行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

阿賀野川(阿賀川)に架かる5橋梁も魅力的

2020年09月29日 | 土木構造物・土木遺産
以前、一ノ戸川橋梁をはじめとした磐越西線の「ボルチモアトラス橋」の3橋を紹介したが、その際、これらの橋梁は阿賀野川(阿賀川)の本川に架かるものではなく、いずれも支流の河川の架橋に用いられている旨紹介した。
今回は、本川に架かる5橋を紹介したい。郡山が起点なので、上り方向の上流の橋から順に掲載する。



荻野駅と尾登駅間の「釜ノ脇(かまのわき)橋梁」(大正2年(1913))は、喜多方市西郷の阿賀川にかかる橋。中央の1支間が曲弦プラットトラスで、両側に少し小さめのプラットトラスを従えている。
県道の洞門の上を通過するが、洞門に入る直前の高郷方向から全容が確認できるし、洞門の片側空いた部分からも間近にその姿を見ることができる。
アメリカンブリッジ製。明治政府の雇われ技術者として来日したジョン・ワデルの提案により、日本で初めてカンチレバー工法(両側から少しずつ張り出し、中央で橋を結合する工法。水深が深く、流れが速いため用いられた。)により架橋されたものである。



同じく福島県の西会津村・徳沢駅近くで阿賀川(ちょうど福島・新潟の県境に位置するので、下流は阿賀野川)を渡るのが「徳沢橋梁」(大正3年(1914))。
釜ノ脇橋梁と同じく、曲弦のプラットトラスに両側プラットトラス、更にその脇にプレートガーダー橋を備えている。製造も工法も釜ノ脇橋梁と同じ。



新潟県に入って、阿賀町の日出谷駅近くにあるのが「当麻(たいま)橋梁」(大正3年(1914)、架け替え・昭和4年(1929))。
以前(旧橋)は、上路式(橋本体の上面を路面とする方式)のトラス橋(2連は、一ノ戸川橋梁と同じボルチモアトラス)だったが、下流の鹿瀬ダムの建設に伴い、水面が橋桁に掛かるということから、下流側に架け替えられた。写真でも旧橋の上り方向(右側)に橋脚が確認できるが、下り方向は平成23年の新潟・福島豪雨で流されたという。
更に、旧橋のボルチモアトラスは、秩父鉄道に払い下げられて、いまの現役で使用されている。これも一度見てみたい!



同じく日出谷駅と鹿瀬駅の間にある「深戸橋梁」(大正3年(1914)、架け替えは昭和58年(1983))鹿瀬駅寄りにある。
やはり釜が脇橋梁や徳沢橋梁と同じタイプであるが、中央のトラス橋が曲弦のワーレントラス方式で両側にプラットトラス、更に上り方向には4連のプレートガーダー橋を携えていて、今回紹介する中では一番長い(251メートル)。
中央のワーレントラスの架け替えの際、線形をそのまま残すため、古いトラスを横に押し出し、川に落として付け替えたという日本初の落下式工法が用いられた。大胆な工法だ。



磐越西線で一番下流に架かるのは阿賀町三川支所の下り方向にある「御前(ごぜん)橋梁」(架け替え昭和58年(1983))。
こちらは、桁上げとトンネルの新設により、新線として付け替えられたもの。写真のとおり、平行弦ワーレントラス2連の頑丈なものである。
ただ、ここでも旧線にはアメリカンブリッジ製の曲弦プラットトラス、ピン結合、3連の鉄橋があったという。これを見ることができないのは残念というしかない。

一ノ戸川橋梁をはじめとした磐越西線鉄道施設群は、土木学会の選奨土木遺産。橋だけでなく、100年を超える歴史の中で、少しだけ取り残された中に貴重なものが多く存在する。
ただ、今回紹介した5橋の中でも、時代の移り変わりによって新しい技術の中で変化しているものもある。歴史や物語、そして毎回のことだがそれを守ってきた人、地域住民のために知恵を絞ってきた人の偉業に、改めて感謝し敬意を表するばかりだ。
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秋になりました!「はらこ」の季節です

