行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

「土木のこころ」には、21人目の「こころ」が存在する

2021年02月27日 | 本・雑誌・映画


そんなこんなで、出版社に直接注文をしていた本がようやく手元に届いた。「土木のこころ」という本だ(現代書林、1,750円)。
明治期から近年まで活躍した土木技術者20名を紹介したもので、田村喜子氏が著者である。
新聞社を経て、文筆活動に入る田村氏だが、土木を素材としたノンフィクション作家という位置付けで、日本の土木業界とそこで働く人々の信念や心に感銘し、数々の著書を残すが、その中の名著と言われるのが「土木のこころ」だ。

実はこの本、田村氏が2012年に亡くなり、当時の出版社が廃業していたことで、絶版の状態にあった。
しかし、福島にある建設会社の社長が、一念発起し、数々の出版社や関係者を訪ねて、このたび復刻版として発刊されたものだ。
その社長曰く、「土木の世界で働くには、地域や社会の基盤を作るといった気持ちが必要。天候や災害時の厳しい条件下での作業、しかも長時間対応、工期や高品質は求められるのも当然の中で、使命に向き合うには「こころ」が必要ではないか」と。
この本で紹介されている20名の土木技師についても、単に大事業を成し遂げたというだけではなく、使命感や達成時の気持ちなどに触れ、語った言葉などを紹介しながら、正に「こころ」の部分を紹介しているのである。

紹介された20名の土木技術者のうち、宮本武之輔がいる。以前、大河津分水を紹介したときにも登場した人物(2020年7月29日記事参照)。コンクリートの専門家として、水害により崩落した自在堰の補修工事の責任者だ。
工事中にも水害に見舞われて、現場は濁流にのみ込まれることになるのだが、仮の仕切り堤を切って、下流の現場へ水を引き入れる決断を宮本は迫られた時、「自分が責任を持つ」との断腸の思いで命令を下したというエピソードがある。
起工式で宮本は「補修工事を有終の美で飾るためには、私個人がいかなる艱難辛苦(かんなんしんく)に遭遇しようと厭うものではありません。しかし土木事業は大勢の人間が心と力を結集してはじめて完遂するものであります」と述べたとも紹介されている。強い思いで工事にあたっていたことが伺える。

その「こころ」を何とか紹介していきたいという田村喜子氏の「こころ」、田村氏は積極的に工事現場に出向き、現場で働く人たちと声を交わした。巻末に僅かであるが写真も紹介されている(写真下)。
また、その本を復刻に導いた福島の建設会社の社長の「こころ」にも感動しますよね!あとがきとして「復刊に寄せて」を寄稿している(写真下)。これも社長が21人目の土木屋として魂を感じることのできる内容となっています。(実はこの人知り合いです。)
ぜひ、ご購読ください。


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「土木」でなく「川の物語」を求めて本を買い求めています

2021年02月23日 | 本・雑誌・映画


上の写真は、この一年間で購入した本を並べてみた。
このほかにも、まち歩きの本や郷土の歴史関係の本があるのだが、「土木」という括りから「土木遺産」に、そして確かな流れとして「橋・川・水」といった傾向に嗜好が傾いてきているのが分かる。

仕事とも密接に関係する「土木」という分野で、「少し勉強してみるか!」と勇んではみたものの、専門書はやはり自分には難しすぎる。
地域と地域を結ぶ「美しい橋」、町から町へと流れる「川や水」、ここにある物語的なところに魅せられているような気がする。もちろん生活を支え、利便性を向上させ、更に災害から守るために土木構造物が設置されるのだが、そこには時に美しかったり、時には悲惨な歴史が隠れている。
そして、課題解決を図るためにかるために尽力した地元の名士や技術者、政治家などがいて、悪戦苦闘の末に成就を成し遂げるというドラマがあるのだ。この物語に触れるのが趣味となり、ブログで紹介するのも一つのライフワークとなっている。

コロナや雪の影響により、ここのところ宝探しにはなかなか行けていないが、現地に行って大事な写真を撮り忘れたりして、二度三度と足を運ぶことも多かった昨年。そうそう、小千谷や阿賀には何回か通ったな。
鉄道も含めて、少し予習をしながら春からの宝探しをするための行先を定めていきたい。
狙いですか?まあ日帰りで行けるところ、只見川、魚野川水系(破間川、三国川など)、清津川、関川。できれば、信州の犀川から梓川、高瀬川、北陸は常願寺川、手取川?ここまでいくと、日帰りは無理ですかね?
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お休みの日は、時間のかかる料理に挑戦!

