行き先不明人の時刻表2

何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

「戦争を知らないトンネルたち」弥彦の山を抜ける隧道式放水路

2022年04月29日 | 土木構造物・土木遺産


新潟平野は、何千年も前は海の中だった。6000年前頃から沖合にできた砂州がやがて新潟砂丘となり、信濃川・阿賀野川を日本を代表する二つの大河が水や土砂を砂州の内側に運び込んだことで形成された。先にも触れたとおり、ここには古くから水との戦いがあって、それは現在においても続いている。
砂丘に行く手を阻まれた川は、砂丘の開削は1700年代から行われ、北は地元の胎内川をはじめ、南は落水放水路(島崎川)まで17本の放水路が造られている。大河津分水や関屋分水もその中の一つだ。もちろん、西川や新川のように圃場整備とともに排水機だらけの土地でもある。
以前紹介した土木遺産の「円上寺隧道」は完成後100年を経過したが、大河津分水の工事と同時期にトンネルを掘って排水することをよくも考え付いたなっと思っていたら、まだまだあったんです隧道式の放水路が。
(写真上:新潟空港着陸前の飛行機から撮影した北蒲原地方。左手に日本海、砂丘があり、水田に張られた水がその地形を示す。もう一枚は、北陸地方整備局信濃川下流河川事務所の資料から、新潟の放水路銀座を示すもの。)



西蒲原には弥彦山・角田山という火山現象から生まれた山地が存在する。フォッサマグナの端の部分で、太古には海の中に浮かぶ感じだでそそり立つ。この山地の内側にできた西蒲原地域の排水は困難を極め、大河津分水や新川・西川の排水機場の完成後も、洪水を引き起こすことが度々。
円上寺の隧道もそうだが、この山を掘って排水するという計画は意外に最近の話である。トンネルの掘削技術の発達向上もあるのだろうが、この地には水と戦う強い意志を持った人多いということではないかと思う。
古い順から、樋曽山隧道(1939年、L=2300m)、新樋曽山隧道(1968年、L=3075m)、国上(くがみ)隧道(御新田放水路、1990年、L=3659m)、新々樋曽山隧道(1999年、L=3029m)、なんと矢川放水路にいたっては2005年(平成17年、L=4083m)に完成したばかり。樋曽山隧道以外は、「戦争を知らないトンネルたち」なのだ。
(写真上:新々樋曽山隧道を挟むように、樋曽山隧道、新樋曽山隧道の三本が並んで、弥彦山と角田山の間を貫通している。新樋曽山隧道の吞み口の上には竣工記念碑が立つ。)



弥彦・角田の産地に降り注ぐ雨は、西川の更に西を流れる「矢川」に集まる。矢川は西川の支流なのだが、大量の雨が降ると川床が高い西川にこの水が排水されるのは難しい。その末に隧道・トンネルによる方法で放水・排水することになったのだろう。
なお、新々樋曽山隧道は大通川の放水路として、新川と同じく西川を交差して排水しているし、国上隧道は御新田川の排水も担っている。このことから西蒲原の上郷(南部)全体の排水を担うことで、北部の下郷や新潟市西区の市街地を洪水から守っているのである。
開削による放水や排水機場のポンプアップによる排水設備は目にすることができるが、円上寺隧道をはじめ弥彦・角田を突き抜ける放水路はあまりに地味で一般には目に付きにくい。せめて矢川放水路は県道のすぐそばにあるので、弥彦詣で際には足を止めてみてほしい。
(写真上:弥彦山をバックに北に流れる矢川と矢川トンネル放水路の吞み口。写真下:県道2号線のすぐ脇のポケットパークには矢川放水路を説明する看板がある。一方は、国上山に向かって流れる国上隧道(御新田放水路)は、同じ県道の手前で暗渠状態になる。)


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「西川」は西蒲原地域の変遷をどう見ているのか?