2020年09月27日 | 食(グルメ・地酒・名物)
これまでにも何回か紹介しているが、季節になるとどうしても食べたくなり、また紹介したくなる味、それが「はらこ」。鮭の卵であるイクラを醤油漬けにしたものを新潟地方では「はらこ」と呼んでいる。(もしかして県北地方のこの辺だけ?)
少し温めのお湯で、魚卵をしっかり包んでいる皮から、卵を一個一個丁寧に絞り出すようにほぐしていく。その後、白濁した粒に塩を振ると、見事に息を吹き返したような真っ赤なイクラの姿が戻ってくる。



それを保存容器に移して、醤油と酒で味付けをする。清酒をそのまま使うと酒の臭いのがきつくなるので、それが気になる場合は酒を鍋に移して火にかけ、アルコールを飛ばすとよい。結構いい酒を使ったりして、味の違いを楽しんだりするのもいい。
ここまでが料理の過程で、あとは浸かるのを待つだけ。まあ、卵をほぐすのだけが大変な作業ということと、走りは値段が高いということですかね。シルバーウィークに娘が里帰りするというので、少しだけ奮発しました。



夕方に漬け込むと、次の朝には食べごろとなる。そりゃ一気に売れましたよ。なんと贅沢な「はらこ丼」の朝ごはん。
これも以前に紹介したことだが、母が早くに亡くなって、私のはらこの味は伯母の直伝。伯母の出身地は市内の「赤川」という集落になるが、それが伯母の嫁ぎ先から巡り巡りって我が家の味になっている。子どもたちは料理はあまり得意としていないようで、後継者はいない。


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時刻表が発刊中止?本屋の店頭から消える怪

2020年09月24日 | 本・雑誌・映画


仕事上、大変お世話になっている方で、信頼できる方のブログでの記事に、「時刻表が発刊中止になった」という衝撃の内容を目にした。
少なくとも3カ月に一度は購入していたものの、このところ出かける機会もめっきり減ってしまった昨今、私のような優柔不断で中途半端な鉄道ファンなどがコロナ禍により大きく出控え、買い控えに走り、時刻表出版業界にもそんな影響が表れたのだろうか?
基本「JTB時刻表」派の私も、確か7月号までは店頭に並んでいたのを確認したはず。そんな情報が流れたのが8月の下旬で、9月号が発売を迎えるところだった。

そろそろ並んだかな?と思い、数度足を運んでもない。隣町の少し大きい本屋さんに行き、売り場を確かめるがない。他の出版社のものは数冊残っているのだが、愛読書でバイブルであるJTBのものがないのである(写真上:本屋さんの店頭で。JTBの時刻表が写っているが、実はこれは6月発売の季刊誌で「夏号」の残部。)。
まさか、本当に発刊中止や休止になったのではと、思い切って店員さんに聞いてみた。
鉄道ファンがどこまで影響しているかは分からないが、コロナの影響でビジネスユーズも低下しているようで、書店で納品数を減らしているという。減らしていいるといっても、店頭から消えるほどなので依然愛読者はいるという裏返しにもなるのでは?

口の悪い人(?)は、「毎月、時刻表を買う意味があるのか?」とも言うが、確かに内容的にそれほど変わるものではないので、口が悪くなくともそう思うのも当然。私などはコツコツと毎月買っているというほどのどっぷりでもないが、普段必要としていた人も出歩く機会がなくなれば、その需要は下がってしまうということだろう。
現に、「発刊中止」は決してガセネタではなく、交通新聞社の「コンパス時刻表」は、コロナ禍にあって情報等の掲載時期が遅れてしまうとの理由で6月号を休刊。(その後、復活発刊されています。)
まあ、出版社側もコロナの影響により社員の在宅勤務などが続き、この6月号は夏の臨時列車の掲載などにより需要も高いが、編集のための情報収集も難しかっただろうし、正確な情報提供ができ難いと考えてのことのようだ。

季刊で9月に発行される「JTB小さな時刻表」を狙い、店員さんの教えてくれた発売日の数日後本屋に行ってみた。しかし、ない!月刊のものもない。
仕方ない、Amazonに頼るしかない。時刻表をAmazonで購入するのは初めて(写真下)。地元の本屋さんで買いたいんだけどなー。これもコロナ禍か!

