真下)の方がアクセスが良く、店舗が充実している感がある。イベントにも活用できる1階「潟リウム」前のエスカレーター(写真下)が東改札に、バスターミナルのエスカレーターや駐車場のエレベーターもEAST SIDEへ利用者を誘客を送り込んでいるのは確かだ。




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新・新潟駅(その1)、「青い灯」が消えて4年の進化は?

2024年11月03日 | 鉄道


ようやく山形を抜け出して新潟に戻ることができたのだが、ふと「新潟駅」を見てみたいと思い立って出かけることにする。孫と電車で行く約束をしていた場所だが、今回は一人でクルマでの訪問となる。
というのも、新しくなった新潟駅を見たことがない?まったく電車に乗っていなかった訳でもなく、乗り換えなどでは使っているはずだが、コロナの影響もあってハイエースに乗り換えてからはクルマでの移動も多くなりっているのはこのブログでご紹介のとおり。
その新潟駅、2022年6月に完全高架化になった。地上にあった在来線ホームを新幹線ホームに合わせるというもので、すでに2018年には在来線5番線と上越新幹線11番線の同一ホームの乗り換えが可能になっていたが、最後残っていた高架ホーム1番線が供用開始(写真上)となって全面開業となった。(工事中、地上に設けられていた8、9番線は廃止・撤去された。)



これは新潟市が中心となって進める「新潟駅周辺整備事業」の一環として、鉄道・道路の連続立体交差事業、周辺幹線道路の整備事業、駅前広場整備事業などに合わせ、JR新潟駅そのものの利便性を向上と新潟の玄関口として整備が図られたものである。
駅そのものもそうだが、新潟駅周辺の信越線・白新線、越後線と地上道路の立体交差により、周辺の混雑は解消されるとともに、駅直下にバスターミナルを整備(写真下)することで南北を結ぶ「軸」とし、文字どおりターミナル化するもの。
以前万代口前には、新潟交通のスイッチバック式ターミナルがあったが、駅前の混雑をかいくぐるかのようにバスを乗り場まで寄せていたものが、一転、駅直下で行ったり来たりUターンもできて、バスの走行や乗降も見るからに快適さが見て取れる。



事業開始が2012年だから12年、高架ホームの供用開始から6年、新潟駅の「青い灯」が消えて4年、着実に整備は進められてきているが、残すは万代口の広場と駅舎へのアプローチ。2025年度(2026年春)完成の予定だ。(新潟駅の再開発事業の第一段階として、「南口整備」は2007年から実施されていた。)
このような大規模での新潟駅リニューアル化は実に約60年ぶり。自分と同年代の3代目駅舎は懐かしさも感じるが、今後はスマートな駅舎と駅周辺施設が乗降客を見守り、ターミナルから次々とバスを吐き出していく。その姿は都会のようだが、地方でも一極集中のような気がしてならない。
市が推し進める「新潟駅~万代~古町」の新潟都心軸「にいがた2㎞」の玄関口として位置づけられている新潟駅、次回紹介する駅ナカの商業施設などの整備も行われているが、駅を拠点として今後の「まち」としての進化がどうなるか注目していきたい。(写真下:工事中の地上ホームと旧新潟駅舎・旧バスターミナル(いずれも2020年11月撮影))

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