2022年04月27日 | 土木構造物・土木遺産


先日、土木遺産に登録された「円上寺隧道」を紹介した際に、気になる川があった。大河津分水付近から信濃川本流と別れて流れる「西川」の存在だ。大河津分水が世紀の大事業であった陰で、早くから湿田解消のための事業に着手していた地域を流れる一級河川だ。
西川は、新潟平野の今や穀倉地帯である西蒲原の西側、弥彦・角田の丘陵や新潟砂丘に沿って北上して流れ、新潟市街地付近で再び合流し日本海に流れる延長44.5キロメートルの川。古くから用水路として、また舟運にも利用されてきた。
西を流れるから西川。「西信濃川」とも呼ばれ、本流は差し詰め「東川」。そして真ん中を流れるのが三条市付近(正確には、燕市道金地内)で分流する「中ノ口川(中之口川)」ということになる。
(写真上:信濃川大河津分水を起点となる西川取水口と、分水市街地を流れる西川)



ただ、これら川の流域は低湿地帯。いくつもの「潟(湖沼・池)」が多く存在しており、私の地元でもある「塩津潟(紫雲寺潟=落堀川・長者堀開削、1728年)」を皮切りとして、「三年一作」とも言われた西川流域でも潟の水を海に切り落として、治水と開墾に向けようという取り組みが江戸時代から盛んに行われて来た。
西蒲原地域では、鎧潟、田潟、大潟という潟の放水と周辺湿地帯を乾田化しようと、「新川」の開削工事を長岡藩や村上藩が着手した。1818年に金蔵坂を開削、西川の底に木製の樋管を入れて西川と新川を立体交差させ、1820年に完成させた。
大河津分水が新潟平野を守る決め手になったことは間違いないが、大河津分水は今年通水100年目。それよりさらに100年遡った江戸期の新川をはじめとした開削工事だから、完全国産の土木技術により成しえたというところがまた凄い!
(写真上:「三潟(鎧潟、田潟、大潟)悪水抜き」のための絵図(点線が、新川開削地点)と、標高19メートルの金蔵坂掘割の模型(いずれも新潟市歴史博物館「みなとぴあ」の常設展示から。)



さて、それで西川がどうなったかというと、もちろん用水としての機能は現在も持ち続けている。ただ、周辺の低湿地帯が圃場に生まれ変わったのはいいのだが、新川との立体交差でも分かるとおり下流域では天井川となり、自身も信濃川への自力排水が難しくなった。
平成10年(1998年)には、信濃川合流近くの新潟西区、つまり住宅が密集する市街地で浸水被害をもたらす水害があった。これらの度重なる水害への対応として、信濃川合流地点には「西川排水機場」が設けられ、ポンプアップにより西川の水を信濃川へ放流している。
開削、開墾、天井川、立体交差、それでも繰り返される水害、排水機場の設置や能力アップなど、西川は西蒲原の地域の憂いや発展・喜びなどをどのように見てきたのだろう?まだまだ水の都・新潟の形成の陰に、知られざる逸話があるに違いない。
(写真上:河床の高い西川を迂回させ底樋を設置する工事の模型(みなとみあ常設展示)と、現在の西川・新川の立体交差(トラス橋が西川、下が新川。新潟市西区内野地内)。)
(写真下:下流域で天井川を形成する西川(新潟市西区笠木地内)。かつての支流の水は河口を求めて新川に流れ込む。西川の水は「西川排水機場」で最大能力65㎥/秒で信濃川に排水される。)
(このブログでのかつての記事⇒「みなとぴあの小さな新潟人」「みなとぴあで潟と砂丘の勉強」


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田中屋本店「みなと工房」で食べるだんごの美味さが半端ない!

2022年04月24日 | 食(グルメ・地酒・名物)


ハワイアン料理を楽しんだ後、まだ少し時間があったので甘味処へ。これも女性陣にはお決まりのパターン?新潟で和菓子を製造販売する田中屋本店の工場兼店舗を訪ねることにした。
信濃川のすぐそばで、対岸には新潟のシンボルともいえる朱鷺メッセが見渡せる眺望最高の好立地。以前からマークはしていたのだが、和菓子屋というよりは、上の写真を見てお分かりのとおりショールームみたいに見える近代的なデザイン。
和菓子屋さんやだんごを扱う店となると、以前紹介した長岡の江口だんごのように、和風で、古風な建物をどうしても想像するが、全く真逆の発想である。(⇒江口だんご