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今度はJR左沢線の「最上川橋梁」を紹介します

2020年09月19日 | 土木構造物・土木遺産


さてさて、信濃川水系に少し入れ込み過ぎの感がある昨今であるが、最上川に目を向けなおしてみよう。(といっても、結局川や橋のネタになるのだが…)

先月紹介した「最上川橋梁」の続編(前回は8月24日の記事参照)。
吾妻連峰の天元台スキー場付近を水源にする最上川にかかる「最上川橋梁」は3か所あって、上流からフラワー長井線・西大塚駅東側のガーダー橋、前回紹介した々フラワー長井線の終点・荒砥駅付近のガーダー&トラス橋、そして今回紹介するJR左沢線の中山町と寒河江市の境界となる最上川にかかるトラス橋の3か所だが、下流二つの橋は、同じ木曽川橋梁から移設された「ダブルワーレントラス橋」を使用するという、まさしく双子橋。国内では、現役最古で、いずれも土木学会選奨の土木遺産である。

上の写真を見ても分かるとおり、プラットトラス橋が3連(羽前長崎駅寄り)とダブルワーレントラス橋5連(南寒河江駅寄り)のもの。プラットトラスも九州から移設されたもののようだ。
前回紹介した最上川橋梁と同じく、製造から130年、この地に移設・架橋されてから100年を超える双子のお爺ちゃんってところ。現在では製造されていない錬鉄製の材質と、ダブルワーレンピントラスという構造も注目すべきところ。
橋台には、しっかりと「近代化産業遺産」、「土木学会選奨土木遺産」と表示された説明板が設置されていました。(写真下)川の土手から、結構近くで見ることができるし、河原からは説明板のほかその構造なども間近に見ることができるってこともまた特徴かな?



JR左沢線は、山形駅(起点としては北山形駅)と山形県大江町にある左沢駅を結ぶ営業距離24.3キロの盲腸路線。「フルーツライン左沢線」との愛称がつけられている。沿線はサクランボなどの果物の産地だ。
最上川沿いを遡って、もう一つの最上川橋梁があるフラワー長井線と結ばれる計画もあったが、実現しなかった。そういうローカル線多いですよね。
使用車両はキハ101形という100形をベースにした新潟生まれの左沢線専用車両。でもローカルと言っても朝夕の混雑時には6両編成という時もある。キハ100の系統だから当然前後に運転台があり、それが6両つながって走るというのも珍しい。

いずれにしても、橋も線路も車両も沿線住民のために「長生きしてください」とエールを送るとともに、これらを守り続ける鉄道関係者と地域の方々に敬意を表したい。







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信濃川の支流・清津川にも学習素材がある

2020年09月16日 | 旅行記・まち歩き


清津峡は、信濃川の支流で、上信越国立公園内にある景勝地。日本三大峡谷の一つと言われており、川の切り立った両岸には柱状節理の岩肌を見ることができる。渓谷は、名勝であり天然記念物である。
信濃川を十日町から上流側に向かい、旧中里村の国道117号から国道353号へ、さらに山間に少し入いる。渓谷の入り口は十日町市小出集落で、国立公園の入り口には温泉旅館や飲食店が数件ある。
古くからの観光地であったのだが、度重なるがけ崩れにより死亡事故なども発生したことから、遊歩道は閉鎖されたものの、渓谷美を楽しみたいとの声から観光用のトンネルが1996年に開通した。清津峡渓谷トンネル。



