以前、一ノ戸川橋梁をはじめとした磐越西線の「ボルチモアトラス橋」の3橋を紹介したが、その際、これらの橋梁は阿賀野川(阿賀川)の本川に架かるものではなく、いずれも支流の河川の架橋に用いられている旨紹介した。
今回は、本川に架かる5橋を紹介したい。郡山が起点なので、上り方向の上流の橋から順に掲載する。
荻野駅と尾登駅間の「釜ノ脇(かまのわき)橋梁」(大正2年(1913))は、喜多方市西郷の阿賀川にかかる橋。中央の1支間が曲弦プラットトラスで、両側に少し小さめのプラットトラスを従えている。
県道の洞門の上を通過するが、洞門に入る直前の高郷方向から全容が確認できるし、洞門の片側空いた部分からも間近にその姿を見ることができる。
アメリカンブリッジ製。明治政府の雇われ技術者として来日したジョン・ワデルの提案により、日本で初めてカンチレバー工法(両側から少しずつ張り出し、中央で橋を結合する工法。水深が深く、流れが速いため用いられた。)により架橋されたものである。
同じく福島県の西会津村・徳沢駅近くで阿賀川(ちょうど福島・新潟の県境に位置するので、下流は阿賀野川)を渡るのが「徳沢橋梁」(大正3年(1914))。
釜ノ脇橋梁と同じく、曲弦のプラットトラスに両側プラットトラス、更にその脇にプレートガーダー橋を備えている。製造も工法も釜ノ脇橋梁と同じ。
新潟県に入って、阿賀町の日出谷駅近くにあるのが「当麻(たいま)橋梁」(大正3年(1914)、架け替え・昭和4年(1929))。
以前(旧橋)は、上路式(橋本体の上面を路面とする方式)のトラス橋(2連は、一ノ戸川橋梁と同じボルチモアトラス)だったが、下流の鹿瀬ダムの建設に伴い、水面が橋桁に掛かるということから、下流側に架け替えられた。写真でも旧橋の上り方向(右側)に橋脚が確認できるが、下り方向は平成23年の新潟・福島豪雨で流されたという。
更に、旧橋のボルチモアトラスは、秩父鉄道に払い下げられて、いまの現役で使用されている。これも一度見てみたい!
同じく日出谷駅と鹿瀬駅の間にある「深戸橋梁」(大正3年(1914)、架け替えは昭和58年(1983))鹿瀬駅寄りにある。
やはり釜が脇橋梁や徳沢橋梁と同じタイプであるが、中央のトラス橋が曲弦のワーレントラス方式で両側にプラットトラス、更に上り方向には4連のプレートガーダー橋を携えていて、今回紹介する中では一番長い(251メートル)。
中央のワーレントラスの架け替えの際、線形をそのまま残すため、古いトラスを横に押し出し、川に落として付け替えたという日本初の落下式工法が用いられた。大胆な工法だ。
磐越西線で一番下流に架かるのは阿賀町三川支所の下り方向にある「御前(ごぜん)橋梁」(架け替え昭和58年(1983))。
こちらは、桁上げとトンネルの新設により、新線として付け替えられたもの。写真のとおり、平行弦ワーレントラス2連の頑丈なものである。
ただ、ここでも旧線にはアメリカンブリッジ製の曲弦プラットトラス、ピン結合、3連の鉄橋があったという。これを見ることができないのは残念というしかない。
一ノ戸川橋梁をはじめとした磐越西線鉄道施設群は、土木学会の選奨土木遺産。橋だけでなく、100年を超える歴史の中で、少しだけ取り残された中に貴重なものが多く存在する。
ただ、今回紹介した5橋の中でも、時代の移り変わりによって新しい技術の中で変化しているものもある。歴史や物語、そして毎回のことだがそれを守ってきた人、地域住民のために知恵を絞ってきた人の偉業に、改めて感謝し敬意を表するばかりだ。
今回は、本川に架かる5橋を紹介したい。郡山が起点なので、上り方向の上流の橋から順に掲載する。
荻野駅と尾登駅間の「釜ノ脇(かまのわき)橋梁」(大正2年(1913))は、喜多方市西郷の阿賀川にかかる橋。中央の1支間が曲弦プラットトラスで、両側に少し小さめのプラットトラスを従えている。
県道の洞門の上を通過するが、洞門に入る直前の高郷方向から全容が確認できるし、洞門の片側空いた部分からも間近にその姿を見ることができる。
アメリカンブリッジ製。明治政府の雇われ技術者として来日したジョン・ワデルの提案により、日本で初めてカンチレバー工法(両側から少しずつ張り出し、中央で橋を結合する工法。水深が深く、流れが速いため用いられた。)により架橋されたものである。
同じく福島県の西会津村・徳沢駅近くで阿賀川(ちょうど福島・新潟の県境に位置するので、下流は阿賀野川)を渡るのが「徳沢橋梁」(大正3年(1914))。
釜ノ脇橋梁と同じく、曲弦のプラットトラスに両側プラットトラス、更にその脇にプレートガーダー橋を備えている。製造も工法も釜ノ脇橋梁と同じ。
新潟県に入って、阿賀町の日出谷駅近くにあるのが「当麻(たいま)橋梁」(大正3年(1914)、架け替え・昭和4年(1929))。
以前(旧橋)は、上路式(橋本体の上面を路面とする方式)のトラス橋(2連は、一ノ戸川橋梁と同じボルチモアトラス)だったが、下流の鹿瀬ダムの建設に伴い、水面が橋桁に掛かるということから、下流側に架け替えられた。写真でも旧橋の上り方向(右側)に橋脚が確認できるが、下り方向は平成23年の新潟・福島豪雨で流されたという。
更に、旧橋のボルチモアトラスは、秩父鉄道に払い下げられて、いまの現役で使用されている。これも一度見てみたい!
同じく日出谷駅と鹿瀬駅の間にある「深戸橋梁」(大正3年(1914)、架け替えは昭和58年(1983))鹿瀬駅寄りにある。
やはり釜が脇橋梁や徳沢橋梁と同じタイプであるが、中央のトラス橋が曲弦のワーレントラス方式で両側にプラットトラス、更に上り方向には4連のプレートガーダー橋を携えていて、今回紹介する中では一番長い(251メートル)。
中央のワーレントラスの架け替えの際、線形をそのまま残すため、古いトラスを横に押し出し、川に落として付け替えたという日本初の落下式工法が用いられた。大胆な工法だ。
磐越西線で一番下流に架かるのは阿賀町三川支所の下り方向にある「御前(ごぜん)橋梁」(架け替え昭和58年(1983))。
こちらは、桁上げとトンネルの新設により、新線として付け替えられたもの。写真のとおり、平行弦ワーレントラス2連の頑丈なものである。
ただ、ここでも旧線にはアメリカンブリッジ製の曲弦プラットトラス、ピン結合、3連の鉄橋があったという。これを見ることができないのは残念というしかない。
一ノ戸川橋梁をはじめとした磐越西線鉄道施設群は、土木学会の選奨土木遺産。橋だけでなく、100年を超える歴史の中で、少しだけ取り残された中に貴重なものが多く存在する。
ただ、今回紹介した5橋の中でも、時代の移り変わりによって新しい技術の中で変化しているものもある。歴史や物語、そして毎回のことだがそれを守ってきた人、地域住民のために知恵を絞ってきた人の偉業に、改めて感謝し敬意を表するばかりだ。