行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

「汽車道」は横浜港の歴史をつなぐ道

2023年02月28日 | 土木構造物・土木遺産


いちごで横浜を紹介する記事が続いたが、以前、鉄道開業150周年で旧横浜駅(桜木町駅)を紹介する際にも触れたとおり、横浜は土木遺産・産業遺産に溢れている地でもある。
ご承知のとおり、日米修好通商条約により横浜港が開港したのは1959年。それまでの日本は鎖国。江戸に近い横浜の地はこの条約により開港し栄えたと言っていい。(実は新潟港もそうだったんですけどねー。)
そんな中で「みなとみらい地区」は押しも押されぬ横浜の顔になっているが、重要文化財でもある「日本丸(写真上)」があるし、そこから新港地区へ続く「汽車道」という歩行者専用道路は、近代化産業遺産群の一部とされている道でもある。



汽車道というくらいで、路面には線路が埋め込まれているが、これは装飾として設置されたものではない。ここはかつて「臨港線(税関線・高島線とも呼ばれていた。)」として新港との貨物輸送を目的に設置されたものである。
氷川丸の就航などに合わせて旅客輸送を担ったり、1989年の横浜博覧会でも旅客臨時列車が運行されたりしていた。意外に最近まで使われていたのだが、博覧会終了とともに1997年に汽車道(山下臨港線プロムナード)として生まれ変わった。
今回のいちごフェスティバルの会場である赤レンガ倉庫へもJR桜木町駅から汽車道を歩いて移動。先に紹介したとおり、横浜ワールドポーターズや横浜ハンマーヘッドなどの商業施設もあることから、多くの人がこの道を使って新港地区に移動をする。



線路をそのままにした保存されることになったのは600メートル弱。ナビオス横浜というホテルのビルの開口部を過ぎて、万国橋の交差点まで。開口部からのぞくと赤レンガ倉庫を望むことができる。(写真下)
また汽車道に架かる3つの橋梁は横浜市の認定歴史的建造物に認定されている。一号橋梁(写真上)、二号橋梁は1907年アメリカン・ブリッジ製のプラットトラス橋。三号橋梁はイギリス製で保存用に移設されたもので、こちらはポニートラス(写真下)。
みなとみらいや新港地区の開発など、新しいまちづくりの中にも横浜港とその歴史を大切にいる取り入れ保存されていることも感じられる。汽車道は、「土木学会デザイン賞2001」も受賞している。


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横浜の「水信ブルック&ファクトリー」というお店の紹介

2023年02月26日 | 食(グルメ・地酒・名物)


横浜いちごフェスティバルの続きの話。前回は横浜赤レンガ倉庫の特設会場を紹介したが、その近隣の商業施設でも同様の催しが開催されていて、チェックしていた「横浜ハンマーヘッド」のとある店を訪れることにした。
まず、「ハンマーヘッド」といういかつい名称だが、ハンマーヘッドについては後日紹介することとして、本来この施設は大型クルーズ船などが接岸するれっきとした客船ターミナル。税関や入国管理、検疫などの機能とともに、ホテルや今回紹介する商業施設などを兼ね備える新港地区の注目スポットになっている。
注目の店は「水信(みずのぶ)ブルック&ファクトリー」。水信は横浜のフルーツの老舗。高級成果を扱い、県内に5店舗を展開。昨年の秋に、6店目としてこのハンマーヘッドに贅を尽くしたフルーツサロンオープンした。とりわけ、横浜の「千疋屋」てきなイメージ。



訪れたこの日には、店先に生のいちごを中心に、加工品など数多くのラインナップを並べており、人だかりができていた。日本各地のブランドいちごを扱っている様子で、店の外観の赤に負けないいちごの赤、中には白いいちごなども並べられている。
ただ注目すべきは赤の外観の内側のサロン。実際足を踏み入れることはなかったが、覗いてみると和を基調とした装飾が高級感を醸し出している。カフェじゃなくサロンと呼ぶにふさわしいが、これが何とJR九州の列車デザインなどを手掛けた水戸岡鋭治氏が担当。確かに「ななつ星」の雰囲気がある。
それと、通路からはガラス越しに厨房を一望でき、若い職人さんが丁寧に仕上げるスイーツを作り上げるところを見学することができる。流行りのスタイルともいえるのだが、見る人だけでなく、来る人も気合が入りそうだ。これがファクトリーと名がつけられたスペースだ。