ここは平成19年(2007年)にオープンした「みなと工房」とよばれる工場兼店舗で、田中や自慢の笹団子をはじめとする商品ラインナップが揃っていて、笹団子の製造実演(笹巻き)をガラス越しに見学できるほか、餡子入りソフトクリームなどのコーナー、イートインスペースを兼ねたギヤラリーなどもある。
また小規模ではあるが2回のセミナールームでは、ちょっとしたイベントのほか、田中屋本店の菓子職人から笹団子づくりや笹巻き体験を教えてもらえる講座なども開設している。お邪魔したこの日も数人の方々が受講していた。
工房という名に相応しく、近代的なスペースの中ではあるものの、和菓子屋さんの心意気や伝統を守りたいというメッセージが伝わってくる場所なのである。



せっかくなので、味見をさせてもらった。あんこもいいけど、どうしても醤油(みたらし)だんごから目が離れない。というのも、別のお客さんが注文したときにとてもおいしそうに見えたことにある。
温かいタレその場でかけてくれると書いてあるが、3人でお邪魔したのに串に差さっただんごは1本が残るだけ。「大丈夫です。いま奥から取ってきて焼いてきます」と、接客が忙しい中なのに、たった3串なのに神的な対応。
少しだけ待って出てきたのが下の写真の醤油だんごだ。こちらは和風の平ぺったい塗り皿に、これでもかというほどタレがかけてある。温かく、そしてやわらかく、濃厚な醤油味は忘れられない味となる。駅の売店で買うのとは段違いの美味しさだった。


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新潟のエッグスンシングス!「Can-Peak(キャンピーク)」というハワイアン料理の店

2022年04月23日 | 食(グルメ・地酒・名物)


若い社員と外出すると、昼食はラーメンで済ませるという訳にもいかない。行きたい場所を訪ねると、やはりカフェ。今回は、新潟市の東区にある「Hawaiian Kitchen・Can-Peak(キャンピーク)」というお店を訪問することになる。
時おりモデルとして登場するミーが、一度テイクアウトのランチボックスを食べたことがあるというので店を探す。裏通りにあって、表通りに並ぶ飲食店はどこも入ったことあるところばかりなのに、こんなところにおしゃれな店があったとは初めて知った。
名前の通りハワイアン料理の店。ランチメニューのほかパンケーキが看板メニュー。夜の営業もあって、お酒なども楽しめる。とても人気のお店だということは後から知ったことだが、この日は昼を少し回った時間の来店だが、すんなりとは入ることができた。



上の写真とおりの海岸沿いにありそうな外観ではあるが、店内は結構落ち着いた雰囲気。テーブル席のほかカーペットにふわふわクッションが添えられた小上がり席もあって、この日取引先とのアポが時間が空いていたのでゆったりと過ごせる。
ランチメニューは、ガーリックシュリンプやロコモコにサラダが添えられたワンプレート4種類からチョイスできて、セットでパンケーキ4種類、ドリンク4種類から一つを選ぶことができるので、組み合わせパターンは多彩。
私はロコモコ&パンケーキはパインホイップを選んだが、肉食女子はローストビーフ&チョコ系のパンケーキ。セットで1,680円は少しランチメニューとしてはお高いが、満足度は抜群!



とにかくパンケーキの種類が豊富。パンケーキはハワイ料理?発祥はギリシャとか言われているが、ブームを巻き起こしたのはアメリカなどの英語圏。特にハワイではフルーツを載せたスタイルもさることながら、エッグベネディクトなど「料理」としても親しまれていた。
日本に上陸したのはハワイから。「Eggs’n Things(エッグスンシングス)」という店が原宿にオープンし、フルーツやホイップクリームをふんだんに使ったメニューで日本のパンケーキブームに火をつけたということだ。今や国内で29店。
キャンピークのオーナーもハワイ滞在中に食べ歩いたハワイ料理が基本となり開店。当初は燕市で営業していたが、2020年10月、県都・新潟市のこの場所に乗り込んできた。さて、越後の「エッグスンシングス」になることができるか?
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大河津分水と兄弟のような関係にある「円上寺隧道」