2021年02月22日 | 食(グルメ・地酒・名物)


最近、食い物の話題が多い。
家仕事や子守など、休みなのにどうしても家で過ごす時間が長い時、時間のかかる料理に挑戦。焼豚というか煮豚というか、肉の塊を時間をかけて煮ることにする。
竹串で肉を無数に突き刺し、買う時にスーパーでもらったネットで包む。あらびきのコショウをまぶして、ニンニクと生姜を入れたフライパンに焦げ目がつく程度に焼く。ここまででも乱暴な料理だなー。



鍋には、醤油と砂糖、みりんを入れて、野菜の切れっぱしを放り込む。またまた乱暴に見えるこの行為が、いい味を出す秘訣となる。
更にニンニク、生姜。味付けは適当。今回はミツカンやテンヨといった、我が家の秘伝のタレは使わない。まあ、調味料類も大量にぶち込むから、既製品だともったいないからね。
あとは完全に放置プレイ!午後から仕込み、3時間は煮込みましたかね。まあ、火を強めたり、また消したり。自分の仕事に合わせて、台所に来た時に調整。火をかけっ放しにしなくても、それなりの味にはなる。やっぱ、乱暴だ!



今回使用した肉の部位は、豚の肩ロースとモモ肉。
写真上の皿の右がロース。包丁を入れたらボロボロになりました。まあ、脂があるからね。孫がご飯の上にのせて食べるのにちょうどいい感じ。
モモ肉はしっかりしている。硬くはない。100グラム98円の肉、味のシミはイマイチなのだが、煮たときの汁をかけて食べるとOK。一晩くらい漬けておいてもいいのかもね。

鍋に残る大量の煮汁には、最初に入れた野菜のカスを取り除いて、新たにだいこん、コンニャク、ニンジン、またまた安い小間切れ肉を入れ、茹で卵を放り込み、煮立たせて、またまた放置3時間。
大量の調味料も、二度目の出陣で活躍してくれるのでした。(乱暴なので、あんまり参考にしないでください。こちらは二度と同じ味は出せませんので!)
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どこが発祥地?新潟の麻婆麺ブームの火付け店「まるしん」

2021年02月17日 | 食(グルメ・地酒・名物)
暇なときはラーメンの食べ歩き。胃の切除をしているので、自分にとってはあまり好ましい料理ではないのだが、好きなものはやめられない。
このブログでも、最近だと「こまどり(新潟市西区、2020年8月6日記事参照)」や「琴平荘(山形県鶴岡市、2020年12月28日記事参照)」を紹介しているが、今回は新潟が発祥?とも言われている麻婆麺の元祖「まるしん」にお邪魔してきた。(ここが発祥とも言われているが定かではない。ただ、新潟に麻婆麺ブームを巻き起こした店であることは間違いなさそうだ。)

新潟では、五大ラーメン(煮干しあっさり醤油・新潟市、濃厚味噌(同市)、背脂(燕市)、生姜醤油(長岡市)、カレー(三条市))が有名?ラーメン王国とか言っても、あまりにもご当地ラーメンが多いのもどうかと思いますが、特徴的なものをもう一つ加えるとしたら麻婆麺ということになる。
他の地域にもあることはあるのだが、新潟はその愛着度がかなり高いらしく、全県にその輪は広がっている。新潟県内では、愛心(新潟市)、龍馬軒(上越市)、天心(南魚沼市)などが有名店とされているが、お味はどうですかね?

