今回の鹿瀬のまち歩き、かなり山の中にどっぷりとつかることになる。「クマ注意!」そう、今年はクマの出没が多い。しかも、その範囲が市街地にまで及ぶことも。
クルマでの移動が可能ではあるが、撮影の時は車外に出るので注意なければならない。
既に使用されていない隧道跡、導水路といえばいいのか、管理用のトンネルといえばいいのか、その出口の先には、つづら折りの道が川沿いの道路につながり、その先に見えてきたのがなんと吊り橋。
やはり通行できない状況になっているが、ここにも時速10キロ、制限重量1.5トンの標識。やはり、車が通行していたと思われる形跡がある。
一旦鹿瀬大橋まで戻って、かなり迂回をしなければならないのだが、川の対岸の道路へ回ってみることにする。意外にも、発電所近くまで容易に行ける道がある。現在のダム関連施設の管理道路にもなっているようで、丁寧に「東北電力用地」との看板もあった。
少しだけその用地に食い込む形になってしまうが、吊り橋の反対側にたどり着くことができる。
かなり傷みが激しい。決して入らないし渡ったりしないので、草を刈ってくれませんか!というぐらい、何かひっそりと隠されているよう雰囲気さえ感じられる。
親柱の名盤がよく確認できないのだが、鹿瀬側に「東北電力株式會社 鹿瀬発電所」と「角神橋」と、発電所側に「昭和丗三年十二月架替 長岡市大原鐵工所」とある。
確実に発電所管理用の橋であり、隧道もそのために改修されたことを裏付けるもの。昭和33年に架替ということは、それ以前にも橋が架橋されていた、道として利用されていたということにもなる。
まあ、昭和3年完成の鹿瀬ダム・鹿瀬発電所だから、その前後からあったとしても不思議ではない。何せ、私が走った遠回りする経路よりも、絶対早く行けるでしょうからね。
調査の結果、ダム・発電所のための隧道と吊り橋で確定!隧道は「角神隧道」で、古い導水路を回収したもの。吊り橋は「角神橋」で昭和33年に架替られたもの。
上の国土地理院の地図を見ても、向鹿瀬の新潟昭和の工場から鹿瀬発電所まで、ほぼ直線で結ばれている。凄いこと考えたものですよねー!
ただ、ダムの建設資材を運ぶために、私が恐る恐る入った右岸側の道には、軽便鉄道が走っていたという事実も知る。(阿賀町の「阿賀の学習教材サイト」参照。)
鹿瀬が繁栄の一途にあった時の勢いと合わせ、負の部分も感じることができる足跡が、向鹿瀬にはいっぱいあるんです。ぜひ、ふるさと学習で子どもたちにも伝えてほしい。そして、東北電力さん、もう少しサービスしてPRしてほしいなっ。