米坂線研究会の会員としては、以前から気になっていた風景。間近に確認してきたので報告しておきたい。
羽前沼沢と伊佐領間の谷間の風景が、以前から気になっていた場所で、荒川の支流・明沢川がそれだ。米坂線の車窓からは、トンネルとトンネルに挟まれた僅かばかりの橋梁を渡るときに見える渓谷美は、何回カメラを向けても一瞬のことでうまく撮れない。
並行して走る国道113号が上に見えることから、113号を通る度に「ここかな?ここだな!」と目星をつけていたのだが、意を決し(?)今回訪れることができた。といっても、5月の初旬のこと。
「片洞門」と呼ばれる景勝地で、その昔は宇津峠に向かう際の交通の難所。なにせ、深い谷に切り立った崖、断崖絶壁を開窟した道を片洞門と呼んだ。
そこへは国道113号、弁当沢トンネルと綱取トンネルの間に設置された駐車場に車を止めて、すでに廃道となっている旧道を徒歩で進むのだが、今回は国道から見えるだろうということを確認しているので、綱取トンネルの細い歩道を通って、出口付近にある沢へと吸い込まれそうな階段を降りて行くことにする。
トンネル内は、大型車が来るとその轟音と風圧を受けるので恐怖を感じる。
実は、トンネルを抜けてから線路を確認しよとすると、歩道のない反対車線に行くことになり、写真撮影ともなると車道と橋の欄干の間の狭い場所にとどまることになるのだが、交通量も激しいし、人が立っているのにはあまりにも危険と判断し断念。
ただ、抜けたところに階段があるので、たまたま降りて行ったというのが正解なのだが、何だか国道を走る大型車の走行音が未知の世界に突き落としそうで少し怖い。
階段を降りたところが「片洞門」。上の写真の一枚目が駐車場の旧道入り口で、二枚目・三枚目が階段を下りたとこっろの左右に広がる片洞門。確かに崖を開削して道を作ったことが伺える。四枚目が、その気になっていた渓谷で「桜川渓谷(明沢川)」である。
米沢街道(越後街道)は、宇津峠や大里峠など険しい場所がいくつもあり、江戸時代までは難所中の難所。これを解消しようと、明治期になって新道を建設した際、素掘りで掘られた片方だけの洞門で「片洞門」だ。これが、土木学会選奨土木遺産(Cランク)。
自動車の普及で、たびたび切り広げるなどして、大型貨物車やバスなども通ったらしいが、昭和34年トンネルの開通でその役目を終え廃道となった。(現在は立入禁止ということであったが、特にその表示はなかったもので、ごめんなさい。)
そんで米坂線の橋梁も確認。ここは蒸気機関車8620形(ハチロク)が走っていた時代からの撮影ポイント。列車時刻に合わせて訪問していたので、橋梁と新緑、そして車両が入った写真をゲット。
この、RC構造の開腹アーチ橋の「眼鏡橋梁」も推奨土木遺産(Cランク)。だが、実はよくよく調べてみると、その下流には旧道で使用されていた石積の「綱取橋(眼鏡橋・Bランク)」があったとは。これは見落としてしまっていました。
まあ、クルマで行ける範囲の場所なので、来春にでも再チャレンジですかねー?立入禁止は気になりますがー。
羽前沼沢と伊佐領間の谷間の風景が、以前から気になっていた場所で、荒川の支流・明沢川がそれだ。米坂線の車窓からは、トンネルとトンネルに挟まれた僅かばかりの橋梁を渡るときに見える渓谷美は、何回カメラを向けても一瞬のことでうまく撮れない。
並行して走る国道113号が上に見えることから、113号を通る度に「ここかな?ここだな!」と目星をつけていたのだが、意を決し(?)今回訪れることができた。といっても、5月の初旬のこと。
「片洞門」と呼ばれる景勝地で、その昔は宇津峠に向かう際の交通の難所。なにせ、深い谷に切り立った崖、断崖絶壁を開窟した道を片洞門と呼んだ。
そこへは国道113号、弁当沢トンネルと綱取トンネルの間に設置された駐車場に車を止めて、すでに廃道となっている旧道を徒歩で進むのだが、今回は国道から見えるだろうということを確認しているので、綱取トンネルの細い歩道を通って、出口付近にある沢へと吸い込まれそうな階段を降りて行くことにする。
トンネル内は、大型車が来るとその轟音と風圧を受けるので恐怖を感じる。
実は、トンネルを抜けてから線路を確認しよとすると、歩道のない反対車線に行くことになり、写真撮影ともなると車道と橋の欄干の間の狭い場所にとどまることになるのだが、交通量も激しいし、人が立っているのにはあまりにも危険と判断し断念。
ただ、抜けたところに階段があるので、たまたま降りて行ったというのが正解なのだが、何だか国道を走る大型車の走行音が未知の世界に突き落としそうで少し怖い。
階段を降りたところが「片洞門」。上の写真の一枚目が駐車場の旧道入り口で、二枚目・三枚目が階段を下りたとこっろの左右に広がる片洞門。確かに崖を開削して道を作ったことが伺える。四枚目が、その気になっていた渓谷で「桜川渓谷(明沢川)」である。
米沢街道(越後街道)は、宇津峠や大里峠など険しい場所がいくつもあり、江戸時代までは難所中の難所。これを解消しようと、明治期になって新道を建設した際、素掘りで掘られた片方だけの洞門で「片洞門」だ。これが、土木学会選奨土木遺産(Cランク)。
自動車の普及で、たびたび切り広げるなどして、大型貨物車やバスなども通ったらしいが、昭和34年トンネルの開通でその役目を終え廃道となった。(現在は立入禁止ということであったが、特にその表示はなかったもので、ごめんなさい。)
そんで米坂線の橋梁も確認。ここは蒸気機関車8620形(ハチロク)が走っていた時代からの撮影ポイント。列車時刻に合わせて訪問していたので、橋梁と新緑、そして車両が入った写真をゲット。
この、RC構造の開腹アーチ橋の「眼鏡橋梁」も推奨土木遺産(Cランク)。だが、実はよくよく調べてみると、その下流には旧道で使用されていた石積の「綱取橋(眼鏡橋・Bランク)」があったとは。これは見落としてしまっていました。
まあ、クルマで行ける範囲の場所なので、来春にでも再チャレンジですかねー?立入禁止は気になりますがー。