夏の暑い日、トンネル内は入った時こそ涼しく感じたが、湿気も多く、とにかく長い。750メートルあるトンネルを往復歩くとなると、それなりの覚悟が必要だ。
川に並行して彫られたトンネルだが、途中川に向かって横のトンネルが3か所掘られてあって、見晴らし所として川の景色を楽しむことができる。
人気は、一番奥のパノラマステーション。清津峡の景色を水を張った床面に映し出し、実に幻想的な眺めを作り出す。トンネルの壁面にはステンレスが貼られ、様々な色を水面に映し出す。これが大人気となる。



このパノラマステーションは十日町を中心とした妻有郷を舞台として開催されている「大地の芸術祭・アートトリエンナーレ」に参加した中国人芸術家の作品の一つ。2018年に改修されたが、観光客の数は改修以前の4倍に増えたそうだ。
まあ、観光気分で訪れたものの、これもれっきとした信濃川の学習素材。清津峡だけではなく、川は観光事業にも大きな影響を及ぼし、人々を楽しませたり癒してくれる。
さらに、この清津峡、上流と水源地は湯沢町になるのだが、その辺にも面白い学習素材がありそうだ。また訪れた際には紹介していきたい。
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信濃川の勉強ついでに、小千谷・十日町の「そば」紹介

2020年09月11日 | 食(グルメ・地酒・名物)
信濃川研究の旅の副産物といえばグルメ。今回は、小千谷・十日町に行ってきたといえば「そば」とピンと来る人も多い。どちらもふのり(海藻)をつなぎにし、へぎの中に一口大に丸めて並べるのが特徴。
シコシコとした強い歯ごたえの中に、ツルツルとした食感・のど越しが味わえることで、全国でも人気のそばどころとして知られるようなった。



以前、小千谷の綿屋(わたや)を紹介したことがあった(2008年9月、ずいぶん昔の話になる。この時の記事はそば屋を紹介したものではない。)が、今回は角屋(かどや)に立ち寄った。
この店は、旧職場の旅行の時にお昼で立ち寄った時からのファンである。もう30年も前の話になる。以前は別な場所に古風な建物が本店だったが、今は高速の小千谷インターにほど近い場所にある。

ちょうどお昼を少し過ぎたところだったので、店先の受付表に名前を記入して20分ほど待つことになった。超混雑?と思いきや、コロナ対策としてテーブルを減らし、できるだけ席も対面を避ける形にしていたことが待ち時間の原因のようだ。
注文してすぐに出てくる。もともと回転はいいはず。特に天ぷらのアツアツ、サクサクは食いしん坊の気分を上向きにさせてくれる。妻と二人で3人前は少し量が多かった。年のせいかもしれませんがねー。



十日町からは、最近人気上昇中の由屋(よしや)をご紹介する。十日町市の市街地から、クルマで国道117号を5分ほど飯山方面に行ったところにある。こちらも立派な店構え。
早い時から、ここに由屋というそば屋があるということは承知していて、気になっていた。今回、旧川西町の千手発電所を見学の際には小嶋屋総本店をチョイスするところだが、この時とばかりに初入店を試みた。

写真でも見て取れるように、行列の店。小千谷の角屋の件もあったので11時過ぎには店に入ったが、駐車場の県外ナンバーといい、行列の老若男女の数といい、これは凄いと言うしかない。
店に入って知ったことだが、ミシュランに掲載(ミシュランプレート。小嶋屋総本店も同じく。)。そりゃ混むわ。それを知らずに入ったものの、こちらも意外に回転がいいのと、二階にも客席がありすこぶる広い。
ただ、天ぷらは二人で1人前、もしくは小もり天ぷらにするべきでした(写真がなくてごめんなさい。そばが先に出てきたもので待ちきれず…)。角屋に続き、二週連続の食べ過ぎでした。



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JR信濃川発電所のもう一つの施設「おぢゃーる」

2020年09月09日 | 旅行記・まち歩き


小千谷市の山本山中腹にあるのが今回ご紹介する「おぢゃーる」である。
先にも紹介したとおり、山本山には十日町市からトンネルを利用し発電用の水が引き込まれるJR信濃川発電所の調整池があり、そのほとりに立つ施設。小千谷発電所にも近い場所に、「市民の家・小千谷信濃川水力発電館(通称・おぢゃーる)」は、小千谷市を一望できる場所にあり、市民の憩いの場として、電気のふるさと信濃川を学習できる施設として設置された。