今回お邪魔した「まるしん」は、新潟市江南区にある。新潟駅南口から南に延びる弁天線を、弁天橋を渡り、高速道路をくぐって、南イオンを左に見て、工業団地内を超えて道が少し狭くなったカーブのところにある。早通小学校の少し手前。
ところが、一見ラーメン屋としては少し斬新な外観で、実は見逃してしまった。よく見ると、小さく道路側に「ラーメン」という看板があるのが分かる。

私が入ったのは午後1時過ぎ。店は満杯でしたが、すんなりとカウンターの席をゲット。店先の券売機で、もちろん「マーボ麺(この店での表記)」のチケットを買い求め、店員が確認すると5分程度で出てきた。
それほど辛くなく、他の店に比べると辛さに特徴的なところはないが、餡もしっかりしていて、まっすぐに麻婆豆腐を麺に掛けた真面目さと優しさが感じ取れる。ボリュームもありました。木耳がアクセントになっているね。
マーボ麺のほかにも、つけ麺や担々麺、汁なしマーボ麺なども人気だそうで、私が店に入ってからもずっと行列ができていました。

さてここが発祥の地・元祖なのか?まあ、この店も「うちが発祥!」とか大々的に言って宣伝しているわけでもなく、美味しければそれでいいってところですかね!
エースコックのカップ麺で「うんめぇ新潟麻婆麺」は、まるしんの監修だそうだ。六大ラーメンと呼ぶしかなさそうだな。



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我が家に伝わる秘伝のタレとは?

2021年02月14日 | 食(グルメ・地酒・名物)


コロナ禍にあって、外に出るのは気が引けるので、この土日、寒さ厳しい2月には珍しく穏やかな天気に恵まれたものの、買い物以外は外を出歩かないようにする。天気がいいと、かえって気が滅入っちゃったりするんですよね。
出かけないということは、ブログネタにもなかなかたどり着かない。かといって、テレビネタをパクってばかりもいられない。前回書き込んだとおり、「和合館汁」のレシピ?て、ほどではないけど、作り方を乱暴に書き込んでおきたい。

上の写真は、食材を鍋に放り込んで煮るところから。まあ、野菜類、きのこ・山菜類などご自由に放り込むという感じで、冷蔵庫の残り物でも十分いけます。キノコ類(できれば、なめこ&しいたけ)は入った方が美味しいと思う。
重要なのは、肉に豚バラ肉を使用すること。脂がいい味を出します。ただ、私の場合は、あまり脂でギタギタにならないように、沸騰したお湯にくぐしてから再度鍋に放り込むようにしている。しらたきも、あく抜きのためにお湯にとおす。
基本は薄口しょうゆにみりんを少々。出汁は昆布、かつおぶし。干しシイタケの戻し汁を使うのもOK(これをやると、我が家でお正月に食べる雑煮の汁に似たものになってしまう。)

ただ、我が家伝来の秘伝のタレがあって、最近ではしょうゆやみりんを使わずに、これに頼りっきり。
我が家伝来なのに?、ボトルには「Mizkan」との文字が入っている。そう、ミツカンの「追いがつおつゆ」がその秘伝(?)のタレなのである。「旨みと香りを極めた本格かつおだし」と丁寧に書いていただいている。秘伝なのに、スーパーで200円ちょいで売られている(400ml)。
あとですねー、優れものの秘伝のタレ2号が、「調理用白だし」。ここには「テンヨ」の文字が。これまた最強で、煮物や汁物、日本料理には万能で、本格的な味に仕上げてくれる。これを使うと塩分カットとともに、汁自体の色も淡く、上品な味に仕上がるのです。出汁とる必要なし!

エバラの「すき焼きのタレ」やミツカンの「カンタン酢」なども、我が家では秘伝のタレと呼ばれている。在庫を切らしていると、夫婦げんかになるほどです。
今回紹介した調味料類は、なんでも使える、つまり応用がきくし、料理の時短にもなる。そして味がブレない?同じ味に到達できるということこそ、「秘伝」と言われるものには必要ですからね。
どうぞお試しあれ!


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研修センター「和合館」で、料理人の仕事とは

2021年02月10日 | 仕事(教育活動・いちご・建設・選挙含む)


会社の研修センターにおいて、久々料理人としての仕事があった。
今の立場になってから、あまり研修センターで研修をしたり、社員の前で講師をしたりといったことは少なくなったのだが、この研修センター「和合館」にはもう一つ大事な使命があって、社員同士や地域の方々と一緒に交流を図る場としても利用されている。(写真上は、入り口の看板と内部の様子、2018年の新入社員研修の場面。)
現在のコロナ禍にあって、なかなか外で人と交流する機会はないのだが、お客様との会食の場として使われることもある。そんな時には、元和合館館長を自称し、厨房を仕切る料理人兼給仕係として、私の出番が訪れる。

