いちごで横浜を紹介する記事が続いたが、以前、鉄道開業150周年で旧横浜駅(桜木町駅)を紹介する際にも触れたとおり、横浜は土木遺産・産業遺産に溢れている地でもある。
ご承知のとおり、日米修好通商条約により横浜港が開港したのは1959年。それまでの日本は鎖国。江戸に近い横浜の地はこの条約により開港し栄えたと言っていい。(実は新潟港もそうだったんですけどねー。)
そんな中で「みなとみらい地区」は押しも押されぬ横浜の顔になっているが、重要文化財でもある「日本丸(写真上)」があるし、そこから新港地区へ続く「汽車道」という歩行者専用道路は、近代化産業遺産群の一部とされている道でもある。
汽車道というくらいで、路面には線路が埋め込まれているが、これは装飾として設置されたものではない。ここはかつて「臨港線(税関線・高島線とも呼ばれていた。)」として新港との貨物輸送を目的に設置されたものである。
氷川丸の就航などに合わせて旅客輸送を担ったり、1989年の横浜博覧会でも旅客臨時列車が運行されたりしていた。意外に最近まで使われていたのだが、博覧会終了とともに1997年に汽車道(山下臨港線プロムナード)として生まれ変わった。
今回のいちごフェスティバルの会場である赤レンガ倉庫へもJR桜木町駅から汽車道を歩いて移動。先に紹介したとおり、横浜ワールドポーターズや横浜ハンマーヘッドなどの商業施設もあることから、多くの人がこの道を使って新港地区に移動をする。
線路をそのままにした保存されることになったのは600メートル弱。ナビオス横浜というホテルのビルの開口部を過ぎて、万国橋の交差点まで。開口部からのぞくと赤レンガ倉庫を望むことができる。(写真下)
また汽車道に架かる3つの橋梁は横浜市の認定歴史的建造物に認定されている。一号橋梁(写真上)、二号橋梁は1907年アメリカン・ブリッジ製のプラットトラス橋。三号橋梁はイギリス製で保存用に移設されたもので、こちらはポニートラス(写真下)。
みなとみらいや新港地区の開発など、新しいまちづくりの中にも横浜港とその歴史を大切にいる取り入れ保存されていることも感じられる。汽車道は、「土木学会デザイン賞2001」も受賞している。