2022年04月21日 | 土木構造物・土木遺産


大河津分水が、通史100年を迎えるということであるが、その分水路の大工事を横目に、僅かばかり早く通水した放水路が大河津分水のすぐ近くにある。「円上寺隧道」がそれである。
長岡市の旧寺泊町にあるこの隧道は、越後平野と日本海の間に鎮座する弥彦山をはじめ、排水を拒む海岸部の丘陵地帯にトンネルを掘って日本海に放水するもので、1915年(大正4年)に建設されたものだ。
日本最古級の総コンクリート製の河川トンネル(当時トンネルというとレンガ造りが主流)で、長さ約1.2キロメートル、内径3.6メートル。また、山岳トンネルなのに馬蹄形ではなく真ん丸。まるでシールド工法によるもののようだが、史料からは言及していない。



当時、出雲崎方向から流れてきた島崎川は、下流域で行き場が山に阻まれ、円上寺潟という湿地を形成し、信濃川が増水するたびに洪水に苦しめられていた。もう越後平野はあちこちで同じような状況下にあり、大河津分水の完成が待たれていた。
この洪水を防ぎ、また大河津分水より低くなる島崎川の流下と円上寺潟の排水・干拓を行うため、間歩堀(まぶぼり=「間歩」は鉱山の坑道によく使われるトンネルの呼び名。)や須走川の流れを変えてみたがうまくいかなかった。
以前触れた「横田切れ」の大水害が1896年。大河津分水の工事再開のきっかけとなったが、同じくして円上寺潟では子どもの水難事故なども多く、海岸部の丘陵地帯に隧道を掘ってあらゆる災難を排除するという一大工事を実施することになった。



この写真は、平野部の旧円上寺潟付近から丘陵地帯を見たものと、海岸部・寺泊のアメ横と言われる魚屋が立ち並ぶその奥に見える丘陵地帯。標高は100数十メートルであるが、その山を見上げて隧道を通し放水することを誰が思い立ったのだろうか?
規模は違うといっても、ある意味大河津分水の通水を出し抜いて、画期的な放水路を完成させたことに関係者の意欲と喜びが伝わってくる。こちらはあまりに脚光を浴びておらず「ひっそり」という感じであるが、大河津分水の洗堰と同じ工場で作られたコンクリートを使用していることから、兄弟関係にあるということなどとともにPRをしていただきたい。
日本最古級のコンクリート製の河川トンネルであること、建設から100年以上経過している今も地域の防災に寄与し続けていることなどから、令和3年、選奨土木遺産に認定。新潟県内では、一番最近の認定遺産である。
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村上市にある魅力的な2つの酒蔵を訪問して

2022年04月19日 | 食(グルメ・地酒・名物)
酒好きの友人が来訪。私もお酒は好きだが、その友人はかなり日本酒に詳しく、酒蔵巡りなどを趣味としている。
どこを案内すればいいか現場合わせでと言われていろいろ考えたのだが、酒蔵なら近くにもたくさんあるということで、迷わず村上市へ行くことにする。
已然にも書き込んでいると思うが、村上はかつての城下町。古い町並みや美味しい伝統料理、工芸品などもある魅力的な街。今回はお酒という視点で訪れることになった。



大洋酒造は「大洋盛」というお酒を製造・販売する蔵。ここには、「和水蔵(なごみぐら)」という展示販売場がある。ここは逃せない。
先客のご夫婦がいたが、和水蔵は閉まっている?古い商家の入り口に相応しくないインターフォンを試しに押してみると、「今すぐ行きます!」と明るい声。すぐに担当の方が開けてくれた。
中は大洋盛に関する資料が並ぶ資料館的な感じ。戦前は近隣に10を超える蔵があり、それが一つになって「大洋酒造・大洋盛」になったそうだ。



ここでは新潟自慢のスッキリ淡麗のお酒が手に入る。残念ながら和水蔵で行われている利き酒はコロナの影響で中止。
それでも担当の方との話も弾み、この日は「本生吟醸」という地元の酒米「たかね錦」を55%まで磨いた生酒を手にする。
やはり生酒だと加熱処理していないので香りも立つし、芳醇な味わい、かといってしつこくなくあっさりと頂くことができる。何の料理にも合うような気がするお酒でした。