この日は、数人での飲み会。隣の飲食店からデリバリーでコース料理が運びこまれる。正直言うと、あまりの豪華ご馳走で、私自身が料理人として腕を振るう場面は少なかった。
それでも暖かい汁物が必要とのことで、醤油仕立ての汁を作った。我が家でもよく作り、家族からも好評を得ているものだが、これが「和合館汁」と呼はれ、定着してきた感がある。
バラ肉ときのこ類を入れて、「我が家秘伝のタレ」とも言っているミツカン「追いがつおつゆ」で仕立てる。これって料理と呼んでいいですかね?だって、自宅同様キッチンドリンカーしながらですしー。(写真下)



それでも、お代わりもしていただき用意した鍋の中はほとんどカラ。「やっぱりうまかったかー!」と自画自賛しながら、飲み会が終わってからも飲み続けることになり、またまたセコム延長!
ただ、飲んでからだと片付けが大変。サポートの女の子も遅く帰せないので、結局一人での夜間作業になったり、次の日の朝ということもしばしば。
でも、今回の場合、高山の方からお漬物をいただいたので、次の日には片付けながらのランチ。これまた出前弁当のカレーと高山名物・漬け物ステーキ、そして和合館汁という充実のランチになりました。(写真下)
いずれ和合館汁については詳しくご紹介しましょう。



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今年は2月2日が節分。豆まきにする?恵方巻にする?

2021年02月02日 | ニュース・うんちく・小ネタ


2月2日は「節分」。例年2月3日なのに、今年は一日早い?なぜ?
これは太陽黄経(たいようこうけい、太陽の通り道=黄道)を24等分したものが「二十四節気」で、太陽黄経の円周360度のうち春分の日が0度、315度(8分の7、冬至と春分の間)にあたる日が「立春」、その前日が季節の分かれ目と言意味で「節分」ということ。節分が一日早いのではなく、立春が一日早くなった。

地球のの公転周期は、約365.24。1年間の日数とはずれているのはご承知のとおり。うるう年も4年に1回入れて調整はするものの、まだ誤差がある。
ただ、太陽が315度に来る瞬間の日が立春となるため、一日程度前後するそうである。今回は、2月3日23時59分がその瞬間で、1分の食い込みで2月3日になったとのこと。
何でもこれは、124年振りとのこと。テレビ、新聞などでも取り上げられているが、実は4年後の2025年も2月3日が立春で、2月2日が節分だそうである。以後100年くらいの間に、何回かあるというが、天文学的なことになるので、見ても聞いてもよく理解できない。これ以上書き込むとボロが出そうなので、やめておきます。



それより、節分と言えば、豆まき。いや、いまや恵方巻が取って代わって節分の主役になっている。我々が小さい時には、豆まきはやった記憶はあるものの、恵方巻を食べる習慣はなかった。
これまた調べてみると、どうやら大阪が発祥の地。花街で商人や芸子さんたちが、座敷遊びをしながら商売繁盛を願い食べていたのがルーツのようだ。関西のことだから、東に伝わるのに時間を要したってところだろうか。
海苔を販売する業者が、徐々にそのことを宣伝に使い、寿司屋がそれに同調し、大きな広がりを見せたのは大手コンビニが取り扱ったのが1989年。広島で売り出した太巻きに「恵方巻」と名付けたのが最初で、徐々に全国に広がったそうだ。

今では、豆まきよりも恵方巻に。豆まきして豆を年の数だけ食べるというのよりも、太巻き丸々一本食べるという方が魅力だからか?
スーパーなどでも、恵方巻の売り場の方に断然力を入れている。しかもラインナップが凄い!海鮮巻きをはじめ、牛カルビやトンカツを巻いたもの、子どもが喜びそうな具材だけを巻いたもの、それらのミックスしてハーフサイズにしたものなど、種類は豊富だ。(写真中段:スーパーの豆まき用の豆コーナーと恵方巻のコーナー)
まあ、豆まきにしても恵方巻にしても、福を呼び縁起を担いだ商品、コロナ禍にあって、特に一年の中でも消費が伸び悩む二月に生み出された日本ならではの新型の風習ということで、いい方に捉えますかね。(個人的には、バレンタインデーの方が気になる?いい年して!)



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