これまでも紹介してきたとおり、一連のJR信濃川発電所に関して学べる「水力発電館」を中心に、研修室や宿泊室、屋外には広い芝生の広場がありキャンプなども楽しめる。
JR東日本と小千谷市が共同で設置し、小千谷市が管理しており、市民だけでなく、誰でも利用できるという場所だ。



特に、神秘的な灯りのトンネル(「水路トンネル」をイメージしたもの)をくぐって入る水力発電館は、信濃川発電所に関するパネルや資料が展示されていて、その全容を紹介するガイダンス施設になっている。
最初にここに来て、じっくりその仕組みを勉強していれば、3回も小千谷・十日町方面に通わなくても済んだのかもしれない。それだけ展示物はしっかりしているし、子どもたちにとっても、まあ何となく発電の仕組みを勉強することもできる。
まあ、子どもにとってはジオラマや「電車でゴー」でおなじみのシミュレーターが人気なのかもしれない(写真下)。自分もしっかりと楽しみましたがね!



実はこの施設は、例のJR東日本の不正取水事件によって、JR東日本と小千谷市の協議の中で平成28年にオープンしたもの。つまり、迷惑をおかけしたのでという代替施設。地元との懇談会を開催するなどして作成された、JR東の「再発防止策の概要」の中の「地域自治体等との連携」という項目で、その設置が掲げられている。
まあ、施設の設置経緯は忘れてほしくはないことでもあるが、何度も言うように本当に地域と連携し、地域に貢献する企業としてJR東日本は新潟を見てほしいものでおじゃーる!
(写真下:この事件のことに関しても、水力発電館の一角の「地域との共生」というコーナーに、しっかり説明ががあったことは評価したいと思う。)





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信濃川発電所を語るには、まず十日町へ

2020年09月06日 | 土木構造物・土木遺産
JRの信濃川発電所を紹介するのに、一番下流の「小千谷発電所」とその周辺を紹介しておきながら、上流部の写真がない!これでは全体の3割程度の紹介となるため、急きょ十日町に出動。しっかっりと一連の施設を紹介していきたいと思う。



JR東日本の信濃川発電所は、十日町市の信濃川から取水することで始まる水力発電施設。
取水は、信濃川に建設された宮中ダムと付帯の取水口から始まる(写真上:宮中ダムと宮中取水口)。信濃川本川では、一番下流に設けられたダムということになる。ここが、先に触れた不正取水事件の震源地ということになって、国土交通省の水利権取り消し処分を受け、1年以上発電ができなかったということがあった。
この日は、11基の水門(堰)うち4基の門が開いていて、下流部に水を送っていたが、ダムのすぐ上流部に設置されている取水口から、開渠または水路トンネル・圧力トンネルで一部は浅河原調整池を経て十日町市の千手発電所に送水されている。



詳しく言えば、先に建設された宮中取水口からは水路トンネルで浅河原調整池へ、その後圧力トンネルで千手発電所(写真上:発電所エントランスに立つ看板とその下流の開渠部分の二本の水路)へ送られ、その水をさらに下流の山本調整池に送り小千谷発電所で発電する。
また宮中第二取水口からは5期水路トンネル(延長26キロ)で小千谷市の山本第二調整池に直接送られ、平成に入って稼働した新小千谷発電所(小千谷第二発電所)で発電されるという新旧二系統がある。
千手発電所は12万キロワットの出力で、5機のタービンを回す。昭和14年(1939年)の稼働だから80歳。浅河原調整池とともに推奨土木遺産。
小千谷発電所は12万3千キロワット、5機の発電機。小千谷第二発電所は、20万6千キロワット、2基の発電機。全体で、44万9千キロワット(認可値)で、前回に触れたように首都圏に送られて、JR東日本の4分の1の電気を賄っている。



