米沢訪問するからには、ぜひ行ってみたいと思い続けていた場所、それは奥羽線のスイッチバック式の駅跡だ。奥羽線の福島・米沢間には、かつて4つのスイッチバック駅が存在したが、山形新幹線開業に伴い全てが本線上に駅を移転、スイッチバックも廃止されたが、新幹線で通過する際は旧駅を車窓から眺めながら、いつか行こうと思っていた。
クルマで行くのは簡単だと思っていたが、なかなかの難所。萬世大路の栗子峠(明神越えを含む)とともに、この間を結ぶ峠道はなかなか人を寄せ付けない。古くからの難所で、米沢藩は峠越えに危険が伴うことや戦略上の理由で通行を禁止していたこともあったそうで、前回登場の土木の鬼で山形県令・三島通庸が山形発展のために明治期に入ってようやく開削を試みた場所なのだ。
どうせ鉄ちゃんを自称するなら、電車で行こうと思い立つ。しかし、そんな県境の場所を通る路線ということもあり、福島・米沢間を通しで運行する列車は一日6往復しかない。これはハイブリット方式で行くしかないなと、地図と時刻表を読み解き早朝、米沢駅に向かうことになる。(写真上:早朝の米沢駅舎とホーム)
奥羽本線は、東北本線福島駅を起点に、米沢から山形・新庄・大曲と出羽山地の内陸部を北上し、秋田、大舘、弘前、終点・青森までの484.5キロ結ぶ路線。青森、福島の両側から建設が進められたが、福島・米沢間が開通したのは1899年(明治32年)のこと。萬世大路より南の板谷峠を超えるルートである。
しかしこの板谷峠も難所。最大勾配38‰(パーミル)で
碓氷峠で紹介したアプト式の採用も検討された路線。かつ豪雪地帯であったことから、米沢までの40キロ区間だけで20か所のトンネル(開通当初)と急カーブの連続、谷間を走ることから高所に鉄橋をかける必要もあった。実際、列車故障事故や積雪、豪雨などの自然災害などによる不通も多かった路線だ。
その急勾配路線に駅を設置するため、本線から平坦地に線路を引き込むのが通過可能型のスイッチバックである。それがこの区間14キロほどに4駅連続で設置されるというなかなか他では見られない路線・区間。スイッチバックでジグザグに刻まれた動脈の開通が米沢をさらに開化させた。(写真上:大沢駅とその周辺、写真下:峠駅のスイッチバック旧駅への引き込み線とスノーシェッド)
福島県側から赤岩駅(福島県福島市、2021年廃止)、板谷駅、峠駅、大沢駅(いずれも山形県米沢市)。今回は米沢市域にある3駅を訪問したが、これらの駅は山形新幹線建設に伴い標準軌に改軌を行った際に、本線上に新駅を建設することになり引き込みスイッチバックは旧駅とともに使用されなくなった。
碓氷峠と同様、勾配克服に補助機関車(4110系蒸気機関車など)を必要としていた時代からすると、山形新幹線開通に伴い導入された「つばさ(初代400系)」や719系5000番台交流型近郊電車の開発・導入により、安全性やスピードアップ化の波がこの板谷峠を通る奥羽線の路線や駅の姿、車両を大きく変えたのである。
いずれも旧駅舎などは取り壊されているが、本線から旧駅にかけての区間は現存の3駅はスノーシェッドに覆われていて、引き込み線の部分は新駅に通じる通路などとして利用されながら、鉄道遺構として保存されている。これらは近代産業遺産に認定されている。(写真下:板谷駅のホーム上からのスイッチバック線と旧駅のホーム跡)
今回、米沢駅の駐車場にいったん車を止めて、米沢7:16発→大沢7:27着、(大沢駅滞在22分)大沢7:49発→米沢8:00着、(米沢駅滞在8分)米沢8:08発→峠8:25着、(峠駅滞在12分)峠8:37発→米沢8:54着と、数少ない列車を自分自身もスイッチバックしながらこまめに乗り継いで二駅を訪問。
その後、クルマに乗り換えて、萬世大路の第三世代にあたる国道13号で西栗子トンネル経由で板谷駅へ。大沢駅、峠駅はクルマでももちろん行ける場所ではあるが、険しい山道を通る上、大沢駅と峠駅の間は道なき道(一応県道だが)を大きく迂回しなければならないことから、今回の移動手段となった。(赤岩駅跡へは、周辺の道路事情などから訪問を断念。)
最後の訪問地の板谷駅に立った時、警報機が鳴りだし列車の接近を知らせる。福島方面から下りの山形新幹線「E6系つばさ」が線路脇にある36‰を示す勾配標をものともせず「翼」を得た如く軽快に急坂を登り終え走り抜けていった。苦労してスケージュールを練って、そして時間を費やしながら鉄道遺構を見た後だったので、技術の進化を目の当たりにした感じがした。(写真下:今回使用した二往復分の切符と、板谷駅を通過する「つばさ」。左の速度制限標識の下に「36.0(‰)」の勾配標が見える。)