村上には、もう一つ蔵がある。こちらは、私のお気に入りでもある「〆張鶴」を製造・販売するのが「宮尾酒造」だ。
外観的には、それほど大きな蔵ではないと感じるが、このところ人気急上昇の銘柄を作り出している。友人も「〆張鶴の蔵に来れるとは!」と喜こぶほど。
ここは、蔵見学とか展示場とかはないが、入口に販売スペースがあり、女将と思しき人が丁寧に説明をしてくれた。



写真下でも紹介しているが、これまでの経験とその年の一番の作品としてのこだわりを持って「純米大吟醸酒」を毎年造り出しているという。
仕込み水や原料の酒米(こちらは30%まで磨くそうだ)、製造方法や貯蔵にもこだわりを持って、1.8リットルが50,600円也。とは言ってもビックリの値段ですな!
私はいつもの「純米吟醸」の「純」。少し冷やして飲むと口当たりがよく、スッキリした後味。村上の鮭料理には、これですな!最高!

東京からお出での友人Tさん、いずれのお酒も買ってくれたのに、あたかも自分で手にしたような記載で申し訳ない。本来なら、私がお土産に持って行っていただかなければならないところ、お詫びし、感謝申し上げたい。
そして、突然の訪問にも関わらず、懇切丁寧に対応していただいた2つの蔵のご担当者様、いずれも引き込まれるようなトークに感激しました。またお邪魔します。


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小樽港、もう一つの土木遺産「斜路式ケーソン製作ヤード」

2022年04月16日 | 土木構造物・土木遺産


まだ小樽にはあった!小樽港を築港するための技術、そして人。先に紹介した北防波堤を見てから、引っ越しの荷物を載せたハイエースは小樽港縦貫線の運河沿い走り抜けて南防波堤に向かう。
前回紹介したとおり、北防波堤の建造は広井勇の設計・監督により行われたが、その後二代目の小樽港築港事務所長・伊藤長右衛門に引き継がれ、北防波堤の延伸、南防波堤の築造、島防波堤の建設が委ねられた。
この時に使用されたのがケーソン式の工法により防波堤等の港湾が築造された(南防波堤の一部を除く)。これまでもケーソンという言葉はこのブログでも登場してきたが、コンクリートで箱を作り川や海での土木構造物を支持層に据え付けて強度を得るというもの。



南防波堤の付け根にあたるところに国土交通省北海道開発局の「小樽港湾事務所」があるが、そのすぐ脇にケーソンを製作した跡が残されている。これが「小樽港斜路式ケーソン製作ヤード」で、1912年(明治45年)生まれ110歳、2009年(平成21年)の選奨土木遺産である。
斜路式というのは、コンクリートで作られた巨大なケーソンを滑り台方式で進水させるというもの。所長の伊藤が軍艦の進水方式を参考にして考案した世界初のもの。広井所長の後の第二期小樽築港工事の間で100個のケーソンをここで制作した。
これは小樽港の港湾としての機能を高めるために寄与したことはもちろんなのであるが、留萌港や岩内港などの北海道各地の港湾工事に採用されたほか、日本の港湾整備の近代化、各地の経済発展にも貢献したといえる。



制作ヤード自体が木製であることから、かなり傷みは激しいように見えるが、ここで千トンを超える巨大なケーソンが造られていたとは?
もっと小樽港のこと知りたいと思ってここに来たのだが、港湾事務所に併設されている「おたるみなと資料館」は休館日!日曜がお休みなのはお役所のカレンダーに基づくもので、残念な限りであった。
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100歳のコンクリート防波堤が、小樽港を守る!