水信は、1915年(大正4年)にバナナの加工卸問屋として発足。2001年、ゴールデンバナナ販売という会社から法人名称を改称。バナナを熟成させる技術を確立し、横浜という地の利を活かして取り扱い高は国内トップクラスに成長する。
しかし、太平洋戦争の勃発により、バナナの輸送ができなくなったため、欲しい靄メンマ、干し柿を扱いながらお得意様に届けていた時期もあった。そして、横浜を襲った大空襲により店を焼失。すべてを失うという苦難を乗り越えたところに高度経済成長、バナナ市場で復活を果たした。
横浜というおしゃれな場所で、バナナ以外の果物も扱うようになり、フルーツパーラーも大成功!「水信」という名は、水菓子を扱う初代・加藤信明氏の名前から。水信自体は持ち株会社で、今回紹介したのは「㈱横浜水信」ということになる。

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横浜赤レンガ倉庫のいちごフェスティバルに参加して

2023年02月23日 | 食(グルメ・地酒・名物)


さて、話は再び横浜に戻ります。今回横浜にお邪魔したのは「Strawberry Festival 2023」といういちごのフェア。さまざまなお店のいちごスイーツが一堂に会したお祭り。周辺の商業施設のテナントも巻き込んで開催されるのだが、何と今年で10回目という。知らなかった。
会場は、横浜港のベイエリア。ファスティバルは横浜港の象徴ともいうべき「赤レンガ倉庫」で、赤レンガの商業施設や周辺の横浜ハンマーヘッド、横浜ワールドポーターズの各テナントも協賛。エリア上げての大々的ないちごのお祭りとなっているようだ。
新しいプロジェクトの参考にしようと、今回関係スタッフと一緒に参加。一日かけて、いちごといちごスイーツの食べ歩き大会となった訳だが、赤レンガやハンマーヘッドなど見所満載の横浜に、ひょんなことで再び来れることも私にとってはワクワクの時間でもある。



赤レンガは明治政府によって保税倉庫として1911年から1913年に建てられ、100年の歴史を持つハマのシンボル。1989年にその用途は廃止されているが、歴史的遺産として補強・改修を行い、2002年に商業施設として生まれ変わり市民や観光客に親しまれている。
その1号館と2号館の間に特設テントの会場を設置。全国から28店のお店が臨時に出店し、いちごを使用した様々なスイーツやお菓子、ドリンクなどを提供する一大イベント。コロナ禍もどこ吹く風と会場内は大賑わい。人気の店は並ぶ行列を制限するほどの盛況ぶりである。
なかなかいちごそのものの味からすると我が社のものにかなうものはないのだが、パフェなどに豪快にいちごを載せてあるものは、イチゴの赤とクリームの白がやはり見栄えがする。いちごの人気は見た目の美しさがインパクトありますよね!



気になるものを思い思いに購入して食べたり飲んだりしたが、私はいちごのビールと酒好きということを知っているジョージ社長が勝ってくれたいちご入りのワインを。これは私でないと試飲できないという今回のメンバー構成でもあり、致し方なく犠牲?になる。
ビールはいちごのシロップを使用していることもあって少し甘いが、いちごの味や香りは楽しめた(写真下看板)。ただ、ワインはホットということからなのかワイン自体から臭みが出ていて、イチゴの香りを打ち消している。てか、とても飲めたものじゃない。企画倒れ感がある。
同行したシェフはいちごのプリンを(写真上)。専属モデルのミーはいちごの飴といちごソーダ(写真下)。メンバーは今回の視察の趣旨に沿ったチョイスをして、しっかりと春の訪れとこれからの仕事の参考していた。フェスティバルは2月26日までの開催。




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春のダイヤ改正、上越新幹線からE2系が引退するにあたり

2023年02月19日 | 鉄道


東京出張(正確には横浜出張)の帰り、狙っていた上越新幹線を逃し、やむを得ずその時間に乗れる新幹線に乗車することになった。おー、E2系かー!
今春のJRダイヤ改正について触れていなかったが、実はこのE2、上越新幹線から引退することが発表されている。上越新幹線は、北陸新幹線同様、すべてE7に置き換わる。(多分、東北新幹線の東京・仙台間のやまびこ・なすのでは残るものと予想される。)
長年、上越新幹線の顔として活躍してきたが、200系を見送り、E1、E4を見送って、ついにE2も終焉の時?まあ、JR東から完全に廃止ということではなさそうだが、もしかすると自身最後の乗車になるかもしれないと思い、しみじみと乗車することになった。