凄いと思うのは、まあ落差により発電する水力発電では、導水路を設置するため暗渠やトンネルを用いることは全国各地のダムと発電所にもあって、どこでも難工事がつきものです。ただ信濃川発電所の水路トンネル・圧力トンネルで3系統8本の水路を持ち、その延長は80キロに及び、取水口や調整池、開渠部分の水路のほかに、巨大な水路橋を直接見ることができる。
山間にあるためこの水路が谷を渡るときには、巨大な水路橋4か所が設けられていて、谷から見上げるとこれまた圧巻(写真上:真人(まっと)沢に架橋されたRCの3期、4期水路と、さらに沢の奥に突如現れる5期水路橋)。
何でも戦後の工事で、この水路を掘っていたトンネル内で落盤事故があり、45名の作業員が亡くなったとか。このプロジェクトに参加しした先人に敬意も込めて拍手を送りたい。




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首都圏の電車を走らせている信濃川の発電

2020年09月04日 | ニュース・うんちく・小ネタ
以前にも大河津分水について触れたが、信濃川について勉強をしていると、興味深いのは信濃川の発電。河川施設とすれば治水や灌漑目的の施設が多いものの、水力発電施設も多く、日本屈指の発電量・発電施設を誇るのが信濃川だ。
決して「ダムマニア」ではない。「ダムの歩き方(ダイヤモンド社)」なる本は持っているが、川を語るには外せない施設がダムと水力発電所となる。

調べてみたところ、発電施設ごとでのランキングで、信濃川支流の清津川(カッサ川を含む)にある「奥清津発電所」は国内第2位の発電規模(160万キロワット)や、長野県大町市にある日本一のロックフィル式ダムである高瀬川ダムの水力を使用する「新高瀬川発電所」は発電量国内4位、揚水式の発電所も5か所建設された実績がある。(いずれ、これらの発電所が当該ダムも紹介できればと思っている。)
包蔵水力では木曽川に次いで2位であるものの、すでに開発されているエネルギー量は第1位。まさに日本一の流れを活用した水力発電・日本一の川なのだ(包蔵水力・既開発を含めて第3位は阿賀野川。)



今回、紹介するのは大好きなJR東日本の施設で「信濃川発電所」である。JRも信濃川に3か所の発電所44万9,000キロワットの発電を行い、JR東日本で使用する電力量の4分の1を発電しており、首都圏に電気を送っている。
写真は、信濃川が狭さく部分を抜けて越後平野に流れを落とそうとする小千谷市に設置されたJR東日本の「小千谷発電所(写真上:右が小千谷発電所、左手が新小千谷発電所)、もう1枚は発電所上の道路から)」。さらに上流の十日町市に「千手(せんじゅ)発電所」がある。

面白いのは、取水口である信濃川に建設された「宮中(みやなか)ダム」の取水口から、浅河原調整池を経て千手発電所へ水を導水し発電機を回す。その水を20キロ近い二本の導水路で小千谷市・山本山の中腹にある山本調整池に送り更に小千谷発電所で発電する仕組み。小千谷第二発電所も、宮中第二取水口から山本山の第二調整池に送られて発電している(写真下:山本調整池、第二調整池)。何だか複雑だが、密接に関係しているのだ。(詳しくは、JR東日本のホームページの図を参照→https://www.jreast.co.jp/shinanogawa/discharge.html



水力発電所には、国土交通省から許可された取水量があって、結果それを上回る取水をした上、社外に売電事業を始めたことなどが問題となったJR東日本信濃川発電所の不正取水事件。データ改ざんしていましたから、地域をないがしろにした行為ですよね。
新潟県の水資源(もちろん、上流の長野県も同様である)が、首都圏のために貢献していることは言うまでもない。雪深い暮らしを強いられて冬を耐え、山や緑の大地が水を貯え、そして魚などの生き物を慈しみ生態系や環境を守り続けてきた沿岸の人々を裏切ることなく、施設や運営の在り方を見直そうというきっかけにしなければいけない事案だ。
地方は頑張っている!ねえ、JR東日本さん!

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