2022年04月14日 | 土木構造物・土木遺産


北海道での引っ越し作業は順調に終わり、帰路に就くために小樽へ移動。そこで時間を何とか作って、小樽の港の歴史を振り返ってみる。ここにもとびっきりのものがありました。
上の写真、決して釣り人を撮影したものではないのだが、そこにある重厚な土木遺産は意外にも市民の憩いの場として活用されている。釣り人の奥に見えるだろうか?これが小樽港を守る「小樽港北防波堤」だ。
小樽港は、明治政府により設置され、北海道の開拓玄関口として、また北海道からは石炭の積出港として発展し、日本の産業革命を支えた。意外にも地図を確認すると三方向を山に囲われていて、冬の北西からの季節風を避けることのできる天然の良港であることに気づく。

「小樽港北防波堤」は、1908年(明治41年)竣工。なんと113歳。日本初の本格的なコンクリート製の外洋防波堤で、全長1289m。水深14mの海上の投石マウンド上に、コンクリート方塊(ほうかい)を斜めに積み上げ、崩落を防ぎ強度を得ているという。
この工事に携わったのが、日本の土木技術の「祖」と言われる広井勇だ。札幌農学校の教授を経て、小樽築港事務所の初代所長として着任した広井は、火山灰を使った高強度コンクリートを導入し、工事を指揮した。時には、自らスコップを握って指導に当たったり、潜水服を身に着けて海底の状況を確認したりしたそうだ。
この防波堤が現在も立派に機能していることも驚きだが、強度試験用のブリケットと呼ばれる供試体が4000個が小樽港湾建設事務所で保管されており、現在も5年ごとの強度検査でも品質の劣化はないという。

2000年(平成12年)、土木学会選奨土木遺産。小樽港は「重要港湾」、管理者は小樽市。下の写真は、新日本海フェーリーから撮影。(上の写真には、釣り人が見えるが、防波堤上は立入禁止区域なので注意!)



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ハイエースの初仕事は引っ越し作業でした!

2022年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム


以前紹介したように、ハイエースをこよなく愛する若い整備士とともに、今回は引っ越しの手伝いを頼まれて出かけることになった。待ちに待った新車がやっと来たばっかりなのだが、最初の遠出のお仕事は引っ越し。ハイエースにぴったりの仕事だ。
行先は北海道。往路は、青森まで陸路とも思っていたが、いくら若いとはいえ身体への負担を考慮し、今回は新潟港発着のフェリーを選択。16時間という長い船旅だが、北海道・小樽港に早朝到着、次の日の夕方まで丸二日間時間を有効に使うことができる。
北海道はその日の夜半から雪が少し降ったとの情報。夏タイヤに二駆のハイエースだと、冬の北海道では無防備同然となるが、幸い気温がそれほど下がらなかったことから主要道路は万全。まあ命拾いしたという感じだ。

若いから早朝4時半に小樽港に着いて行動を始めるにはちょっとかわいそうだと思ったが、依頼者のアパートへ。なかなか細かいものを整理処分するのって大変なこと。結局、いるか否か、処分するか否かで時間を取ってしまう。
行く前から、その処理をちゃんとしておくように頼んでいたのに、大きいものの段取りは想像ついても、小さい生活用品や書類、雑貨類の分別ができないと、段ボールに詰め込みようがなく、その判断は本人しかできないのである。(もちろん、捨ててしまいな!とかとのアドバイスはするのだが…)
まあ、こっちはハイエースの荷室にどうやったらたくさんの荷物を上手く収めるかが仕事。若い整備士とパズルゲームをやっているみたい。これもハイエースのフラットで広い荷室だからできる技。無事、初ミッションを終えて帰ってくることができた。また、こんな依頼があるといいだけど。

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発見!「ウフ」っとするウフウフガーデンのプレミアムたまご

2022年04月06日 | 食(グルメ・地酒・名物)
決して、たまごにこだわりを持ち、美味しいたまごを探しているわけではない。たまたま、友人からの頂きもののたまごの味に感動しただけ。
というのも、以前の書き込みで隣町の川瀬養鶏場のたまごを紹介したことがある。(2021年9月8日記事参照)この時も貰い物だった。
川瀬養鶏所の「思い出たまご」、確かに美味しかったし、βカロテンは、DHAが豊富に含まれていることを数字で表すなど、栄養価の高さも手に取るように解説されていた。何よりネーミングが光った。