E2は東北新幹線で1997年にデビュー。速達タイプ(停車駅の少ない列車)の「やまびこ」で使用され、上越新幹線にも1998年12月、同様の速達タイプで導入されている。当時は、新潟人にとっても画期的な導入だった。
ただ、東北新幹線に新型車両E5が導入されると、余剰のE2が上越新幹線に回されたり、そもそもその開発経緯は長野オリンピックに合わせて長野新幹線に導入されたものであったりしたことから、新潟人にとってはお古感も強かった。
E2に置き換わるE7(W7)系もそうである。北陸新幹線開業に合わせて製造されたものの、当初から導入を予定していた上越新幹線には1年遅れで新造車がつぎ込まれにも関わらず、どうしても二番煎じの感が否めない。



さて、この日に乗車したE2は「J57」という編成の車両で、決してE2の中では古い方ではない(2004年製造)。乗り心地やスピードについても、E7と極めて劣るというわけではない。(設計最高速度では、時速315キロのE2の方が勝る。)
サービスのないグランクラスの有無は関係ないが、ただシートピッチにどれほど違いがあるかまでは分からないものの、E7に比べるとE2は足元が狭く感じる。これって乗り心地ってことでしょうかねー?
最大の弱点は座席に電源がない!この日も一緒だったミーは「スマホの充電ができない」と閉口。不便も思い出よ。私だけが、黄昏色の車窓を楽しんだり、新潟駅のホームで両側E2という光景をしっかりと目に焼き付けながら、お疲れ様をいうのであった。
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隣町で、今度は気になるフルーツサンドのお店発見!

2023年02月16日 | 食(グルメ・地酒・名物)


さて、久々地元の美味しいものを紹介する。このとこハマっているカフェ系?まあ、可愛い店構えやスイーツの店を物色するとなると、これはもはや趣味というより仕事が9割以上ということにもなる。
いつものように、このブログ専属モデルのミーの紹介による。娘世代に引かれて善行寺参り?ならぬスイーツカフェ行脚。甘いものも嫌いじゃないけどクリーム系はねー?ところが今回はクリームがズドーンと飛び出す商品が目に入ることに。
そのお店は、お隣村上市坂町にある「CHOUCHOU(シュシュ)」というカフェスタイルの店。一時、映えることでも人気のが高まったフルーツのカット断面を売りにしたサンドイッチを主力商品として提供している。



国道7号沿いのシックな建物。古い家屋を完全リノベーションした店舗は、外観といい内装といい、一昔前のアメリカンスタイル?とにかくおしゃれな構え。地元出身の若いご夫婦(実は二人とも同姓同名)が経営している。
チョコバナナや季節のフルーツをたっぷりのクリームで覆い、食パンでサンドする。パンは地元の老舗和菓子店・K屋製。和菓子や生菓子専門だったが、近年洋菓子やパン(パンは「ラ・パン」という屋号)も人気の店だ。
特徴的なのは餡子と生クリームのサンド。かなりボリューミーな感じがする。この餡子も、地元村上市の瀬波温泉で人気の温泉まんじゅうを製造販売する元祖・Kやのものを使用しているという。地元志向の強い商品開発をしているようだ。



眼に入ったのは、村上牛肉サンド。そう、県内でも屈指のブランド牛である村上牛を甘辛く味付けしたものを野菜とともにサンドした総菜系サンドイッチ。これは食べてみないとでしょ!
地元の活性化のために、地元出身の経営者が地元の食材を駆使して販売するサンドイッチ店。まだ、頂いてはいませんが、あのクリームの多さが果たして凶と出るか吉と出るか?美味しいことは間違いないとは思うのだが。
以前紹介したJR坂間駅前のケーキ屋・ハッピーシュガーhttps://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/9e943a264bd04719a23cd8661a43d7dbといい、坂町はインパクトがあって、個性的な店が集まる地域でもあるんですな。
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イチゴ工場で、最初の戦いの火ぶたが切られた

2023年02月14日 | 仕事(教育活動・いちご・建設・選挙含む)


さあ、先月も少しだけ紹介したが、春からのイチゴ工場の新しいプロジェクトが始まるため、少しずつではあるが準備が進められている。
2月も半ば。イチゴ工場のある新潟の山間地域では、外はというと上の写真ような状況。全くもって「立春」は名ばかり。そんな極寒の日に工場に集合命令が出た。何でもアイス(ソフトクリーム)の機械の試運転をするとか?
導入を予定しているイタリアの大手メーカー・C社の機械を販売店からお借りすることができたので、市販のソフトクリームミックスを使用して機械を動かして感触を確かめるということだ。できればオープン当初の目玉にしたいとの考えで、新しいプロジェクトの最初の関門ともなる。



クリームミックスと言っても随分種類があるようで、味も濃厚なものからスッキリタイプまで何種類もある。またそれを機械で硬さや形などを自由にアレンジできるとのこと。実際、コントロールに成功。
経験のある方の指導をを受けながらも、機械のどのボタンを押したらどのようになるのか?マニュアルを片手に悪戦苦闘の工場の面々。終盤にはかなり慣れたとはいっても、さてこれをどうやって商品化するかは次回以降にの課題。
余ったクリームを容器に入れて、関係者で味見をしてもらうことになったが、自分は寒い日に寒い工場内で冷たいアイスクリームを食べ過ぎ、いささか下っ腹が痛い状態。戦いは始まったばかり。春までこんな日が続くことになるのだろうか。

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デルタの最低地にある旧小松川閘門と荒川ロックゲート

2023年02月09日 | 土木構造物・土木遺産


荒川と隅田川を東西に結ぶ小名木川も、先に紹介した小名木川クローバー橋まで来ると丁度中間点。次に目指すは荒川(旧中川)との合流点へは2キロメートルほどで、電動自転車なら楽に行ける場所でもあるのだが、返却時のことなども考えて地下鉄二乗車して移動することに。
都営新宿線の東大島駅で下車し、「大島小松川公園・風の広場」の小高い部分にまずは足を運ぶ。公園の中央には東京都の歴史的構造物に選定されている「旧小松川閘門」の後扉部分の上半分ほどが保存展示されている。(半分は埋まっている?)
荒川の付け替えにより生じた小名木川(旧中川)との最大3.1メートルの水位差を解消し、通船を可能にするためのもの。1939年(昭和5年)、荒川放水路竣工とともに完成。舟運が衰退したということから1976年(昭和51年)廃止された。



柵で囲われた中にある旧小松川閘門はコンクリート製で、傷みも激しく頭頂部には雑草が生い茂っている。ただそれが歴史的な建造物の風情を醸し出してもいて、立派に働いたいたとの証のようにも思える。
明治後期から大正ロマンへ、日本は積極的に建造物に西洋文化を取り入れてきているのだが、この閘門の容姿からすると西洋の城郭などをモチーフにしているのではないかと思われる。
小高くなっている公園からは、東に荒川、そしてこの閘門により結ばれていた旧中川、中川と合流する小名木川を西側に見ることができるのだが、江東デルタでもこのあたりが一番低い場所ということになる。



荒川河口にも近く、荒川のからの水の流入を防ぎ、東京湾の潮位の変動・高潮被害から守る施設として旧中川との合流部に設置されているのが小名木川排水機場。もちろん、旧中川やあ小名木川の水位が上がれば、72トン/秒で排水する。
その隣には、同じく国土交通省が設置する「荒川ロックゲート」がある。ロックゲート、つまり閘門。旧小松川閘門が廃止された後、2005年(平成17年)に完成。荒川の堤防が改修された時に改めて設置された。
ただ、旧小松川閘門が廃止されてから20年も空白があることが気になる。やはり、災害時の物資・資材の輸送を意識してとのこと。こちらは、閘門上部が開放されていて、閘室もバッチリ見える。門の開閉速度も国内最大級。やるね!さすが国土交通省!(すぐそばの荒川堤防には、緊急用船着き場もある。)