今回紹介するのは「ウフウフガーデン(ufu uhu garden)」のたまご。カフェ風の建物で、㈱山田鶏卵(直営農場は「山田ガーデンファーム」)が生産・販売するもの。
山形県米沢市の市街地から少し山間に入ったところにある。この時期、そのまた奥にある天元台スキー場への行き帰り、道沿いにいつも混雑している店があることから知り、たまたま立ち寄って手にしたものが毎度立ち寄ることになったという。
自分はこの日、初来訪。遠い県外だし、スキーでもしなければ通らないところ。確かに駐車場にはクルマがいっぱい止まっていて、併設のカフェも魅力的なスペースなのだが、みんなたまごの入った箱を手にして出てくる。



こちらのウリは、「衛生管理を徹底した鶏舎、飼料、天然水などこだわりぬいた、生みたてのたまごをウフウフガーデンに運んでいる」というシンプルなフレーズ。ガーデンの向かいにはウフウフファームもあり、混雑時にはこちらで飼育状況等を見学できるようにもなっている。
問題は味だ。食べてみると味が濃く、忘れられないものとなる。始めていただいた時から感心していたが、二度目にいただいた時には、店を訪れたくなるほどの味。そう正に、食べた人を「ウフ」っと喜ばせる味には秘密がありそうでならない。
「ufu/uhu(ウフ)」はフランス語で「たまご」を意味するそうで、それと掛け合わせたようだが、さて以前に紹介したものと比べて、思い出に残るくらいウフっといわせるたまごはどっちだ?是非食べていただき、ご判断いただきたい。


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峠を越えるため、「峠の釜めし・おぎのや」の取り組み

2022年04月04日 | 駅弁


駅弁の話。写真は見てすぐにお分かりだと思うが「峠の釜めし(㈱おぎのや・信越本線横川駅)」だ。駅弁会の中でも、常にトップを走る人気駅弁ということは、誰もが認めるところである。
先日、東京駅の駅弁コーナーに立ち寄って駅弁を探す。ここには全国各地の駅弁が集められて販売されており、いつも売り場は大混雑、レジ前に行列ができる。そこで、峠の釜めしを発見して手にしたら、あれこれどうなっているの?
峠の釜めしといえば、陶器製の容器でズシリとした重さが大きな特徴。なんでも冷めないように駅弁を提供しようと、1953年(昭和28年)、亡くなった3代目の妻(4代目社長)によって考案され、天皇陛下にも献上された由緒ある駅弁で、それ以来守り通してきた容器であるはず。



私が写真の「峠の釜めし」を購入したのは3月の末。何と白い紙製の容器をカラフルな厚手の掛け紙が覆っている。その掛け紙には「信越本線横川駅・創業明治18年・元祖峠の釜めし」、「峠の釜めし本舗・おぎのや」と記載され駅弁マークも付されている。正真正銘の本物。
こちら調べてみると、「パルプモールド容器」と言って、サトウキビの搾りかす等を原材料にした、環境に優しい容器の使用を促進しているとのこと。2012年から導入だから、すでに10年が経過している。
陶器製の容器は、利用者から「重くて、持ち運びたくない」との声を受けて開発されたとか。釜めし販売当初のお客様本位の柔軟な対応がここにも活かされて、翌2013年には「GOOD DESIGN賞」も受賞している。



と言っても中身やカロリーは陶器製のものと一緒。釜めし型のミニ容器に漬物を添えるスタイルも一緒。陶器製のものが無くなった訳ではないのだが、パルプモールドの値段は1,100円と陶器のものより100円お安くなっている。
人気駅弁が伝統的な容器を守り続けることも大事ではあるが、おぎのや(荻野屋)はSDGs 達成に向けた取り組みを掲げており、従来の陶器製の容器のリサイクルやパルプモールド製の活用など図ることで目標達成と課題解決を図るとしている。
コロナ禍にあって駅弁業界も大変な局面を迎えている。アイディアを凝らした駅弁開発や販売方法にも各所で工夫がみられる。しかし、こうした時代を捉えた目標を掲げ、従業員と共有することこそ「峠」を越える力となる。おぎのや、天晴れ!



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