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江東デルタに「ミニパナマ運河」と呼ばれる扇橋閘門の存在

2023年02月06日 | 土木構造物・土木遺産


以前、中央区新川の亀島川水門、江東区永代の大島川水門を紹介してきた(いずれも東京都建設局江東治水事務所の管理)。大島川は前回触れた大横川が隅田川に合流する場所にあって、江東デルタ地帯を高潮や洪水から守っている。ただ、大島川水門に限らず、江東デルタを守るため隅田川や荒川と掘割(運河)の合流点には数多くの水門(樋門)や排水機場が設置されている。
これは江東デルタが海抜ゼロメートル地帯であることに由来するが、もともと低地で軟弱な地盤だったところに地下水の汲み上げなどにより、さらに地盤が沈下して洪水や高潮の被害にたびたび見舞われる場所になってしまった。ここでは水門なしでは生活できない地域なのだ。(写真上:東京都建設局の資料。特に三角デルタの東部、大島や砂町付近が低いことが分かる。)
加えて、荒川や江戸川の瀬替えや新河道開削などから河川ごとの水位の差もあり、もしかしてあるのではないかと探した土木構造物、それが閘門(こうもん)。新潟平野にもある施設で地元のものを紹介したいと思っていたのに、今回江東デルタを紹介するためには欠かせないものであるため先に紹介することにしたい。



実は、土木構造物という観点からは、こちらの「扇橋閘門」を見に行くことが主目的。閘門とは、水位の違う川(下流の方が水位が高いという場合)の上流と下流にゲートを設けて、その間の閘室に舟を入れて水位を調整して船を通航させるというもの。
扇橋閘門は、先に紹介した小名木川、江東区猿江のビル群の中にある。1977年完成。鋼製の単葉ローラーゲートを前扉・後扉に持ち、有効延長は110メートル、幅11メートル。サイフォン現象を利用して、隅田川方向の水を取り込んでいる。「ミニパナマ運河」とも呼ばれている。
舟運が衰退して、しかも荒川・隅田川の住宅密集地を流れる小さな川ということから船舶の利用は少なくなっているようだが、事業用船舶プレジャーボートの通航があるとのこと。水路自体も災害時の緊急物資輸送を想定しているということからも、閘門も陰で重要な役目を担っているといっていい。



調べてみると改修工事を終えたばかりということであるが、私が訪ねた日も堤防沿いに工事用のパネルが張り巡らされていて、残念なことに閘室を見学することはできなかった。一般開放をする日などもあるようだ。
前扉(隅田川方向)側を新扇橋から、後扉(荒川方向)を小松橋から眺めることができる。川沿いのマンションからだと、閘室の様子が手に取るようにわかるのだろうが、残念。新扇橋の扇橋方向の橋詰に案内板がある(写真上)。
ところがどっこい!小名木川を荒川方向に目をやると、もう一つ閘門が。旧小松川閘門は土木遺産ともいえる施設で残念ながら現役ではないが、ほかにも国土交通省関東地方整備局が所管するロックゲート(閘門)の存在を確認。さらに低地であるデルタの東側・小松川に向かうことにする(次回紹介したい)。
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役目を終えた掘割は、魅力的な親水公園に変貌を遂げている

2023年02月04日 | 土木構造物・土木遺産


「江東デルタ」を東西南北に張り巡らされた掘割(運河)は、戦後の経済発展とともに舟運から陸上のトラック輸送などに役目を譲り、その姿を変えてきている。堅川の上には首都高速の小松川線が通っていたり、北割下水(現・春日通)や錦糸町駅前の南割下水(現・北斎通り)と道路に変身したもの、五間堀や六間堀のように埋め立てられて住居などになったりしたところも多い。
そんな中で、市(区)民の憩いの場として、親水公園・河川敷公園として、墨田区や江東区では近年整備する方向に進んでいる。その中で比較的新しいのが「大横川親水公園(1993年4月開園)」だが、これがまた魅力的な場所になっている。
場所は墨田区。北端は北十間川の合流部であり東京スカイツリーの足元・業平橋の付近、南端は堅川との交差部まで、1.8キロメートルにわたり埋め立てられて、海抜ゼロメートル地帯を常時排水するなどして整備された墨田区立の親水公園である。



子どもが安心して遊べる「河童河原ゾーン」や釣りが楽しめたり、スポーツが楽しめる場所があったり、水生生物が生息するビオトープや様々な花や樹木が植栽された花紅葉ゾーン、イベントやマルシェなどが開催される広場など、5つのゾーニングにより四季折々、老若男女が楽しめる場所になっているのである。
前回も触れたとおり、今回のツアーには自転車を利用したのであるが、この公園内の遊歩道は信号もなく、幹線道路・鉄道にはアンダーパス、軽快にしかも存分にその景観を楽しみながら移動を可能にしてくれている。もちろん歩行者優先で、各所に車止めがあって自転車はスピードが出しずらい構造にもなっている。
南北に細長い敷地になっているが、東武伊勢崎線「とうきょうスカイツリー駅」や、JR総武線の錦糸町駅からも近く(JR錦糸町駅から西へ200メートル弱)とアクセスも抜群。近所の方以外も気軽に水辺を楽しむことのできる場所にもなっているのではないだろうか?



この大横川のほかにも、先に紹介した「小名木川クローバー橋」の南には「横十間川親水公園」、横十間川と交差する仙台堀川にも「仙台堀川公園」などもあり(いずれも江東区立公園)、隅田川テラスに負けないくらいに水辺を楽しむ人で賑わっている。やっぱり羨ましい場所だよなー。
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レンタサイクルで「江東デルタ」の運河を巡るツアー

2023年02月01日 | 土木構造物・土木遺産


さて、先月紹介した家康の江戸の町づくりhttps://blog.goo.ne.jp/jikokuhyou485/e/f465fef1839642e2387f73600fd21fb7において重要な物流インフラであった掘割、つまり人工の川・運河であるが、現在の姿を確認するため下町に向かうことにする。
お邪魔したのは墨田区の錦糸町。東京駅から総武快速線で3駅。東京(江戸城)からは東側、隅田川を越えたところにある場所。ここは海抜ゼロメートル地帯で、隅田川(大川)から旧中川にかけた「江東デルタ」地帯に位置する。ここに東西南北、水路が貼り巡らされて、江戸時代には物流拠点として江戸の経済や台所を支えた場所である。
東西には、北十間川、堅川、小名木川、仙台堀川が、南北には、大横川、横十間川など。「横」は、江戸城から見て横方向に流れる川であることから命名されているが、江戸の町の繁栄と平城である江戸城を戦略的に守るため、家康の命で掘られたものである。現在、墨田区、江東区、江戸川区の一部がその範囲となる。(写真上:国土地理院地図を借用した「江東デルタ」の位置図と、墨田区江東橋付近の大横川。)



JR錦糸町駅前でスマホアプリ「ハローサイクリング」でレンタサイクルを予約。歩くと少し時間がかかる、タクシーだと勿体ない距離の移動ということで、東京も冬の風は冷たいが、軽快に電動アシスト付きの自転車を大横川を一旦北上し業平橋から東京スカイツリーを見上げてから小名木川方向へ南下する。
大横川と小名木川は、きっちりと東西南北に掘られていて、江東区の猿江・森下付近で十字に交差する。今度は小名木川沿いに東進。この付近の川には新扇橋や小松橋など魅力的な橋を見ることもできる。橋の架橋年や何代目のものかとかも興味があるところ。(写真上:小名木川の新扇橋から大横川交差部を見る。)
大横川交差地点から東へ1キロ、小名木川は南北に流れる横十間川とやはり十字に交差する。そこには「小名木川クローバー橋」という川の中央で交差する橋上十文字の橋という近代的な歩道橋は掛けられている。1994年(平成6年)新設された鋼製箱桁の単径間橋だ。



スカイツリーを眺められることから観光スポットにもなっているという小名木川クローバー橋。ドラマなどのロケにも登場するその橋は、まさしくクローバー型で、周辺の整備なども行き届いていることから、江東デルタの運河を彩る憩いの場であり観光スポットにもなっている。
この近くには猿江恩賜公園があるが、川の沿岸や運河としての役目を終えた水辺を活用した公園・広場が多い。「東京は都会で緑や憩いの場が少ない」と言われがちではあるが、なになにビルの谷間に計画的造られた魅力的なスポットが住民の憩いの場になっているのに気づく。
確かに魅力的で憩いの場、それが住民生活に溶け込み住みやすいまちになっているとなると、都会もまんざらではない。手つかずの自然が残っているという田舎はに住んでいるということは確かに誇れることでもあるが、小一時間、自転車で回るだけでも東京(江戸)に魅了されてしまうのは単なる田舎者だからだろうか?

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